第17話 お出かけにて―1

 長く苦しい期末テストを終えたその2週間後。普段なら家でのんびり過ごしているはずの土曜日。僕は人混みの中にいた。


「あっつい…………」


 本格的に夏を迎えている今日この頃。駅の中だというのに汗が止まらない。制汗剤を用意しておいて良かった。ありがとう矢野……


 少しでも涼もうと手で顔を扇ぎつつ周りを見てみる。とても大きな駅なだけあって色んな人がいる。外国人や、僕らみたいな学生。そしてカップル………人前であんなにイチャイチャしてて恥ずかしくないのだろうか。


「…………えぃっ!」


「っ!!?」


 いきなり後ろから首筋に冷たいものを押し付けられて体が跳ねる。振り返ると普段の制服姿ではない新鮮な私服姿の瀬名さんがいた。


「おっまたせ~…飲む?」


「あ、はいありがとうございます……」


 首筋に押し付けられた水を受け取ろうと手を伸ばすと、瀬名さんはムッとした表情をして水を上にあげた。


「こら。敬語はダメだって言ったよね?」


「…………すいま」


「謝るのも禁止。ほら。ほらほら」


 瀬名さんから手でクイクイっと手招きされる。事前に約束していた事とはいえ流石に恥ずかしい……


「あ、ありがとう…………明日香…さん」


「ッ……うん。どういたしまして。康一」


「くぅ……………!!」

「あぅぅ…………!!」


 お互いに名前で呼びあい、お互いに照れる。


「さ、さぁ!行こ!エスコートしてくれるんでしょ!」


 僕よりも先に復帰した瀬名さんは僕に手を伸ばし、そのままの体勢で待機していた。


「ちょっと待ってくだ…待って…手汗が…」


「いいからいいから!はい!」


 急かされ、これ以上待たせないために僕も手を伸ばす。そのまま手をとり、ぎゅっと握る。


「……おっきいね」


「がっ…………!」


「がっ……!ってなにwもうこれだから童貞は…………もぉ……w」


 瀬名さんの手は僕よりも小さくて、細くて、柔らかくて、少し震えていた。やっぱり緊張しているのだろう。


「……今日だけだからね」


「分かってま……分かってる…よ」



 今日だけ。そう今日だけだ。



 今日だけ僕らは恋人同士なのだ。





「それで?どこ行くの?」


「えっと……ここから地下鉄に乗って大きめのショッピングモールに行こうかと」


「ふむ………あそこか…なら歩きでもよくない?」


 確かに行けなくもない距離だが、こんな炎天下の中で歩くのは瀬名さんに申し訳ない。


「外は暑いし……疲れるよ?」


「いいのいいの。私は康一と手を繋いだまま、並んで歩きたいからさ」


「ぐぅ…………分かった。じゃあ歩こうか」


「うん。行こ」


 名前で呼ばれる度に反応してしまう。瀬名さんはそんな僕の反応を少し照れながらもニヤニヤと観察していた。




「ところでさ。知ってる?この辺ってホテルが多いんだよ?」


「ぶっっ!!?急に何を……」


 目当ての場所まで歩いていると何故か唐突にそんなことを話し始めた。


「別に~??私はホテルって言っただけだけど~???」


「でも……」


「まぁ……ラブホのことなんだけどね?」


「マジで………………」


 合流してからずっとからかわれ続ける。

 なんだか今日の瀬名さんは浮かれている気がして、いつもよりドキドキしてしまう。普段の何倍もかわいく見えるし、色っぽくも見える。


「最近のホテルってさ。結構見た目で分かんないんだよね。パッと見はマンションとかビジホみたいなんだけど……ほら例えばあそこ。受付が外から見えないでしょ?多分あそこはラブホだね」


「く、詳しい……ね」


「まーねー。常識じゃん?」


「常識………」


 瀬名さんに彼氏がいたという話は聞いたことがない。なのにどうして知っているのだろうか。もしかしてそういう体の関係を持ったことのある男が……いやいやいや瀬名さんに限ってそんなこと………パパ……いやいやいやいや!


