第2話 星屑の魔女は自動的に運行する予言書を持っている

電灯の国——科学文明で発展してきた国。

政治制度は議会制の民主主義。国の歴史は古く、数百年前まで遡れる。

百年前、電灯の国の近くに、一人の美しくて強い女性が現れ、地方領主の建国を手助けした。

女性は古代文明の魔女の一族の末裔だと名乗り、自在に魔法を操っていた。

その存在は「科学の常識」を覆すほど衝撃的だった——数千年前の人間は魔法を使えるという仮説が考古学会にあったが、確証はなかった。しかし今、星屑の魔女は彼らの目の前に、「星屑の国」という魔法の国を立ち上げた。

疑うもなにもない。「魔法」と「科学」はこの大陸に存在している。

電灯の国はその科学的な在り方から、未知に惹かれる国民性がある。だから未知で不思議な魔法に好奇心を持つ国民は、後を絶えなかった。

国民の意向を鑑て、電灯の国は建国したばかりの星屑の国に、一番安定な外交策——対話と同盟を提案した。

しかし、星屑の国は他国との繋がりを断り、魔法結界で辺境を封鎖した。

魔法結界に手の出しようもなく、電灯の国は星屑の国との交流を断念せざるを得なかった。

転機が訪れたのは、二十年前のことだった。

ある日、数えきれないほどの輝く流れ星が夜空を横切り、三分の一の大陸を照らした。電灯の国の観測によると、流れ星は星屑の国から発生したものであった。

前代未聞の流星群の翌日、星屑の国は電灯の国に、国交を提案した。科学の国と交流して、文化と貿易を進めたい。やがては長期的な平和条約や同盟を結びたい、とのことだった。

さらに誠意の証として、いくつかの魔法道具も送られた。電灯の国にとっては最高の贈り物だった。

星屑の国の唐突すぎた好意について、電灯の国の議会は何度も議論を交わした。

一番普遍的な意見は、恐らく星屑の国は今後の発展を顧みて、封鎖的な政策を見直し、外交に力を入れ始めただろう。

数十年を越して初めて訪れた、魔法を理解する貴重な機会だ。応じないのはあまりにも惜しすぎる。

議論の果て、電灯の国は星屑の国の提案に乗った。そうして、両国は平和条約を結ぶ儀式に取り掛かった。

儀式は両国の間にある、所有権が曖昧な海の海辺に行った。

この日、電灯の国の国民は初めて星屑の魔女の顔を見た——息を忘れるほど美しい金髪の女性は満面の笑みでカメラに手を振り、魔法を見せた。

確認された活動年数が八十年以上にもかかわらず、女性は二十代にしか見えなかった。不老不死の魔女は本当に存在している——科学の国の民はこの事実に衝撃を覚えた。

それからの数カ月、国中は魔法への興奮と期待に溢れていた。しかし、終わりもまた突然だった——星屑の国が一方的に平和条約を破棄し、衛兵で電灯の国の辺境を攻撃した。さらに魔法結界で辺境を封鎖し、最初の閉鎖的な国に戻った。

星屑の国の侵攻は「戦闘」と呼べないほど無力なもので、電灯の国に犠牲がほぼ出なかった。電灯の国の民は攻撃された怒りより、魔法を解明する機会を失った惜しさの方が強く、星屑の国の一連の難解な行動に嘆いていた。

