第21話 傘と追憶
一時間近く取り調べを受けていたところ、赤島刑事が現れて取り調べは終了した。
「あの後、篠本さんはすぐに意識を取り戻して元気にしている。エシュロンを使うとは聞いてなかった。今回は大目に見るから早く帰れ」
赤島に廊下で説明をされ、解放された時はもう夜の九時過ぎだった。
赤坂警察署から永田町駅まで歩いて電車で乗る。電車ではアヤメとシートに並んで座り、疲れて一緒に寝ていた。駅から出た時、時刻は既に二十二時過ぎだった。
「やっと帰ってこれた……」
「ふぅ、シャバの空気は美味いわね」
バカなことを言っているアヤメはまだまだ元気そうだ。
「もう夜も遅いからご飯食べていきましょ」
「俺、財布持ってきてないぞ」
「大丈夫、電車もスマホの電子マネー使ったでしょ。あの店なら使えるし」
アヤメはスマホをドヤ顔で突き出した。
駅近くにある二十四時間営業の定食屋チェーンに来た。
この時間だと店内も空いている。席につくと若い男の店員が来る。
「何にいたしやーすか」
「ビールください」
待ってましたとアヤメが即答する。
「おい、お前まだ飲んじゃダメな年だろ」
「えー、わかってないわね、カオル。ここはビールなのに……じゃあコーラ。それと、醬油ラーメンとかつ丼ください」
「そんなに食うのか⁉ じゃあ、俺はかつ丼で」
待っているとコーラの入ったグラスがくる。
アヤメは感慨深そうな表情でグラスを見つめ、両手で持つと一気に口に運ぶ。
「っごくっごくっごく……はぁああ、はふぅ……」
「なにやってんだ? そんなうまそうに飲んで」
「服役明けの体に沁みるわ……」
「まだその設定やってんのか。警察署で取り調べ受けてただけだろ」
「出所明けで高倉健がね、ビールを飲む映画を見たの。すごく美味しそうに飲んでたから、一度私やってみたかったのよ」
アヤメの一人芝居はよくわからんが、コーラ一杯で楽しそうだ。
食事を終えて会計する。
「かつ丼、支払い別でお願いします」
俺はスマホで支払った。
「あっ……」
アヤメが自分のスマホを見て呟く。もしかして……
「電子マネーにお金ないよぉ」
申し訳なさそうにアヤメは俺を見てくる。
「さっきドヤ顔でスマホ出してたのに⁉」
「ごめんなさい!」
アヤメは両手で拝んでくる。
「……仕方ないな、ただ飯でまた警察のお世話になるところだぞ」
「えへへ、ありがとうっ」
結局アヤメの分も俺が支払った。口ではやれやれと言っているが、ニコっと笑うアヤメを見るとあまり嫌な気持ちがしない。ホストやキャバ嬢に貢いでしまう人の気持ちが今はよくわかる。
店を出ると冷たい雨が降り出し風も強くなっていた。肌寒く、俺のスマホのチャージ残高と同じだ。
「うぅ、食べ過ぎた……」
アヤメが胸を押さえている。
「当り前だろ、ラーメンとかつ丼をこの時間に食うなんてよ」
「あー、雨降ってる」
「傘も買わないとなぁ」
二人で雨が降りしきる空を見上げた。
「うえ。おえ」というアヤメの声を聞きながら、二人で走って近くのコンビニに来た。
俺は入り口に置いてあるビニール傘を、特に何も考えず二本取り出す。
「コンビニで余計な傘買うのって、なんか悔しい気分になるよな」
「私要らないわ」
「え?」
「一本で充分よ」
キョトンとした顔でアヤメが言った。
アパートまでの帰り道。川沿いの歩道を相合傘で、アヤメと雨の中歩いていく。
女と相合傘で歩くのは初めてで緊張する……距離が近いし彼女の肩や胸が俺の腕に触れそうになる。
あぁ、合法的に密着できるなんて最高だ。こんなのカップルみたいなもんだろ。
俺はある発想を思いついた。
持っている傘を微かに俺に寄せる。するとアヤメは体が傘からはみ出ないように俺に更に密着してくれる。
「……ねえ、カオル。私肩がはみ出て濡れそうなんけど」
