第18話 Fly me to you

 エペリは上着を着ず、そのままの恰好で裸足で出て行く。

 軽やかな足取り。これから旅にでも出て行くようにも見える。

 わけがわからないが、俺は見届けるために後ろからついていく。


 アパートの入り口の前には、覆面パトカーがまだ停まっていた。

 中を見ると気絶から復活していた篠本がエペリに気づいた。再び顔を青ざさせ目を見開く。

 エペリはパトカーに向かって歩いていくと——ボンネットに飛び乗った!

「おいおいおい……」

 篠本は社内で口をあんぐりと開けて固まっている。

 そしてエペリは天に向かって息を大きく吸い、叫んだ——

「カオルさん、好きいいいいい!」

「⁉」

 やばい、エペリは酒に酔って倫理を失った人間になっている!

 パトカーに乗った時点で止めておくべきだったか。だが時すでに遅し。

 篠本はまた気絶してピクピク痙攣している。今こそ世界のリスクだぞ。あんたが一番に止めなきゃいけないはずなんだが。

「カオルさん、大好きいいいいい!」

 またエペリが叫んだ。もうこいつもダメだ……

 俺はエペリを止めるために近づく。

「おい、夜中に叫んだら近所の皆さんに迷惑だろ。もうわかったからパトカーから降りろ」

「カオルさん、見てくれましたか。良かったです! 私スッキリしました」

「ああ、あれだけ叫んだら聞こえるよ」

 エペリが天使のような笑顔で、ボンネットの上に立ったまま俺に両手を伸ばす。

 何がしたいんだ?

「受け止めてくださいね」

 は? 疑問に思った直後、エペリは俺に向かって——

 ——飛んだ。


 考える暇は無かった。ダイブしてくるエペリを必死に受け止めた。なんの準備もしてなかった俺は、エペリを抱きしめたまま後ろに倒れこんでしまう。

「いてて……」

 気づくとエペリは俺の体に覆い被さっている。長い髪が俺の顔に垂れ、見つめ合う。エペリは自分で飛び込んできたくせに、驚いたように目をパチパチと瞬きしていた。

「エペリ、危ないだろ。ケガはないか?」

「…………あはは……」

 エペリは始めこそ笑いを押し殺していたが、耐えきれなくなったのか、声を立てて笑い始めた。

なにがそんなに面白いのかわからなかったが、エペリが心底楽しそうに笑っているのを見ていたら俺も嬉しくなった。

 二人で地面に倒れたまま、バカみたいに笑ってしまう。

 傍から見たら頭のおかしい二人そのものだろう。

「まったく。もう満足しただろ。帰ろうぜ」

「ふふ……はーい」

「……」

「……」

「いや、上に乗ったままだと動けないんだが」

「あら、それはレディに対して失礼ですよ。それに私がさっき言ったこと覚えてますか?

 このまま『抱いて』持って行ってください」

「抱いて?…………あー」

 確かに部屋に居る時、エペリは『抱いてくれ』と言った。

 これは計算してたのか? 勝手に勘違いしてしまい恥ずかしい。

 いや、勘違いさせて反応を楽しんでいたのかもしれない。

 普段は見たことのない、悪戯好きの子供のように微笑むエペリ。

 ……仕方ない。

「ほら、つかまれよ」

 俺はエペリをお姫様抱っこして立ち上がる。こんなことを女にしたのは初めてだ。

 あ……体が密着し、他の部分も立ち上がってしまう。

「……んっ」

 恥ずかしいのか小さく声を漏らすエペリ。顔を更に赤くしているように見える。のぞき込むとエペリは顔を俺の胸に寄せて隠してしまった。

「二回目ですけどね……」

 エペリが小さく呟いた。二回目? なんのことか考えようとした瞬間、丁度気絶から目を覚ました篠本と目が合う。

俺がエペリをお姫様抱っこしている姿を見て篠本は——

「ほんぎゃあああああああ!」

 叫び声を上げて、またも気絶した。

「篠本さん! ちっ、こちら三号車、篠本さんが倒れた! どうして現場で気絶するやつがいる! 早く救急車を!」

 運転席にいた赤島が必死に無線で助けを求めている。

 篠本って、監視任務に向いてないのでは?


