第5話 イルベール教団

 女の服選びが長いのは、何も現実の話だけじゃないらしい。

 貴族御用達の呉服屋さん……でいいのか? が次々と運んでくる服へ、メルトと数人の使用人が着替えさせる。慣れない服で慣れないことをしているせいで、流石にメルトの手付きが危なっかしく、小さなミスをする度に厳しく叱られていた。教えられてもいないことを失敗するなと言うのは理不尽だが、表立って文句も言い辛い。

 彼女を連れ込んだという俺の前だから、使用人があからさまなことはしなかったが、そんなメルトを見るアリエスは楽しそうだった。


 本来ならこの手の買い物は屋敷へ呼び付けるのが常だ。

 出向くのは身分の低い方、とはいえ、今回はアリエスの我が侭で押し掛けている。準備も何もない所へ今から行くからと言われた責任者はさぞ青褪めたことだろうが、商機であるのは確かなので、さっきからとても楽しそうだ。仮にも御用商人、ということか。


 専用の個室で俺がしているのは、着替え終わった服への感想だ。適当な言葉を選べばアリエスのメルトへの八つ当たりが酷くなるので、さっきから語彙を総動員して褒めちぎっている。

 おかげで当初は手荒く扱っていたメルトへの態度も柔らかくなり、今や手をとって優しく声を掛ける豹変ぶりだ。

 この辺り、本質的に社会システムを担う者としての差別はするが、差別意識そのものが無いのは良く分かる。本当に奴隷を蔑んでいるなら、お遊びでも手を触れたりはしない。彼女の場合は自分が上で、他は大抵が下というあっさりとした区分があるだけなのかも知れないが。本編でも彼女とは仲良くやっていたしな。


 しかし、そろそろ俺の語彙も底をつく。

 ここからはどう切り抜けるべきかと思案している時だった。


 外がどうにも騒がしい。

 俺は二階の部屋の窓から外を見て、事の原因を悟った。


「イルベール教団の連中ですね」

 傍らで店主が苦々しさを滲ませながら言う。


 イルベール教団。大陸北西部に絶大な影響力を持つ、言ってみればあの十字教みたいな宗教組織を母体とした、奴隷差別を推進する過激派だ。あまりにも過激な行動でほとんど異端扱いに近い状態でありながら、数多くの貴族が支援している為に根絶されないでいる集団でもある。宗教組織の凋落が叫ばれて久しい今となっては、互いに利用し合っていると取るべきか。


 俺の知る歴史で見ても、こういった主義主張に乗っかって好き勝手をする者は結構居た。

 戦時の過激な右翼は常に民衆から搾取する。訴えるのは自由だとしても、巻き込むなと言いたくなる。


「表は固めている筈だな」

「はい」

 仮にもウィンダーベル家の嫡男と、娘がやってきているのだ。

 彼らは表に立つ我が家の旗が見えないんだろうか。

 見えていて理解していないのなら、モノを知らないか、意図的にやっているか。どちらにせよ余所者だ。


 面倒だな。


 一般人が貴族それぞれの家紋を知っているかは別としても、イルベール教団のそれは良く知られている。

 十字の左右に測りをぶら下げた、十字天秤。

 こうして街中で騒ぐ時は旗を掲げているから尚目立つ。

 ほとんどの場合、己の信念というより数多ある貴族の保護を受けているという主張で、すこぶる気分の悪いものだ。


「どうやらこの辺りに居座るつもりのようだな」

「これは……いえ、入り口を閉じましょう」

 彼らイルベール教団は、背後に幾つもの貴族が居ることでかなり横暴な振る舞いをする。奴隷制度は国が推進するものでもあるから、反抗すれば王への反逆を謳い、私刑を下そうとする話はゲームの中でも山と聞いた。

 階級社会の根強いこの国では、貴族の行動を咎められるのは同格以上の貴族しか居ない。

 それ以外は、命を奪われようと、尊厳を奪われようと、黙って過ぎ去るのを待つしかないんだ。

 メルトのように。


「いや」

 俺は、あいつらが大嫌いだった。

「俺が片付けてくる。アリエスっ、その誇りに掛けて店の者を守ってやれ」

「はいっ、お兄様!」


 部屋を出る時、不安そうにするメルトへアリエスが声を掛けていた。

 守ると彼女は言った。そうだ。階級制度を肯定するウィンダーベル家は、分を弁えない者へ誅を下す。だがそれは同時に、身の内へ収まる者達を不当に虐げる行為を、決して許さないことも意味している。

 うざがられ系ヒロイン、アリエスの性格は確かに悪い。が、その心は誇り高いのだ。


 店から現れた俺の姿に群集がざわめく。

 ウィンダーベル家の膝元であるこの町の住人であれば、ハイリアの顔くらいは見たことがあるんだろう。だが、イルベール教団の者達は違ったらしい。道行く女を捕まえて奴隷制度の重要性、素晴らしさを『教育』していた彼らは、明らかに敵意を向ける俺をすぐさま取り囲んだ。膝を屈していた女へ行けと示す。まだ手は出されていなかったようで安心した。

