第28話 二人の距離

 緊急的に使っていた懐中電灯の灯りを消し、管理人室は暗闇に包まれた。

 大して時間は経ってないのに、ユヅキがいびきをかいている。あいつ俺を夜通し見張るとか言ってたのに。

 そんなことを考えながらも、俺も遅くまで遊んだ疲れもあり、すぐに眠りに落ちていった——


 二時間ほど眠っていただろうか。

「……ん、んぐっ……」

 息苦しい。何かが俺の顔に当たって、息を塞がれている。

 目を開けるとおっぱいがあった。大きなおっぱいの主が俺の頭を抱きしめて、おっぱいを押し当てている。

「……んふふ……ポニャンタ……おっきくなったわね……いいこいいこ……すやぁ……」

 声の主はアヤメだ! グルグル巻きの俺を、ポニャンタと寝ぼけて勘違いしている。

 下半身にも重みを感じる。脚も抱き枕と同じように乗っけているようだ。

 こいつがこんなに寝相が悪いなんて知らなかった。アヤメはVネックのキャミソールを着ていて、胸元に直接俺が埋もれてしまう。

 息苦しいがこんな幸運を逃さぬよう、俺は出来る限り堪能しようとしたのだが……

「……ん、うぇぇ……うぇっくしゅん!」

「ぐふっ!」

 俺の髪が鼻に当たりアヤメがくしゃみをした。その勢いで俺の股間を、膝で蹴飛ばし、そのまま寝返ってしまう。

 敷布団を被っていても、股間ともなれば相当の痛さで、俺は鈍痛に苦しみ悶える。

 完全に目が覚めた。時間と共に痛みは引いてきたが、今度は尿意を催してしまう……

 どうしよう……この状態ではトイレに行けない。

 朝まで我慢は出来なさそうだ。住人達が起きた時に、俺がお漏らしをしている姿を想像する。

 お漏らし覗き魔変態管理人……これ以上情けない姿を晒すわけにはいかない。

 気持ちよさそうに寝ているところ悪いが、俺はアヤメを起こし、巻かれている紐を解いてもらうことにした。

 暑くて背中が痛い。もう罰は十分だろ。

 他の住人を起こさないよう、小さな声でアヤメに声を掛ける。

「アヤメ……アヤメ、起きてくれ」

「……すやぁ……すやぁ……」

 一向にアヤメは起きる気配がない。気持ちよく眠る横顔を見ていると癒されるが、俺の膀胱の限界は刻一刻と近づいていた。

 手足を動かせない状態ではこれしか方法はない……

 俺は出来るだけ体を曲げ、アヤメの耳元で話しかけようと試みる。

 あと少し、もう少しだけ近くに……そうやって俺の口がアヤメの耳に触れそうなところまで来た時——

 俺の吐息が掛かったのだろう。アヤメの目が開き、俺と目が合った……

「……ひ、ひぃやああああ!」

 驚いた彼女は間抜けな悲鳴を上げ、俺をビンタしてきた。

「痛い!」

「な、なななんでキスしようとしてんのよ⁉」

「違う! 勘違いだ! あと他のみんなが起きるから静かにしてくれ」

「んんぅ……」

 アヤメは慌てて口を自分の手で覆った。他の住人が寝ていることを思い出したようだ。

「わかったわよ、もう。なにかあったの?」

「その……トイレに行きたい……」

 俺は恥ずかしくなって、声が細くなっていく。

「いいわよ。言ってくれれば良かったのに。目の前にタコみたいに口を尖らせてるカオルが居たら、びっくりするでしょ」

 面倒そうな反応をするかと思ったが、アヤメはすんなり理解してくれた。起き上がって紐を解き始める。

「起こそうとしてもダメだったから耳元に近づいたんだよ」

 ぼそぼそと話している間に、紐が解かれた。

 久しぶりの解放感を味わう。自由最高!

「あれ、俺のスマホは……」

 スマホを使ってなかったから見失っていた。灯りとして使いたいのに、見つからない。

「私が一緒に行くわ。懐中電灯じゃ、明るすぎて起こしちゃうし」

 アヤメがスマホの画面を点け、ほのかに足元を照らしてくれた。


 トイレから出ると、アヤメが壁にもたれて座っていた。ウトウトと眠っている。

 そういえばアヤメを肘で殴ってしまった夜も、一緒にここで寝たんだ。

 寝顔を見て懐かしくなる。

「アヤメ、ここで寝るのか?」

「……んあ……ううん、戻って寝る」

 眠そうに目を擦りながら、アヤメは立ち上がった。

「俺はここで一緒に寝てもいいぞ」

「……今日は、みんなと寝るの」

 アヤメは俺の手首を掴み、寝床に連れて行ってくれた。

「「あ……」」

 さっきまで巻いていた布団は真ん中に置いている。そこに寝ているユヅキとエペリが侵入していた。

 俺たちの寝るスぺ―スが狭い。

「どうしよ……」

 アヤメがぽつりと呟く。

「もう他の場所で一緒に寝よーぜ。座布団とかあるし」

「えー、せっかくみんなとお泊りなんだから」

 そう言ってアヤメは、ユヅキとエペリの間にそろりと入っていった。

「来て、一緒に寝よ」

 アヤメは俺にこっちに来いと手招く。許可を得たうえで、住人達に囲まれて寝れる! 断るはずがない。

 エペリが起きないよう腕を優しく動かし、自分のスペースを確保する。

 当然、俺とアヤメの距離は近くなった。腕を少しでも広げれば触れそうになる。

 ふとアヤメと目が合う。すると、俺に体を向けて囁いてきた。

「あたしはカオルのことも好きだし、他のみんなも同じくらい好き。永遠なんてないってわかるけど、こんなふうにみんなと一緒の時間が続けばいいなって思う。だから……これからもよろしくね」

「……」

 今、俺のことを好きって言った? 他にも良い感じの台詞を言ってた気がするが……

「俺もアヤメが大好きだ。本当に好きだ」

「……私の言ったこと、ちゃんと理解してくれた?」

 困り顔のアヤメだがすぐに笑ってくれた。俺は大真面目だ。

 お互い見つめ合っていると——

「うーん……もう源五郎飲めないよぉ」

 ユヅキが大きく寝返りをうって、アヤメの体を押してきた。

「きゃっ」

 押されたことによりアヤメが目と鼻の先にくる。

 俺もエペリが近いので下がることが出来ない。

 必然的に俺とアヤメは見つめ合うことになった。

「あはは、私追い出されちゃった」

「……やっぱり狭くないか?」

「だ、大丈夫……」

 緊張する。どこかアヤメも頬を赤くし、固くなっているようだ。

 アヤメとこんなに近くで見つめ合ったのは、初めて会って押し倒してしまった時以来だ。

 髪、目鼻、唇、僅かに荒い吐息……目の前にある彼女の全てが愛おしい。

 勇気を出してアヤメの両手を握った。触れた瞬間は冷たさを感じたが、強く握ることで手の奥にある熱を感じた。アヤメも俺の手を握り返してくれた。それがなによりも嬉しかった。

 やっぱり我慢できない……俺は意を決して、キスをしようと顔を近づける。迷いが一瞬見えたが観念したのかアヤメは目を閉じた。

受け入れてくれたのか?

唇との距離が狭まっていく。お互いの吐息が唇で感じる——

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