第6話 二人だけの作戦
「作戦はまず、周囲を味方に引き込むことから始めよう。そして準備が出来たら、その三人をみんなの矢面に立たせてどう思うのか聞く。少々汚い手かもしれないけど、これで長崎に対するネガティブな意見を聞かなくて済む」とか言ってたけど、具体的にどうやって味方にすんのよ? みんな口にはしないけどきっともっと遊べるようなところに行きたいんだと思う。でも、そんなことふつうは口にしない。そういう大きな力の前で決定事項を覆すような発言は、この国ではなんて大げさな言葉になっちゃうけど憚れる。
ベッドにうつぶせの状態で寝そべり、枕に顔を埋める。もう! どうにでもなれ!
修学旅行新聞発行を来週に控え、結局何も進まないままこの時間。読書する気にもなれない。文学君は一体何を考えているのかわからないけど、少なくとも新聞の記事のことじゃない別の何か。
何か、考えてくれてるといいんだけど……。手元のスマホを見てみるけど、文学君からの連絡はない。
「日和? ちょっといいか?」
扉の向こうから父さんの声が聞こえて、思わず起き上がる。時間はもう夜の九時を回っていて、特に見たいテレビもなかった私は勉強をするという名目で自室にこもっていた。下着姿ではないにしろ、男の人の声が自室にするというだけで心臓が飛び上がる。
「少しだけ待って。部屋がちょっと散らかってて」
間を置くための咄嗟の嘘なんだけど、そう言ってしまった手前一応隅々まで部屋を見てみる。
改めてみると私の部屋は何にもない。アニメやゲーム。興味はあるけど、周囲の友達や父さんと母さんに心配されるんじゃないかって遠ざけてきた。そんなんだから部屋にポスターとかもないし、あるのは机にしまってあるカメラだけ。そのほかは勉強する文房具や学校関連のあれやこれ。
「もういいか? 少しだけだから。無理なら、それでいいんだ」
疲れてるのかな? 父さんの声がかすれて聞こえる。
「大丈夫。もう片付いたから」言いながら私は回転する椅子をくるっと回転させてドアの方に体を向ける。蝙蝠の鳴き声みたいな音が鳴る。
「進学の事なんだけど……」
「またその話? それはこの間も言ったよ。私は美大に行くって。父さんも私のやりたいことやればいいって言ってたじゃん」
「そ、そうだよな。悪かった勉強の邪魔をして」
「大丈夫。私、もう少しやることあるから」
「おう。あんまり頑張りすぎるなよ? テストの日に風邪なんて引いたら本末転倒だからな」
「はいはい。わかったわかった」
父さんはお休みと私に労いの言葉を残して部屋を出て行った。
本当は勉強もしないといけないんだけど、今はどうしても修学旅行新聞の内容が頭から離れない。
相棒、何か具体的な考えがあるといいんだけど。
私の頼れる相棒は、きっと坊ちゃんなんだ。無鉄砲だけどそれなりに知恵もあって、言うだけのことはやってくれるはず。なんて期待を私は文学君にしていた。
次の日の朝、私はそう自分に言い聞かせてあともう少しで読破できそうな坊ちゃんを鞄に詰めていつものように家をでた。もちろん、トレーニングをかねて今日も走る。少女漫画みたいにパンを咥えなくても、奇跡はいつだって起こる。起こる、ハズ……。
なれないことをするともしかしたらいつもと違うことが起きるのかもしれない。今日は何となくいつもより早く家を出てしまっていた。だから余裕があったし、だから菅原商店の前で手を振る文学君を見つけることができた。
「おはよう。ここなら通ると思ったから」
「待ってたの?」
「今日は決戦でしょ? 最終確認」
やはり文学君は坊ちゃんなのだ。なんだかんだ言って頼りになる私の相棒で、今日という日を気にしていた。私にはない何かしらの知恵をもってこの状況を打破してくれるんだ。
「とりあえず勝負は修学旅行新聞が渡されるであろうホームルームの時間が適切だと思う。何しろ自然な流れで修学旅行の話ができるわけだからね。ただし、問題が1つ。僕たちが口を封じたい連中が隣のクラスの奴だという事。そいつらをどうにか公然の場に引っ張り出したい。そこでだ、」
うんうん。そうそう。私が期待していた文学君が淡々と私の耳に心地いい情報を次々に口にしていく姿に、頷かずにはいられない。やっぱり私の相棒はこうでなくっちゃ!
