第73話 凪

 『盾』(フォートシールド)の魔術が持つ欠点は、凡そ受け持つ役割と表裏一体だ。

 敵の視界を塞ぐ大盾は味方を展開するのに役立つが、同時に歩く程度の移動しか出来なくなる術者にとって、それは自らの視界を塞ぐ遮蔽物となる。

 設置可能な盾の種類にも拠るが、三枚も設置すれば敵を見失うのに十分だ。

 通常は『盾』と連携を取る『弓』の術者から合図を貰って運用する。しかしそれではタイミングが一歩遅れてしまうことから、熟達した術者ほど自己判断で盾を展開する。


 当然、力を間借りするだけの俺にそんな力量はない。

 大盾を超えるでもなく、風のようにすり抜けてくる神父を見て、妙な違和感を得た。


 設置場所を変更する。

 今、抜けていったと思った場所とは真逆に、大盾を置く。灰色の濃霧が立ち上り、まさしく霧のように消えていったそこには、鈍色の分厚い大盾が現れる。

 設置にタイムラグは殆どない。そうでなければ最速の『剣』を相手に優勢などとはとても言えないだろう。

 見てからで足りる。相手が目の前に現れた瞬間、大盾を展開して守りに入るだけでいい。しかしあの神父は、数多くのフェイントや意識の逸しなどを入れ、いつの間にやら術者の間合いへ踏み込んでくる。

 意識の外側というのは、理解していても対処が難しい。


 だが、


 神父が大きく後退し、距離を取る。

 『盾』の射程距離は二十メートル前後。この大広間のどこに逃げても射程内となるが、意識的な間というのはやはり出来た。


「まるで空から眺めるように……」


 言われた言葉に、なるほどと納得を得る。

 俺自身、どうしたものかと困惑していたが、それでしっくりきた。


 他者の魔術を間借りする。

 メルトの巫女としての力を応用したこの裏技は、当然ながら間借りする術者と俺自身の間に彼女が仲介を行っている。その結果、単純に間借りした魔術だけではなく、違ったものまで混じり込んできているらしい。


 メルトに比べればずっと狭い範囲だが、まるで空から俯瞰するように周囲を知覚出来た。

 とても感覚的なものだ。具体的に何をしているかなんてことを読み取るには、相当な慣れが必要になってくるだろう。だが単純な配置だけなら、俺が普段の戦いでやっているのとそこまで違いがない。


 見えずとも位置が直感出来る。

 まるで熟達した『盾』の術者じみたことが、今の俺には出来るらしい。


 安心は出来ない。

 相手はその熟練者を相手に勝利し続けてきた化け物だ。けれど、想定していたよりずっと余裕が持てる。

 ただし、時間がない。傷の具合が分からない上、このまま出血を続ければ彼女の命が危なかった。


 焦るな……!


 今の優位は俺が守りに徹しているからだ。

 ここから神父を倒そうなどと考えれば一気に形勢が変わってしまうかもしれない。


 止血の余裕はあるか?

 分析してきた奴の状態はどうだ?

 ここでまた交渉を繰り出す?


 奴らの目的は凡そ知っている。それを達成させることはある意味で俺の目的と一致していた。けれど、完全な形で達成されてしまうと今後の行動が難しくなるから、妥当な所へ話を落としていくつもりだった。


 だが…………だが!


 神父の様子があまりに異常だ。

 ミシェルをその手に掛けた影響か、今までにないほど危険な気配が満ち満ちている。

 英雄たる者の全てを狩り尽くす? 不可能だと思う反面、彼ならばやってしまいそうな恐怖がある。実力や政治力なんかじゃない。それを達成しうるだけの原動力が彼にはあった。


 神父の足が石床を叩く。

 見て分かるほどの、予想していた負傷の影響がない。巧妙に隠されているのか、本当に無いのかは分からない。

 思考する暇もなく、彼は風に吹かれたような動きで走り始めた。


 『騎士』の紋章を浮かび上がらせる。

 距離は開いている。足元の床を横薙ぎにして、石の礫を広く叩きつけた。それで神父の動きを止められるとは思っていない。けれど一秒か、二秒の遅れは出るだろう。

 更には振り抜く反動を利用して、背後に向かって走る。


 壁際には『剣』の術者が二人。守りが薄い。城壁をもぶち抜く『槍』ならば、その気になれば出入口など気にしなくていい。

 『騎士』でないのなら緩やかな対処で事足りただろうが、動員可能な人数か、相手の油断か、はたまた更なる罠か、相手の数は少ない。どれにせよ進まない手はなかった。


 二人が構えた。

 腰が落ち、やや前傾となって剣を取る。


 駆け出す直前、『騎士』の紋章を打ち消し、再びの『盾』。

 不意打ち、と言える状況で現れた大盾へ自ら突っ込んだ両者が、盾表層から発生した強烈な爆圧を受けて吹き飛ぶ。片方は横倒しになったまま柱に背を打ち付け、片方は壁の一部を崩すほどの衝撃を伴って叩き付けられた。

