第9話 俺の妹は可愛い。異論はあるかね?

 朝日と共に目が覚めた。

 昨日の夜は空を眺めながら眠ったせいでカーテンが全開だ。ベッドを照らす太陽の熱は、まだ涼しい季節にあっても熱かった。


 布団の中で何かがもぞもぞと動く。気持ちよさそうな寝息が覚醒に従って喉を鳴らすようなものに変わり、夜の間にしっかりしがみついていた俺の身体へ一層べったりと肌を寄せる。薄いシルクの肌着一枚というあられもない少女の身は柔らかく、押し付けられる胸の柔らかさは凄まじかった。

 こんな朝に女の子の肌を感じるのは拙い。そのつもりがなくとも大変な変化が起きてしまう。


「朝だ。もう起きろ」

 仕方なく俺は掛け布団をめくり、目を覚ますよう訴える。

「ん、んん……ん~」

 彼女は甘えるようにいやいやと首を振り、胸の上に乗ってきた。ここ数日でどんどん過激になった彼女の甘えぶりに、流石の俺も苦笑するしかない。


 その時、部屋の扉がノックされた。

「起きている。入って構わない」

「失礼します」

 慇懃に礼をし、メイド姿のメルトが入ってくる。カートの下には二人分の着替えが数着。


「ほら、メルトが来たぞ。いい加減に起きるんだ――――アリエス」

「やぁ……」

 やぁ、じゃなくてさ。

 ああもう可愛いなぁ本当に。


 誤解なきよう説明しておくと、同じベッドで一夜を過ごした俺たちに過ちなどない。一緒のベッドで寝た。それ以上のことは何もしていない。

 そもそもハイリアと合一した状態にある俺では、妹であるアリエスに対して一欠片も性的な興奮を覚えない。生理現象として、朝の寝ぼけた状態では事故もありうるが、その先を思考するだけでテンションダウンするのだ。


「目覚めのキスをしていただけたら起きますぅ……」

「分かった。じっとしてろよ」

 キスをした。勿論頬にだ。

「えへへ」

 嬉しそうな妹のとろけた笑みに俺はとてつもない衝撃を受けた。


 くっ! しくじった!


「何故、今俺はこの場面に絵師を同伴させなかった……! 今の笑顔を記録に残すというのは人類の義務だっ! もし残せていたのなら国宝、いや人類の宝となるのは間違いなかった……そうだろうメルト!?」


「はい。アリエス様は大変可愛らしかったと思います」

「私は、お兄様以外に見られたいとは思いません。まあ、メルトになら特別に、横から観賞する程度のことは許しますけど」

「ありがとうございます、アリエス様」


 入学して以来、両親や周囲の監視の目が薄まったのをいいことにアリエスは毎日毎晩俺のベッドへ入り込んでくる。今となってはメルトが俺の着替えと一緒にアリエスの着替えも運んでくる始末で、俺の急なハイテンションやアリエスの甘えぶりにもにこやかな反応をするようになった。

 元々は二度に渡り目撃した俺とメルトの未遂事件が原因なのだが、学園へメルトを同行させると伝えた時に父上から、手を出したら家から追放するから覚えとけ、と優しいお言葉を頂いた。

 貴族が使用人を性欲の捌け口とするのは極端に珍しい話ではないが、やはり外聞も悪い。まして情婦であるならともかく、愛情を注ぐなど、ウィンダーベル家の嫡男としてはありえない暴挙だった。


 というのはあくまで父上の建前で、当時メルトに嫉妬しまくったアリエスが泣きついたのが原因だ。父上はアリエスに甘い。不用意に男がアリエスへ触れようものなら相手の住む都市へ火を放つくらいはやりそうだ。

 全く、親馬鹿も行き過ぎればみっともないな。少しは俺を見習って欲しい。


 俺はアリエスの手を取ってベッドから下ろすと、その柔らかな肌へ一片の傷も付けぬよう肌着を脱がせる。今や慣れた手つきでブラを付けさせ、メルトから受け取った肌着に変えさせた。そのまま肌着の下から腰元へ手を入れ、ショーツを脱がせると、丁寧に畳んでカートに載せる。ブラと同じく淡い水色のショーツをアリエスの足元にやり、彼女が両足を通すのを待って上へ。履き心地を整える。ぷりぷりとしたお尻が可愛らしい。

 あぁ、言っておくが性的な興奮など一切覚えない。大切な妹へ兄として当然の責務を果たしているだけだ。

 それからスカート、靴下、上着と着せて丁寧にリボンを結ぶ。

 続けてヘアバンドで月の光を集めたかのように美しい黄金の髪を上げ、軽い肌のケアを施した後、メイク、ヘアスタイル、香水とおよそ一時間ほど掛けて整えた。


 流石は高性能ライバルキャラであるハイリア。

 まだ僅かな経験しか積んでいないにも係わらず、今日も妹の愛らしさ、美しさをこれでもかというほど引き出して見せた。見ろ、金髪碧眼の天使がこの世に舞い降りているじゃないか、はははは。


 タイミング良くメルトが紅茶を淹れて戻ってきた。

 俺は妹へ先に始めているよう伝えると、メルトに手伝ってもらいながら素早く着替えて同じ席に着く。


「……全く、父上も過保護だと思わないか?」

「えぇ。学園には寮もあるというのに、態々私たちの為にお屋敷を建てるだなんて、本当に過保護」

「甘やかしが過ぎると、こちらとしては早く自立せねばと思ってしまうな、アリエス」

「その通りですね、お兄様。私たちが卒業すれば使い道も無くなるというのに、甘やかし過ぎです」


 メルトが何か言いたそうにしていたけど、俺たち兄妹は朝の紅茶を楽しんでいるだけだ。

 ん? 俺がアリエスを甘やかしている場面がどこかにあっただろうか……?