「君の方から先生に働きかけて修学旅行の際の防犯対策と称して三クラスあるうちの学年をどこか一つの場所に集めてくれないか? そこで勝負を仕掛けよう」
「そんなこと先生許可するかなぁ。そもそもそんな時間くれるのか不安」
「そこは君の腕の見せ所だろう?」
「って文学君はどうするの?」
「僕は悪いけどそういうのは苦手で」
突き放された言葉に、私の頭の上には大きな「?」が現れてゆらゆらと風に揺れていた。
「苦手って……まさか私ひとりでそんな難問抱えろって!?」
「日和さんは僕なんかよりほら、人望もあるし。あぁいう人目につくような場面でも普通にしゃべれるでしょ?」
ここで私は文学君に対するイメージを変える。彼は私が想像していた勇ましい坊ちゃんではない。
ようは勢いなのよ。勢い。
私はその身に意思をまとい、職員室に殴り込む。と、心の中で言ってみるけど実際そんなことはもちろん出来るはずもないので、普通に入っていく。何ならいつもより優しくノックをして、声だっていつもより少し高めの声で。
「田畑先生いらっしゃいます?」
明瞭かつ私史上最高に優しい声。点数をつけるなら110点くらいはあげたい。
職員室では先生たちが採点や談笑や印刷物のコピーに時間を潰していた。私の声に気が付いた何人かの先生が振り向いて、その中でも入口で待ってた私に一番近い最も不摂生な体つきの先生が対応してくれる。
食べ物以外で長崎を語ろうとはしない私の担任。
「田畑先生なら視聴覚室になんだか取りに行くって言って出て行ったけど? もしかして何新しい長崎名物でも見つかったとか?」
なんだか拍子抜けした私は足早に諸君室を去ることにした。
「いいわねそのアイディア。じゃあ、善は急げってことで時間獲れるか聞いてくるね」
田畑先生は話が早い。その日のうちに話が通って、その日のうちにこうして防犯対策講習会が始まってしまったんだから。
司会進行は田畑先生で、私たち二人が集めてきた防犯事例を話していく。
提供されたのは体育館。広い空間に私たち二人の声が響く。普段こうして大人数の前で話すことなんてない。打ち砕かれていた私の意思は風前の灯で、本当の意味で気合でここに立っていた。
「まず初めにありきたりな内容ではありますが、恐喝についてです」
私の半歩後ろ、やや右斜めの位置に黙って立つ文学君はさっさと終わらせろよと訝し気な顔をしていた。
「普段私たちはもちろんですがあまりお金を持ち歩きません。なので修学旅行くらいは多少持たせてあげるという家庭もあることでしょう。普段あまり使う事のないお金を持つ事、見慣れない観光地で気持ちが浮かれる事で気持ちに油断が生まれ犯罪に巻き込まれることがあります」
文学! 資料をお出し! 心の中で勢いづいた私が文学君に目をやると、事前に印刷しておいた長崎県警のホームページの注意喚起を配布していく文学君の姿が。
「修学旅行生は見慣れない制服や言葉遣いで容易に判別がつきます。もし、怪しい人や着崩した服装をした人を見かけたら距離を取ってください。もし、変に声を掛けられても自分たちで解決をしようとして、むやみに話を拗らせたりしないで近くの交番やお店の店員さんに助けを求めるようにおねがいします」
ここまで万引き、恐喝について話し終えた。あとは器物破損についての注意をするときに種をまく。その種に反応して出てきてくれればこっちのもん……だよね文学君?
「えー、じゃー時間も割と余っているので二人に実演をしてもらおうかな」
私は思わず自分の耳を疑って、確認のために文学君のいる背後をちらっとみると、文学君も瞳孔を開いたまま固まっていた。
静まり返る体育館。背中にみんなの視線を感じる。波のような圧で私の背中に押し寄せる突き刺さる視線。どうすればいいのかわからない恐怖、二人でいるようで一人きりかのような孤独、頭が真っ白になって私が私でなくなっていく……。
「二人で固まってないで、ほら。なんなら先生が手伝うからさ」
しっかり。そう言われてしまったみたいで、その瞬間に私の意識は再び公然の面前へ舞い戻ってしまう。
とにかく、やらなきゃ。自然に。深く深呼吸する私を、文学君は少し控えめな視線で私をちらりと見ていた。
「じ、じゃあ、先生は美術館スタッフをやってもらえますか? 私たちはそこを見学に来た生徒をやるんで」
つい、私「達」と言ってしまった。振り向かなくてもわかる。文学君は今、とんでもない脂汗を背中に流しているに決まっている。
ごめん。心の中ではつぶやいているんだけど、ここまで来たらもう巻き込むしかない。
「……どうしてくれるんだよ」
「だから、ごめんって」
誰にも聞こえないようにこそこそと話していると、
「なにイチャイチャしてんだか」
この声だ。
「仲いいのは別にいいけど、早くしてくれない? 私たち、別に暇があって集まってるわけじゃないでしょ?」
私と文学君との仲を茶化し、周囲の笑いを誘うやり方。先手を打たれた気がして少し悔しい。
「ごめん、今やるから。ほら、話してたでしょ?」
話なんてしてないんだけど。文学君ごめん!