ザーヴィルは平和条約が締結され、また破棄された年に生まれた。父は議会議員で、母は科学者。かなり裕福な家の子供である。

ザーヴィルの父は平和条約の件に関わっていたため、平和条約を結んだ時の星屑の魔女の録画が、まだ家の中に残されていた。

両親とも仕事熱心で、よく家を留守にしていた。好奇心旺盛なザーヴィルが遊び代わりに家を探検すると、その録画を見つけた。

そこで、ザーヴィルが初めて星屑の魔女を見た。

彼は魔女が見せた魔法に惹かれ、「魔法」に興味を持った。星屑の魔女の録画を観ることは、ザーヴィルの孤独な幼少期において、最大の楽しみだった。

時が過ぎても、電灯の国の民の魔法に対する好奇心は消えなかった。平和条約が破られた数年後、送られた魔法道具は国内の科学館に展示され、ザーヴィルも参観しに行った。

「魔法道具」に接触することで、彼の情熱は増す一方だった。

青春期に入っても、ザーヴィルは毎週定期的に星屑の魔女のあの録画を観ていた。モニターを見る時はいつも無表情だが、その膨大な情熱は誰でも簡単に感じ取れる。

親や周りの同級生は、時折こうやって彼を揶揄う。

「まるで、あの神秘な魔女に恋をしているみたいだ」

ザーヴィルの返事はいつも冷たかった。

「見たこともない生き物に恋するわけないだろう」

星屑の魔女は魔法そのものだ。録画で見せた魔法も、展示された魔法道具も彼女に由来している。魔法に興味を持つなら、魔女に興味を持つのも当然だ。

十四歳の頃、ザーヴィルは優れた成績で軍の科学部門に就職した。研修の間、彼は暇さえあれば、平和条約が結ばれた海辺を訪れ、魔法の残り香を探そうとしていた。

彼は間違いなく「魔法に熱狂している科学者」だ。

一年後。とある暖かな午後、ザーヴィルは海辺で一人の黒髪の少女を見かけた。少女は岩礁に立ち、俯きながら水面を見つめていた。

両国の国境線に位置するこの海辺は、所有権が今でも曖昧なままだ。一般民衆が立ち入りを禁止され、軍の関係者のみ入れる。

この女はどこから来たんだ?ザーヴィルは眉をひそめた。

「おい―ー」

急すぎた声掛けだったのか、少女が驚きのあまりに、足を滑らせた。

そして、そのまま海に滑り落ちた。

とんでもない状況になったが、ザーヴィルは大して反応しなかった。ゆったりと岸辺へ歩くと、黒髪の少女が海の中で藻掻く姿が見えた。

多分もう少し経てば、自力で泳いで上陸するだろう。

しかし、黒髪の少女が数秒「バシャバシャ」と音を立てたあと、静かに沈んだ。

浮かび上がる気配がない。

ザーヴィルはもう一度眉をひそめた。

ここで、彼は少女が泳げない——つまり溺れたと判断した。

若い科学者は溺れた人を見殺すような人間ではなかった。だからこの事実に気付いた瞬間、彼は服を脱いで、海に飛び込んだ。

少女を救い上げるには手間がかかった。上陸後、ザーヴィルは少女を平らな岩礁の上に置き、生命状況を検査し始めた。

しかし検査の途中で、少女の姿が大きく変わった。

まるで魔法のようで、黒い髪が一瞬で金髪になり、顔立ちも変わった。目を固く閉じる金髪少女の姿に、ザーヴィルは微かな見覚えを感じた。

目の前の出来事を信じられず、少年は自分の腕を捻った。

痛覚がある。幻ではない。

何が起きている?彼女が魔法を使ったのか?意識を失っているのに?

