第66話 雨の夜

 ラ・ヴォールの焔はデュッセンドルフ魔術学園、その地下にある。

 神の力の断片と俺が言い、フーリア人たちが奪還を果たすために戦争さえ引き起こした、『幻影緋弾のカウボーイ』では常に物語の中核を成していた要石。


 ゲームのプレイヤーが最初に体験することになるリース=アトラと辿る物語。

 そこで序盤から終盤に掛けて状況を左右していた奴隷狩りはラ・ヴォールの焔の断片を所持していた。

 この奴隷狩りを異端として駆除しに来たのがピエール神父だ。彼との邂逅でリースの過去が明らかになり、復讐心と自制の間で精神の安定を欠いた彼女が暴走していくのはひどく痛ましかった。結局は奴隷狩りを追う最中で別行動していた神父が死亡し、対象を失ってしまうが。

 ただ、最も教団と関係を深めるのがこのルートで、ある意味で真実に一番近づいていたとも言える。

 最終的に教団は壊滅し、しかしラ・ヴォールの焔には辿り着けないまま戦争も継続していく。ジークはリースと共に没落した家を再興し、その影響力を以って戦争終結を模索するという終わりだった。


 また二番目の物語であるティア=ヴィクトールと巡る物語。

 ここでも彼女の保護者となるラインコット男爵は断片を所持し、それを用いて反乱を起こしている。

 ティアは自分に話しかけてきたジークの記憶を偶発的に読み取り、興味を持つようになる。そうして総合実技訓練にも参加するなど、小隊員として関わっていくことが増えるんだ。

 神の器として作られたティア。自身の欲求など持たなかった彼女が、ジークの影響を受けて次第に笑顔を浮かべ始めるようになり、夢を語るようになったというのが非常に感慨深かったのを覚えている。

 反乱終結後、カラムトラとも接触してジークはラ・ヴォールの焔返還を果たしている。しかし道中で反乱軍残党によってティアが誘拐され、彼が地下へ降りることはなかったが。

 フーリア人との戦争も終結するが、イルベール教団が健在とあって火種は残ったまま。ジークはティアと共に彼女の故郷を探す旅に出て話は終わる。


 そして三番目となるアリエス=フィン=ウィンダーベルと巡る物語。

 唯一、アリエスがハイリアと距離を置き、ジークと行動を共にするルート。仲を深めていく二人を見て、ハイリアは安堵と共に姿を消し、やがて断片を手に二人の前へ立ち塞がる。

 最後には教団のあの巨大なイレギュラーと、ラ・ヴォールの焔が安置されている地下大空洞で決戦となり、ハイリアを始めとした様々な人物と共闘して討ち果たすことに成功する。因みにリースが『旗剣』に目覚めたのはこの話で、しかも終盤になってからだった。

 ラ・ヴォールの焔がようやくジークの前に姿を現し、その手で返還が果たされるのもこの話だ。イルベール教団は壊滅、戦争は終結とこれまでにあった大きな問題二つが完全に取り除かれた事になる。

 表面的に言えば大団円だ。今までと同じくフロエが書き置きと共に消え、それまでは何事もなかった新大陸が無人の荒野と化した事を除けば。


 ラ・ヴォールの焔。

 これをどうするかによって、物語の結末は大きく変わっていく。

 少なくともそう見える。見えてしまう。


 大きな影響力を持っているのは確かだ。

 でもそれは何ら事の本質を捉えていない。

 そもそも何故フーリア人は戦争を起こしてまでラ・ヴォールの焔を取り戻そうとしているのか。彼らの抱えている問題を知らない限り、物語は学園と、このちっぽけな国一つの中で回り続ける。


