第70話 暗闘


   仔羊亭店主 ミシェル=トリッティア


 嫌な雨が続いてやがる。


 度数がやたらと高いだけの安酒を煽りながら、ガランとした店内を眺める。

 店内は暗い。灯りの燃料もそれなりに金が掛かるから、今はカウンター裏のランタンだけを点けている状態だ。

 夜間の外出禁止が発令された以上、客が来る筈もない。店の人間は全員を帰し、住み込みの人間にも宿を与えて外へやった。

 店に残っているのは私と、メルトというあの男の連れだけだ。


 野郎二人が出て行った後、彼女は部屋に篭って出てこない。

 仕方ないから一応の店番をしながら酒を煽っていたが、妙な胸騒ぎが消えないでいた。


 ヒースさんが死んだ時に似てる。

 あるいは、随分と昔に切れたままのあの男が、大事件を起こした日みたいに。


 どちらも何でもない理由で傍を離れている間の出来事だった。

 いつだってそうだった。肝心なことは私の居ない場所で起きる。

 色んな人間を殺してきて、それで世の中が変わったこともあるが、身近な事件とはとんと関わりを持てないでいる。昔から脇が甘いとよく言われた。

 勢いで突っ込んで首でも撥ねればそれでいいじゃねえか、なんて思うが、実際それで失敗したこともある。


 あぁ、そういえば初めて暗殺に失敗したのがアレとの出会いだった。

 捕らえた私に説教を始めた時にはどうしたもんだと呆れたのを覚えてる。


 改めて思い出すとむしゃくしゃしてきた。

 殺してやりたいと思うが、廃業する以前の私でも無理だったのなら、今じゃ手も足も出ないだろう。結局開放された後、ムキになって何度も殺しに行ったが、やっぱり殺しきれなかった。


 それから暗殺に失敗する度、徐々に話をする時間が増えた。説教は相変わらず鬱陶しかったが、やたらと剣の腕は立つから二人で熱中して術を研究もした。

 『槍』相手の攻撃を正面から受け止めて滑らせるのは私の考案だ。先に実践しやがった時は蹴りを入れたもんだが……。

 でも結局は二人共、二刀の極みには到達出来なかった。

 足がかりとなる考えには至ったが、その直後に裏切りを受けた。まあ、それはいい。だが、


 消える斬撃、なんて本当に出来るのかねぇ。


 再び酒を煽ると、店先のカウベルが鳴った。

 水に濡れた足音が湿った床を踏み、置いた酒瓶に隠れた半身が映る。

「悪いが兵隊さんはお断りしてる。それと外出禁止を破ってまで来てくれたのは嬉しいが、今は酒しか出せねえよ」

 男だ。

 背格好から性別は分かる。

 やや肩の落ちた脱力の姿勢で、腰元の動きがおそろしく滑らかだ。明らかに一般人ではない。負傷している様子だが、それでも指先の動きにまで意識の行き届いた所作は、只者ではないと直感するに余りある。

 しかし、将ではない。誰に説明しても理解はされないが、人を指揮して動かす人間というのは、呼吸が違う。善かれ悪しかれ、常人の息遣いが出来なくなる。


 濡れた外套を脱いだ姿に目を細めた。

 腕がない事にではない。


 知った顔だった。


「では酒を一杯。懐かしい顔と語るに相応しい、少し辛味の強いものがあるといいですな」

「アンタと語らう事はなにもねえな、クソ神父」


 カウンター裏にある非常用の吊り縄を引っ張る。

 厨房と二階で鳴子が鳴り響き、小さな物音が続いた。

 神父の左足が厨房へ向く。だが重心が動く前にカウンター上の酒瓶を蹴りこんで動きを止める。空いたままの口から酒が溢れ、周囲を質の悪い臭いで満たしていった。


 私はカウンターを跨いだまま、並ぶ木のコップからナイフを数本摘む。

 指先だけで上へ放り、それが落下してくる前に別のナイフを放り……そんなことを片手で続けた。

「止めなさい、行儀が悪い」

 まるで子どもを叱るような口調に心が醒める。

 投げた食器はあっさりと避けられ、一つは相手の手の中にあった。上へ投げたナイフがランタンの火を反射し、相手の目元を照らす瞬間に投じたナイフだ。店内の影を通した最も見えにくいものだっただろうに、敢えて選んで掴む余裕があるらしい。


「胸騒ぎってのはコレかい……」

 天井の照明に届きそうなほどの長身が店内へ入ってくる。

 乾いた白髪と、温和そうな顔つき。けれどその手は血に濡れている。

「ほう、私もしばらく前から、妙な胸騒ぎを覚えていました。なるほどこれは運命というものですな」


 ランタンの底にある突起を捻じり、灯りを消した。

 煩い雨音が急に像を濃くしたように感じられる。


「相変わらず貴女の殺意は美しい、ミシェル。もっと早く再会していれば、それに身を委ねてしまっていたかもしれない」

「殺意に溺れて死ぬなんざ、虐殺神父らしいじゃねえか、ジャック」


 血まみれ神父の名を持つ男を私はそう呼んだ。

 昔からの呼び名だ。そして、私をミシェルと呼ぶのも今じゃコイツくらいか。

「せめて愛に溺れて死にたいものです」

「っは! そいつを最初に切り捨てた奴がほざくことかよ」


 信仰一辺倒に生きてきた野郎が、祈りの時間も忘れるほどに入れ込んでたフーリア人の女を、あの日ヤツは殺した。


 神の声?

