第12話 三本角の仔羊亭

 三本角の仔羊亭、という店がある。

 『幻影緋弾のカウボーイ』では、主人公であるジークが頻繁に訪れる場所で、様々な騒動の中心となる、元傭兵の女主人が経営する酒場である。気風の良い主人の人柄に惹かれてやってくる肉体労働者たちを始め、傭兵時代に築いた人脈を頼って意外な人物までも顔を出すこの店は、街の娼館街に近いこともあってか非常に治安が悪い。

 一方で、そんな場所だからこそ、フーリア人であるフロエが大手を振って働ける数少ない場所でもあった。


「おまたせー!」


 仕事の休憩中だったらしいフロエに連れられてこの店へやってきた俺は、主人に投げ渡された手拭いで顔や頭を拭き、言われるまま奥の席に着いた。

 そこでやってきたのが料理を盆へ乗せたフロエだ。


 か、可愛い!


 出てきた料理もそうだが、俺はなによりフロエの制服姿に目を奪われた。

 白と黒を基調としたウエイトレス姿は、ゲームで何度も目にしたものではあったが、こうして現実に立体化され、動いているフロエを見るというのは得も言われぬ感動がある。膝上丈のスカートや二の腕を晒す袖口から彼女の浅黒い肌が見える。最初から差別意識を持たない俺からすると、とても健康的な印象があって良い。

 メルトのような落ち着いた色気も非常に良いが、フロエのように活発で弾けるような笑顔を見せてくれるというのも非常に、とても良い。


「ウチの名物です。仔羊肉と野菜のトマト煮込み。あたたまるから、どうぞって店長が。あ、パンを浸けて食べるとおいしい、です、よ?」

「ありがとう。必ず礼はすると伝えておいてくれ」

 カウンターの奥で忙しそうに料理を作るあの女主人を見て、俺は伝言を頼むことにした。いらねえよ、と返されるのは目に見えていたが。

「はいっ。ええと、私、とりあえず仕事あるから。ゆっくりしていって、えー、ください」


 俺の胸の内にあたたかな火を灯して彼女は駆けて行った。途中、横から酔っぱらいが手を出してきたのを軽やかに避けると、周囲から歓声があがる。フロエちゃーん、などとあちこちから呼び声が掛かり、彼女は常に笑顔で店中を走り回っていた。


 店内は控え目に言っても薄汚れている。

 単純な汚れというより、積み重なった年輪のようなものが至る所にあるのだ。

 飾り皿が壁に掛けられ、羊の頭部の剥製が『喧嘩両成敗!』と書かれた紙を咥えている。

 紙を食べる羊が咥えている辺り、店主の意図的な適当具合が伺える。

 入り口にはカウベルが取り付けられていて、人の出入りの度に騒々しく音が鳴る。

 それにあれ、なんと言うんだったか、西部劇でみるような腰元にだけある扉。


 あぁ、ここだ、と俺は思った。


 今まで俺が居たのは『幻影緋弾のカウボーイ』の世界ではあっても、物語の舞台と呼べるような場所じゃなかった。この雑然としていながら、下品な笑いの絶えない空間こそ、俺の憧れた場所だった。

 ここには差別がない。

 奴隷よりも更に過酷な仕事に従事する者は大勢居る。一つ間違えば生き埋めやガス中毒になる鉱夫や、親に売られたか居場所を失ったかという娼婦。階級なんてほとんど意味を持っていなかった。崩落は身分を考慮なんてしないし、娼婦には没落貴族も居れば最初から奴隷だった者も居る。そんな現場で育まれるのは優越感というより、共感が強いのかもしれない。決してなあなあではないが。

 フロエが働いていることを咎める者は居ないし、店の一部には同じ肌の人間が他の客と楽しそうにはしゃいでる。

 隣に立った人間の生まれに意味は無い。

 今、そいつが何を出来るか。それこそを重んじる場所だ。


 この世界に来て二ヶ月ほどになる。

 ハイリアと意識を融合させていることで、ホームシックじみた感情はあまり浮かんでこないが、俺はいつの間にか、あの綺羅びやかな世界の考え方に馴染みつつあった自分を知った。


 施療院から飛び出した時は相当に心乱していたが、今はもうだいぶ落ち着いた。

 出された料理に口をつける。美味い。食べ慣れた上品な味とは違い、豪快にざっくりとくる味だ。だが、一般的な社会人でしかなかった俺にとって、こういう料理こそが馴染み深い。


 あぁくそ。

 ホームシックにはなったことが無いと考えた途端に懐かしく思えてきた。

 味覚こそが人の郷愁に火を付けるのか。そんなことを考えて料理にがっついていく。テーブルマナーもなにもない。ただ美味い飯を貪った。


「泣くほど美味いかい、坊や」


 男勝りな声が掛かる。

 口元も拭かずに顔をあげると、女主人が俺の顔を見て吹き出した。

「貴族の坊やにゃ、お気に召さないかと心配したんだがね。そうでもなかったらしい」

 慌てて口元を拭く。咳払いをし、気持ちを落ち着けた。


「世話になった。美味い。礼を言う」

 オタマで頭を殴られた。軽いものだったけど、あまりの扱いに驚く。

「ありがとう、ごちそうさま、って言うんだよ。貴族の坊やは礼を知らんのかねぇ」

「生憎と……」

 家では教わらなかった、などと言いかけて苦笑する。

 まだまだ、貴族意識が抜けないらしい。


「ありがとう…………ごちそうさまを言うと、残ってる分まで下げられてしまうんだろうか」


 割と本気で心配して言うと、女主人が爆笑した。

「ハハハ、とりゃしねえよっ! おいフロエッ、あんたの客、随分と頭が愉快な奴みたいだぜ?」

「それは少々失礼だ。ミシェル女史」

 と、ここで思わず失言した。


「ん? なんでアタシの昔の名前知ってんだ?」


 やらかした!

