第65話 帰還
麦畑の広がる平野部に黄色の羽が舞い上がる。
空を駆ける幾条もの矢を見て、俺は花火を思い浮かべた。雨雲に覆われた暗さの中で見る光は美しくもあったが、当然そんな趣のある代物じゃない。
この世界の『弓』の威力は人によって、分厚い石の壁を軽々砕くこともある。
移動速度が極度に制限される『槍』ではまず勝てない。
そして一般的に、『騎士』であろうと『弓』には勝てないとされている。
だがそれは一対一で、空間を無制限に使えればの話だ。『騎士』の速度に勝る『弓』は、逃亡が可能であれば一方的な攻撃が可能だが、ここに拠点防衛が加わると話が変わる。
柔軟な指揮官であれば突破も已む無しと考え、懐へ招き入れての追撃戦を選択しただろう。けれどどうにも、そこの指揮官は防衛戦の死守に固執してしまった。
築き上げられた防御柵が粉砕され、大量の兵が殺到する。
降り注ぐ矢も勢いを増すが、やがて後方から到着した『盾』の術者が大盾を展開すると、軍の展開が緩やかなものとなった。
俺はそれを、遠く離れた高台から眺めている。
突破を仕掛けていた『騎士』は未だに防衛線の外にある。柵を破壊したのは、集中砲火を受けていた『騎士』ではなく、それによって生まれた弾幕の薄い部分を突破した『剣』の部隊だ。
彼らは『盾』を突破はできないものの、死に物狂いの攻勢で多くの被害を出しつつ押し上げた前線を維持した。その間に接近した『槍』を見て『盾』が下がり、防衛線に穴が開けられた、という流れだった。
連日続く激しい雨で視界が悪かったというのも大きいだろう。
戦っているのはラインコット男爵率いる反乱軍と、王都から派遣されてきた正規軍だ。
学園のあるデュッセンドルフは、長い二つの山脈が途切れる境目にある。
王都はここから北西へ、街道に添って進めば辿り着ける。男爵の根城となるあの古城はここから南東へ。
山脈を迂回する道はあるものの、日数が掛かり過ぎ、ただでさえフーリア人との戦いに人員を割かれている軍にはとてつもない負担となる。
反乱を万全なものとしたいラインコット男爵にとって、ここは重要な防衛拠点だ。
ティアがここで『魔郷』を使用していれば、強固な守りとなって正規軍を蹴散らしていたことだろう。
「そろそろ戻るぞ。あんまり覗いてるとどちらかに気付かれる」
背後から聞こえたジークの声に、俺は素直に従った。
羽織っていた外套の頭巾を深くかぶり直し、先行するジークの背に隠れるようにして裏道へ入り、表通りへ出る。
人影は少ない。だが、全くない訳でもない。
あちらこちらに軍装を纏った兵士がうろついているものの、街中は比較的平和だ。
俺たちが反乱軍の目を盗んで町へ潜入を果たしたのは、つい先日だ。
夜陰に紛れてのことだったから、時間にすれば半日と経過していない。
とりあえず極端な外出禁止になどはされていない。
外来の者は別として、住民の多くは男爵の決起を受け入れている。元々は侵略を受けて従属することになった町の一つで、デュッセンドルフの名を好まず、元のラインコットという名を使う老人も多い。
学園や商会に関連して集まっていた貴族連中も耳聡く町を出ているようだった。
俺は極力顔を隠したままジークに続き、三本角の子羊亭へ入っていく。
カウンターの奥では女店主が退屈そうにしており、店員たちも席を囲んで座っていた。
客は居ない。
この状況では当然だ。戦いが収まれば反乱軍の兵もやってくるだろうが、それまでは開店休業だろう。
「どうだったよ」
こちらを見もせず女店主が聞いてくる。
それほど大きな声でもなかったからか、談笑する店員たちは入ってきた時に一瞥しただけだ。
ジークが濡れた外套を適当な机に放り出して言う。
「始まったみたいだ」
「そうかい」
