第13話 そして捧げる

 街灯に照らされた石畳の街路を二人で歩く。

 灯りには炎の揺らめきがあり、途中、長い棒で火を点けて回っていた老人とすれ違った。周辺の建物にはレンガ造りのモノが多く、日が暮れているからか扉のほとんどが硬く閉じられていた。


 私服に着替えたフロエは、店での溌剌さからは少々落ち着いていて、のんびりとした雰囲気で歩を進めていた。対し、俺はかなり緊張していた。


 女主人にはああ言ったものの、正直気分は初デート。

 好きな女の子と二人っきりで薄暗い道を歩くなんて、緊張しない方がどうかしている。揺れる白髪を目で追うだけで俺は幸せになれるんだぞ? 髪の隙間から見える浅黒い肌の首筋や肩のラインなんか、もうドキドキするを通り越して息苦しいくらいだ。

 しかし、いつまでも黙りこんでいてはいけない。デートの最中に女性を退屈させるなど、ウィンダーベル家の男には許されない。たぶんそうだ。


「……随分と人通りが少ないな」

「奴隷狩りが流行ってるから……大通りや人の多い所以外をこの時間に出歩く人はあまり居ない、ん、です」

「そうか」


 しまった話題を間違えた。

 彼女に対してこの話題はタブーだ。


「そういえば、だが」

「えと、はい」


 少し歩を緩めたこちらをフロエが見る。後ろ向きに歩く彼女の靴が石畳を打ち、カツカツという硬い音を立てていた。

「無理に敬語を使わなくてもいい。出来ていないがな」

 目を丸くし、ちょうど良く街灯の明かりが顔に差し込んで、照れた表情が良くわかった。

「おっ……おかし、かった、です……でしょうかっ?」

「今もおかしい」

「はい!」

「いや、敬語を止めればいいだろう」


 たっぷり十秒、彼女は街灯の下で蹲った。

 立ち上がってこちらを見た頬はまだ少し赤い。肌が地黒でなければもっとはっきり分かっただろう赤さだ。


「私っ、田舎暮らしで、偉い人と話したことなんてないから敬語がさっぱりで……うまく、話せなくて」

「まあ練習したいのなら、練習相手くらいにはなれるが」

「あっ、それはいいかも!」

 まあ、望みは薄そうだ。


「ただ、すまないが人の居る場所では控えてくれ。俺がというより、周囲が許さない」

「あぁ。それ、分かる。私、奴隷階級だし」


 あっさり言い切れてしまう姿が痛々しかった。

 ああして暖かい場所に居ながらも、彼女はフーリア人の誰よりもそれを自覚している。自分たちは被支配者で、力ある者に奪われ続ける者であると。

「あのジークとかいう男の奴隷だったか」

「ん」


「ジークは、私と普通に接してくれる。ジークの故郷の人もそう。みんな優しい。ジークの奴隷だなんて、あそこに居るとただの言い訳だから」

 と、ここまで言ってフロエは言い淀む。

 少し口が滑り過ぎたのに気付いたらしい。相手は貴族。階級制度に対しては厳格と噂される男を前に、本来なら許される発言じゃない。


「俺は今日、初めてああいう場所を見た」

 嘘にならない範囲で言うことにした。

「自分が今まで見ていた場所と、まるで違う見方をする人で溢れていた。その目を、俺は本来なら持っていた筈だったんだ。だがやはり、自覚できない内に意識が変質していた」


 ハイリアとしての思考に染まった、のではないと思う。おそらく俺自身の、意志の弱さが容易い変質を許した。


「無条件に敬われ続けること、好意を向けられることに慣れきると、ここまでつけ上がるものかと自分に呆れたよ」


 貴族は血統だけで一定の権利を持つ。有能でなければ生きていくのも難しい者達も居る中、堕落しようと思えば幾らでも手を抜いて生きられる。ハイリアという男が持っていた、己に対する厳格さはともすれば自由民らのそれとは比べ物にならないほど。

 穢してはならない。まるで兄を見るような気持ちで俺は思った。


「最初に出会った時から、君はあのジークという男を信用しているように見えた。口ぶりから幼馴染なんだと予想していたが」

「……小さい頃から一緒だったから、そう。けど、私が生まれたのは……異大陸で、そこで、もう奴隷だった」

「奴に買われたのか」

 わざと嫌な聞き方をした。

「違うっ」

 荒々しい否定をして、それから少し後悔するように目を逸らす。

「そうか。なら、アイツに助けられた、という所か。あの性格だ。奴隷商を殴り飛ばしでもしそうだからな」

「いえ……ジークは……じゃなくて、私を助けてくれたのはジークのお父さんで」


 二人で人通りの少ない道を行く。坂を上ってしばらく行けば、彼女とジークの下宿する家がある。


「詳しいことはわからないけど、私達を捕まえていた人が急に死んで、ごたごたしてる間に皆と逃げ出して……それを、助けてくれた。ちゃんと後で手続きはしたから、脱走奴隷じゃない、です」

