第3話

PM4:00

診療所の電話が鳴った。発信元は隣の門前薬局だ。


「今来られた小林さんの処方せん、下のお名前が違いますし、いつものお薬とも違います」


ドキリ。

そうだ、名前が似た小林さんが2人同時に来院していたのだ。

気をつけようと思ってたのに、やってしまった。


「すみません!すぐに正しい処方箋をお持ちします」


喉が詰まっていて、唾が飲み込めない。息苦しい。


院長と事務長に報告して、急いで正しい処方せんを持っていく。

隣の門前薬局では、72歳の小林さんが待っていた。

白い眉毛が、上に向いている。怖い。怒っている。


「あんたねぇ、困るよ、ちゃんと確認してくれなきゃ。僕は持病が重いのに。間違った薬を飲んで死んじゃったら、君、責任取れるの?」


申し訳ございません、申し訳ございません。

次回からはより一層気をつけます、申し訳ございません。


苦しい、心臓が喉まできている。

喉を締め付けている。


薬剤師の先生に仲を取りもってもらい、何とかその場を落ち着け、診療所に戻った。薬局から再度連絡を受けた院長先生の顔は怖かった。


「人間なんだから、ミスしないなんて事はないけど、気をつけてないと大事になる。責任の所在は全て僕だ。君に責任は取れない。いつも名前はきちんと確認しろと言っているはずだ。」


はい。  はい。   はい。


段々と耳まで何かが詰まっていく感覚だ。耳の中が腫れている。

院長の声が遠のいていく。


院長はチラッと駐車場を見ていった。


「もう時間が過ぎているから、あがりなさい。お母さんが来ているんだろう」


17時半に駐車場に迎えにきた母を30分弱待たせていた。

先生の視線は冷たかった。


休憩室に行こうとすると、後ろで他の事務員の声が聞こえた。


「いつも母親に送り迎えしてもらって…自分だったら恥ずかしいよね…」


耳も喉も詰まっているのに、その声だけはよく聞こえた。

鋭利なナイフのように尖っていて、私の目の前をスッと通っていった。


今にも泣き出しそうな気持ちを堪えて、鼻をズビズビ言わせながら急いで着替えて職場を出た。


母の赤い車の助手席に、乗り込む。


「遅かったわね。どうしたの。」


私の顔をしっかり見て、母が言った。

母の目は歳をとり、二重が三重にも四重にもなっている。窪んだ瞳。

何も答えられない。


母が真っ直ぐ前を向き、エンジンをかける。

車が駐車場を出た時、母がこちらを向いていないことを確認してから私は口を開いた。


「さっき、うっかり患者さんに別の患者さんの処方せんを渡しちゃって…その患者さんがすごく怒ってて…先生にも怒られて…」


涙を堪えて、報告する。

母はしっかり前を向いたままだ。しっかり前を向いたまま、そのまま、言った。


「はぁ?あんたって本当に何をやらせても駄目ね。昔からそう。他所様に迷惑をかけて。私は知らないわよ。」


グサリ


尖ったナイフのような言葉は、目の前を通り過ぎてはいかず、私の心臓に「グサリ」と突き刺さった。


喉が詰まって息ができない代わりに、目から涙が溢れてくる。

もう私はそれ以上なにも言えなかった。



孤独だった。

自分が一番悪いのはわかっていた。母に慰めてもらいたかった訳でもない。

ちゃんと自分で反省したかった。



言葉で、母に急に突き放され、仕事の失敗と、突き放された辛さが、同時に襲ってくる。


なぜ、この人は、傷ついている人に対して、更に傷つけるようなことを言うのだろうか。

私の気持ちなんて、全くわかっていない。

言わなきゃよかった。言わなきゃよかった。


  辛い。



私は母が運転する横で、静かに泣いた。

音を出さないように、これ以上母になにも言われないように。

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悪夢 @hiragi1212

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