 同時に、背後から迫っていた神父に対しても大盾を設置する。

 だが抜けてきた。

 こちらが正面の二人に意識を割いている隙をあの神父が見逃す筈もなかった。


 間合いが詰まる。切り替えてから対処する時間はない。

 右手に抱えたメルトを庇い、差し出すのは左腕。対し、右腕の無い神父は身体をやや傾けている。

 一瞬足元へ目をやった。残る距離は二足。踏んでいるのは――左足。


 一歩を詰める。

 ピエール神父にとって不安のあるだろう右足の踏み込みで剣を振らせる。そうでなければ今や打ち合うのも難しい。

 手には小型の金属盾。『盾』の術者にとっては緊急時に用いるような手段だ。


 霧が薄れゆく。

 その内側から火の粉が散った。


 神父の一刀は盾を避けた。

 前方へただ防ぎに入ったような俺の守りを呆気無く通り抜け、切っ先で関節の内側から肘を切り裂くような軌道を見せる。首を取りに来れなかったのは、やはり後遺症の残る右足で地面を踏んでいたからだ。


 けれど神父は、いやこの場の全ての者たちは、未だ俺のやった意味を理解していなかった。


 盾が消え失せる。

 紋章は霧と消え、代わりに足元から赤の魔術光が燃え上がってくる。

 無造作に突き出した左手がサーベルを握る。触れなければ問題はないと、神父自らが懐へ抱え込むようにして避けてきた左手だ。


「っ――!?」

「いつぞやの礼だ。心して受け取れ!」


 切っ先から赤い筋を引いて、俺はその場から離脱する。

 普段以上に慎重な足取りで床を踏みつつ、抱え直したメルトを支える右手が、震えていることに気付いた。

 一呼吸の間を置いて、改めてあの男の凄みに身震いする。


 あの瞬間、普通なら刃を避けて逃げていた。だが神父はより深く身を倒してきた。結果、俺はサーベルを振り抜くのではなく、表面に刃を這わせ、引き切るような攻撃しか出来なかった。

 それだけでも十分驚嘆に値する。けれどその上で、ピエール神父は肋骨を盾にしてきたのだ!

 切り裂かれるのはもうどうしようもない。だからより傷を浅く済ませる。それは分かる。しかし斬られる場所まで瞬間で判断し、押し付けてくるとは。俺にあの密着状態から骨間を抜く技術が無いことも見越していたに違いない。慣れない『剣』での不覚。『槍』であったのなら、構わず骨ごと粉砕できていた。


 こちらの腕が窮屈さに握りを変えた瞬間には、突き放されたと錯覚するような動きで距離も開いてしまっていた。その上奴は、しっかりと壁に空いた穴を塞ぐよう地面を転がったのだ。


 熟達。老獪。歴戦。

 こちらの想像も及ばぬ経験を重ねてきた男の、底力を思い知らされたような気持ちだった。


 だが、この場での目的は神父への勝利じゃない。


 飛び退いた先、大広間の入り口付近。そこで俺は再び『騎士』へと切り替え、青の魔術光を吹き上がらせた。

 硬直したのは周囲のみ。

 神父は、今度こそ油断の無い動きで、しかし負傷した獅子のような獰猛さで斬りこんでくる。


 許せないのだろう。

 魔術は、それこそ神の与えた恩寵であり、許しだ。その力を以って世界に声を上げろと、何よりも明確に示される神の証明。そう言われている。

 俺はそれを、自らの意志で好き勝手に使い分けた。彼にとっては許しがたい冒涜の筈だ。


 手を振り下ろす。

 慎重だった神父の動きに、一層の鋭さが増した。


 風が吹く。


 叩き付けられるのは、隕石の落下にも匹敵する膨大な破壊力。

 何故と反応出来たのはヴィレイくらいだった。

 加熱しきった人間の思考は、起きる事柄に流される。


 蹴り出される。

 極めて単純な、この攻撃に対する対処法。

 『槍』の射程範囲は精々が三メートルほど。いくら上に伸ばしたとして、そこから抜け出せば同様に掻き消える。その制御の難しさが、加えてある一つの要素に対する無知が、この技の普及を鈍らせている。


 冒涜者である俺を、その代名詞とされる攻撃を、嘲弄するように呆気無く防いでみせた神父を見る。怒りの一欠片でも満たされたのか、僅かばかりの落ち着きを取り戻していた。


 その顔を凍りつかせよう。


 俺は着地と同時に(メルトの様態をしっかりと確認しながら)、手にしていた長槍の石突で床を叩く。

 『槍』の打撃力が床を震わせ、小さな陥没を作り出す。

 訝しげに様子を伺われたのも数瞬――


「その場から離れなさい、神父!」


 ヴィレイの声を打ち消すように、ピエール神父の足元、大広間の床が崩落する。

 その下から四つの槍が突出され、四方から神父を襲う。荒々しく床を食い破るそれは、海面を割って飛び出してきた巨大な鮫を思わせた。


 彼ら、近衛兵団を潜ませていたのは、地下の氷室だ。

 態々こちらのホームグラウンドを戦場にしてくれたのだから、利用しない手はない!