 他人に言われてハイそうですかと殺してきた私を否定したのがお前だろうに。


 生きて、そこで息をしているのも腹立たしい。

 どの道出会えば殺し合うしか道はねえんだ。

 だったらこうして言葉を重ねるのは時間の無駄だ。


「片腕無しでのこのこ現れやがって、誘ってんのかテメエはよお!」


 ぶちまけるように食器の箱を投げつける。投じる直前に一本を取り、厨房への道を塞ぐ線を通した。

 カウンターから滑り落ちつつ、マッチに火を灯し、投げた。撒き散らされた食器が派手な音を立てる。


「燃えるような一夜をくれてやるよ」


 ぶちまけた酒は肉や魚を炙るのにも使う、簡単に火が点くような酒だ。

 浴びたのは膝下に少量。無軌道に飛び散った酒をそこまで避け切る時点で化け物だ。それに湿った服であることを考えれば一瞬で焼き尽くすには届かない。


 虚仮威しが通用する相手じゃないのは分かっちゃいるが、それでも時間制限がついたとなれば選択肢は決まってる。外は雨だからな。

 そして、こういう毒の使い方は私の方が手馴れてる。


 双方に『剣』の紋章が浮かび上がった。

 神父は片手に小太刀を、こっちは黒塗りの小刀が二振り。


 大振りの初撃にあっさり合わせた神父の脇を駆け抜け、追撃の二画を振り返りながら捌いた。三度に渡る剣戟の音はない。恐ろしく繊細に触れ合わせた剣を、相手に当たらないと分かるや即座に引いたからだろう。あるいはほんの少し逸らすだけで回避には足る。

 攻撃に力は必要ない。

 相手の急所に字を書くようなつもりで切っ先を這わせればそれで終わりだ。


 火は一度床上へ撒き散らされた酒に引火したものの、燃え移るには至らずすぐ鎮火した。そこは泥まみれになったジークが転がり込んできて、メルトが熱心に掃除をしていた場所だ。連日の雨とで水の染み込んだ板はそう簡単には燃えない。


 そんで、これで出入り口は塞いだ。

 足元から燃え上がってくる火は急がないと全身を焼くことになる。


「ほう」


 だというのに野郎が浮かべたのは感心だった。


「廃業したと聞きましたが、どうやら思索は続けていたようですな。いやはや、少し嬉しくなってしまいました」

「ふん……珍しいのが居たから、つい遊んでやっただけだ」

「教えると共に学ぶ。まっこと、理想的な師弟だった訳ですな」

「ただの客と店主だ」


 言うと、神父は笑った。

 とても柔らかな、いつか見た笑顔と重なる。

 けれど心はただ醒めていくばかりだった。


 今更だ。


「この右腕……」

 まるで我が子を称えるように、神父は言った。

「私も教えられました。剣術というものの目的は所詮殺戮。誰も彼もを殺し、誰も彼もに殺されない。敵を想定し、超えることを第一とする術理では、好敵手という幸運に恵まれない限り、未熟な内に倒れるか、孤独な頂で佇むのみ」


 小太刀が薄闇の中で光を帯びた。

 気付けば、いつの間にか雨が止んでいる。


「自らを律せよ、と。いやはや、若者の言葉はいつも多くを教えてくれる。語られた意図とは少々異なりますがな」


 ジャック=ピエールは笑った。

 信仰の為に、神から与えられた力を極限まで研ぎ澄まそうと躍起になっていた、あの頃の表情に少し重なる。


「真に向かい合うべきは己…………そう、剣道、とでも呼びましょうか。道ならば永遠に終わりはない。無ければ作れば良い。遠大な道に歩みを止めるのも、進み続けるのも、やはり己自身の意志に拠るものですからな」