 俺はエペリをお姫様抱っこしたまま、アパートに歩いていく。

「あっ……」

 いつの間にかアパート前にアヤメ、ユヅキ、マオが勢ぞろいしてこっちを見ていた。

 あれだけエペリが叫んだら、そりゃ聞こえるよな……

 どの場面から見られていたんだろう。

 ユヅキはニタニタ笑っていて、マオは予想していたがスマホで撮影してやがる。

 アヤメは俺と目が合うなり、眉をキリキリ上げて俺に詰め寄ってくる。

「あんた、エペリを抱っこしてどうするつもりなの。ねぇ、言いなさいよ!」

「俺はエペリの要望通りにしているだけだ! このままエペリの部屋に連れて行く」

「ぐぬぬ……じゃあ、私も行くわよ!」

 ぐぬぬって漫画でしか聞かないようなセリフを言ってるやつ初めて見た。

「エペリが良いならどうぞご勝手に……なぁ、エペリ、アヤメがああ言っているが部屋に上げてもいいよな?」

 問いかけるが胸に抱き着いたまま返事がない……そんなに恥ずかしいのか?

「エペリは恥ずかしいらしいが付いて来ても良いと思うぞ。俺は手出ししないのも見とけよ」

「えぇ、そりゃはっきり、じっくり、こってり監視させていただくわ! 既にそのいやらしい手でさりげなく横乳と股間を当ててるのはわかってるんだから!」

「てめえ何勝手なこと言ってんだ!」

 咄嗟に否定したが、こいつ……なんて観察力だ。

わざとじゃないが、俺は当たってしまう股間と僅かに触れる横乳に感覚を全集中させていた。

 エペリの監視役はアヤメでいいだろ。よかったな就職先が決まって。

 気づくとマオが俺の横にいて耳元で囁く。

「変態管理人、住人を酔わせてお持ち帰り」

「違うわ!」


 住人達を連れ、抱っこしながらエペリの部屋に入った。

「エペリ、着いたぞ。ベッドの上でいいか?」

「……」

 返事がない。そんなに恥ずかしがらなくても……

「俺は構わないが、みんなの前でいつまでも抱っこしていると怪しまれるんだよなぁ」

 仕方ないので、エペリをベッドに優しく下ろす。

「「「……こ、これは!」」」

 ベットに置いたエペリを見てみんなで驚いた。

 エペリは既に眠りに落ちていた。気持ちよさそうに寝息を立てている。

「いつの間にか寝てたんだな」

「お風呂に入らなくていいかしら?」

「疲れているんだろう。もうこのまま寝かせとこう」

 みんなでエペリの寝顔を見守る。

「で、カオルはエペリの部屋で何の話をしていたの?」

「いや、それは言えない……」

「エペリはあたしらに話せないけど、カオルには話せる秘密でもあったのかー。お前モテてんな」

 ユヅキがちょっかいを掛けてくる。なにか勘違いしてそうだが、それでいいか。

 エペリの秘密を言うわけにはいかない。篠本のような政府機関の面倒に巻き込むとややこしくなる。

「ふーん。ま、詳しくは聞かないでおくわ。外で大声で告白するなんていつものエペリじゃありえないから」

 アヤメも渋々納得したようで安心する。

「ありがとう。気になるかもしれないが、エペリにも事情や秘密だってある」

 

 エペリが寝てしまった今、部屋にいても仕方がないので帰ることにした。

 他の住人達が部屋から出て行く。俺は最後にエペリの寝顔を見て電気を消した。

「パパ……」

 エペリは寝言を呟いた。俺だけにしか聞こえてない。

 一瞬まだ彼女の傍にいてあげようか考えたが、

「カオルー、あんた一人で残っているとまた怪しまれるわよ。早く戻りましょ」

 ドアの外で待つアヤメにも呼ばれているし、やはり帰るか。

 これ以上は俺の余計な私情が入り過ぎる気もする……

 いつもの殊勝なエペリとさっきの酔っぱらった時のエペリ、どちらが本当の彼女なのだろう。

 おそらくどちらも本当のエペリに違いない。

 悩みを吐き出せる相手は今、俺だけのようだ。

 彼女の望みをすべて叶えることはできないが、受け止められることは受け止めてあげよう。

 パトカーからダイブされても受け止めるくらい、大したことではない。

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