第20話 部室にて

 ジロジロ……


「…………」



 ヒソヒソ……ヒソヒソ………


 終業式を週末に控えた月曜日の朝、2年生のフロアに着くと、周囲からやけに視線を感じた。


「………なぁ矢野。気のせいかな」


「いや……流石に見られてるだろうな」


 どうやら矢野も視線には気づいているようで、ふたりで今の状況を不思議に思いながら教室に入った。



 ジロジロ………ザワジワ……



 教室の中でも視線を感じる。もしかしたら何かとんでもないことでもやってしまったのだろうか。


「……なんかヤバそうだな。心当たりは?」


「ないよ。そんな度胸あるように見える?」


「中学の頃に…………」


「やめてマジで」


 矢野から黒歴史を掘り返されようとしたところで教室に瀬名さんがやってきた。


「おっはよー」


 教室に入り、友人と挨拶を交わす。いつもの光景のはずなのだがこの日ばかりは違っていた。


「ねぇ明日香……ヒソヒソ…」


「え?なに言って―――」


「ッ…!!いいから、ほら席いこ」


 いつもは立ち話をしているところなのだが、瀬名さんの友人はこちらに軽蔑の目を向け、そそくさと瀬名さんを席へと連れていった。



「………おい綾瀬まさか…火事場の馬鹿力発揮したのか??」


「してないってば……」


 瀬名さんの何も知らなそうな様子や、その友人の反応から瀬名さん絡みなのは予想がつく。というか最近の僕の話題なんてあるとすればそれしかない。



 その日は教室中から不気味な視線を感じつつ、昼休みまで過ごしていたのだが……


「ねえ綾――」


「明日香!ご飯いこ!」

「そうそう!たまには食堂にさ!」


「ちょ……待って私は…」


「ほらいいからいいから!!」


 昼休みになった瞬間、瀬名さんから声をかけられたような気がするのだが、そのまま友人達に連れ去られてしまった。


 一体何が……そう考えている僕の元に真剣な表情をした橘くんがやってきた。


「綾瀬くん。少し話があるんだけど」


 いつもの柔らかな声色とは違い、どこかトゲを感じる声。体格も相まって威圧感がヤバい。


「……なんですか?」


「君と瀬名さんについての話だよ」


「っ!!?」


 教室の中がざわつく。クラスメイトの女子が橘くんを心配するような声をかけたが、「任せて」と爽やかスマイルで手を振り、今度は僕にしか聞こえないような声の大きさで耳打ちしてきた。


「ここじゃ目立ちすぎる。ついてきて」


「………分かりました」


「………さ、行こうか」


 言われるがまま騒がしい教室を出て、橘くんの後をついていくのだった。




「ごめんね散らかってて…そこ座っていいよ」


「あ、はい……」


 連れてこられたのはバレー部の部室。ここなら誰もこないだろう。という話だった。

 部室の中に置かれているパイプ椅子に腰掛け、橘くんからの言葉を待つ。


「さて……どこから話したものか………」


 橘くんからは先程までの怖い雰囲気が無くなり、いつも通りの優しい表情と声色になっていた。


「………綾瀬くん。ハッキリと聞くけど」


「はい………」


「瀬名さんとはどういう関係?」


「どういう……と言われましても……」


 改めて説明しろと言われれば目茶苦茶難しい。普通の友人…ではないのは確かだが、かといって恋人なのかと言われれば絶対に違う。いわゆる友達以上恋人未満という関係でもない。変に拗らせすぎて意味の分からないことになっている。