 既に火は膝上にまで達していた。

 雨の中を歩いてきて湿った服だ。火の巡りは遅いが、普通なら熱さで悶えていてもおかしくない状態。


「故に辿り着いた。いつか貴女と目指した二刀の極みへ」

「っは……片腕一本で何を言いやがる」

「おや、見えませんか。私のもう一本の腕が、実体を無くしたことで真の刃となっているのを」


 それはただの冗談だったのか。


「良い月です。そこからならば、よく見えるでしょう」


   ※  ※  ※


 昔、笑わないガキが居た。


 いや、確かに笑みは浮かべるが、目は賢しらな色を浮かべて見えない何かを捉えてやがった。それだけなら珍しくもない。優秀な商人なんかはよくそんな目をする。

 けれど問題は呼吸だ。

 まだまだ小さなガキだってのに、息遣いに異様なほど存在感がある。


 ただ、暗殺なんてことを長く続けてるとそういう奴は何度も見る。それで決まって、そいつが私の殺す相手だったりもした。

 いつか、そのガキも私が殺すんだろうかと考えた。

 まあなんだ。ちょうど立て続けに気分の悪い仕事をして、少しうんざりしていた時期だったんだ。


 結局殺すのなら、生かしておいても仕方ない。


 当時の私はそう考えた。

 直前に殺したのが同じくらいの子どもだったというのもあった。


 最初は、遊びに乗じて殺してやろうかと思った。けど相手をしていると、予想以上にこっちの考えや狙いを読んで動いてくる。

 追いかけっこでも、隠れんぼでも、つまみ食いをするような気分で殺すつもりでいた。


 けれど、楽しくもあった。

 別に仕事で受けている訳でもないし、本当は殺さなくてもいい。決めるのは私だ。だから無様にすっ転んでる所を大笑いしてやるのもいいし、その背に短剣を突き刺してもいい。

 どっちにしようかなぁ、なんて心を弾ませながら遊んでいると、大抵は日暮れになって終わっちまう。


 ヒースさんと、私と、クソガキの三人で食事を摂る。

 二人は料理が出来なかったから、仕方なく私が作って振る舞った。旨い旨いと食べてくれるヒースさんとは真逆で、何も言わず退屈そうに食べるクソガキ。

 気に入らない部分もあるが、まあこういうのも悪くないなぁ、なんて事も思った。


 ヒースさんの奥さんは、随分と早くに亡くなった。

 面白がって付いていった先で出会った彼女には、私も結構世話になったもんだ。ああして振る舞っていた料理だって、元々は彼女から教わったものだしな。


 笑わないクソガキも、奴の母親直伝トマト煮込みを食わせてやれば、急にしおらしくなって表情を見せる。それが楽しくて何度も食事を作りに行った。

 が、まあ往々にして私のそういう楽しみは長続きしない。


 しばらくしてクソガキはどこかへ行った。

 ヒースさんも、どこか切羽詰まった様子で村を出たきり戻ってこない。


 世間じゃ奴隷貿易なんていう変な商売が流行り始めていて、この国の王サマはそいつを奨励してた。身売りも殺しも昔からある商売だが、そいつを表立ってもっとやれなんて言うとは、王っていうのは私たちより頭がおかしいんだと思ったもんだ。

 その影響か私の仕事も増え、村へ立ち寄る機会がずっと減った。

 誰とも知らない奴を殺し、時には海を渡り、また殺した。


 私が殺せなかったクソ神父も、結局は自滅して狂人になりやがった。

 相手の事ばかり考えて下らないものを抱え込んでるヤロウとフロエも、やっぱり私に奥底を打ち明けてはくれなかった。殺し殺されの技術や、ちょっとした裏工作なんかは出来ても、馬鹿な子ども二人を上手く叱ることも出来やしねえ。


 あぁクソ……碌な人生じゃねえな。

 碌なことをしてこなかったからなのか、それともクソ神父風に言うなら、私なんてそんな運命だったのか。

 過去を振り返る度に、こんなことを思う。


 私が殺してきた連中こそが生き残るべきだったのかもしれない。


 であれば、その内の誰かがあの二人を救ってくれたかもしれない。

 唯一の希望は――


   ※  ※  ※


 泥の中へ沈み込んでいくような気がした。

 痛みはない。だが、どうしても身体が動かない。


 おあつらえ向きの結末か。


 そうとも考えた。

 随分なことをしてきた割に、長生きをした方だと思う。


 山ほど人を殺してきた。

 山ほどの可能性を、もしかしたら奇跡の数々を私は殺してきた。


「っはは」


 らしくねえ考えだ。

 死にそうだからって随分としおらしくなっちまってるなぁ……。


「はぁ……」


 目がぼやけてきやがった。


 最後に飲んだのが安酒だったなんて浮かばれねえじゃねえかよ。

 あぁ、このくらいが私にゃ丁度いい。


「ミシェル!」


 そのまま沈んでいこうとした意識に、呼び掛ける声があった。

 閉じかけた目を開き、声のした方を見ると、随分と間抜けな顔がそこにある。身体を起こされ、泥まみれになるのも気にせず抱きかかえられたのが分かった。


 おいおいなんだよ、男に抱かれて死ぬなんて、随分と上等じゃねえか。


「くそったれ…………笑えよクソガキ……」


 笑えるようになったんだと安心したのに、そんな泣きそうな顔をするんじゃねえよ。


「なあジーク」


 応える声は震えていた。


「なんだ」

「悪いな。あの子……連れて、かれちまった」

「必ず助ける。だから安心しろ」


 たくましくなったもんだ。

 昔から口だけは上等だったが、最近は中身まで伴い始めてきた。

 こういうの、いい男になったって言うのかねぇ。


「気を付けな……これから先…………あんたは狙われ続ける……。私、みたいなのにな。あぁ……守って、やれなくなるが、頑張りな」


 最後に空を仰いだ。


「ちくしょう……」


 クソガキの顔が見える。

 その向こうに、もう一つの金色があって、自然と笑みが零れた。


「あぁ………………………………良い月だ」




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