第30話 壁

 十月に入ったある休日の朝。

 アパートの管理人室のポストに大量のチラシが入っていた。

 俺は部屋に戻ってちゃぶ台の上に置くと、一通の封筒がチラシに交じっていたのを見つけた。

「なんだこれ」

 宛名は俺の名前で、差出人は爺ちゃんだった。住所は書かれてない。

 封筒を開き、中にある手紙を取り出し読もうとした時——

 アヤメが隣の和室から飛び出してきた。

「あー! 忘れてた! 今日TSUTAYAに映画のDVD返しに行かなきゃ。確かテーブルの上に置いてたのよね」

「そうだったのか。すまん、さっきチラシを置いてしまった」

 アヤメと一緒にチラシをかき分け、DVDケースを探す。

「なあアヤメ、今時配信とかでも映画見れるのになんでわざわざ店でレンタルするんだ? 返すの面倒だろ」

「ふふん、わかってないわね。いい? 本当に面白い映画は、配信されてないことが多いわ! 例えば昨日私が見てた「サンドラの休日」なんて配信されてないの」

「へぇ、それってどんな話なんだ? あらすじを教えてくれよ」

「えーと、工場労働者のサンドラが会社からクビを宣告されるの。それを取り消すには同僚にボーナスを無しにすることに賛成してもらうしかないって社長に無茶を言われてしまうから、次の投票までにサンドラが同僚達を説得しに行く話よ!」

 めっちゃ面白くなさそう……地味すぎるだろ。

「……それって面白いのか?」

「私は面白いと思ったわ。なんかすごく地味なんだけど、それが引き込まれるのよね」

 気になってスマホで検索してみると、ネットで配信されているのを見つけた。

「それ、Amazonビデオにあるみたいだぞ」

「え!」

 ショックを受けて困り顔になるアヤメ。

「……で、でも。やっぱりネット配信は、なんだか味気ないじゃない……そうよ! 温かみがないわ。TSUTAYAにいっぱい並んでいる映画の中から見たいものを手に取って借りてくるっていう行為そのものが大事なのよ。ネットでワンクリックはあまりに寂しいわ……!」

 昭和世代みたいな発言で言い繕っている。でもお互いPCを持ってないしスマホで見るのはつまらないかもな。

「ふーん、俺漫画とかYoutubeばっか見てるから、今度一緒に見てみたいかも。なんかおすすめのあるか?」

「いいわ! おすすめはね……フランスの女の子がバカンスに行くんだけど、その旅先で幸運の『緑の光線』を見に行くって映画はどう?」

「……それだけ?」

「うん、それだけ」

「パス」

「⁉」

 俺はもっと宇宙で戦ったり、気楽に笑えるような映画がいいなぁ……

 そうアヤメと喋っている間に二本のDVDケースを見つけた。

「やば、カオルと話してる場合じゃなかった! ちょっと急いで行ってくる」

 アヤメはスマホの時間を見ると慌ててケースを返却袋に入れて嵐のように部屋を出ていった。

「元気なやつだ」

 俺はアヤメの出て行ったのを見送り、また座布団に座った。

「……あ、爺ちゃんから手紙が来てたんだ。どこに置いたっけ?」

 探してみるが見つからない……封筒はあるのだが散らばったチラシを片付けて探っても肝心の手紙がない。

 更にちゃぶ台の下を確認し始めた時——

「うにゃああああ‼」

 隣室からユヅキの叫び声が聞こえたと同時に、部屋を隔てる壁に何かがぶつかる低い音が響いた。

 驚いて音がした方向を見ると、いつも布団を敷いている居間の奥の壁に、バスケットボール大の穴が開いている……

「えええええええ‼」

 俺は走って壁を確認するとユヅキの部屋が見えている。

「う、噓だろ……この前屋根の修理をしてもらったばかりなのに……」

 全身から力が抜ける感覚がする。俺がここに来て一か月程度なのに壊れ過ぎだ。

 修理費はどれくらいになるのか頭で予想していると管理人室のドアが開いた。

「すまん! カオル。つい……ついやってしまった……ごめん!」

 部屋着用のミニワンピースを着たユヅキが半泣きで謝りながら近づいて手を合わせてくる。

 いつもは俺がラッキースケベをして謝る側だが今回は立場が逆だ。

「なにがあったんだ……?」

「さっきまで源五郎を飲んでたら、いきなり胸元にヤモリが落ちてきて、びっくりして払ったんだ……見失って探してたら、近くの壁に引っ付いて鳴いてたのを見つけて……叫んで咄嗟に殴ってしまった……結局ヤモリは逃げちまった」

「……そうか、手はケガしてないか?」

「え、ああ。ちょっと腫れているけど大丈夫だ。ありがとう……カオルは優しいな。てっきり怒られるかと思った」

「壊れたものは怒っても直らないんだからいいよ。ユヅキが骨折とかしてなくてよかった」

 別に嘘は言ってないが、壁を破壊するやつを怒らせて、俺まで殴られたくもないからな。

 ユヅキは頬を赤くしてやっと笑顔を取り戻し、俺を見つめてくる。

 何か勘違いされている気がする。

「ありがとう……結構大きい穴が開いてしまった……必ずバイト代で弁償するから待っててくれ」

「わかった。まぁ無理して急がなくていいよ」

 ユヅキが腰を屈めて壁を覗く。ミニワンピースのスカートから下着が見えそうでエロい……

「わぁ、あたしの部屋が丸見えだな」

「なにか布でも被せておくか……」

「ふふ、お前がアヤメに欲情しないで済むのなら、あたしの部屋を覗いてもいいぞ」

「何言ってんだ」

 え、それエロいシチュエーションだな。どうしよう、アヤメに黙っておけばちょっとぐらい覗いてもいいかな……

「てゆーかこれ、あたしぐらいの細さだったらこのまま自分の部屋まで通れそうだぞ。丁度丸く穴が空いているし」

 ユヅキは壁穴に頭を通して自分の部屋に行こうとする。

「おいおい、危ねえんだからやめておけ」

「大丈夫、あ、胸がちょっとつっかえるけど……あはっ、行けた行けた! わざわざ外に出なくてもこれで行き来できるし、このままで良いんじゃ…………あっ」

「ん? 大丈夫か?」

 ユヅキは尻を壁穴につっかえてジタバタしている。

「んっ……んっ……あれ、どうしよう。抜けない」

「マジか。尻は通らなくても戻ることは出来るんじゃないか?」

「それが、戻ろうとしてもお腹が引っかかって……抜けない……」

 相変わらず壁のユヅキの尻を振ったり足をバタバタさせているが、一向に脱出出来る気配がない。

「やーん、どうしよう。やばいってこれ……カオル……あ、あたしのスカートの中とか覗いてないよな! 見たら怒るぞ!」

「いや、すまん。パンツとか既にちょっと見えてるから……み、見ないようにする!」

「⁉」

 ついユヅキの壁尻を見ていたが、この状況で見るのは良くない。

 見えないように反対を向くが、これでユヅキが壁から抜け出せる訳ではなく。俺はただ背中越しにユヅキがハマっている姿を見ないように見守るしかなかった……

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