そして捧げる月の夜に――
あわき尊継
第一章
第1話 それは夢の目覚めから
目を覚ますと目の前に美少女が居た。
月の光を集めたかのような黄金の髪に、静かな朝に見る湖水の深みを湛えた碧色の瞳。ふわりと広がる睫毛は長く、切れ長の目にはどこか幼さがあって、それは少女が持つ子どもらしい太陽のような明るさが滲み出ているんだろうと思わせた。だというのに胸元の大きな膨らみや唇の艶やかさが女としての魅力をこれでもかというほどに主張し、悩ましさ以上に切なさを感じさせる。それはまるで、沈みゆく夕焼けを見るかのようで。
そこまで考えて俺は驚愕した。
なんてことだ。おーのう。
彼女の美しさで世界は完結している……!
月夜に始まり、朝の静けさを思わせ、昼の太陽に心暖められ、陽の沈みゆく空に胸を焼く。人が一日に体験する自然の美しさを前に、俺は懊悩を禁じ得なかった! おーのう。
「………………」
おーのう。
ともあれ、そんな少女が俺を心配そうに見ていた。
「もう、どうなさったのですか、お兄様?」
お兄様?
そうだ…………彼女は俺の妹だ。いや、妹ではない筈だ。
俺は……私は? 一度顔を両手で覆ってこめかみを揉む。それから慣れた手つきで眼鏡のツルを押し上げようとして、なにもないことに驚いた。意識の無い間に外れてしまったのかと少し慌てる。重度の読書好きである俺は非常に目が悪い。眼鏡なしでは一メートル先さえ霞んで見えるほどに。
いや、と。
視線を巡らせると、壁に埋め込まれた本棚に目が留まった。
「見える……」
タイトルだけじゃない。
十メートルほども離れた本の、装丁の細やかな飾り一つ一つに至るまでつぶさに見て取れる。
見え過ぎて頭の中に溢れた情報の整理が追いつかないほどだ。
あまりに本棚を凝視していた為か、先ほどの美少女が俺の正面へ躍り出た。最初は子どもっぽく膨れていたのに、俺の顔を見た途端にまた眉を落とす。
そんなに心配されるような顔をしていたんだろうか。
見つめ合っていたのは数秒だろう。
不意に俺は少女の名を思い出した。
「アリエス……?」
「……はい」
そうだ。見覚えがある。俺は彼女を知っている。
「アリエス=フィン=ウィンダーベル!?」
「は、はい。その通りですお兄様」
突如俺が大声を上げたことに少女は、アリエスは驚いたようだった。
驚いて胸元へ手を寄せるその仕草でさえ愛らしい。いや、
「いや、待ってくれ! 君は本当にアリエスなのか!? それにお兄様って、俺は別に君の兄なんかじゃ……」
混乱のまま口走った言葉にアリエスの目が大きく見開かれた。
まるでこの世の終わりにたった一人生き残ってしまったかのような孤独感が、絶望が瞳に浮かび上がる。
慌てて何かを言おうとするも、動揺が思考を上塗りしていた。
それでも、彼女は努めて冷静に、心持ちか細い声で問い掛けてくる。
「私は、お兄様に何かしてしまったのでしょうか。お兄様ともあろうお方が無意味に私を傷付ける筈もありません。でしたら、どうか私を罰して下さい。理由も分からずお兄様から兄妹ではないなどと言われると、この身は今にも張り裂けてしまいそうですわ」
「だ、大丈夫だ!」
今度は理解するより先に、本能が雄叫びをあげていた。
瞳を濡らす雫の輝きが、自分が何をしたのか教えてくれる。彼女を悲しませた。その事実に気付いた瞬間、俺の心は杭を打たれたような痛みに支配された。思考よりも先に言葉が飛び出す。それを口にしている間、俺は人形劇でも見ているように自分を観察していた。
「アリエス。君が俺に何かをしたということはない。問題なのは俺の方だ。一体何があったのか俺にも分からないが、今少し、いやかなり混乱してるんだ。決して君に非はないと誓う。だから少し時間をくれないか? 落ち着いて頭の中を整理したいんだ」
「本当に、私のせいではないのですか?」
彼女を安心させたい。そういう想いに心が満たされる。
「俺を信じてくれ」
彼女は、アリエスはじっと俺を見つめ、不安そうな目を閉じた後、力強く頷いた。
「分かりました。少しお庭で花を観てまいります。もしよろしければ……」
「時間は掛かるかもしれないが、必ず行こう」
「はいっ、お待ちしておりますっ」
扉を閉める瞬間まで精一杯の笑顔を見せたアリエスの健気さに、俺は混乱とは別の感動に打ち震えていた。
流石ランキング二位ヒロインは可愛いなあ!
ひとしきり感動した後、改めて俺は腰を上げ、窓の前へ歩いて行った。
身体が軽い。いや、肉体がしっかりしている分、重い筈なのにどこまでも駆けていけそうな力強さがある。
そして窓硝子に映った自分の顔を確認した俺は、何度目かになる驚きにしばらく呆然とした。
誰だこのイケメン……。
いや違う。俺はナルシストの類じゃない。そしてこの顔にも覚えがあった。
ハイリア=ロード=ウィンダーベル。
アリエス=フィン=ウィンダーベルの兄で、男性キャラクターでありながら人気ランキング四位にその名を刻んだ男である。
それから一時間ほど掛けて俺は理解した。
ここは、一年ほど前に発売されたギャルゲー『幻影緋弾のカウボーイ』の世界であることを。俺はその中でも主人公のライバルキャラクター、ハイリア=ロード=ウィンダーベルになっていることを。
「夢……か?」
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