第7話 カウボーイ

 デュッセンドルフ魔術学園。

 大陸で魔術の研究や腕を磨くなら、この学園以外にはないと言われる名門中の名門校である。長く続くフーリア人らとの戦争もあって、今や準軍事教練校としての体も成しているここには、身分国籍を問わず優秀な術者が数多く入学してくる。

 元より魔術の腕が階級を越えて敬愛されるこの国では、貴族といえども油断がならない。

 多くの場合は、幼い頃から厳しい訓練を受けた貴族らに軍配が上がる。中世ヨーロッパの文化レベルを時代背景とするこの作品では、十分な栄養を摂取できる貴族の方が自然と身体も頑丈になり、学もある。中には優れた技術を秘伝する家もあるほどで、それがまた偏りを生んでもいる。


 その中にあって、ハイリア=ロード=ウィンダーベルの成績は全生徒中トップ。

 純粋な四属性では最も高貴であると言われる『槍』属性の術者であることも手伝って、大貴族の嫡男へ向けられる視線は当然ながら羨望と敬意。差がありすぎてほとんど嫉妬もされないという、なんだこのイケメンはと言いたくなる立場だ。


 ハイリアの記憶と、本来の俺の記憶を持つことで、この日まで特に問題なくやってこれた。

 いや、それは多少事実と異なるか。

 一夜明けて、改めてこの世界に居続ける自分に多くの動揺があった。メルトやアリエスには見苦しいものを見せてしまったと思う。が、それも一ヶ月は続かない。まず疲れてしまう。それに、夢と思っていた当初からある、この世界に対する郷愁じみた想いが、やはり俺を安定させた。自分がハイリアであるという意識もあって、徐々に俺は馴染んでいった。

 まだ時折不安定な気持ちになることはあるが、今はやっていけるだろうという気持ちが大きい。


 だが新年度を迎えた学園へやってきた俺は、早々に己の限界を感じていた。


 押し寄せる学生たちの挨拶ラッシュ!

 綺羅びやかな笑顔と隙あらば食事や会合に参加させようとする強かな者達、純粋な敬意や憧れを向けてくる一般生徒たち、それをやっかむ取り巻きと女生徒の親衛隊みたいな連中。

 お兄様、頬がはち切れそうです。


 驚いたのはハイリアがほとんどの生徒の顔と名前を記憶していたこと。

 名前こそ知らないが連れている使用人らさえ頭にある。

 こいつ化け物かと自分で思う。頭の良い人って本当に居るんだなぁ。


「ハイリア様……そろそろお時間です」


 俺の付き人として背後に控えていたメルトがそっと声を掛けてくる。

 上手く話の隙間を縫ってきたのだが、どうにも女生徒の癇に障ったらしい。


「そういえばハイリア様も、奴隷を使うようになったのですね」

 今気付きましたわ、と言わんばかりに嫌味な口調。

 だが、その態度が一般的だ。奴隷階級のフーリア人に人権はなく、差別するのが国是なのだから。横から別の者が口を挟む。

「奴らは慇懃に振る舞いながら、強かにこちらの寝首を掻こうとしてきますからね。ハイリア様ともなれば躾は完璧でしょうが、お気をつけ下さい。同情を買うのが上手いのですよ、連中は」

 男の言葉に笑う取り巻きたち。


 あぁ、こいつら全員ぶっ飛ばしたい。

 俺のメルトに何言ってやがるんだ? ええおい?


 と、正面からそんなことを言えば大騒ぎになる。

 奴隷制度への批判は王への批判だ。侯爵家と言えども面倒が起きる。


「すまないが、もうじき妹の入学式が終わる。まだまだ甘え盛りでな。出迎えねば機嫌を損ねてしまうんだ」

 なので妹のせいにして話を打ち切る。

 実際本当の話でもあるし。

「まあ、それでは急いでいかなければなりませんね」

「ハイリア様の妹君。お噂には聞いておりますわ、まるでエーデルワイスのように美しいお方とか」

「お二人が並べば、それはもう一つの絵画……伝説の一幕ともなりましょうっ」


 いや伝説は言いすぎだろ。

 女達の大攻勢が終わると、今度は爽やか笑顔の野郎どもが詰め寄ってくる。


「是非、後ほど私たちもご紹介下さい!」

「私もアリエス様へは一度お見かけして以来の憧れが!」

「我が家なら家格としても十分。是非とも彼女を嫁として!」


 はっはっはっはっは!

 君達は元気がいいな!

 そうか、妹を嫁にしたいのか!