俺も脱いだ外套を丁寧に折りたたみ、しかし滴る水を気にして手に握りこむ。少しして奥から浅黒い肌の少女が顔を出す。
店のウエイトレス姿となったフーリア人、メルトだ。
出てきた彼女を見て、ジークが小さく反応を抑えたのが分かった。
メルトはジークへ一礼し、素早く俺から外套を受け取ると手にしていた籠へ入れる。一緒に、ジークの放り出した外套も回収して下がっていく。
「ありがとねぇ、助かるよ」
「いえ。お世話になっていますので、これくらいは」
二人の会話を聞き届けた後で、俺たちはカウンターへ座る。
「なんだ、今は開店休業中だよ」
「いや、開店してるなら働けよ店主」
「客ってのは金持ってる奴の事を言うんだ。偉そうな口はツケを精算してから利きな、ジーク」
「腹減った、パンくれパン。ミートパイでもいいぞ」
いかな体術か、さっきまでカウンター内で座っていた女店主の靴底がジークの顔面に突き刺さり、表の通りへ蹴り出した。
筋力とは違う、身体のバネと勢いを活かし、相手の重心を正確に転がした結果だ。廃業して随分経つとはいえ、流石は元凄腕の暗殺者。蹴りの出処がまるで分からなかった。
「仕入れのパン屋はおととい逃げたよ。ったく、戦争が始まったくらいで逃げ出すくらいなら、最初からパン屋なんてやるなって話だ」
「どんだけ覚悟の必要な職業なんだよパン屋!」
通りから戻ってきたジークが叫ぶ。土砂降りの中で転げまわったおかげで酷く汚れており、再び顔を出したメルトがすぐさま奥へ戻っていった。手拭いか、あるいは掃除道具を取りに行ったのかもしれない。
俺は床を汚すジークへ向けて言った。
「あまり目立つのは困るぞ、ジーク=ノートン」
「なんだジーク、そんなに汚れて……店を汚すなら入ってくるな」
「……お前らひどくね?」
結局、メルトが裏口側に水桶と手拭いを用意し、ジークはそちらに誘導されて着替えをしていた。
店の被害を最小限に食い止める見事な策だな、メルト。
そして入り口の泥汚れを掃除させられるジークを眺めながら、俺は頼んだ生姜酒を一口飲み、話を再開した。
「学園までの経路はどうにもならないか」
「無理だねぇ。あの一帯に本陣を置いてるみたいだし。まあアレはともかくアンタじゃまず見付かる」
アレとは入り口の掃除係のことだ。
身軽で隠密行動に慣れた掃除係単独ならともかく、確かに俺は魔術でも使わなければ足手纏いになる。そして『騎士』なんて使えば、派手な魔術光で必ず見付かる。
「アンタお抱えの兵士はどうしたよ」
それは俺が率いる学生の小隊ではなく、父が派遣してくれたウィンダーベル家の私兵だろう。だがその半数近くは古城の警備に回されていたし、残りも以前保護したフーリア人と共に前もって動かしてあった。
俺の屋敷は今、完全な無人だ。下手をすれば誰とも知れない連中に荒らされているかもしれない。貴重な本が盗み出されていないことを切に願うばかりだが。
「戦力は俺とジーク、二人だけだ」
「それで軍隊相手に暗躍しようってんだから、大した度胸だねぇ」
「優先順位の問題でこうなった。まあ戦力として計算するならそれなりだ」
この反乱を早期に鎮圧するなら、ウィンダーベル家の力は必要不可欠だ。ウチの領地の一つが山脈西端部にあり、動き次第で男爵に王手をかけられる。
だから男爵は父を人質に取れるあのタイミングで事を起こした。そのまま俺も捕まっていれば盤石だったのだろうが、既に領地へ連絡の者を幾つも放っている。
今一番の問題は、古城に集まっていた貴族連中の安否だ。
捕まっていればまず反乱が長期化する。国内の有力者のみならず、国外の高位貴族まで参加していたのだ。人質交換の交渉次第では最悪、この地方一帯が独立なんて事態にまで発展しかねない。
しかし戦いは始まった。
その事が俺への吉報となる。
