第2話 奴隷貿易
この世に夢ほど理屈の通らないものはない。
記憶の整理であると同時に、心理学においては時にストレス解消の意味も持つ。そこに整合性など必要ない。スパッと気持よくなれればそれでいいのだ。俺の中にある感情が俺を置き去りに暴れだしたのも、夢であるならば納得がいく。夢なのだから、他の誰が納得せずとも俺が納得できればそれだけでいい筈だ。特にこのゲームは俺がつい最近までハマり込んでいたもの。望む世界を夢の中で想像して楽しむというのはそれほど珍しくはないと思える。
この考えを何よりも助長したのが、俺の中に一欠片の不安感もないということ。
まるで住み慣れた故郷へ戻った時のような安堵が俺を満たしていた。
見知らぬ世界へ放り出されたのであれば、どうすればいいのか分からず立ち尽くしていただろう。仮によく知る世界であってもここまで落ち着いていられるというのはおかしい。姿形が変わっていて混乱しないなんて、まあ夢ならよくあることだ。
事の整理を終えた後、俺は折角の明晰夢を無駄にしないよう、好奇心を満たすべく歩き回ることにした。
ここには見覚えがあった。ハイリアの故郷とも言えるミッデルハイム宮殿だ。かつては一国の王都でもあったここは、現実なら世界遺産にでも指定されそうな見事な造りで、あっという間に俺のテンションは観光気分へ切り替わった。
窓から見えた外装は白と金と水色の、これまた見事な色合いの美しい宮殿。大きさは、東京駅くらいはあるだろうか。左右対称に造られた庭園を含めれば更に広い。ドーム状の屋根には天使やら鳥やらの石像が幾つも寄り集まっていて、どうしてそこまでと驚かされる。
もっとよく見てみようとバルコニーを探して出た。が、宮殿を眺めるより、目の前の景色に俺は心奪われた。
風が吹く。
その先に広がる地平線に感嘆を漏らした。雄大な草原は陽の光に満たされていて、青々とした輝きが俺の網膜を焼く。大地の宝石だ。
手前側には丘が多い。その丘の間を縫って、石畳で舗装された大きな道が草原へ抜け、ずっと向こうまで続いていた。こんな時代にしっかりと舗装された道が存在するのは驚きだ。幾つかの荷馬車や徒歩で進む人々が見える。道から大きく外れた森の近くでは、羊を連れた羊飼いらしき人影もあった。丘の上には幾つかの風車があって、重みを感じさせる動きでゆるやかに回っていた。彼らの休憩所ともなるのだろう道半ばに小奇麗な小屋の姿が見て取れる。
視線を流していくと、麦畑の広がる一帯に気付いた。
一際強い風が吹いたのか、黄金色の風景に波紋が広がっていくのを目にした時、俺の鼻孔の奥に土の匂いが広がった。
どれほどの時間か、俺は呆然と世界に圧倒されていた。
やっとついた吐息には熱がある。全身の細胞が自然への敬意で震えていた。
山岳信仰とは少し違うが、これも自然に対する信仰なのかもしれない、そんなことを思う。
離れられなくなりそうだったから、しばらく外へ背を向けて心を落ち着ける。
手が触れているバルコニーの柵にすら彫刻らしき感触があり、もうどれだけ凝っているんだと笑ってしまった。
再び背中に風を受け、心地良さに目を閉じた。
そうして俺はミッデルハイム宮殿の中へと舞い戻った。
宮殿内では多くの人とすれ違った。
なるほど、ここはこういう間取りになっていたのかと関心しながら進む姿は、ややもすればみっともなく映っただろう。けれど時折すれ違う人たちは壁際へ寄り、深々と頭を下げて俺が通り過ぎるのを待つ。
折角だからと服装を確認してみたりもした。
中世ヨーロッパ、それもロココ調のデザインが流行った時代と言えば、ぶっちゃけ現代の美意識ではドン引きするような格好が多い。一昔前に盛りなる髪型がファッション誌を賑わせたものだが、その発祥はこの時代とする風説もあり、女性の髪型は現代アートじみた破壊的なモノが貴族では流行っていた。髪と装飾が顔の三倍なんぞ余裕の行いだ。その気合いの空回りっぷりは変な兜大好き戦国武将も真っ青である。
が、あくまでこの『幻影緋弾のカウボーイ』世界はギャルゲーだ。ドレスや髪型には現代的な雰囲気が見られ、クラシカルなメイドさんの服でさえ、どこかアニメちっくな改造が施されているように思う。
