第7話 王子

 いざというときに私はよくやらかす。

 高校の受験の時も、風邪を引いたし。部活の県大会の時もそう。体調を崩してベッドの中で悔しくて泣いた。

 今回も例外なく……。

「三十八度……」顔が火照っているのが熱を測る前からわかっていた。それでも認めたくはなかった。せっかく平穏の修学旅行を文学君と手に入れたというのに、せっかくあの夜景をカメラでとらえることが出来るというのに……。

 登校時間まであと一時間。私は再びベッドに潜り体調がどうにか快方へと向かってくれることを祈った。


 祈りだけでは、願いは叶はない。

 泣いてたって、現実は変わらない。

 神様は、いない。

 出発時刻のギリギリまでこうしてベッドでもがいてみたけど、熱が下がる兆しはなかった。

 心に、ふと暗闇が差す。どうしようもない悲しみと、ふがいない私に。足元に力が入らなかった。

 休もう。そうあきらめた瞬間だった。

 私の部屋がある二階の窓の方から小さな物音がした。最初は気のせいかなって無視していたけど、一定の時間がたつとまたコツコツと音が鳴った。覗くと、下の方で文学君が自分の鞄からノートを丸めて私の窓に投げつけるところだった。

「……何してるの?」

 熱はある。体はだるい。でも文学君がいた。それだけで私の心に小さなぬくもりが生まれた。会いに来てくれた。その事実が私に力をくれた。

「待っててもなかなか来ないからどうしたのかなって!」

 秋の朝は寒い。冬ほどではないけど、少なくとも外で呼びかけても出てくるかわからない人を待っているのはつらいはずだ。文学君は、鼻を赤くして私を見つめていた。

「ごめん……ちょっと風邪ひいちゃって。行けそうにない。ごめんね、二人で頑張ったのにね」

 窓を開けるまで気づかなかった。外は小雨が降っていて、文学君は黒い折り畳み傘の下で冷える朝の空気に身を震わせていた。

 ごめんね。改めて心の中でつぶやくけど、体調がそれについていってはくれない。

「せめて、なんか買ってこようか? 楽しみにしてたんだろ? 修学旅行」

「ごめん、私甘いもの苦手で……」

 お土産は家族と親戚に少し分けるくらいの予定で、私の本当の楽しみはほかにあった。

 夜景。百万ドルとうたわれるあの奇麗な宝石のような光輝く光景を私のカメラに収めたかった。そんな思いから私は机の上に置きっぱなしにしたカメラに視線を向けていた。

「そうだ。写真! へたくそかもしれないけど、撮ってくるよ」

 だったら、と私は自分のカメラを文学君に差し出す。

「連れて行ってあげて? 私の相棒」

 私たちの会話を聞いた父さんが玄関口に出てきて、事情を察してくれて私の部屋にやってくる。

「カメラ、渡していいんだろ?」


 もって半年。

 白衣を着た先生が薄暗がりの部屋の中、私にそんな話をした。

 信じられる? 私の命の限界がそんなもんだって。人間ってさ、本当に驚いた時には眉間一つ動かさないもんなんだよ。他人事みたいに先生の声が右から左に流れていく。呆然だなんて言葉にしたところで、現実は変わらない。でもね、だからってね、私の生きて行く道は一つだけなんだと思う。って言ってる時点で死ぬことについてなんの意味も感じていないんだと思う。だって、死ぬんだよ? 今見えてるすべてのものを否定されて、全く知ることのない闇の中に消えていくんだよ?

 人間、どんな進化を遂げたって明日のことはわからない。

「まぁ、ほら。天気予報だって、結局予報なわけでさ、分からんわけだから。な!」

「そうよ。天気予報なんていつぐらいからやってると思うの!? それでさえ結局は予報なんだから」

 三日ぶりに外出した私に対して父さんと母さんは、ふわっとした返答をした。でも、

 そう、結局明日の事なんてわかりっこない。私の脳にはそれだけが磨りことまれていった。


 誰にも言えなない。言えるはずもない。だって私は、裏切り者なんだから。

 空気を読めなかった私に待っていたのは孤独と疎外と、差別。

 誰も私に目を合わせない。あんな仕打ちをしなくてもよかったんじゃないかと。

 明日奈もそう。もう、私に話かけるものはいない。みんな、私をおいて移動教室に行ったし、トイレもそうだった。

 それでも不思議と後悔はなかった。言いたいことを言えた自分に褒美を上げたいくらいの気持ちになっていた。例えそれが私の居場所を失くそうとも、私は言いたいことを言った。