いや、今はそれどころではない。ザーヴィルは頭を振った。

一秒でも早く、彼女の意識を取り戻さなければ。

ザーヴィルは学んだ救急知識に基づき、少女の胸元を数回押した後、俯いて人工呼吸を始めた。

数回の口移しの人工呼吸の後、少女は小さな声で咳き始め、ゆっくりと目を開いた。

ザーヴィルと目が合ったとき、少年は全身の鳥肌が立ったと感じた。おそらく人生で、一番興奮した瞬間だった。

目の前の少女は、星屑の魔女と瓜二つだ。

強いて言えば、少女の方がどこか幼い。まるで星屑の魔女が小さくなったようだ。

顔立ちは星屑の魔女と瓜二つで、しかも魔法を使っていた。

録画で見るしかなかった伝説は、自分の目の前にいるかもしれない。

ザーヴィルの心臓が高鳴った。それでも、彼は無表情に少女の上半身を起こした。

「君は溺れていた。だから心肺蘇生法をしておいた」

「私……溺れてた?」

少女の目線はしばらく宙を泳ぎ、やがて小さな悲鳴と共に、独り言を零した。

「しまった……偽装魔法が解けている……」

偽装魔法?ザーヴィルはキーワードを聞き逃さなかった。この少女はやはり、魔法と関係している。

しかしそれより、もう一つ気になる発見があった。少女に人工呼吸を行う時、気付いたことだ。

ザーヴィルは躊躇わずに、自分の仮説を確認するために行動した——少女が反応する前に、右手を伸ばして、彼女の左耳周りの濡れた髪を後ろに整った。

「な、なにをするの……!」

少女の耳は一瞬で赤く染まり、彼の手を振り払った。それでもザーヴィルは数秒少女の耳を見つめた。

「失礼した。ところで、具合の悪いところはないか?」

「え?その……」

ザーヴィルが話を逸らしたことに気付かず、少女は自分の頬を触って、びしょ濡れなロープを嗅いだ。

「臭っ!」

「海の匂いは染みるからな。よかったらどうぞ」

持ち歩いた工具箱からキレイな毛布を取り出して、少女に差し出した。少女はしばらく戸惑った後、毛布を受け取り、顔を拭き始めた。

その姿を、ザーヴィルは静かに見つめた。

少女は顔を拭きながら、警戒した目でザーヴィルを観察した。

そして彼もびしょ濡れであることに気付くと、気まずそうな顔になった。

「あなたが私を助けたの?」

「ああ。君が岩礁から海に落ちた。元を辿れば、俺が急に声を掛けたせいだが」

少女がザーヴィルを非難することもなく、恥ずかしそうに半分の顔を隠した。

「ううん、気にしないで……私が泳げないのが悪かったわ。なぜか、海のことを怖く思ってしまう……」

「……前にも、溺れた経験はあるか?」

「な、ないわ」

「だったら、生まれつきの恐怖症かもしれない。学名で言えば、海洋恐怖症だ」

そして、ザーヴィルが数秒考え込んだ。

「君、魔法が使えるのか?」

少女は質問に身を竦めた。そしてしばらくして、硬い動きで頷いた。

「偽装魔法が解けたし、隠そうとしても無駄よね」

そう言いながら、少女は溜息をついた。

魔法を使えることを指摘されたのに、敵意を示せなかった。これはもう少し質問してもいいだろうと、ザーヴィルは判断した。

「聞きたいことがもう一つ。君は――星屑の魔女なのか?」

その質問を聞くと、星屑の魔女と瓜二つの顔を持った少女が、声を出して笑った。

「ふふ……なに、この変な質問?私は、あの偉大な星屑の魔女様なわけないでしょ」

「本気で答えてほしい」

「違うわ。私はただの普通な『魔法使い』。魔法が使える人間よ」

少女の真面目な答えを聞いて、ザーヴィルが思案した。

「……星屑の魔女のほかにも、魔法を使える人間がいるのか」

少女は眉をひそめて、数秒黙り込んだ。

「ごめん。私が喋りすぎたみたい。忘れて」

「……」

ザーヴィルは再び思考に耽った。その時、少女がくしゃみをした。

「寒い……もう帰る」

少女は言葉と共に立ち上り、ザーヴィルも我に返った。

まだあんまり喋っていないのに、彼女がもう帰ってしまう。

あの瞬間、とある大きな感情がザーヴィルの心から沸き上がった。感情の名前を判明できないが、彼は本能のままに立ち上がり、少女のロープの袖を握った。

引き止められた少女は、困惑そうに目を数回も瞬かせた。

そして何かを思いついたように、口を開いた。

「そうだ!まだ自己紹介してなかったよね。私はエスター。あなたは?」

エスター。星という意味か。いい名前だ。

こんな状況でも、ザーヴィルの頭のが冷静に働いていた。

エスターがここから去れば、ザーヴィルはもう一生、魔法に触れないかもしれない。

それでも、エスターを無理矢理に引き留めることはできない。自分とは、違う世界の人間だ——こう考えると、「二度と魔法に触れない」よりも、「エスターに二度と会えない」という事実が彼の心を苦ませた。

「俺は……」

赤い髪の少年は唇を噛み締め、ある決意をした。

「俺はザーヴィル」

揺るぎのない声で。

「『決して目標を諦めない』ザーヴィルだ」

ザーヴィルの返事に、少女——エスターは華やかな笑顔を見せた。

「なにそれ?変なの。とにかく、助けてくれてありがとう。ザーヴィル」

ザーヴィルは笑顔に見惚れて、袖を握る手を離した。

エスターの姿が見えなくなるまで、彼は彼女の後ろ姿を見つめていた。

その後、ザーヴィルは国内に戻って、実家の部屋に籠っていた。エスターが使った毛布から指紋を採集して、星屑の魔女の録画も見直した。

三日も篭った後、彼は部屋から出た。両親に心配そうに見られながら、静かに朝食を取った。

「父さん、母さん」

赤い髪の少年は目玉焼きを口に運びながら、淡々と宣言した。

「俺は必ず星屑の国の門を開けさせる。生涯を賭けてもだ」

ザーヴィルは誰よりも自分の変化を知っている。

周りの人はよく、彼が星屑の魔女に夢中していると言っていた。

しかし少年は魔女に思い入れがなく、彼女を「魔法」の象徴として興味を抱いているに過ぎなかった。彼が関心と情熱を向けているのは、いつだって魔法だった。

だが、それもエスターとの出会いで変わった。冷静な外見の下に情熱を持つ少年は、心を乱された。

魔法を使える少女、魔法使いと自称する少女。泳ぐこともできない、どこか危なっかしい少女。ザーヴィルの前に現れた少女、華やかな笑顔を持った少女。すべてが彼の一番柔らかな思い出になった。