「じゃあ聞き方を変えようか」

「………瀬名さんの事が好き?」


 唐突に問われる。それを聞いたところでどうなるというのか。だけどここでしらばっくれても良くない気がする。変に誤魔化した方が後々問題になりそうだ。


「それは…………そうです」


「…………なるほど。聞けて良かった」


 僕の返しを聞いた橘くんはどこか物悲しそうな顔をしたかと思えば、すぐに切り替えて本題に入った。


「………今ね、君に関してのとある噂が流れてるんだ」


「噂……?」


「君が瀬名さんに付きまとっているっていう噂」


「あー………」


 やっぱりその手の話題なのか。楠根さんからも文句は言われてたし、仕方の無い話題だ。


「まぁそれだけなら単なる噂話で良かったんだけど……前からあったし、俺らクラスメイトは何も気にしてなかった」

「問題はね、瀬名さんが嫌がっているっていう話になっているんだ」


「……なるほど」


「瀬名さんは嫌なのに、君が無理矢理迫ってきてて困っている。でも瀬名さんは優しいから断れない………なんなら最近は脅されてるって話にまで発展してる」


「………………」


 噂話というのは恐ろしいものだ。それほどまでに僕らの関係は不釣り合いで歪なのだろう。

 そんなことは僕も理解しているつもりだった。だがそこまで話が大きくなっているとは…これ以上は瀬名さんや矢野にも迷惑をかけることになるかもしれない。


「と、いうのが今の綾瀬くんの現状。もちろんそんな噂話を信じてない人がいるのも事実。俺みたいに。でもね……」

「夏休みに入ればどうなるかは分からない。噂ってのは簡単にねじ曲がるものだし、より一層悪い噂になる可能性も高い」


「……だからどうしろと?」


 神妙な面持ちの橘くんに問う。恐らくは言いにくい提案があるのだろう。


「………俺がわざわざ皆の前で君を呼び出したのは建前を作るため。『俺が話をつけておいたからもう大丈夫』っていうね。そうすればこの噂はここで止まると思う」

「ただ、これをすると君は瀬名さんと話すことは難しくなるし、クラスでの居心地も悪くなる」


「………………僕は」


 少し考え、答えようとする。これ以上拗らせるよりはマシだろう。まだ後1年ある。そのうちほとぼりも冷めるはずだ。そう考えていたのだが……


「それともうひとつ策がある」


 そんな僕の情けない結論を遮るかのように橘くんが悪い顔をして提案してきた。


「別の噂で塗り替える」


「別の噂……?」


「そう。例えば……君たちは既に付き合ってる、とかね」


「え!!!??」


 あまりに突飛な提案過ぎて驚いてしまう。だが僕のそんな反応が面白かったのか橘くんは少し笑っていた。


「そ、そんなことしたら逆に……」


「案外分かんないもんだよ?wさっきも軽く言ったけど、俺らクラスメイトの大半はそういう関係だと思ってたからねww」


「…………え!!?」


 そういえば確かにクラスメイトからその手の話題には露骨に触れられてこなかったが……僕の影が薄すぎて気付かれてすらいないものだと……


「だって普通に一緒に帰ってるし、期末の時だって教室で勉強してたらしいじゃん?瀬名さんも君と話してるときは目茶苦茶楽しそうだし…流石にそう思わないほうが難しいよw」


「…………確かに…」


「俺がここで君から聞いたことにして、クラスの女子に話せば後は流れで広まるはず。自分で言うのもなんだけどそこそこ皆の信頼はあると思ってるからね。信じられる確率は高い」


「でも……僕の話が嘘だってなるんじゃ」


「普通ならそうかもね。でも俺らは君たちの仲の良さは分かってる。だからこそ今の噂についてはそもそもが懐疑的なんだ。女子の方も瀬名さんが嘘だって言ってくれるだろうから今の噂自体に疑いがいくと思う」

「そこで実は付き合ってますって噂が流れてくれば…一旦は信じてもらえるんじゃないかな」


「……………なるほど?」


 分かるようで分からないような……根本的な解決には至っていないような気がする。そんなことをする必要があるのか?


「……でも噂ってのは悪い方が面白がられ、誇張されていく。だからこの噂もすぐ消えるかもしれない。というわけで今よりも酷くなる前に君たちふたりにはしてもらいたい事がある」


「というと?」


「噂を流した張本人を突き止めて、嘘だったと言わせること」


「は、はぁ………」


 噂を流している犯人を突き止めるなんて無茶な話だ。学年だけで見ても一体何人いると思ってるんだ。もし見つけたとしても説得でどうこうなる相手なのか。それにそんなことをしても噂が無くなるとは到底思えない。


「………実は既に心当たりはあってね」


 そう考えていると橘くんはバツが悪そうな顔で話し出した。


「噂ってのは信憑性が高ければ高いほど真実に近づく。例えそれが嘘であっても、あたかも本当の事かのように変化する。瀬名さんと同じクラスにいる人達が信じてしまうほどにね」

「『瀬名さんが嫌がっている』。その言葉の信憑性が一番高い人物。皆が信じざるを得ない相手。もしもその人が嘘だと言えば、今の噂は自然と落ち着くはずだ」


「まさかその人って………」


「……多分ね。そのまさかだと思う」



 嫌われているのは分かっていたが、そこまでする人なのか?だけど辻褄は合うような気もする。いやでも…もしそうだとしたらあのふたりの関係性が…………



「とまぁ、ここまでがプランBってこと。どうする?」

「逃げるか、戦うか。どちらにせよ協力は惜しまないよ」


 どうして橘くんがこんなにも協力的なのか。理由は恐らく瀬名さんにあるのだろうが、だとしても親切すぎる気がする。


「ちなみに、逃げた場合は俺が瀬名さんを慰めるから安心して」


「…………っ」


「『しょうがない。誰だってそうする。だから綾瀬くんは悪くない』ってね」

「………もし俺なら逃げないけど」


 明らかに煽ってきている。だけど橘くんの目は本気で、もし僕が逃げの選択肢を取れば本当にそうするのだろう。


 だとすれば………


「……僕だって逃げない」


「…………その言葉が聞けて良かったよ」


 嬉しそうな、悔しそうな、そんな複雑な表情を見せた橘くん。


 その後は何事もなかったかのようにクラスへと戻り、待ってくれていた矢野と一緒に沢山の視線に囲まれながら昼飯を食べたのだった。

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