少なくとも反乱鎮圧を阻止できる程の人間を、ラインコット男爵は確保できていない。
父たちは無事だ。
小隊の皆は、しっかり役目を果たしてくれている。
「まともにやりあうつもりはない。だが、俺に出来ない裏技でしか侵入出来ないとなると」
「掃除係がなんとかするだろ」
俺に出来るのは精々陽動だが、身柄を抑えられる訳にもいかない。
だから別の裏技を用意してはいる。制御の難しい裏技だ。あまり好んで使いたくはない。
「それで――」
視線が一瞬、外へ向く。
「フロエ=ノル=アイラはまだ戻らないのか」
ジークが掃除を終えて、カウンターへ戻って来た。道具は入り口の壁に置いたまま、仏頂面で席に着く。
「家にも居なかったし、居そうな所は全部探した。どこに行ってんだかな、アイツは……!」
苛立ちを隠し切れず、ジークが悪態をついた。
焦る気持ちは分かる。この非常時に奴隷階級のフーリア人が反乱軍にでも見付かれば、不穏分子として囚われてしまう可能性もある。
それもあってか、街中ではフーリア人をまず見かけない。
不安は女店主も同様らしかった。
ジークとフロエ、二人を大切に想う彼女なら当然の反応だ。
「まあ、夕暮れには反乱軍の兵が店にも来るだろぉよ。その時にでもアタリをつけておくさ」
兵に接近して情報を収集、という訳ではないだろう。
フロエの身柄は俺たちにとっては重要だが、何も知らない反乱軍からすればただの不穏分子の一人でしか無い。嗅ぎつける頃には反乱も終わっていそうだ。
女店主が言ったのは、連中の本陣への潜入だ。彼女ならハニートラップでも何でも方法はあるだろう。だが、
「不用意な行動は控えた方がいい」
「ァアン?」
言った途端に睨まれた。かなり怖い。隣に座るジークからも不穏な気配がある。
「……悪かった、そういう意味じゃない」
一呼吸置いて二人が落ち着くのを待つ。
正面には女店主、左隣にはジーク。嘘を言えばまずバレる。実際の所、一番落ち着かなければならないのは俺だった。
「彼女の居場所には心当たりがある」
「どこだ」
言わなければ殺す、そう聞こえた。
「詳しくは俺にも」
「話せないってか」
「分からない、だ。だが身の安全は確保されてる筈だ」
その安全がどういった種類であるかは俺にも保証出来ないが。
二人は真剣な表情で俺を睨みつけ、先にジークが吐息をついた。
「アイツに万一の事があったら……」
「俺を殺すか」
「アンタの命が担保になるかよっ。俺は……っ!」
ジークの呑み込んだ言葉を頭の中で思い浮かべる。
俺は生姜酒を呑み干し、席を立った。
少しばかり多目な金を置き、椅子を戻して一歩下がる。
女店主と目が合った。だが彼女は何も言わない。こちらを見る目に探るような色もなく(あくまで俺に感知できる範囲ではあったが)、単に見ているだけの様だった。
何もないならと俺は身を返し、奥を借りると告げて去ろうとした。
「オイ」
硬い何かを弾く音が聞こえた。
綺麗な放物線を描いてくる金を掴みとり、放った女店主を見る。
「しばらく厄介になるんだろ? 一々精算してたらキリがない。全部終わったら纏めて払いに来な」
俺は戻ってきた硬貨を見、店主を見、敢えて人好きのする笑顔を作って言った。
「このボロい店にそれほどの余裕があるの――こうおわあっ!?」
まさかの包丁が飛んできた。
恐ろしく正確に首を狙っていたから、避けきれなかったら死んでたぞ俺……。
「生きてるって素晴らしいねぇ」
「殺そうとした人間の言うことかっ!?」
「どれだけ大変な目に合ってもな、生きてれば幾らでもやり直せるんだよ。どんな罪であっても、開き直っちまえば新しい自分にこんにちわだ。まあ罪の方から追いかけてくることもあるが、その時はその時だな」
「それじゃあ俺は暴言の罪を忘れよう」
「私がそれを忘れると思うか?」