過去のザーヴィルは「魔法」にしか興味を持っていなかった。そして今は「エスター」のことで頭一杯だ。

必ずもう一度エスターに会うと、彼は誓った。

ザーヴィルは軍の科学部門に戻り、星屑の国の門を開けるために準備を進めた。

星屑の国が一方的に平和条約を破った後、軍は魔法の国に希望を抱かなくなった。そのため、「天才少年の迷走」と嘲笑う声も途絶えなかった。

幸い、ザーヴィルの父は彼の理想を支持した。父の人望とつながりで、ザーヴィルは多くの資金を手に入れ、計画を進められた。

まずは星屑の国の情報を集めようと、ザーヴィルは大胆な方法を取った。

彼は「万事屋」を藪にした、いくつかの地下組織を立ち上げた。手紙などの遠隔手段で星屑の国の情報を集めるために。

その結果、いくつもの魔法道具を購入しただけでなく、星屑の魔女に「魔法を使える男性助手」がいるという情報も確認した。

男性助手に関する外見の描述に基づいて、ザーヴィルは高精度な顔画像を再現した。

「エスター」の情報も探ろうとしたが、星屑の国の民はこの名前を聞くと、必ず固く口を封じる―ーまるで、なにか禁忌のように。

「エスター」だけではなく、星屑の魔女の情報もなかった。

魔女が、魔法の国から消えたようだった。

何故星屑の魔女の話を聞かなくなった?魔女と男性助手のほかにも、魔法を使える存在はいるだろうか?「魔法使い」と自称するエスターは何者だ?なぜ彼女は星屑の魔女と瓜二つな顔をしている?

疑問が増えていくばかりの中、星屑の国も警戒心を高めたのか、情報を集めるのが日に日に困難になった。

それでも、ザーヴィルは諦めなかった。魔法に興味を持つ科学者が次々とチームに入り、ザーヴィルが科学部門のリーダーとなった。

五年後、二十歳のザーヴィルは地下組織の情報ネットワークから、星屑の魔女が再び姿を見せたことを知った。

ほぼ同時に、地下組織に一つの依頼の手紙が届いた。

いつも通りに手紙に指紋の検査を行うと、エスターの指紋を発見した。

何年も努力してきたザーヴィルが、初めて見た希望の光だった。

彼はエスターの件を隠し、「星屑の魔女と関連しているかもしれない」という曖昧な報告を軍の上層部に提出した。

会議の結果、軍の上層部は一隻の潜水艦を任務地近くの海域に待機させた。

ザーヴィルは科学部門の部下と共に海辺を訪れ、隠しカメラで現場の状況を上層部に転送するように命じられた。

しばらくして、一人の黒髪の女性と一人の中年男性が現れた。

「あの痩せ気味な中年男、星屑の魔女の助手じゃないか?」

現場映像を見た上層部が騒ぎ出し、ザーヴィルに命令を下した。

魔女の助手を捕らえ、魔法結界を解除させ、潜水艦で星屑の国に入るようにと。

電灯の国は星屑の国に凄まじい執念を持っている。どうしても魔法への憧れを捨てられず、星屑の国の王——もしくは星屑の魔女と、直接対話したかった。

そのためなら、手段は選ばない。手荒いなものでも、構わないほどに。

正直、ザーヴィルはこのプランを無謀すぎたと思った。しかし、命令に逆らうわけにもいかなかった。

あの黒髪の女性はエスターだ。彼女の安全のためにも、今は命令通りに動くしかない。

……たとえ、肝心のエスターが自分のことを完全に忘れたようとしても。

海へ潜って丁寧に腕時計を回収した後、一行は助手が反応するよりも先に、彼を潜水艦の中へ連れ去った。

自分が捕らえられたことに気付いて、助手は絶望した。潜水艦を攻撃しても溺れ死ぬだけだと自覚しているのか、彼はただ不安そうに小さな悲鳴を上げていた。

潜水艦で軍階の一番高い人間として、ザーヴィルは彼の束縛を解け、名前を尋ねた。

「き、貴様らは一体何者だ!」

「お前を傷つけるつもりはない。大人しく指示に従え」

「ふざけるな……星屑の魔女様は、貴様らを野放しにしないぞ!」

その言葉で、場にいる全員が騒ぎ出した。もしかして、海辺で待っている女性は星屑の魔女なのか?

リッヒの言い方がどこか曖昧で、何を誘導しているようだった。ザーヴィルは眉をひそめ、議論に口を挟まなかった。

赤い髪の青年が計画通りに拳銃を取り出して、「友好的な」態度でリッヒに魔法結界の解除を要請した。

仮にも星屑の国の二番目の実力者だ、何かの抵抗は予想していた。

しかし、リッヒが抵抗することもなく、ただ拳銃に震えながら指示に従った。

どこか怪しい。予想外の反応に、ザーヴィルは警戒心を高めた。

結界が解除され、潜水艦が星屑の国の領海に入った時、動力システムが使えなくなった。検査しても異常が見れず、まるで魔法を掛けられたのようだった。

恐らく、星屑の魔女が何を仕掛けただろう。あの黒髪の女性が本物の星屑の魔女だと、潜水艦のみんなが確信した。

正直に言えば、潜水艦が動けなくなったことで、ザーヴィルは安心した。星屑の魔女の助手を拉致し、潜水艦で他国の領海に侵入するのは、宣戦布告と取られてもおかしくない。彼はどうしても賛成できない。

そして、もう一つの案が閃いた——数名の信頼できる部下と共に星屑の国へ上陸し、王に直接会いに行くことだ。せめて、二十年前に平和条約を破った理由を知りたい。

リッヒは海の中で大人しかったが、陸地では話が違うだろう。

念のため、ザーヴィルはリッヒに麻酔薬を注射した後、彼を縛り上げた。

そして数名の部下と共に、姿を隠せる光学迷彩の潜水服を装備して、意識を失ったリッヒを連れ出した。その後、なんとか岸辺に巡邏する星屑の国の衛兵の目を避け、無事に上陸した。

見知らぬ土地で、ザーヴィルが普段以上に慎重だ。次の計画を立てる前に、エスターともう一度話をしたい。だから周りを探索して、とある空き家で身を隠した。

持ち歩いていた通信設備は、魔法の国で使えなくなった。それなら、地元の通信手段を使うしかない。ザーヴィルは近くの村に潜入して、農家の庭でうたた寝していたフクロウを一匹捕まえた。

そして彼は地下組織を通して購入した魔法手紙を取り出し、フクロウに匂いを嗅がせた後、信号なしでも働ける小型GPSと手紙をフクロウの足に結びた。

国を離れる前に、この魔法の手紙にエスターの匂いを付けてある。

匂いを嗅いだフクロウが、大きな目をおぼろげに瞬かせ、飛び立った。

「頼んだぞ」

フクロウを見送って、ザーヴィルは空き家に戻った。返事を待つ間、彼は科学者の好奇心で、なんとなくリッヒの体を検査し始めた。

リッヒの散らばった髪を搔き上げると、左耳の後ろに薄い痣が見えた。

「……」

あの瞬間、一つ大胆な推測がザーヴィルの頭に浮かび上がった。

ほぼ同時に、ポケットに置いていた手紙が震動した。ザーヴィルは部下にリッヒの採血を指示した後、急ぎ足で空き家の外に出て、深呼吸と共に手紙を取り出した。

あの寝ぼけ眼をしたフクロウはザーヴィルの期待を裏切らず、通話できる魔法の手紙を無事届いてくれた。

通話で、エスターはやはり「星屑の魔女」と自称していた。

彼女は焦ったり怒ったりしていて、さらに気になることを言った。

エスターがリッヒの気配を感じ取れなくなったらしい。

しかし、ザーヴィルはこんなことをしていない——そもそも、「科学」ではできないことだ。

通話の途中、空き家の中から騒ぎの音がした。

ザーヴィルはすぐに通話を中止したが、手遅れだった。

意識を失っているはずのリッヒが空飛ぶホウキで飛び出し、冷たい目でザーヴィルを見た。潜水艦で怯えていた男とは、まるで別人だった。

次の瞬間、燃え盛った炎の球がザーヴィルを襲った。

「……!」

軍事訓練で鍛え上げた反応速度で、ザーヴィルが横に転がって、炎を躱した。立ち直った時、リッヒはすでに姿を消した。

空き家の中にいる部下たちも駆けてきた。程度の差はあるが、全員負傷している。

「ザーヴィル!あの男が急に覚めて、魔法で俺たちを攻撃した!さっきまでと全然違う!」

「……きっと意識を失ったフリをしていただけだ。油断した」

予想外の状況に陥っても、ザーヴィルの頭が冷静に回っていた。

「さっき潜水艦の中でも、あっさりと結界を解除した。何か企みでもあるのだろうか……」

部下たちが言葉を失った。しばしの沈黙の果て、一人の部下が問った。

「一体何をするつもりだ?」

「そこまではわからない」

ザーヴィルが首を横に振って、重い口調で続いた。

「俺たちの目的は魔法の国の指導者と話し合い、二十年前の真実を知ることだ。しかし、星屑の魔女の助手を攫ったのも、国土に侵入したのも事実だ。これを理由に、新たな戦争が始まってもおかしくない」

「それでも……俺達にはもう後を引けない。何としても真実を見つけ出し、国民に伝えるのだ。たとえこの先が罠だろうと、前に進むしかない」

赤い髪の青年の眼差しに、揺るぎがなかった。

「幸い、『星屑の魔女』の位置がもう把握している。すぐに装備を整理しろ。彼女のところに行く」



エスターが夢を見た。

穏やかな午後で、彼女はリッヒと庭で紅茶を楽しんでいた。

急に何かが空から降り注り、大きな衝撃波が彼女の全身を震わせた。

手を伸ばして魔法を使おうとした時——腕を掴まれた。彼女は思わず暴れた。

「エスター!」

——離して!

「エスター!目を覚ませ!」

聞き覚えのある、懐かしい声だった。エスターが目を開いた。

赤い髪の青年が目の前にいる。

エスターは反射的に魔法を使った。数冊の厚い魔導書が浮かび上がり、赤い髪の青年を襲った。

「あなたは誰?!私に何する気……!」

赤い髪の青年は魔導書を直撃された。それでも、一歩も動かずに立っていた。

「エスター。落ち着いてくれ」

エスターが周りを見渡した。今自分はベッドの上にいて、赤い髪の青年がその隣に立っている。

壁に大きな穴が開いている。まるで何かの武器に攻撃されたのようだった。

エスターの視線に気づき、赤い髪の青年がすぐに説明した。

「この家の扉は魔法で施錠されていた。中に入るには、武器で壁を爆破するしかなかった」

さっき見た悪夢を思い出し、エスターがベッドから跳び上がった。

「いい度胸してるじゃない。星屑の魔女の家を爆破するとは……!」

赤い髪の青年があっさりと後退して、両腕を上げた。この仕草の意味は分かる。

「降伏するつもり?」

「君と戦うつもりはない。どうか落ち着いて聞いてくれ。家の中に入ったら、君が昏睡していたから、スタンガンを使って君を起こした……教えてくれ。何が起きた?」

その言葉で、エスターは自分がリッヒの強制昏睡魔法に攻撃されたことを思い出した。

極めて危険で強力な攻撃魔法だ。エスターは反応する時間もなく、そのまま喰らった。

もし赤い髪の青年が起こさなかったら、きっと自分はあのまま昏睡するだろう。それも、数年も目覚められないほどに。

数年も、目覚められないほどの昏睡……?

自分が五年も寝ていたことを思い出し、エスターの喉が乾くなった。

間違いない。エスターを攻撃したのは彼女が最も信頼する助手、リッヒだ。それでも、彼女は微かな希望を込めて尋ねた。

「あなたたちがリッヒを攫ったでしょ。どこに連れたの」

「彼ならもう脱走してる。魔法で俺たちを攻撃した後に」

赤い髪の青年の言葉が、エスターの心をドン底に突き落とした。

リッヒは無事だ。しかも逃げた。

なのに彼は家に戻った途端、あの危険な魔法でエスターを攻撃した。

どうして?なんで彼女を攻撃した?

——そうだ、予言書!