 

 ただ一つを残しては……。

 

 その日は、約束をしていた日。文学君に預けていた私の分身を、返してもらう日だった。

 学校も終わって、部活も引退して、人によっては進学問題に頭を抱えるだろう時期に、あたしは友達以上の男友達と一緒に公園にいた。校内で受け渡しをしてもよかったけど、人目につく。私はともかく文学君に迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 二人並んで秋の寒空の中、ブランコに身を任せていた。

「長崎どうだった?」主治医に言い聞かせられた内服薬を服用した私は、軽い睡魔に襲われている。

「……普通かな。観光地って感じで人がいた」

 私以外に心を開を開かない文学君からすればそんなものなんだろう。

 もうすぐ冬になる公園は、夕方ともなると人気がない。夏にあんなに公園を走り回っていた小学生も、春の暖かい時期にベンチで日向ぼっこをするおじいさんも。誰もいない私たちだけの公園。

「夜景、キレにとれた? 本当は私がとりたかったんだけど、せめてそのカメラの中に写真を写しておきたかったの」

「一応、渡されたメモ通りにやったつもりだけど。僕はカメラなんて触ったこともないから……」

「ならさ、今度二人だけでどこか行こうか……?」

 すっと出てきてしまった。

 私が見つめる文学君の目があっけにとられたようにどんどん瞳孔が開いていく。

「月がきれいな場所とかさ」

 出てしまった言葉は、冷たい空気にさらされて凍って落ちる。

 未だに現実味にない私の体調とその先の未来。例えここで私たちの関係になにかしらの光明が差そうとも、私の流される方向に文学君はいない。

「……ここなら月が奇麗に見える。そんなに遠くに行かなくても、いつでも会える」

 いつでも会える。私がせっかくデートに誘ってるのに……。でも。

「なんか急におなかすいてきた。私ラーメン食べたい。文学君の驕りね」

「なんで急に?!」

 だって、いつでも会えるなんて言われたら。

「そうしたら私が急にいなくなっても私のことを探しに来るでしょ?」


 相棒は文学君が見てきたものすべてを鮮明に映していた。街を走るノスタルジックな路面電車、大気を目いっぱい吸い込んだ風車とその周りに咲く鮮やかなチューリップ。見ているだけでも花の香りがしてくるみたい。

 そして、私が見たかったもの。誰の手にも届くことのない星空みたいな夜景。

「どうして……」

 現像したフィルムにはそれだけがなかった。

 私は本当にラーメンをおごらせた。私がチャーシュー麺で、文学君が豚骨醤油ラーメン。多分餃子も頼んだ。

 そうでもしないと、多分私のことを探しには来ない。だって人に興味を持とうとしない文学君だよ? 相変わらず休み時間は一人で文庫の本を開いては活字を追っかけて難しそうな顔をして。私も真似をしようとまだ借りたままの坊ちゃんを開いてみたけど、五分も持たずに机に閉まった。この本もいつか返さないとね、なんて思いながら今日もこうしてページをめくる。

 写真がないことに気が付いたのはそうしていつも通りの平日に、私のわがままで学校の近くのラーメン屋によった帰り道。文学君と別れてからだった。会うついでに、文学君が現像してくれた写真を私にくれた。

 街路樹から落ちた葉は、すっかり秋めいた色になって私の心を逆なでする。朽ちていくその葉に、私は自分を重ねてしまう。見たい景色も見れずに私は色あせて朽ちていく。事実、私はもう長くはない。そのことをまだ文学君には言えずにいた。言ったところで彼は私のそばにいてくれるだろうか? そばにいたいと泣いてくれるだろうか? 私は自分に自信を持てずにいた。