 そう。

 ジークの父親に助けられた彼女は、そのまま彼が率いる一団と共にこの地に戻ってきて、そこで二人が出会ったんだ。当時、過酷な奴隷としての扱いと、人の死を見過ぎた為に心が壊れていた彼女を癒やし、今のように活発な性格を取り戻させた。あのジーク=ノートンという男が。

「しばらくして、私の所有権はジークに移った」

 ジークの父親が処刑されたことによって、だ。

 言葉を隠して過去を思うフロエの表情は薄い。

「だから、私はジークの奴隷」

「あんな男だ。君が奴隷と自覚することにも反発するだろう」

「そうだけど、本当のことだもん。私も、それでいい」

 全く、

「それでも」


 坂が終わった。

 レンガを積み上げた柵の向こうに、月明かりに照らされた町並みがある。大きな敷地を専有するデュッセンドルフ魔術学園も、ここからは一望出来た。いい景色だ。本当に。


 坂の少し下、今までよりもいささか強くなった俺の語気に、フロエが立ち止まって警戒している。俺はただ苦々しく笑って言う。

「君はもっと、アイツに求めても構わない」

 月の光を帯びた少女の顔は小揺るぎもせず、淡々と俺を観察している。

「君がアイツに癒やされたように、父親を亡くした辛さをアイツは君に癒やされた。お互い様だ。人の死は、他者が所有するべきものじゃないと俺は思う。その人物が納得し、満足して逝ったのであれば、それに罪悪感を覚えるのは死者への侮辱だ」


 レンガの上に手を滑らせながら、俺は背を向けて距離を取る。

 そして彼女には聞かせないよう静かにため息をついた。


 やはり、俺の言葉は届かない。当然だ。


 フロエ=ノル=アイラにとって、ハイリア=ロード=ウィンダーベルは昨日今日出会ったばかりの人間で、彼女が数年掛けて築き上げてきたものを、瞬く間に突き崩すほどの影響力を獲得していない。

 俺は警戒されているだけで、これは打ち解けた会話とは違う。

 だからこそ、納得できた。


「君は、ジーク=ノートンが好きなんだろう?」


「なっ!」


 フロエが瞬く間に狼狽えた。

 もっと照れた顔が見てみたくて、余計に俺は言葉を重ねる。


「私はあなたのものです、とか心の中で言ったことがあるだろう?」

「わきゃぁぁああああああっ!」

 猿か。


 経験からの推測だったが、大正解だったらしい。

 あぁ可愛い。フロエたんマジ最高だ、なんて。


「な! な、なななっ、そんなこと! 言えっ、言える訳がっ!」

「いやだから、思ったことがある、と言ったんだぞ」

「思わない! 思ぉわなぁい!!」

「そうやって大慌てで否定するほど確信していくんだがな」

「~~~~っ!」


 あまりに動揺した為か、ぽかぽかと俺を殴り始めるフロエ。

 全く痛みがないのはちゃんと加減しているからで、それでも堪え切れない羞恥に腕を振り下ろさずにはいられないらしい。メルトやアリエスだとまずやってくれない照れ方だ。うむ、これは素晴らしい。

 端から見れば恋人のようにも見えるだろう自分たちを妄想しながら、俺はたっぷりと至福の時を味わった。


「一度言ってみたらどうだ? 奴に、アナタが好きだから、私をアナタのものにして下さい、とかな」

「まっ……まだ言うかあっ……」

「疲れ過ぎだろう」

「誰のせいだとっ……」


 すまんな、わざとだ。

 君の恋を応援するんだ。このくらいの役得は貰っても構わないだろう?


「仮に、君に罪があったとしても……その想いを伝えてはいけない、なんてことはないぞ」

「だから私はっ」

「ほう。好きだといえば、あのジーク=ノートンが確実に自分を愛してくれると確信しているのか。大した自信だ」

「……え?」


「違うのか? 『だから私は――彼に愛される資格なんてないんです』今、そう言おうとしたんだろう? 君を愛するかどうか、決めるのは奴だ。君に愛される資格があるかどうかは関係なく、彼が愛すると決めた時、君は自分の都合を押し付けて拒絶するつもりか? おかしなものだ。君は最初から奴のものだと思っているのに、そんな自分勝手を押し通すのか」