「俺を殺すとツケを回収できんぞ」
「なるほど、そりゃ困る」
肩をすくめておどける女店主。
俺は片手を挙げて別れの挨拶とすると、店の奥へ引っ込んでいった。
※ ※ ※
店の奥は厨房、その手前の階段を上がれば居住区がある。
部屋の数は三つ。一つは店主のもので、一つは住み込みの店員が二人で使っていて、残る一つは先日まで空き部屋だった。何かあった時にジークやフロエたちが使っていた筈の場所だ。
俺はその元空き部屋の前に立ち、扉をノックする。
「あ、はいっ、どうぞ」
中からの返事を待って扉を開ける。
「申し訳ありません、まだ掃除中で」
そこに居たのは先ほども見た、ウエイトレス姿のメルトだ。
実に新鮮である。彼女はメイド服姿を固持しようとしたのだが、流石に一目で上物と分かる布地の服を、しかも目立つ服装で今の街中を歩かれるのは困る。説得の結果、俺たちがしばらく店へ逗留することも踏まえて、給仕姿で我慢してもらった。
フロエやジークの私服が部屋の箪笥に入っているものの、勝手に使うのは気が引ける。身体つきも違うしな。
俺がのんびり眺めていたからか、不意にメルトがそわそわと衣服を正し始めた。
「……申し訳ありません。あまり見られていると、その」
メイド服姿であれば気にならなかったのだろうが、ウエイトレスの服は見せることも目的に作られている。店主の趣味上、そして経済的な理由からも変に派手な装飾はないが、それでも身体のラインは浮かび上がる。
しかし奴隷という立場から、メルトが俺の視線を遮る権利はない。別に俺は非難されても構わないが、彼女は口にするのを禁じた。そして、俺も言わんとする所を察して目を逸らした。
見覚えのある部屋だ。
来るのは初めてだったが、ゲームの画像で幾度も目にした。大きめの二段ベッドと、小さな机、後は背もたれもない椅子が二つだけ。広さは六畳とない。二人部屋ということも考えれば、非常に小さなものだ。
これが、俺とメルトの部屋。
…………別に怪しい理由はない。単純に確保できる拠点がここしか無かったからだ。同行していた御者とは前の街で別れ、売った馬車の金を与えて潜伏させている。
男爵の反乱が置きてから戦火を恐れて避難する者は大勢居た。途中まではそれに紛れてもこれたが、流石に前線へ逃げてくる馬鹿は稀だろう。馬車なんかで乗り付ければ揃って捕まるだけだ。
メルトの同行は仕方なかった。
巫女の力も一つ向こうの町からは届かないから、活用するなら連れてくるしか無い。
しかしまあ、俺も同室になることまでは考えていなかった。
メルトも最初は単身で別の場所を探すと言ってきたが、フーリア人の身でそれは現実的じゃない。俺が出て行くのは論外だし、この時期になって町の新参となるのは目立ち過ぎる。
色々と悩みはしたが、結局は女店主の含み笑いを睨み付ける程度の抵抗を経て、現状に落ち着いた。
俺は服を緩めて二段ベッドの上段へ登る。
「おやすみになりますか?」
下からメルトの声がする。
「あぁ……昨日は夜通し川べりに潜んでいたからな。少し眠い」
「では、外に出ています」
掃除道具を纏めているのだろう物音を聞いて、俺は横たえた身を起こした。低い天井に頭をぶつけそうになりながら、首を縮めて縁の柵へ手を掛ける。
「これから何日かはここで一緒に寝るんだ。あまり気にするな。掃除も続けてくれていい」
ですが、と言われるかと思ったが、
「はい」
心なしか温度の高い声が来て、頬を掻きながら再び身を横たえる。
それからも遠慮がちな物音が続き、俺はそれを聞きながら目を瞑る。不思議と音が心地よかった。
眠りは、そう時間も掛からずやってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます