第4話 月島栞
「んで、どうしてあんたがあんな私でさえ名前覚えていない地味な奴と同伴出勤なわけ?」
「だ~か~らぁ~! 違うんだって! もう何回その質問繰り返せば気が済むの!?」
私にとって最悪な展開が、ここにきてできてしまった。なんの考えもなしに行動してしまういつもの悪い癖がここ出てしまった結果、私はあらぬ罪に問われている。
目の前で椅子から身をよじり私に尋問を繰り返す智子は、意地悪な笑みを浮かべて茶化す。前に父さんと一緒に見たランボーって映画では主人公は絶対に折れない精神でどんな尋問にも耐えるけど、私には答える事実があまりに少なすぎる。それがかえって疑いを招いているらしく、クラスの友達全員から噂を立てられている。
ただ同じクラスだっていうから二人で教室に入っただけなのに。
「あんたも意外と雑食なんだねぇ……。もっと面食いだと思ってたけど。それにしても何もよりによってあんな地味な奴と」
「確かに名前は憶えていなかったけど……」
「そうじゃなくて! あんた、自分をもっと鏡でよく見てみなよ? 自分で思っているよりずぅっと美人だよ? 何も樹君ほったらかしてあんな温水みたいなやつと」
「別に樹は関係ないでしょ? ってか誰よその温水って」
「芸能人でいるでしょ? パッとしないおじさん。雰囲気があいつみたいだからクラスでそう呼ばれてるみたい。おまけに休憩中もずっと本なんて読んでるもんだから誰も近寄れないというクラスの空気。才色兼備の我ら東中学のアイドルの樹王子とまさに真逆。同じ人間とはとても思えないわぁ……。なんでもいいけどもっとさ、部活とかじゃなくてテレビとか見なよ? みんなの話題についていけないよ? まぁあんたは大学にもいくんだろうしそっちもあるのか」
高校に入学してから久しぶりに聞いた名前になつかしさがにじみ出る。白鳥樹。私と智子が通っていた中学校で親の都合で一年の時に越してきた気弱な子。引っ越してきたところが私の家の隣という少女漫画みたいな展開に当時は智子と大笑いした記憶がある。ただ一つだけ少女漫画みたいな展開とはいかなかったことは、樹は学校になじむことができずに、すぐにいじめられたこと。
私はそんな樹を見ていられなかった。学校になじむことができないというだけでクラスであまりものみたいな扱いをされる樹を。
私の回想シーンは智子の向こう側の景色で音を立てて崩れさる。見たくもない光景、名前も知らない彼と私だけがなんの委員にも所属していない現実。
「話もいいんだけどさ。黒板見てくれるか? 今日中に決めないとまずいんだ」
はーい。みんな気のない返事をするけど、先生に逆らうようなことはしない平和なクラス。でも、それは逆に言うとなんでも流れで決めてしまうという悪いクラスでもあって、私はアステカの祭壇に祭り上げられる生贄みたいに強引かつ的確に縛られていく。
「まぁ、ぎりぎりとは言えな。天道? 遅刻はいかんなぁ。勉強していたのかもしれないが規則は規則だから。な? 今回は見逃してやるから、ここ余ってるからお前やってくれるか?」
まだ春だっていうのに、暑そうに肥満体系のふっくらとした体から汗を流す先生は扇子で仰ぎながら黒板に目を移す。その先にはまだ候補のない修学旅行委員なる文字が二人分の空欄を開けて、誰かの名前を記されるのを待っていた。
「お前としてはもしかしたら生徒会やりたいのかもしれないけどな。今回は勘弁してくれよ。もうお前しか決まってないんだよ」
職員室に呼び出しを食らっていた私は、名前も知らない彼の弁明もむなしく生活指導の先生から説教を受けて、この役員決めに遅れてしまった。花粉症で外に出たくないと、いつも教室の隅で小説を読んでいた彼に頼んだらしい。彼なら遅刻はしないし、断りもしないだろうって。
生徒会やってみたかったんだけどなぁ……。心によぎった言葉は、色を付ける前に霧散してしまった。
「……わかりました」っていうしかないじゃん。もう、選択肢ないんだから。
「おう、そうか引き受けてくれるか。よかったよかった。なぁ月島? 先生、お前が余ってしまうんじゃないかって心配してたぞ? 小説もいいけど、もっとお前は人と話をしなさい」
廊下側の一番隅っこの彼は、その言葉でようやく小説から目を離して黒板を見上げた。
「ほんとどんくさ。あんなんじゃあいつ将来一人だね」あたかもクラスの代弁とでも言いたげな智子の声に賛同するようにクラスの数人が月島という彼を見やる。彼は黒板を一瞬見ただけで興味なさそうにまた小説の世界に戻ってしまったけど。
……あんな奴と私組むの? 一応顔では何でもないようなそぶりで振舞っていたけど、私だって不安になるわ!
とはいえ、一つだけラッキーだったのは他の委員会と違って修学旅行という行事が半年も先の行事だからそれまで作業という作業がないこと。だからこうして私の本業の陸上部にだって参加できている。今朝見事に障害物を乗り越えて見せた私の聖地。やっぱり私はここが好き。彼みたいに室内でずっと本を読んでいるなんて私には無理。
「聞いたよ~今日また遅刻して校門乗り越えたんだってぇ?」顧問の日野下先生はいつも優しい。もう少しで三十路とは思えないくらいに童顔で、趣味も運動部の顧問なのに料理っていうんだから他所の高校の先生からの熱烈なお誘いが絶えないらしく、同じ高校の同年代の中島先生が内心焦っているっていう噂が校内に流れている。
「遅刻しそうになりましたけど遅刻はギリしてませんってば。ってかこれはある種の自主トレですよ。そうやって自分をリスクにさらしてあげたほうがいいタイム出るじゃないですか」
「こらこら、そうやって言い訳しない! 勉強も大切だけど、ちゃんと寝なさいよ? 体の成長に関してもそうだけど、あなたくらいの年齢ってい一番大事なんだからね」
「わかりましたって。あ、そうそう。中島先生がなんだか探してましたよ? またデートのお誘いですか?」
「まぁ、そんなとこかな」否定しないあたりがまたかっこよかったりする。大人の女性ってこういうことをいうのかなぁ。
ハードルを等間隔に並べ、いつものように軽い準備運動から始める。
今日は朝からさんざんな目にあったけど、終わりよければすべてよし。今日もこうして走れるし、今日もこうして夕日を眺められる。
「日和ぃ! 自己ベスト更新できなかったほうがサイゼおごるってどう?」
トラックの反対側で声を張り上げていたのはやはり智子だった。智子は短距離最速の女子として県大会にも出たことがある。
「お! いいねぇ! 私ちょうどおなかすいてたとこ!」
「二人仲良く帰りたいかもしれないけど、申し訳ない! 今回ばかりは私が勝つわ!」
「まだその話なわけ!?」
「ウソウソ! 精神的に揺さぶっとかないとあんたの伸びに勝てそうにないからさ! 忘れて! お互い、全力だそう!」
一通りの練習を終えて、ハードルを校庭の隅の野球部が練習しているバックネットの近くの倉庫にしまおうってところで日野下先生につかまった。あと何年かしたら見ることもなくなってい舞うオレンジ色に染まっていく校庭を私は目に焼き付ける。こんな空気も、優しい顧問との会話もなくなってしまう日が来てしまうのだから。
「日和さんもでしょ?」の声に、私は日野下先生の後ろのほうの光景から視線を戻す。でも、最初に出てきたのは言葉でじゃなくて頭の上の大きな「?」
「彼氏ができたって聞いたけど?」
「だ、誰からですか?」
「ん? 智子がそう言ってたの聞いたんだ。まぁ、なんだか口角が変に上がっていたから嘘っぽいんだけど。どうなの? その辺」
彼……、月島栞の話題から解放されたと油断した。修学旅行はまだ先だし、彼は放課後に入ってからどこに行ったのか消えてしまったから。
「別に……。そういうんじゃありませんから」
少しだけ言葉に語気が混じってしまった。怒るほどのことでもないはずなのに……。
「そう。まぁほら、高校生活もさ、限られているわけだし、社会に出ちゃえばよっぽどじゃない限り出会いなんてないから今のうちに唾つけとけばって思っただけ」
「モテてるって実感あるんですね」
「あ、ばれた?」ふふふと笑う先生はやっぱりどこか可愛い。
唾ねぇ……。まぁ確かに時間は限られてるのわかる。でも、月島君はどうかな? 優しいとは思うけど、それだけじゃん。
「ちなみに参考までにどこに行くんですか?」
「え? 中島先生と?」
「ほかに誰が? ってかあんまりほかの学校の先生の話とかすると中島先生がかわいそうですよ」
「あはは。そうだね。んー……。どうだろ? 中島先生が行きたいところについていくかな。私基本的に趣味って趣味ないし、私が誘ってるわけじゃないからね」
「あ、あの別にそういうことじゃないんで。今後の参考までになんで。くれぐれも智子には……」
「わかってるって内緒にしててあげる。それよりほら、かたずけないと。みんな待ってるよ」
気が付けば倉庫のほうで小さな影が私のほうを見ながら手を振っていた。多分、みんな日野下先生に遅刻についていろいろ聞かれているって思っているんだろうなぁ。
とにかく、もう私は月島栞に関与しない。少なくとも委員会の時以外は。
特製山賊焼きの盛り合わせと三種のスイーツ。あとライス。日中の出来事を忘れるのと、それまでに使った運動量をここで取り戻しておく。まぁ、そうしないと死んじ──ゃうとかではないんだけどやっぱりおいしいもん。食べたら動けばいいだけの話なんだからさ。
肉の少し焦げたところの風味とか、したたる肉汁とタレのついた大きなお肉をご飯と一緒にいただける。家族の前でじゃとてもじゃないけどいろいろ言われてしまうから私はしない。
賭けは私の圧勝で幕を閉じた。
ぜいぜいと息を切らせた智子には「改造人間か」と嫌味を言われたけど、目の前のご馳走を前にすれば改造人間だってよだれくらいはでる。
運動神経しか私には取り柄がない。人の顔色ばかり窺って自分からは何もできないから、そのせいで昔はあまりいい思い出もない。
だからこうして部活のみんなと食べる夕飯がおいしい。
誰の顔色伺わなくてもいてもいいって自信持って言える。私はこの人たちと友達なんだと。
「つーかまた来週テストとかありえなくない?」
「まー、小テストらしいし、らくしょーでしょ」
「あー、そう言えば菅原商店のおばちゃんと勝負するんだった」
「あんたも駄菓子好きだねー。まだ通ってんの?」
「まぁね。昔からあそこの駄菓子じゃないと調子が悪いていうかさ」
「そのくせ田舎が嫌いとか矛盾じゃない?」
たわいもない会話。いつもの流れで私もタイミングを合わせて笑って見せる。空気を読んで突っ込みも入れたりしてみる。そうすればみんな笑ってくれるし、そうすれば私はここにいられる。
みんなが笑う。私はその声に少しむくれて起こるようなしぐさをして見せる。本当は別にそれほどなんとも思っていないけど、そうすればみんな笑ってくれるから。
いつからだっけ? こうやって自分に嘘つき始めたの。意味なく笑って、意味なくうなずいて、興味もないことにもあるようなそぶりをして。そうしないとうまくやっていけなくて。
「あれ、月島じゃない? またあいつ一人でよくわかんない本読んでるよ」
智子が確かにはっきりとそういった。
「つかファミレスに一人って、よっぽどあいつ友達いないんだね」
みんなが笑うから私も笑う。本当は、そこまで変だとも思わないけど。そうすれば──
「え!? 誰あの美人? ってか月島の彼女!?」
別に興味なんてなかったし、彼に彼女がいようがいまいが私には関係なかったけど、みんなが彼を見ているからそうしないわけにもいかなかった。食べかけのショートケーキに少しだけ名残惜しさを残して、顔を上げる。
みんなが言うように確かに向かい合う形で二人は何か話をしていた。手元には文庫の本。多分今日ホームルームでずっと読んでたやつ。こんなところにまで小説を持ち込む文学少年は、今日学校で見せたおとなしいイメージとは裏腹に目の前の美人と話をしていた。多分社会人のその美人さんは色白でスタイルもよく、メガネをしているけど外せばモデルさんみたいに映えるに違いない。美人さんの手元にもここからではよく見えないけど、小説のような何かが置いてある。
「……なんなの、あいつ」私は学校では違う顔で笑っている月島改め文学少年に、少しだけ関心を持ってしまった。
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