「そんなつもりはっ、でも……あれ? だって……」

 一時は混乱したものの、やがて彼女も俺の卑怯な言い回しに気付いたらしい。

「だとしても」

 袋小路に閉ざされないよう、それを踏まえた言葉を放った。


「私は、ジークに幸せになって欲しい。それが私にとって一番の幸福だから、ジークが他の人を好きになって、私が邪魔になったら、すぐに姿を消すつもり」


 そうやって、彼女は三人のヒロイン達と結ばれたジークに背を向け、命を賭してこの世から消えた。短い書き置きを残して、それを読んだジークも寂しさを覚えるものの、彼女が望むのならと見過ごしていた。

 いや、かつてゲームをプレイしていた俺も同じく、彼女の結末に気付かなかった。目の前の幸福を甘受して、それが良い物語だったと満足していたんだ。


「そう遠くない内に、俺はあのジーク=ノートンとやり合うことになるだろう」


 突然変わった話の内容にフロエが首を傾げる。ジークの名が出たこと、その内容の不穏さに警戒と不安が滲み出る。


「俺は必ず奴に勝つ。君の為にも、奴の為にも、それが必要だと思っている」


「規律の為、ですか?」

「奴の幸福を願うなら、俺に敗れた時の怪我をしっかり見てやるんだな」

「ジークは負けません」

「あぁ…………そうだろうな」

「……?」


 自嘲する。

 アリエスルートに入った以上、彼の敗北フラグは望めない。一応手は打つが、望ましい結果は得られないだろう。負傷の無い、万全の彼と戦わなければならないんだ。

 勝つ意志はある。その為の算段をずっと続けていた。


 だがどうしても、あの男が負けるシーンを想像出来なかった。

 一人のプレイヤーとして彼の姿を見続けたからこそ、どんな時でも這い上がって勝利してきた光景ばかりが浮かんでくるんだ。


「よく、わかりません」


 フロエの困惑は最もだ。

 俺は会って間もない男をこれほどに信頼している。本で読む、未来を知る苦悩の多くは、起きる事件を回避しようとし、それを認められないということが多かった。

 どうだろうか。

 勿論それは辛い。だが最も時間遡行者を苦しめるのは、もしかすると相互に重ねあった時間の喪失なのかもしれない。

 まあ俺は、最初から彼らを外から観ていた第三者に過ぎない訳だが。


「君がどう思おうと、俺にとって決して揺るがない望みを教えてやる。それは、君たち二人の幸福だ。その為になら世界の法則にだって逆らってみせよう」


 あまりにも荒唐無稽な内容だからか、いっそ嘘を疑う気も失せていたのかもしれない。

 坂を登り切った所で立ち止まるフロエとすれ違う。肩越しの声がきた。


「どうして、そんなに私たちのことを……」


 決まっている。

 だが話した所でどうにもならない想いだ。

 フロエ=ノル=アイラを幸福に出来るのは、ジーク=ノートンをおいて他にはない。


 語るべきではない言葉を、俺は夜空を見上げて贈る。

 こんな夜にだけ許された秘密の言葉。


「月が綺麗だからな」


   ※  ※  ※


 坂を少し降りた所で、メルトと遭遇した。

 呼吸がかなり荒い。相当な無理をして走り回っていたのかもしれない。今更ながらに連絡も入れなかったことを後悔した。


「すまない、メルト」


「ぁ……」


 伸ばした手に驚いたのか、呆然としていたメルトが後ずさった。

 開いた二人の間に冷たい夜気が満ちていく。フロエとの会話で少なからず消耗していた俺は、咄嗟に何も出来ず彼女を見送った。宙ぶらりんとなった手を、恥じるように引き下げる。


「あっ、もっ、申し訳ありません! 少し呆けていました!」

「そうか……いや、なら改めて言おう。連絡もなく飛び出したまま、すまなかった」

「こちらこそ至らず。本来ならすぐに追い掛けるべきでした。ですが、やはりアリエス様とあの方を二人で放置する訳にもいかず、交代を待ってからでしたので」

「よくやってくれた」


 俺の反応が薄いことに疑問を持ったのだろう。メルトは躊躇うように胸元へ手をやり、少しだけ震えた声を出した。


「お手に……触れてよろしいでしょうか」

「あぁ」


 後ずさったのが嘘のように近寄ってきたメルトは、俺の手を取って両手で包む。

 まるで宝物のように胸元へ寄せ、浅く抱かれた。


「私は……あなたのものです」


 少しだけドキリとする。

 ついさっきフロエに言った言葉が頭の中で蘇った。

 手に篭った僅かな力を受けて、メルトは手を離して一歩下がる。


「どうか、私を用いて下さい」

「……メルト」


 すまない……。

 せめて君が誇れる俺でいよう。


「方針が決まった。明日から忙しくなるが、弱音を吐くことは許さんぞ」

「はい」

「よし。なら俺を支え、共に来い」


「はいっ!」


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