 フロエ=ノル=アイラと関われば、いずれ知ることになる。

 この世界の事、彼女の事、そしてジーク=ノートンの物語を。


   ※  ※  ※


 夜になり、子羊亭を出発しようとした俺たちの元へ、一通の手紙が届けられた。


「誰からだ?」

 受け取ったジークが言う。

 酒で赤面した男は店の入口に寄りかかりながら呂律の回っていない舌で答えた。翻訳するとこういうことだ。

『俺は知らんよ。フーリア人の嬢ちゃんに頼まれただけだ』

 男はそれだけ言うと、手にしていた酒瓶を煽って店を出て行った。かなり酔っていたようだから、変に問い詰めても無駄足になるだろう。


 ジークはぽりぽりと枯草色の髪を掻き、片手で封筒を開けると手紙を読んだ。


「なんと書いてある?」

「今夜東地区の広場に来てほしいって、噴水のある所らしい」

 覚えのある所だった。

 そしてジークは眉を潜め、じっと手紙を見る。

「フロエの字だ」

「ほう、彼女は字が書けたのか」

「簡単な文ならな。オヤジから俺と一緒に教わってる」

「行くのか」


 返ってきたのは沈黙。

 聞こえるようにため息を付いてみせた。


「行って来い」

「……いや」


 ジークはかぶりを振って手紙を折り畳む。

「戦争は待っちゃくれねえ。こんな時にアイツのいたずらに付き合ってはいられない」

 確かにフロエは日常的によくいたずらじみたことをする。

 大抵は無害なものだが、ジークに心配を掛けさせたり、勢い余って危険な状況へ陥ることもある。それが原因で喧嘩をすることもあり、一緒に生活している家から一時的に姿を消すというのはよく見る光景だ。

 ジークにとっては間が悪くいつもの虫が疼き始めた、という認識だろう。そう短絡的に纏めてはいないだろうが。

「いいのか」

 再三に渡って俺は問い掛けるが、

「優先順位の問題だ。戦線が街の中まで入り込んできたら忍び込むどころじゃすまなくなる。無駄に死体を増やしたくないなら今が一番だろ」

「そうだな」


 事実、その通りだ。

 状況に照らして今日という日を浪費は出来ない。たとえ幼なじみの女の子の機嫌を損ねようが、ラ・ヴォールの焔回収を果たしてティアを開放し、反乱を終わらせる方がずっと正しいだろう。