エスターが周りを見渡した。でも、予言書の気配が何処にもなかった。

「暗赤色の本を見なかった?!」

彼女は焦りながら、赤い髪の青年の襟を掴んで、揺るがした。

しかし、青年はただ首を横に振った。

「大事な本なのか?」

「……」

エスターが横を向いて、返答することを拒否した。

それを見て、赤い髪の青年が小さな溜息を零した。

「彼があっさりと結界を解除して、俺たちの潜水艦をこの国へ誘い込んだ。それに、君に感知されないように、気配を消した。俺の推測が正しいなら、彼が君を襲った犯人じゃないか?」

「……違う。彼は——」

「エスター。俺は武器を持っていない。部下たちも外で待機しているだけだ。それでも、本当のことを教えてくれないのか?」

その言葉で、エスターは唇を噛み締めた。

「私は星屑の魔女よ。敵国の人間を信用するわけには——」

「いや、君は星屑の魔女じゃない」

赤い髪の青年がエスターの言葉を遮った。

「俺は確信した。君は星屑の魔女じゃない。五年前、君が俺にこう名乗っていた——『魔法使い』エスターだと」

「五、五年前?一体何の話……」

「俺はよく覚えてる。君の左耳の後ろには淡い痣がある。星屑の魔女に、それはなかった。君と彼女の違いは、これだけだ」

「私は星屑の魔女よ!百年もこの国を守ってきた、星屑の魔女!」

エスターの怒鳴りと共に、部屋中の家具が浮かび上がり、いつでも赤い髪の青年を攻撃できる態勢になった。

それでも青年は怖気もせず、熱い眼差しで怒り狂うエスターを見つめた。

「最後の警告よ。今すぐ、星屑の国から離れなさい。そうすれば、命だけは助けてあげる」

「……俺は離れない。たとえ君が魔法で俺を攻撃しても、呪っても、狩ろうとしてもだ。ここから離れない」

赤い髪の青年が揺るぎのない口調で言った。

「だって、俺は『決して目標を諦めない』ザーヴィルだ。君が俺の人生の唯一の目標だ、エスター」

星屑の魔女に執着はない。彼が気にかけていたのは、あのどこか危なっかしくも、華やかな笑顔を持つ魔法使いの少女だけだ。

赤い髪の青年——ザーヴィルが胸にある情熱の全てを、エスターにぶつけた。

その名前を聞いて、エスターは身を竦めた。微かに唇を動かし、何かを思い出したようだった。

「ザッ、ヴィル——」

「ああ。ザーヴィルだ。五年前、あの海辺で君と会ったことがある」

「五、年前——」

また五年前。

エスターが昏睡状態に落ちたのも、五年前だった。

どれほど動揺を抑えようとしても、ここまで来て、もう「五年前」という言葉を無視できない。

それに、彼女はもう気付いた。自分は記憶を操る魔法を扱えない。

星屑の魔女が一番得意な魔法なのに。

山ほどの説明できない疑問が、目の前にいる。

部屋中の家具が、ゆっくりと元の位置に戻った。

顔が真っ青になった金髪女性が深呼吸し、やってみようと決意した。

回復魔法、記憶を遡る魔法。役に立てそうな魔法を全部使った。

少しずつ、自分の本物の記憶を見つけ出そうとした。

そして、二分後——

エスターが無力に跪いた。それを見たザーヴィルがすぐに駆けつけて、彼女を支えた。

「エスター。君……大丈夫か?」

「……ザーヴィル」

金髪女性の頬から、一滴の涙が落ちた。

今まで二十年の人生の記憶を取り戻したエスターは、泣きながら声を詰まらせた。

「ザーヴィル、ごめん。ごめんなさい……あなたのことを忘れていたなんて……ごめんなさい」

エスターは二人の出会いの記憶も取り戻した。悔しかったのか、それとも虚しかったのか、ただ悲しそうに泣き続けた。

ザーヴィルが右手を伸ばし、エスターの乱れた髪を耳の後ろに整えてあげた。

さながら、二人の初会の時のように。

今まで無表情だった赤い髪の青年が、淡くも苦く微笑んだ。

「久しぶり。エスター」

自分を責めないザーヴィルを見て、エスターはより一層、泣き出したくなった。

自分は星屑の魔女ではない。ただの普通の魔法使いだ。

思い出せる記憶では、自分の幼少期は小さな修道院に過ごしていた。世話を焼くシスターたちはとても優しく、いつもそばに付き添ってくれた。名前の知らない寄付者さんからの贈り物も多くて、毎日走ったり遊んだり、幸せな生活を送っていた。

四歳のとある日、学者の装いをした男がエスターの前に現れた。彼がエスターの前にしゃがんで、彼女の目を見つめながら言った。自分はエスターへ寄付していた者であり、彼女の名付け親だと。