男たちもまた同様だった。女性に比べて男性の顔は印象が薄いという点に、デザインをした人間の恣意的なものを感じないでもない。
やや不躾に過ぎる俺の行動を咎める者は居なかった。
そう。ハイリアはこの国きっての名門貴族であり、家督を譲り受けることが確定している自他ともに認める権力者なのだ。それでなくともイケメンだ。すれ違った後、ふと後ろを振り向いてみれば、見目麗しいメイドさんが頬を赤らめてこちらを見ていた。慌てて顔を伏せる姿のなんと可愛いことか。
仮にこれが夢だったとしても、こんないい気分を味わえるなら悪くない。
そう思っていた時だった。
通りがかった部屋の奥から、人の呻き声と酷く耳障りな鞭打つ音が聞こえてきた。
「どうかしたのか」
ここまでで心が大きくなっていたのもあって、俺は躊躇いなく扉を開けて声を掛けた。
呻き声が聞こえてきた部屋は、入り口こそ雰囲気を壊さない絢爛豪華なものではあったが、内部は薄汚れていて蝋燭の灯りしかない場所だった。咄嗟に思いつく。俺以外の記憶にあった。ここは、教育部屋だ。
「こ、これはハイリア様!」
鞭を振り上げていた老婆は血相を変えて平伏した。その奥で虚ろな目している少女が座り込んでいて、俺が目を向けていることに気付いた老婆が大慌てて彼女の服を掴むと、裾がめくれ上がるのも気にせず地面へ這わせた。
浅黒い肌に血が滲んでいて見るからに痛々しい。下着が丸見えになっていたけど、二人がそれを隠す様子はない。
その光景は、今まで感動と興奮に満たされていた俺の心を一瞬で冷めさせるものだった。
「すまない……音が聞こえたもので……」
なんとか絞り出した言葉に老婆は、更に身を伏せろとばかりに叩頭した。
「見苦しい所をお見せ致しました。しかし、ここは使用人の区画。貴族であられるハイリア様がどうしてこのような場所へ」
「あ、そうだったのか。すまない、考え事をしていて気付かなかった……それで、どうしてその子は」
「はい。この者が銀の食器に手を触れていたもので……」
それだけで? という言葉を咄嗟に飲み込んだ。
頭の中に浮かんできたのは『幻影緋弾のカウボーイ』の世界観だ。十数年前に発見された新大陸と、そこから輸入されてくる奴隷たち。彼ら浅黒い肌を持つフーリア人は、周辺各国が共通で差別の対象としており、国の定めによって人権を持たない。
「……わかった」
胃が引き千切れそうな苛立ちをどうにか抑えて、それだけを俺は絞り出した。
こちらの顔色を強かに伺っていた老婆は、やがて得心がいったように頷く。
「ハイリア様。私はこれからやるべきことがございます。もしよろしければ、この者の処理をお任せしてよろしいでしょうか」
今度こそ怒鳴り散らしそうになった。
下卑た笑みを浮かべた老婆は、それを尻の青い小僧が羞恥に震えているものと勘違いしたらしく、それでも言い返さないことに確信を持ったらしい。
慇懃に礼をすると、このことは内密に致します、と丁寧に添えて教育部屋を出て行った。
老婆が居なくなると、ただでさえ薄気味悪い部屋が一層空虚に映った。
興冷め所じゃない。なんだこの夢は。苛立ちにいっそ頭痛さえ覚えた。
けれど部屋の真ん中で虚ろに座りこむ少女を見て、俺は自分の苛立ちを吐き出すように吐息した。あの老婆が勘違いしたように、俺にこの子を手篭めにする気はない。裂けた服をこちらで整えるのは気が引けて、上着を脱いて近寄る。
怯えたように身を強ばらせる姿に胸が痛くなった。
「大丈夫だ。君を傷付けたりはしない」
言って上着を掛けた。
驚いて俺を見、上着を見、何度もそれを往復する。言葉が喋れないんじゃないかと不安になるほど、金魚みたいに口をパクパクさせる。その子は思った以上に美しい顔つきをしていて、その愛らしい仕草がとてもおかしくてつい笑った。
そんな訳ですっかり油断した俺は、つい言葉を選びそこねてしまう。
「それじゃあ俺の部屋に行こう」
手当をするよ、とでも付け加えれば良かっただろうに、俺は彼女の表情にも気付かず教育部屋を出て、自室へ向かった。なぜか、部屋までの道ははっきりと記憶していた。
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