「おお、そりゃすまねえ」
ふむ……。だが傘の位置は変えずそのまま持ち続ける。
「ねぇ、あんたわざと体をくっつけさせようとしてない?」
「何を言ってるんだ。ちゃんと真ん中に置いてるぞ。まったく失礼な奴だ」
バレたか。調子に乗ってしまった。
もう満足したから傘を戻す。
アヤメがジーと俺を怪しむ視線を感じる……
「……実録! 童貞大好きな居候のお姉さん」
「⁉」
アヤメが急に、篠本にバラされたエロ動画のタイトルを呟いてくる。
思い出して心臓がきゅっとなった。
「あんた本当に変態管理人ねー」
「すまない、忘れてくれ……」
「忘れたくても見ちゃったからなー。じゃあもっと傘入れて」
「はい」
俺は傘の全てを彼女に差しだす。雨が当たっている俺を見て、アヤメは満足そうにクスクス笑っていた。
「濡れたいならそのままでもいいけど、風邪ひくわよ」
アヤメが傘を持ち、差し出してくれる。自然と再び、二人で寄り添うように歩く。ふとアヤメの横顔を見ると彼女と目が合った。
長く艶やかな、まつ毛に縁取られた二つの瞳。見つめられると歩みを止めそうになってしまう。
可愛い……
「俺のこと好きになってくれたらな……」
「好き?」
やばい、咄嗟に思ったことを呟いてしまった!
「いや、その……アヤメってさ、好きなタイプってある? 男の」
適当に見繕った言い訳をしたつもりだが、意味が分からないし不自然すぎる……
「えー、好きなタイプか。そーね……ありきたりでちょっと恥ずかしいけど、ピンチの時に命懸けで助けてくれる人……かな」
「命がけで助ける? なるほど……」
無論そんな状況になったら、命を懸けてアヤメを助ける自信はある。中々そんなシチュエーションないだろうが。
「じゃあさ、好みの見た目とかは?」
「見た目? 特にそんなのは…………あっ」
アヤメが何か思いだしたように呟く。
「なんだ?」
「いや、なんでもない」
「絶対今隠しただろ。あって言ってたし」
「……うぅ、わかったわよ。バカにしないでね」
「しない。誓って」
ドキドキしてきた。『カオル』とか言われたらどうしよう。
それはもう抱きしめるしかない。『俺もアヤメが好きさ』と言って、傘を投げ捨て、雨に濡れるのを気にせず抱き合う——最高じゃないか。
「えっと……好きっていうより、いつか会いたい人のことだけど……『禿げてるおじさん』」
「……」
ショックすぎる。俺はまったくかすりもしない! なんでだよ。俺たち結構いい雰囲気だったりしてたと思うのに……
「俺も禿げて髭生やせばいいかな……」
「何言ってんの? カオルの顔……結構良いって思ってるけど……」
アヤメは恥ずかしそうに言ってくれたが、今の俺の心は何も感じなかった。禿のおじさんではないから。
「教えてくれてありがとう……でもなんでその人なんだ?」
「まぁ、昔の思い出がね。私、小さい時に溺れて死にそうになったことあるの。その時偶然いた、禿げたおじさんが私を助けに飛び込んでくれて……いつか直接会ってお礼言いたいなって」
「へぇ、そんなことがあったのか……あ、でも俺も子供の時に溺れたことあるって聞いた。その時のこと覚えてないけど。他にも車に轢かれたりして、昔からよく入院したし大変だったな」
「あんた警察に連れて行かれたり、入院したり。昔から波乱ばっかで変わらないのね」
「子供の時に警察のお世話にはなってないぞ。ま、お互い無事でよかったな」
禿のおじさんと聞いて少し嫉妬したが、その人のおかげでアヤメが助かったんなら感謝しないとな。
横にいるアヤメの顔を見る。昔のことを思い出しているんだろうか。どこか遠くを見つめ、思い出を懐かしむような、そんな眼差しだった。
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