 物語でも終盤まで謎のままとされている女主人の名前をうっかり漏らした! 現時点で彼女の素性を知る人間は登場していない。やばい。どう誤魔化そう。

 とりあえず目を逸らした。

「こっち見な、クソガキ」

 頭を掴んで目を合わせられる。

 大変だ。汗が止まらない。

「ん~……」

 そのままじっとこちらを見て考えこむ女主人。やがて、諦めたように手を離した。

「裏稼業の方まで知ってそうな反応だな。が、悪意は感じない。はぁ……あんだけ口止めして回ったのに、子どもに語って聞かせる馬鹿がまだ居たか」


 この人、実は元暗殺者です。


 殺した要人は百を軽く超えると言われる伝説級の人間で、ジークとは同郷であったことから、彼の父が処刑されて以来は保護者のような扱いとなっている。この国のみならず、新大陸にも行った事があり、貴族間の後ろ暗い話にも精通している。よくあるネタだが、とても身近に物語の裏を語れる人物がポンと居るパターンか。

 他にはジークへあの格闘術を伝授したのも、魔術の独特な使い方を仕込んだのも、この女主人なのだ。

 ただし暗殺者を辞める時に、両腕の腱を魔術で一部切断させられており、重い物を持ちあげられないなどの描写は作中にもちょくちょくあった。


「まあいいや。面倒が起きたらそんとき殺りゃあいいしな」


 風来坊じみた所はジークとよく似ている。

 思わず笑うと、女主人は含みのある笑みを浮かべた。


「そういやフロエから聞いたが、礼をしてくれるんだって?」


「あ、あぁ。そうだな……後ほどになるが、相応の金額を」

 コン、とまたオタマで叩かれる。

「違うよ。料理屋に対する礼は一つだ」

 女主人は「にっ!」と笑うと、俺の頭を撫でて言った。


「また食いに来な」


 やられた。

 これは正直、かなり嬉しい。

「あぁ。また来る」


 それからしばらく、一人で飲み食いを続けた。

 しかし時間が遅くなると人も増え、席が埋まりかけて来たので、俺は多目に金を置いて出ることにした。とはいっても、馬鹿みたいな金額は置かない。そういうのを嫌うというのも、ゲームの知識ではなく、実感としてあったからだ。


「あぁ待ちな」


 心ばかりに多い金額を満足そうに見ていた女主人が呼び止めてくる。

 釣り銭代わりに差し出されるのは、ザラついた紙に包まれた干し肉、いやビーフジャーキーだ! おお、と感動する。これも作品の中では何度も見た。保存食としても有名で、西部劇なんかではよくカウボーイたちが噛み千切ってくちゃくちゃやっているアレだ。


「いいのか」

「まあ土産だ。一昨日作り過ぎてな」

 と言われ、確かにそんなイベントがあったのを思い出す。たしか、俺同様にこういう場所へ慣れない元騎士家系で、メインヒロインのリースが原因で起きた騒動だ。

「感謝する……いや、ありがとう」

「でだ。感謝ついでに頼みがあるんだ」

「ん?」


 何を? と聞き返す前に女主人は店内を軽やかに走り回っていたフロエを呼ぶ。

 酔っぱらい相手に動き回っていた彼女の肌には、流石に薄っすらと汗が滲んでいた。浅黒い肌でもそれと分かる程に上気した頬と、健康的な汗に心臓が跳ねる。女主人が邪推していたので咳払いして取り繕う。


「フロエ。今日はもう上がっていい」

「え? でもこれからお客さんもっと増えるよ?」

「他の子も来るから、今日はもういいんだ。でだ、鼻たれジークがいつまで経っても来ねぇから、今日はコイツに送らせる」


 言われ、フロエの大きな瞳が俺を見た。

 それだけで心の奥底が熱くなった。なんとかポーカーフェイスを維持しているつもりだったが、女主人の顔を見る限り期待薄だ。俺をじっと見つめていたフロエが、そのままの目線で言う。


「分かった。もう上がるね」

「あぁ、送り狼には気を付けてな」


 はぁーい、と素直に返事をしたフロエがカウンターの奥へ消えていく。


 ようやく気を抜けた俺は恨みがましい目を女主人へ向けるが。

「初めてなんだよ。あの子がジーク以外を気にしていたのは」

 言われた言葉にドキリとする。

 彼女が気付いたのは表層だけだ。まだ、なにもかもを読まれた訳じゃない。そう思っても、やはり動揺は大きかった。絞り出した言葉は、少し震えていた。


「警戒心を、その男への気持ちと同列にするのはおかしいだろう」

「なんだ、気付いてたのか」


 当然だ。俺は彼女が教会から出て行く所を目撃し、そこをフロエ自身にも知られている。つまり、あのイルベール教団の一員であるヴィレイ=クレアラインと会っていたのを、俺は目撃しているんだ。


「あの子の警戒は別として、あんたのソレは純粋なものさ」

「信用していいのか」

「元暗殺者の目を見くびるなよ」

 そう言われると苦笑しか出来ない。

「警戒でもいいさ。あの子がジークに……あいつの父親の死に責任を感じるあまり、自分を顧みなくなってるのは、いいことじゃないと思うからね」

「正しさが全てを救う訳じゃない」

「なんだい。妙な肩を持つな。あの子が気になってるんじゃないのか?」

 すんなりと言葉が出た。


「そのつもりはない」


 元暗殺者の女は、首を捻りながら唸った。


「こりゃ、見込み違いだったかねぇ」


 違わないさ。

 彼女を救う為に、俺はこの世界へやってきたんだからな。


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