さらに、男は星屑の魔女の助手と自称した。エスターは極めて高い魔法の才能を持っているから、弟子にしたいと。

「君さえよければ、の話だが……」

男は明らかに緊張している。子供相手なのに、エスターが拒否することを怯えているようだった。

幼子でさえ、星屑の魔女の話を聞いている。エスターが快く頷いた。

男は一瞬安心したが、すぐに複雑な表情になった。

あの日から、エスターはリッヒの弟子になった。リッヒのキノコの家に引っ越し、毎日魔法の勉強に励んだ。数年が過ぎた頃、リッヒを追い越せるほど上達した。

この国で、星屑の魔女は何よりも偉大で神聖な存在だが、エスターは魔女の絵を見たことがなく、隣人たちも星屑の魔女の話をしなかった。だからエスターの想像では、星屑の魔女は白い髪を持つお婆さんのイメージだった。

リッヒや周りの人から聞いた話はこれだけだ―ー星屑の魔女が遠い昔に眠りに落ちて、今はリッヒが魔女に代わって、星屑の国を導いている。

そして今、星屑の国は建国以来、三人目の魔法を使える存在を見つけた。魔法使いのエスターだ。

リッヒは厳しい師だけど、優しい父でもあった。周りの人たちもエスターのことを可愛がっていて、エスターは優しさと温かさに囲まれながら成長した。

十三歳になったある日、リッヒがエスターを国王の前に連れた。白髪の国王がエスターの姿を見た瞬間、涙を流しながら、玉座から立ち上がった。

「似ている……まさに、星屑の魔女だ……」

この言葉を理解するよりも先に、リッヒが王の言葉を遮って、彼女を連れ帰った。

「リッヒ。陛下はどういう意味だったの?分からなかったわ」

先を歩くリッヒが立ち止まった。しばらくして、彼は微笑んで振り返った。

「陛下が君の才能に感心したから、星屑の魔女のように、この国を守ってほしいと言いようとしていたんだ」

エスターは疑わずに受け入れた。リッヒの目が笑っていなかったことに気づかずに。

二年後。十五歳になったエスターは水底で呼吸する魔法を練習するために、国境外の海辺を訪ねた――星屑の魔女に師事したリッヒでさえこの魔法を習得できなかったから、エスターがこっそりと習得して、リッヒを驚かせようとした。

海辺で、エスターは一人の変わった少年に出会った。

表情は冷たいけど、溺れたエスターを助けてくれた。変人だけど、なんか優しい人だなあと、エスターは思った。

同世代の異性と話せたのは、生まれて初めてだ。エスターがキノコの家に戻って、興奮しながらリッヒにこの話をした。友達を作ったことを喜んでくれると期待したけど、リッヒの顔色は厳しかった。

「……エスター。彼は他国の人間だったのか?」

「どうだろう?知らないわ……」

「……」

リッヒが黙り込んだ。よく見ると、力強く拳を握り締めている。

「リッヒ?」

「エスター。あの魔導書を取ってきてくれ」

「え?うん。いいよ」

急に頼まれたにもかかわらず、エスターは大人しく従った。

しかし背を向けた瞬間、彼女は魔法を撃たれた。それから数秒も経てず、意識を失った。

十五歳の年で昏睡状態になり、目覚めたのは五年後だった。

全てを思い出したエスターは、心が張り裂けそうな思いだった。

「リッヒは魔法で私を昏睡させて、記憶を上書きする魔法を掛け続けたわ。ちょっとずつ、私の記憶を変えて……」

「私、薬のせいで眠ったと思っていた。でも違う……!目覚めてからの記憶は全部、リッヒが植えた偽物。私に自分を『星屑の魔女』と思い込ませるためのもの……!」

どうして?なんのために、こんなことを?

エスターは膝をついたまま、ザーヴィルの肩にもたれかかって、無力にすすり泣いた。

「魔法の国が必要としてるのはエスターじゃなく、星屑の魔女だったって言うの!」

星屑の魔女の助手が、優秀な魔法使いを育った。しかし魔法使いを壊して、星屑の魔女に仕立て上げたのも彼だ。

他の国民は何の異常も見せなかった。誰もが偽りの記憶を植えられたエスターを、星屑の魔女として接していたーーつまり、星屑の国そのものがエスターを騙していた。

皆が必要としているのは、星屑の魔女だけだった。

だったら、本物の星屑の魔女はどこにいる?彼らの言う通り、眠っているのか?

ここまで考えて、エスターは身を震わせた。

今まで何も言わなかったザーヴィルがエスターの背中を叩いて、数秒躊躇った。

「エスター。君が今、辛い思いをしてるのは知っている。それでも、君に言ってなかった……君に伝えなければならない真実がある」

そしてエスターはザーヴィルから、今までの世界を壊してしまうような「真実」を知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る