 ぶち殺すぞクソ野郎どもっ♪


 ウチのアリエスをそんじょそこらの男にやるものか。アレだぞ、めっちゃ可愛いんだぞアイツ。まあ最低でもアリエスが一生贅沢の限りを尽くしても苦労しないだけの金と甲斐性、俺に勝てるだけの魔術の腕、生涯掛けて彼女の為に生きる覚悟、誠実さと高潔さを兼ね揃えた本物の紳士である程度のことはクリアしないと話にならないな。

 そうだな、それにアイツは花が好きだ。

 加えて十ヘクタールくらいの土地をアイツのために花畑とする程度の行動力があれば、父上との茶飲み話くらいには上げてやろう。


 は? 嫁だと? 万死に値するわ。


 あまりに笑える世迷い言に満面の笑みだけで返すと、何故か男たちが青い顔をして引き下がった。そう気に病むことはない。お前たちにも妹を見て崇める程度の権利くらいはあるさ。


「いくぞ」


 俺の荷物を持つメルトへそう言い放って、中庭へ向かう。

 学園の校舎は巨大で、その大きさは我が家であるミッデルハイム宮殿と同じかそれ以上もある。ロココ調にド派手な装飾が多かった我が家と比べると、学び舎とあってかなり落ち着いたレンガと木の造りだ。日本生まれの俺からすると十分お洒落な外観だが、たしかに華美というより質実剛健な雰囲気がある。

 敷地は相当に広く、本気で全てを見て回ると二日か三日は掛かるだろう。

 背後にする山中だけでなく、街中にまで専用の施設が多数あるような所だからな。


 今は正面入口付近で休み明けの挨拶ラッシュが行われているのか、中庭に人通りは全くなかった。視線だけでそれを確認した俺は、丁度来た側からも死角となる木の影で立ち止まる。三歩下がって追従していたメルトが少しだけ驚いてこちらを見、楚々と顔を伏せた。


「すまんな。気苦労を掛ける」

「……そのお言葉だけで十分です」


 表面上は落ち着いた使用人の顔をしながら、嬉しそうな感情が滲み出る。そよ風に揺れる黒髪の下、口元が緩むのを見た。俺も思わず笑みを零す。


 メルトが俺個人の奴隷となって一月になる。

 使用人として同行させる以上、今までのように痩せた身体ではウィンダーベル家の品性を貶める。十分な栄養を与えられ、髪や肌を磨き上げられたメルトは、出会った頃とは比較にならないほどの美しさを放っていた。

 当然ながら俺へ恥をかかせないよう、徹底した教育が施され、その過程は今までの奴隷扱いの方がよっぽどマシだったんじゃないかと思わせたほど。

 あのアリエスですら興味本位で内容を聞いてドン引きしていたくらいだからな……。

 それに耐え抜き、メイド長から合格の印を押されたメルトは、今やそんじょそこらの貴族令嬢とは比較にならないほどの環境を与えられた。当然ながら奴隷階級であるという扱いは変わらず、美しさを維持すること、教養を身に付けることは義務となり、怠れば厳しい罰が与えられる。

 冗談みたいな話だが、一時期本気で洗脳状態にあったメルトが気掛かりで、俺も自分のことで思い悩んでいる余裕が消し飛んだ。

 本能レベルで刻み込まれた忠誠心をどう扱えばいいのか罪悪感に悩みもしたが、しばらくすると悪戯っ子が顔を覗かせてきたので大丈夫なのだろう。

 大貴族、本当に怖い。


 ともあれ今のメルトは前にも増して美しい。

 男女を問わず、俺へ挨拶にやってきた者達は必ず一度は彼女へ目を奪われていた。

 こうなる以前から彼女の秘めた美しさを知っていた俺としては、鼻が高くなるというもの。嫌味を言いながらもチラチラと彼女を見ていたのも知っている。

 ははっ、男たちは訓練時に潰してやろう。


 そのまま二人で時間を潰す。

 特に会話がある訳でもなく、入学式の会場へ向かうと言った俺の不可解な行動にメルトは口を挟まない。

 しばらくして、ある一団が中庭へやってくる。

 ここからは少し距離があり、向こうが気付いた様子はない。


 一団を率いているのは貴族の男だ。

 一人だけひょろりとしていて、高慢そうな態度が顔からにじみ出ているからすぐ分かる。後から続くのはガラの悪そうな男が数名。制服の胸元に隊章がある。ここからはその数字までは見えないが、彼らが十六番隊の人間であることを『幻影緋弾のカウボーイ』プレイヤーである俺は知っていた。


 彼らが取り囲んでいるのは一人の少女。

 とても小柄で、本当に同年代なのかと疑ってしまうような女生徒は、周囲の状況に興味なさげな表情で歩いている。しつこく声を掛け続ける貴族の男を完全に無視して。


「あれは……」


 俺の視線に気付いたメルトが呟く。

 危険な空気を感じ取ったんだろう。

 確かに、後数秒であの男は爆発する。隊を率い、お山の大将として振る舞い続ける奴は堪え性がない。ゲームでは名前も出てこなかった人物だが、ハイリアは律儀に記憶していた。まあどうでもいいだろう。