私の視線で何か感づいた文学君の目には諦めと覚悟の念がでていた。って私のミスなんだけど。
「じ、じゃ。先生が生徒役やってもらえますか? 修学旅行先が美術館だったっていう体で」
とりあえず口火を切った私。やってしまった私。どうか神様。私を助けて。
みんなが見ている中、先生が動き出す。
「ご自由にお触れくださいだってさ。触ってもいいってことは、別に引っ叩いても良いってことだろ?」
えーい。だなんて間の抜ける言葉の後で、目には見えない何かが落ちたようで先生は「や、やべー」だなんて大根芝居を繰り出す。先生。先生でよかったね。
「ど、どうかしました?」意外だったのは文学君が私より先に動いたこと。先手を打つことで私の逃げ道を塞いだってことは頭の隅で握り潰した。だってあの人目につくことは絶対に避ける文学君がこうして戦いに身を投じてくれているのだから、それだけでも関心というか。私はこの文学君にもらった数秒、本気を出して考える。あの二人をあぶりだす方法を。
「い、いやなんでも。あ、なんかこれ壊れてましたよ?」先生が演じる生徒が作品を壊してしまったことを誤魔化そうとしてる。
「……。これはひどい。触ってもいいとは書いていましたけど、これじゃまるで殴りつけたみたいじゃないか。すぐに警察に被害届を」
「じゃ、俺はここで」
「待って。君、どこの高校? 第一発見者の君にももしかしたら連絡がいくかもしれない」
っと話は面倒な方向に走ってくれたところで、茶番劇はお終い。私は私で腹をくくる。
「という風に、もし仮に美術館などに行った時には扱いをきちんとしないと刑事責任に問われる可能性や、弁償といった責任を負うことになります。美術館も楽しみにして来てる人はたくさんいます。くれぐれも扱いには注意をしましょう」
美術館は奇麗だし、見ていて楽しい。少なくとも私は。
「美術館なんて旅行の中にもう組み込まれているんですか? わたし、委員会やってるけどそういう話は何も聞いてない」
餌に食らいついた!
「みんな言ってますよ? 今年の修学旅行ははずれだって」
大概そう。そんなこというけど実のところは……。
「みんなってみんですか? 本当に? せっかくだし、本当にみんなそう思っているのかここで聞いてみませんか? もしかしたら先生方が行き先を変えてくれるかもしれないし」
私はそう口した。そのあとはもう私自身も止まらなかった。
「皆さん、もしこの長崎への修学旅行に反対の人がいるなら今ここで挙手をお願いします」
私の中の蟠りが汚泥の様に出てくる。周囲を汚し、私自身も汚す。
見渡した眼下に広がる人の群れには挙手をする人なんていなかった。結局そうなのだ。
口々に文句は唱えるけど、誰も公然の前では口にできない。一人になると何もできない人たち。彼女もそうなんだろう。
「外れだなんて思っている人はいないみたいですね。各々意見はあるかもしれませんが、長崎だって名所はあります。遊ぶところがないというなら、遊び方を変えればいいだけではないでしょうか? 少なくとも私は長崎楽しみですよ?」
普段は誰も使っていない教室、月明かりだけがその中に優しい光をともしている。
私は今日のこの出来事を文学君と振り返っていた。
私たちは勝ったのだろうか。私の放った言葉で誰も何も口にしなくなったのは確かだけど、誰にも理解を得ていない気がする。結局、私の意見を述べただけで。
もうすぐ秋、夜風が私の頬を撫でる。少しだけ肌寒さを感じた瞬間、文学君が私をそっと抱き寄せる。
「生きている以上、理解されないこともある。誰かに物を言うという事は誰かをねじ伏せることになる。今まで彼女たちの意見翻弄されてきたんだ、別に気にすることもないさ」
「そこで私を抱き寄せるって卑怯じゃない?」
「寒いかなって。生憎上着を持ち合わせていないから」
「ねぇ。なんか言ってよ」
「なんか?」
「そう。なんか」
この雰囲気に似合う何か。私の心を拾ってくれる暖かい何か。
「……月が、奇麗ですね」
「うん。きれい。とっても」
私たちの前には禍々しくも美しいほんのり赤に染まった萬月がある。
それを見ているだけでも幸せだった。二人でいるだけで私はとても幸せだった。
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