 しばらく二人で談笑していると、料理人が入ってきて今日の朝食は何処産の何だとか、どういう歴史や経緯があって、何をテーマにしているだとか長ったらしい口上を並べ始めた。

 腕の良い料理人ではあるが、やや権威主義が強く話の長さが珠に瑕だ。

 本来は食堂で摂るべきなのだが、アリエスが嫌がったので朝は俺の部屋へ運ぶよう言ってある。勿論父上たちには内緒だ。


 優雅に食事を済ませると、しばしの余暇が出来る。

 しばらく前に馬車の用意が出来たと使用人が伝えに来たが、登校しても次々押し寄せる挨拶ラッシュに揉まれるだけだ。俺とアリエスはすっかりそれを嫌って、いつもギリギリに登校している。


「メルト、こっちへ」


 アリエスが化粧台へメルトを呼ぶと、椅子に座らせ仕事用に纏めてあった彼女の髪を解き、あれやこれやと髪をいじり始める。それも、ここ数日ですっかり馴染んだ光景だった。


「もう随分と艶が戻ってきたのね。とってもエキゾチックで素敵よ、メルトの黒髪」


 当初こそ嫉妬やら何やらで衝突(あくまでアリエスが一方的に)していた二人だが、俺のためにあのメイド長の厳しい試験をクリアしたと聞いた辺りからアリエスの態度が変わった。普段からもメルトが俺へ向ける忠誠は確かなものであるし、また彼女の持つ美しさと独特の雰囲気を気に入ったアリエスは、お人形へそうするように様々な服を着せ、髪を結う愉しみを覚えたようだった。

 その過程でメルトの高い知性や品の良さなどにも触れ、すっかり信用するようになった。

 こうして髪を弄っている姿は、双方の印象の違いはどうあれ、姉妹のような空気がある。元よりアリエスは甘えたがりで、メルトには包容力がある。こうなるのは時間の問題だったのだ。


 二人の麗しいやりとりを眺めながら俺は食後の時間を愉しんだ。

 紅茶の熱を吐息に混ぜて吐き出す。


 入学式からしばらく、俺は表面上ハイリアとしての顔を取り繕いながら、やはり消沈する自分を抑えられなかった。

 支えてくれたのがメルトで、アリエスだ。

 二人にいつまでも心配をかける訳にはいくまいと、俺も徐々に気持ちへ整理をつけた。


「あぁ、そうだ」

 そろそろ時間だった。

「今日は小隊の訓練がある。遅くなるから、メルトはアリエスについて戻ってくれ」

 小隊とは言ってしまえばクラブ活動に近い。


「あ、お兄様の……一番隊の?」


 隊番号は総合実技訓練、つまりは学内公式試合の結果によって割り振られる。数字の小さい順から高い成績を修めていて、学園トップの実力者であるハイリアの小隊は入学二年目にして一番を維持し続けていた。


「私も見学に行ってよろしいでしょうか……」

「前にも言っただろう。お前にはまだ早い」

「お兄様ぁ……」


 こればかりは譲れない。

 小隊としての活動を始めれば訓練室や授業の融通などを受けられる他、規模の大きな隊ともなれば数多くの卒業生らが支援もしてくれるし、純粋な部隊員の他に雑用目的の在籍者も居る。過度に使用人を連れ歩かない様クギを刺されている貴族からすれば、学園内で使える便利な人手でもあるし、雑用を引き受ける平民も貴族の庇護を受けられ、その上賃金まで与えられる。

 学園でより良い環境を得ようとするなら、小隊への所属は必須と言える。


 ふくれて悲しそうにするアリエスの頭を撫でる。シルクよりも艶やかで柔らかな髪を手で梳いていると、とても心地が良い。


「総合実技訓練では厳重な安全管理が成されているが、やっぱり死亡事故もあるんだ。お前は無理に魔術の腕を磨かなくともいいし、まだ入学して日も浅い。今月辺りから各小隊が動き出して公式試合を見る場面も増えるだろう。しっかりとソレを見極めてからでも遅くはないさ」


「お兄様と一緒に居たいのです」

「うっ……そうか。うん、まあ見学くらいな――」

「ハイリア様」


 と、アリエスの甘えに心が揺れた俺にメルトが注意を促してくれる。助かった。今のはかなり危なかったからな。我が妹ながらなんという強烈なおねだりをしてくるのだ、全く以って油断ならない。


「駄目だ駄目だ。別に既存の小隊でなければならんという規則もない。いっそ仲の良いメンツを集めて、俺のように自力で作るというのも悪くないぞ。新年度前に隊が整理された後でもあるし、枠は空いているからな。さ、そろそろ行かないと遅刻だ」


「お兄様とメルトの馬鹿ぁっ!」


 話を打ち切られて不満顔だったアリエスが、俺達へ向けて「イー!」をする。それから、はしたなくも走って部屋を飛び出していった。


 妹の「イー!」顔を堪能した俺は満足気にメルトへ声を掛けた。

「やはり俺の妹は天使のように可愛いな」

「……同意は致しますが、少しはお控え下さい」


 そんな訳でのんびりと屋敷を出て、結局馬車の中で俺たちを待つしか無かったアリエスの恥ずかしそうな顔を改めて堪能した俺は、メルトから厳しめのお言葉をいただいたのだった。





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