 とうとう我慢の限界を超えたらしく、男が少女の腕を取り、小柄な身体を釣り上げるように上へ引く。


「ハイリア様っ」

 小声で、しかし強くメルトが言う。助けに入るべきだと訴えている。

 だが問題ないんだよ、メルト。


「HA!」


 荒野を満たす太陽のような声が中庭へ降り注いだ。

 俺に注目しな、とでも言いたげな気障ったらしい口笛が聞こえる。くるくるとカウボーイハットを回しながら、制服を派手に着崩した男が顔を出した。


「数人がかりで女の子を取り囲むたぁ、おだやかじゃあねえなっ!」

 思わず笑った。

「安心しな、子猫ちゃん! この俺、輝ける太陽の漢ジークが来たからにゃあ、悪漢たちの無法もここまでだ!」


 ジーク=ノートン。


 『幻影緋弾のカウボーイ』の主人公だ。

 ゲームで見た場面そのままの光景を、こうして別の視点で見ることなるとは、つくづく奇妙な感じがする。本当の所、これが起きるのかさえ疑問があった。奴が存在している保証だってどこにもなかったのだから。

 そして今、俺は作品の一ファンとしても興奮していた。

 分かりやすく言えば、ずっと好きだった作品がアニメ化されたような気持ちだろうか。現実として体感出来る以上、興奮は更に強かったが。


 入学式が終わり、新入生たちが解放されたのもあって、騒ぎを聞きつけた野次馬がちらほらと現れる。もしあのままなら貴族の彼も適当に流して去っていただろう。が、こうして人に見られているとなると話は別だ。

 ジーク=ノートンの階級は自由民。奴隷階級よりは上だが、上級民などと比べればかなり低い。また、この学園の制服には明確に身分を示す印が刻まれている。

 自由民ごときに貴族が引き下がる、などという姿を周囲に見られるのは恥だ。当然彼は突っかかってきたジークに食って掛かる。


 ジークもジークで一度言い出すとどこまでも突っ走る部分がある。

 私闘が始まるのは当然の流れだった。


 殴りかかって来た隊員の男を鮮やかに避けつつ足を払う。転がる腹を踏みつけて意識ごと潰し、次の男には拳の下を掻い潜っての肘、そして身を沈ませた時に浮き上がったカウボーイハットを掴みとり、円運動の足捌きで背後に回る。上下左右へ大きく動くソレは、至近距離で見ると消えたように思えただろう。背後から脳を揺らされた男はふらつきながら前倒しに崩れていく。


 と、ここで事の始まりだった少女が無表情に退場していくのを見て俺は苦笑い。

 戦いが終わった後、気障に決めたジークが当の少女が居ないことに気付く展開はお決まりだった。


 ここまでの動きに強い警戒心を持ったらしい最後の隊員は腰を据えてジークを観察した。

 しかしジークは不敵に笑うと、手にしたままのカウボーイハットを指先の上でくるくると回す。眼前で回るソレへ相手の意識が向いた瞬間、ジークは指で弾き、上へ放る。視線が釣られる。鋭い裏回し蹴りが側頭部へ炸裂し、デカイ図体の男が転がっていった。

 帽子をキャッチ。優雅に被って見せる。


「どうするよ大将! お友達は夢の中だぜ? 仲良くおねんねするかい?」

「ふざけるな下等民風情が!」


 貴族男の眼前に『槍』インパクトランスの紋章が浮かび上がる。青の魔術光が風のように彼を包み半透明の甲冑となる。その手には巨大な突撃槍。武装の大きさや守りの確かさを見れば、並の実力者ではないことが分かった。


「上等!」


 対し、ジークも魔術を起動させる。

 紋章は『剣』ブランディッシュソード

 緋色の魔術光が全身から燃え上がり、二振りの短剣が握られた。


 魔術戦の開始に流石の野次馬たちも慌てたんだろう。教師を呼ぼうなどという声が聞こえる。

 彼らの言う通り、魔術戦というのはほんの些細な切っ掛けで死に至ることがある。魔術によって大幅な増強を得られるものの、そもそも人体は動脈への傷一つで死に至ることもあるのだから。元の世界で言えば、これでお互いがライフルを向け合った状況に等しい。正しく訓練弾を込められるかは、それこそ技量次第で、訓練弾でさえ死に至ることもある。