 遅れて俺を守ろうとした私兵を下がらせ、周辺の確保を優先させる。

 彼らはその様子に多少の疑問を覚えたようだったが、所詮はチンケな地方貴族と思ったらしい。


 加えて、遠巻きに眺めていた群集の中に目深にフードを被った者達が紛れているのを見て取る。

 あちらが本物、こちらは雇われたか利用されただけのチンピラか。

 リーダー格らしき男が振り返って彼らに確認を取り、問題無いとの追認を受けたことで勢い付く。


 背後に立たせるなら蛇ではなく獅子だろうに。


「貴様ぁ……王への反逆者だなあ?」

「王に逆らうつもりかあ!」


 下らない。


「三秒やろう。跪いて許しを乞え。さもなければ報いを受けろ」


 激昂する教団員を見ても、俺の心は揺るがなかった。

 アリエスの服を寸評していて気付いたことだが、どうにも俺はハイリアとしての記憶も持っているらしい。ゲーム中では語られなかった過去や知識が頭の中に浮かんでくる。そして、ランキング四位に輝いた彼が持つ高潔さもまた、俺の心に宿っていた。

 少しだけ自嘲する。

 今まで流され続けてきた俺だけど、踏み込んでみればこんなにも容易く世界が変わって見えた。あくまでハイリアが、ウィンダーベル家が積み上げてきたモノを糧としているだけだけど、この心は本物だ。また、俺は感動してもいた。


「時間だ」


 さて本物の教団員が何を狙っているかは不明だが、


「ふざけやがってこの野郎! ぶちのめしてやる!」


 チンピラたちが一斉に魔術を起動させる。

 眼前に浮かぶ紋章は、『弓』『弓』『盾』の三つ。


 この世界の魔術は四つの属性がある。

 歩兵を意味する『剣』ブランディッシュソード

 弓兵を意味する『弓』ストライクアロー

 槍兵を意味する『槍』インパクトランス

 盾兵を意味する『盾』フォートシールド

 これらはじゃんけんのような力関係にあり、


 剣 ← 盾

 ↓ ☓ ↑ 

 弓 → 槍

        ※ 対角線の属性は拮抗する。


 という、明確な得手と苦手が存在する。

 彼らのように集団で、特に対角線の属性が揃っていれば、相手がどの属性であろうと常に対等以上の関係が保てる。


 そして俺、ハイリアが所有する属性は、


「ははっ、『槍』じゃねえか! 『弓』の敵じゃねえんだよ!」


 そう、『槍』だ。

 『盾』に継ぐ防御性能と、四属性最強の打撃力を誇る『槍』だが、機動性に劣り、遠距離攻撃と罠の設置・隠匿などに特化した『弓』には敵わない。

 だが、


「王に成り代わりーっ、私刑ぇーを執り行うっ!」


「そうか。ならば死ね……!」


 『槍』の紋章に、馬が刻み込まれる。

 すなわち騎兵、『騎士』インペリアルナイトの属性へと進化する。


 具現化した突撃槍を前に、騎馬の加速を得た俺は瞬く間に『弓』の術者二人を貫いた。その凄まじい衝撃は余波を生み、青い光は風のように吹いて消えた。

 『騎士』が持つ魔術光は、青だ。


「じょ、上位能力者!? しかもっ、『騎士』の紋章!? まさかアンタは……いやっ、アナタ様は!」


 残された『盾』の術者が狼狽えて後ずさる。

 だが遅い。大盾を構えた兵士がそう容易く動けないように、四属性で最低の機動力である『盾』では、騎兵の突撃から逃れられない。ましてや『槍』の一撃は、最硬を誇る『盾』の防御を唯一正面から貫通出来る。


「ハイリアっ、ハイリア=ロード=ウィンダーベル、っ、様! こ、侯爵家の嫡男様で、ありましたか! これは大変失礼を――」

「もう遅い」


 青白い光が俺の進む道を示すように目標点から背後へと流れていく。

 まるで巨大な突撃槍の中へ収められたかのような光景。


「対する者によって態度を変える。その程度の思想は、陛下へ捧げるに能わぬ……!」


 砕き、貫いた。


 過ぎ去る青い風に身を吹かせ、突撃槍をほどく。

 槍で貫き、突き上げた状態だった相手が、術の解除と共に落下してくるのを受け止めて、そのまま見ていた残りの教団員へ放る。死んではいない。手加減のコツというものをハイリアは知っていた。

 後は魔術も使えない雑魚だ。戦意も喪失している。背後で糸を引いていた者達の姿は既に無く、それに気付いた連中は慌てて逃げ出す。

 警護の者が気付いて動いていてくれたものの、アリエスや俺を狙ったかのような動きに人手は多く割けない。今から都市を封鎖しても捕えるのは困難だろうな。


 やがてあちこちから歓声が上がった。

 町の住人たちだけじゃない。旅人風の者や、浅黒い肌の奴隷たちも居る。ふと店の二階を見上げると、アリエスとメルトの顔が見えた。


 腕を振り上げる。

 それだけで人々は喝采した。


 この世界が夢なのか現実なのか、まだ俺にははっきりと分からない。

 だけど、一つだけ決まったことがある。

 もしこの先もここに居続けられたのなら、俺は――。






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