「もしかして……天道? 久しぶりに帰ってきたからちょっと散歩してたんだけど、お前も何も変わってないなぁ」

 お前と言われても、初対面であるはずのこの人を私は知らない。きょとんとした表情をしていたんだと思う。

「あ、そうかもうあれから何年も経ってるからなぁ。俺だよ白鳥」

 左耳から入ったしらとりという言葉は、右の耳から流れるころには白鳥という漢字に変換されてすべてを取り戻すように記憶の回路が動き出す。

「白鳥ってあの王子様の……!?」

 脳内のアドレナリンが一気に出たせいか、私の体から途端に力が抜けていく。

「大丈夫か天道……?」

 すがった電柱の冷たさと、肩に触れる白鳥君大きな手の感触を最後に私の意識は一瞬途切れる。


 気づいた時はここ最近じゃ見慣れてしまった光景を眺めていた。

 腕から謎のチューブが伸びていて、その先には透明な液体が波打っては私に現実を突き付けてくる。

 私は病人。具体的な原因は知らないし、知っていたとしてもどうにもならない。その病の前触れで修学旅行を休んだ日、父さんと母さんが階下で耳を疑う話をしていた。

 離婚。原因は、父さんの工場の経営不振。もうどうにもならないくらい借金が膨らんでしまって、工場を畳むしかないみたい。うちの家計は日本の平均的な家庭くらいだと信じていたのに、実は結構やばい橋を渡っていた。ベッドの中でぼうっとする頭で聞いたことだから正直あまり現実味がわかなかったけど、最近になって父さんと母さんがあまり口を利かなくなってからというもの、あぁやっぱりそうなのかと二人の顔をあまり見られない日が何日か続いていた。

 私のことは父さんが何とかする。そう言ってたっけ。

 人間は進化しすぎてしまった。長生きするために、進化するために今日を生きるという事が出来なくなっていた。明日が怖い、この歳でそんな風に思う事ってきっとない。

 ふいに部屋の入り口から物音がして起き上がる。わたし、まだ起き上がれる体力あるんだ。

「気づいた? もー、びっくりしたよ。久しぶりに帰ってきたから一緒にご飯でもどうかなって思った矢先に急に電柱にもたれかかったかと思ったらそのまま倒れこむんだもん」

「ごめん。ちょっと最近体調がよくなくて……」

 白鳥樹。色白で線が細くて、けらけらと笑う様は小学校から何も変わらない。家が隣同士という事もあって昔はよく遊んでいた。

「ほんとに少しだけなの? 医者からはなんか言われてないの? 一応俺、医者の家系の人間だから何となく想像はつくんだけど」

 嘘をついているつもりはなかったけど、誤魔化すには相手が悪かった。

 彼の家は地元でも有名な資産家。半面、お金があるというだけで周りからは結構疎まれていた。実際、小学校の頃の白鳥君はよくいじめられていて、毎回私が間に入って仲裁をしていた。そのせいもあってか、彼は私になついた。白鳥君との最初の記憶は、真冬の放課後。私が智子と別れて家路につこうとげた箱から靴を取り出そうと手を伸ばしたとき、どこからともなくすすり泣く声が聞こえた。寒い。冷たい。帰りたい。めそめそと泣くその声に私は導かれるように男子トイレの前まで来ていた。

 そんな彼に、今私は自分の身に降りかかった病について少しだけ話すことにした。

 文学君にもまだ話していないことを。

「治らないんだって。私の病気。余命宣告ってやつもされちゃった。手術さえ受けれればもしかしたらって話もされたけど、うちにそんなお金はないから……。まぁ、いづれみんな同じところに行くわけなんだから、それが早いか遅いかの違いだよ。正直、怖いけど……もうなれちゃった」

 あまり重い空気にならないように笑うつもりだった。なのに私は……。

「もう心配しなくていい。今度は俺が守るから」

 初めて誰かに抱きしめられる。強く、ぎゅっと。息が止まるかと思うくらいの感情が沸き上がってしまった。だから、涙があふれていた。

「ありがと……。でも、少し苦しいかな」

「ごめん!! つい、気が動転して……」

「普通私が動転するもんでしょ。王子が動転してどうすんの」

 白鳥。冬に北からやってきた鳥たちは、その美しさから人々の反感を買い、やがて嫌われる。故に王子。

「確かにお金に困ったことはないけど、それを誰かにひけらかしたこともない。周りが勝手にそういうイメージで僕を見ていただけって事は天ちゃんが証明してくれたことでしょ」

「でも、そっちの方が似合ってるよ。色白で、華奢だけど芯がある。……食べたことないでしょ? 道草」

「……寄り道の事?」

「ほらやっぱり。私が助けてあげた時だって、せっかく私が見つけた桑の実を虫がたかってるとか雨露がどうのとかって食べなかったの忘れたの?」

「それは……だって、虫が……」

 急に懐かしい思い出が眼前に蘇って、笑ってしまう二人は小学生に戻ったみたい。

「天ちゃん。あの時口の中真っ赤でさ、そこだけはトラウマ級に覚えてるんだけど」

「仕方ないでしょ。そういう木の実なんだから」

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