「……康一。コンビニ寄る?」


「……ぇ?」


 思考を巡らせていると瀬名さんからコンビニを指差される。


「………大きくなってるよ?」


「ぇ……あっ…………違っ……これは!!」


「なに想像してたの?wまさか私がエッチなことしてるとことか?wwへんたーいw」


 思春期童貞男子をからかうのはやめてほしい。無理だよ。今の情報から反応しないなんて男じゃないよ。不可抗力というやつだ。


「………安心してよ」


 瀬名さんは握っている手の力を強くし、少し照れながら微笑んでくれた。


「康一が……私のはじめてだから」


「はじ…………!!?」


「……もぉwいちいち反応しないでよwこっちまで照れるじゃんか~w思春期か~??」


 ショッピングモールまでの道中散々弄り倒され、着いた頃には暑さと恥ずかしさと焦りによって頭がクラクラしていた。




「ごめん……からかいすぎた………」


「いえ……大丈夫…です……」


 とりあえずショッピングモールの中に入り、涼みながらソファに座って休憩する。


「……あ、そうだ。ちょっと待ってて!」


 そう言うと瀬名さんはどこかへと走り去っていき、その数分後に両手に何かを持ってやってきた。


「はいどーぞ。お詫びのクレープ!」


「ありがとう……いくら?」


「お詫びって言ったじゃん!奢りだよ?」


「いやでも……」


「はいうるさい。バナナの方が康一の分だから!」


 財布を取り出す間もなくクレープを手渡される。僕の方はバナナがメインになっていて、瀬名さんの方はイチゴが入っていた。


「ん?イチゴが良かった?前にバナナが良いって言ってたからそれにしたんだけど……」


「あ、いえ……ありがとう」


「いえいえ。ではいただきまーす………ぁむ……んぅ…………おいし……!」


「…………そう……だね…」


 久しぶりに食べたがなかなかに美味しい。瀬名さんも本当に美味しそうにパクパクと食べていた。



 その後、元気を取り戻した僕らは本来の目的であるショッピングデートを楽しんだ。基本的にはブラブラ歩くだけで、気になった店があれば寄ってみることにしている。


「あ、水着!そろそろ今年の分買わなきゃなぁ……」


 お互いに合う洋服を探していると、服屋の一角に水着コーナーを見つけた。僕には一生縁のない場所だと思っていたのだが……今日ばかりは違うようだ。


「……折角だしさ。見てかない?」


「いいけど……」


「やった。んじゃれっつごー!」





「んー……これは…サイズないか………かわいいんだけどなぁ……」

「これは……攻めすぎかなぁ………」


 様々な水着を物色しながら頭を悩ませている瀬名さん。僕はそんな様子を遠くから眺めているだけだった。


「んー………あ、これとか……ねぇ康一!」


「あ、はい!」


「今から試着するからさ、感想教えてよ」


「へ!!?」


 退屈そうにしていた僕の不意を突くかのようにそんな提案をされる。


「男子の意見が欲しいんだよ~。ね?お願い」


「……分かった」


 言われるがまま試着室の前まで着いていき、置いてあったソファに座る。周りには女の人ばっかりで場違いな感じがスゴい。気まずいなんてもんじゃない。


 そうして待たされること数分後……



「はい!お待たせ!」


「っ………………」



 破壊力。それしか感想が思い浮かばない。



「どー?変じゃないかなー?」


「いや…………すごく……お似合いで……」


「そっかぁ……似合ってるかぁ………ふーん……」

「私的にはぁ……胸のあたりとかぁ………キツイかなぁって思うんだけどぉ……」


「そ、そう……なんだ………」


 瀬名さんの着ている水着はいわゆるビキニと呼ばれるような代物。こんなバカみたいな布面積で外に出ようというのか。下着同然ではないか。


「……うん。これはやめとく」


「え……なんで…」


「なんでもなにも………康一は私が他の男にこれを見られてもいいわけ?」


「…………絶対に嫌です」


「そゆこと。んじゃ次に着替えるからちょっと待っててね~」


「次!!?」


 色んなタイプの水着を試着した瀬名さんだったが、結局は無難な水着を買うことにしたのだった。





「ここさ、めっちゃ来てみたかったんだよね」


 夕飯の時間になり、ショッピングモールの中にある最近オープンしたオムライス屋さんにやってきた。


「でもさぁ……いいの?奢りって…そこそこ高めじゃない?」


「ここくらいは奢らせてよ」


 デート中も瀬名さんは自分の欲しい物は自分で買っていた。僕が何度もお金を出そうとしても徹底的に断られ続けた。


「………じゃあお言葉に甘えますか!」


 そんなこんなで料理を注文をし、お互いに今日のことを振り返る。最初は照れくさかったタメ口もだんだんと慣れてきた。……流石に名前呼びは恥ずかしいが。


「それで……この後はどうするの?」


「この後?」


「そ。この後。もう帰るの?」


「一応そのつもりだけど」


「ふーん……まぁ良い時間だしね」



 何か含みを持った言い方をされる。何かやりたいことでもあるのかと聞こうと思ったが、その後すぐに料理が届いたことで完全にタイミングを逃してしまうのだった。




「いやぁ……楽しかったなぁ……」


「なら良かった」


 夕飯も食べ、のんびりとふたりで駅まで歩く。


「ちょっと心配だったけど~……初デートにしては上出来だったんじゃない?」

「これなら……うん。彼女が出来ても大丈夫…かな」


「………ありがとう」


 どこか名残惜しそうに手を握られる。僕もそれに答えるかのように握り返すと、瀬名さんは更に強く握り返してきた。


「………………」


「………………」



 ひたすらに無言の時間が続く。瀬名さんも何かを話すわけでもなく、手の力を強めるだけ。こういう時の瀬名さんは何かを待っている時だ。だが、先日の勉強会の際にかける言葉を間違えたのが引っ掛かる。告白しろ……というわけでもなさそうだ。しかも告白したところで「今日だけは恋人同士だけど??どうしたの??」とかなんとか言われるだけだ。


 僕としてももう少し一緒に居たい。あんなにテストを頑張ったのだ。時間もまだあるし、どこか手頃なお店がないかと辺りを見回すとチェーン店のカフェを見つけた。


「あ、あの……明日香さん!」


「は、はい!なんでしょう!?」


 名前を呼ぶ恥ずかしさを誤魔化すために声が大きくなる。それに驚いたのか瀬名さんも大きな声で返事をした。


「その……時間まだ………ある……よね」


「え、うん……あるけど」


 今更ながら目茶苦茶緊張する。カフェに誘うだけだ。このくらいどうってことはないはずだ。

 そう自分に言い聞かせ、意を決して言葉にするのだった。



「ちょっとさ……休憩…しない?」




「………………へ!!???」





 この日、瀬名はずっと綾瀬の事を思春期の童貞だとからかい続けてきた。それっぽい単語や仕草を交えて綾瀬の反応を楽しみつつ、そうすることで自身が優位になるように立ち回っていた。




(え………今…休憩って言った??でも綾瀬に限って……でもでもここって…………!!)



 だが忘れてはならない事実がもう1つ。



(そういう感じのホテルじゃん!!!??)



 瀬名もまた、思春期真っ只中の処女なのだ。

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