 だが神父は、やはりこれもかわしてみせた。

 崩落を始めた直後には四方の槍を避けて飛び上がり、天井を足場にしようとした。

 そしてそんな分かりやすい所に俺が味方を配置しない筈もない。


 黒衣に身を包んだ『剣』の術者が三名、阿吽の呼吸で神父へ斬りかかる。

 そこへ今まで待機していた教団の『弓』が、とうとう攻撃を始めた。『弓』で『剣』は倒せない。けれど、そこにあの神父が居るならば十分だ。背後からの攻撃に姿勢を崩した隙を見るや、ピエール神父は差し込むように緩やかな斬撃で一人を切り伏せ、包囲を突破した。


 地上では、穴から飛び出してきた『剣』が二名、即座にヴィレイの姿を確認するや強襲を仕掛けていた。さりとて奴は『盾』。すぐさま十字天秤を周囲に張り巡らせると、それを守るように教団員らが集まってくる。

 小剣を構えた細身の男は、それでも突破を諦めなかった。ヴィレイの十字盾は隙が多い。視界の殆どは遮らず、一見して意味のなさそうな天秤の秤など、『剣』にとっては容易い障害物に見えたのかもしれない。

 しかし、両者が衝突するにはいささか間が悪かった。


 天井で起きた神父によって切り伏せられた一名が、運悪く、あるいはそれさえ見越してか突破を仕掛ける男の眼前に降ってきた。

 味方の死体か、あるいは生きていたとして、重要な局面でそこに拘泥するほど近衛兵団の超えてきた戦場は生ぬるくはない。けれど、階段を駆け上がるに際し、二歩を要する回避が敵の防備を充実させた。


 判断は一瞬。


 即座に切り込みを諦めて血を流す味方を掴む。肩へ担ぐ間に、やや遅れて様子を見ていたもう一人が前に立ち、殿を務めた。

 すぐには動かない。

 二人はまだ包囲されていないのだから、敵を前に慌てて逃げ出すような愚は侵さない。

 なにせ、この大広間は『盾』の射程圏内だ。迂闊に動けば、先ほど俺がやったように間抜けな結果を生むだけ。

 それでも、負傷者を抱え、敵を眼前に置いて踏みとどまる勇気はさすがとしか言い様がない。


 『盾』の術者は、こちらに俺を含めて二人。

 教団にはヴィレイのみ。

 数が少ないのは幸いというべきか、それでもこんな狭い空間での乱戦となれば何が起きるか分からない。自然、この場は硬直するかと思われた。


 動く気配がある。


「神父!」


 見るでもなく感じた。

 俺の右側、死角となる位置へいつの間にか降り立った痩身の大男が、守りに入った『槍』を切り捨て突破してくる。

 大盾が展開された。俺も加勢しようと切り替えたが、寸前で思い留まる。余りに多くの大盾を広げれば、この狭い空間では返って動きにくくなる。ここは熟練者に任せ、俺は突破に備えるべきだろう。


 灰色の魔術光を掻き消し、『盾』の紋章が霧と消える。

 いつものように、朝起きて部屋のドアノブを回すような気軽さで俺は『騎士』の力へと接続する。


「…………」


 その扉が、今まで当たり前に開いていた扉が、唐突に姿を消したかのような錯覚を得た。指先がかかるのは何の凹凸もない壁。触れた先端から寒気が登る。


 眼前に浮かび上がるのは『槍』の紋章。

 違う、それじゃない。俺が選んだのはそれではなく、もっと上位の――


「ハイリア様ッ!」


 赤髪の男が叫んだ。

 意識を戻す。足元が浮いているような錯覚のまま、眼前へ迫る神父を見る。


 青い風が震えていた。

 手には短槍。そのちっぽけな槍でも、『剣』を相手に打ち合えば確実に打撃力にて勝る一振りとなる。


「っ……!」


 苦悶を漏らしたのはピエール神父だった。

 いかに鬼神を思わせる彼でも、近衛の精鋭を相手に突破してくるのは並大抵ではなかったのだろう。加えて半身の不調や、俺から受けた傷がある。

 『槍』と打ち合わせる際、彼は包み込むような柔らかい剣戟でそれを弾く。魔術の属性による優劣を崩すほどの絶技を、万全に行える状態ではなかった。


 打てば、勝てる。そう直感した。

 あのどうしようもなく、制御も難しい狂信者の男を、ここで排除出来る。


 交叉の直前、足元から白の魔術光が消え失せた。

 右手に掛かる重みが、ずしりと増したような気がする。


 そして、風が、止まった。




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