 しかし、貴族男はジークの短剣を見て嗤った。

「なんだぁ? 偉そうにしておいてそんなちっぽけな能力なのか?」

「おいおい、俺の相棒を悪く言うなよ。コイツの機嫌が悪くなると俺でも扱いに困るんだ」

「ふざけているのか貴様っ!」

「テメエの女を悪く言われて黙ってる男が居るかい?」

「そうか。あくまで反抗的であり続けるなら仕方ない。貴族として分相応の振る舞いというのを教育してやろう!」

「HA! やってみなァ!」


 突撃槍の振り払いが青い風を伴って中庭の土を巻き上げる。

 広範囲に及ぶ攻撃は礫となり、ジークを襲う。


 だが、彼の属性は歩兵を意味する『剣』。

 四属性で最速を誇る魔術は、緋色の残り火を軌跡としながらジーク=ノートンを攻撃範囲外へ送り出す。踊るように身を回しながら、ほんの一瞬だけ、ジークは短剣の切っ先を貴族男へ向ける。


「BANG!」


 短剣の一振りを真上へ放り投げ、ジークは立ち止まった。

 追撃を仕掛けようとして突撃槍を構えていた貴族男も、不審な行動に動きを止めた。だが、口元には濃い笑みがある。


「遅いな、貴様」


 最速を誇る『剣』の使い手に対し、『槍』の術者が笑った。

 確かに、ジークの動きそのものは見事だったが、今のは一般的な『剣』の術者が持つ速度の平均さえ下回るものだ。共に決め手を持たない相性ではあったが、これは明確な優劣を示したに等しい。

 なのにジークの不敵な笑みは消えない。

 カウボーイハットで目を隠し、手に残る短剣を指で回し、まるで西部劇で見る拳銃のように腰元へ納め、消す。続いて落下してきたもう一振りをキャッチし、これを回しながら言った。


「決着はついたな」

「ほう、潔いじゃないか。この場で平伏し、二度と分不相応な振る舞いをしないと誓えば――」


 短剣を納める。


「アンタの負けさ」


 突如として、貴族男を包んでいた青い魔術光が砕けた。

 右肩に貫かれたような傷が現れる。

「っ、が――ァァアアアアッ!」

 痛みに突撃槍を支えきれず手放したのと同時、完全に彼の魔術が解けた。


 周囲に大きなざわめきが広がった。

 ほとんど、というより誰一人として今の事態を把握できていない。平均速度さえ下回る『剣』の術者が、甲冑の守りに身を包む『槍』の術者を瞬く間に倒してみせたのだ。多くの場合、結論は一つだ。


 遅く見えたのは勘違いで、彼は神速を誇る術者なのかもしれない。


 だが違う。彼が遅いのは本当だ。おそらく同属性では最低に位置する。

 ならば『騎士』同様に上位能力なのか? これも違う。『剣』の上位能力は明らかに攻撃の規模が変わるからだ。アレで攻撃を仕掛けたのであれば、あんな針穴を通すような傷では済まなくなる。

 そして何より、本来『剣』ブランディッシュソードの魔術光は赤だ。緋色じゃない。となれば後は一つしかない。


 彼は、ジーク=ノートンはイレギュラー能力者。

 『剣』を基板としながら『弓』の特性を併せ持つ二重属性『銃剣』ガンソードの魔術を操る幻影緋弾の使い手だ。


 あの貴族男も不運だった。

 もし『剣』の術者であれば、速度で劣るジークを圧倒できたし、希少な『盾』の術者であるならばそうそう負けることはなかった。『弓』の属性を持つ彼に、『槍』の魔術ではまず勝てないのだ。


 お分かりだろうか。


 劣るとはいえ『剣』の機動力を持ち、『弓』による遠距離攻撃や隠匿した罠の攻撃を仕掛けてくる彼には、例えハイリア=ロード=ウィンダーベルの上位能力『騎士』(インペリアルナイト)であろうと敵わない。


 これが知れるのはゲーム序盤のラストになる。

 無法者と呼ばれ、階級意識に左右されない彼の行動を見咎めたハイリアとの公式試合において明かされるのだ。


 お分かりだろうか。


 ハイリア=ロード=ウィンダーベルは学園トップの成績を誇り、金権力実力顔とおよそあらゆるものを持っている正統派の実力者。覚醒すれば個人で小隊級の働きをすると言われる『超正統派』の上位能力覚醒者なのだ。品行方正で戒律を重んじ、階級制度を肯定する現体制の保守的存在がハイリアだ。

 そして、この『幻影緋弾のカウボーイ』の主人公、ジーク=ノートンは戒律や階級に囚われない自由主義を標榜する無法者で、その能力はあらゆる正統派に対してジョーカーとなるイレギュラー。


 新たな土地を開拓するカウボーイと、今ある国家を守護するナイト。


 ぶっちゃけ俺、序盤のかませキャラです。


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