 所詮は断片、本物の力で横槍を入れればそれで無用の長物と化す。


 少し、黙りこむ。

 優先順位を語ったジークも店から踏み出せはせず、折り畳んだ手紙をじっと見つめている。


 迷うように、俺は口にした。


「リースが相手なら、ティアなら…………アリエスならどうした」

「アンタならどうするんだよっ!」

「……そうだな」


 咄嗟に答えを言えなかった。

 決まっている筈なのに、背負ったものの重みが言葉をせき止める。


 けれど、もし一番最初に出会った時、ジークへこの問いを投げかけていれば、コイツは何一つ迷うこと無くこう言っただろう。

『HA! どっちも纏めて解決すりゃあいいじゃねえか!』

 そして実際に解決出来てしまう実力と、行動力を彼は持っている。

 選択なんていうのは凡人のすることだ。ヒーローの行いじゃない。


 そう言えることの強さを、今改めて思い知った気がする。


 ジークは店の時計に目をやり、

「もう行こう。これ以上遅れると、昨日見つけてきた巡回警備の穴が無駄になる」

 折り畳んだ手紙を店のテーブルに置いた。

 癖か、頭の帽子に触れようとして、それが無いことに気付く。吐息と共に腕を降ろし、彼は店を出た。


 続いて外へ出ると、未だに振り続ける雨があっという間に服を濡らした。

 遅れて外套の頭巾を被るが、濡れた髪の合間から水が滴り落ちてきて、手の甲でそれを拭う。


 一呼吸を置いて、ジークが走り始める。

 早い。が、ついて行けなくはなかった。抑えているのだろうとは思うが。


 今日の昼頃、抵抗を続けていた商館を制圧し、ようやく町の全体を掌握したらしい反乱軍は夜間の外出禁止を発令した。発見すれば容赦なく拘束、尋問の対象となると。

 だから外を歩いているのは兵隊と思っていい。

 平和ボケした世の中ならいざ知らず、この世界で暴力を背景に発せられた命令を無視して、ただのジョークで終わることはない。


 泥水を跳ね上げて裏道を駆けるジークの外套が、不意に立て掛けられていた木材を引き倒した。派手な物音が響き、俺たちは足を止める。

「気を付けろ」

「……わりぃ」


《メルト、周囲の状況はどうだ》


 無意識に耳元へ手をやり、俺は巫女の力によって周囲を知覚するメルトへ声を送った。少しして返事が来る。


《一人……いえ、おそらく二人ほどそちらに接近しています。北側からです》

「そうか……」

 ある程度の地図は頭の中に入っている。

 それによると、ちょうど俺たちの進路から兵がやってきているらしい。別の道もあるが、反乱軍が連絡路に使っている道に近く、危険が多い。しかし、選択の余地もない。


「行き先から敵が接近している。危険はあるが、三番目の道に切り替えよう」

「分かった…………にしても、巫女の力ってのは凄いねぇ」

「町の正確な地図があるというのも大きいがな。アレは感覚を図面に起こせなければ、ただ気配に敏感というだけで終わる」

 それを反復練習で位置情報と出来るほどに成長させたメルトを褒めるべきだろう。

 しばらく進み、再びメルトからの声が届いた。


《ハイリア様》

《どうした》

《町の東部から、新たな勢力が反乱軍へ攻撃を仕掛けています》


 来たか。


 まあ来るだろう。

 予想より遅かったくらいだ。


「ジーク」


 先行し、角で足を止めて周囲を伺っていたジークは視線で返事を寄越す。


「イルベール教団が介入を始めた」

「あのカルト集団が?」

 ひどく嫌そうな声だ。

「彼らにとっては、神の敵を倒す邪魔をする反乱軍は異端の極みだ」


 簡単に言って切り上げようとした俺に対し、ジークはこちらの動きを制して曲がり角から数歩を下がる。


「……こいつは勘なんだが」

「ん?」

「来るのが分かってたな、アンタ」

「政治的な理由からも予測は出来る」

「政治的な理由とやらで来るなら、正規軍に混じればいい。フーリア人との戦線でやってるみたいにな」

 教団は確かに狂気を帯びた信仰を掲げるが、一般的にはフーリア人にさえ関心を向けなければ、ちょっと迷惑な町のゴロツキと変わらない。ピエール神父に至っては、フーリア人以外へ向けられる慈愛と博愛の精神は本物で、彼の説く教えは柔軟で面白みもあった。

 これが最前線にもなると、我が身を省みず敵を倒す、そういった彼らを英雄視する声があるのも確かだ。


「俺が聞きたいのは、連中が別働隊として動いてくるのが分かっていたな、ってことだよ」


 反乱を鎮圧しにきた正規軍と別行動をする理由。

 奇襲、という定石を除外すれば、あとは単純に目的そのものが異なるということになる。


「目的を知ってるんだろう」

「昨今話題のラ・ヴォールの焔、では不服か?」

「どうだろうな」

 誤魔化したのが不満だったらしく、吐き捨てるような声で言う。


 続く言葉を打ち消したのは、夜闇を劈く金切声のような咆哮だった。


 銀の光がやって来る。

 かつてイルベール教団との戦いで、ビジットの『王冠』をやすやすと突破して見せたイレギュラー。それが空中を飛翔して学園のある方角へ突出してくるのが見えた。


「強行突破するぞ!」

「あんなのより先に目的地へ行けって? 馬鹿らしくなるな」

「彼女は正確な位置を知らないっ。目的は突破口を作ることと、場の混乱だ!」


 息を吸う。

 覚悟の息だ。


 腹の奥底に焼けそうな熱と痛みがある。


 この時を幾度も頭の中で想像してきた。

 ジーク=ノートンの視点で追体験したことさえある。

 それでも、現実に体験する出来事はおそろしく重く、震えるほど残酷だった。


 本を多く読んでいると、幾つもの正解を示される。

 あらゆる視点で、幾千もの作家が幾億という物語でそれを証明しようと試みてきた。この時代よりも遥かに先進的な思想へ触れ、言葉を知る俺の頭にもそれはある。


 けれど、文字によって掲げられた正解を実践することの恐怖は、ナイフを自らの腹へ突き立てるようなものだった。そしてそのナイフを、俺は周囲へも向けてしまっている。

 他者に苦しみを強要する、独り善がりな正義を掲げて。


 吐いた息と共に心が静けさを取り戻していく。

 この心は強い。ハイリアという男は、決して安易な弱さを見せたりはしない。だから俺は戦えた。自分一人では何も出来なかった俺が、確信すら抱いて歩いていけるのは彼のおかげだ。


 銀の輝きが学園のある西地区へ直撃した。

 大地を揺らすほどの衝撃と、夥しいほどの死を感じる。


「奴を追うぞ、ジーク」


 『騎士』の紋章を浮かび上がらせ、俺は突撃槍を手に表通りへ躍り出た。

 派手な青の魔術光は瞬く間に反乱軍の兵たちを引き寄せ、周囲を取り囲まれる。


 しばらく黙り込んでいたジークは、観念するように『銃剣』の紋章を浮かび上がらせ、短剣を手の中で回す。


「……最初から目的はアレだったってことか」

「そうだ」

「ラ・ヴォールの焔は俺を誘う為の嘘か?」

「いや、アレは本当に学園の地下にある。だがそこへ終始していては、お前が知るべきことを見失う」

「その為に…………その為にアンタは……」


 構えを取った。

 完全な敵対行為に反乱軍側も最早警告はしてこない。

 『騎士』に対する驚きはあっても、怖気づく様子はどこにもなかった。軍隊という組織の中では、上位能力は希少ではあるが唯一ではない。戦い慣れた者たちともなれば対処法の一つや二つは持っているだろう。


「何度でも問うぞ。ジーク、お前にとってフロエという少女は何なんだ」

「お前は……どうなんだよ」


 ふと笑みが漏れ、空を仰いだ。


「この雨ではな」




 

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