第17話 姫のワンオペ
アパート改修工事費の借金返済や修繕積立で、家賃収入だけでは生活費は賄えない。
俺は引っ越す前からやっているスーパーのバイトを続けていて、今夜もそのバイト先からバイクで帰宅した。
管理人室と裏庭に続く塀の端にバイクを停めていると、アパートの入口に人影が見えた。
誰か住人が帰宅したようだが、どうも様子がおかしい。
足取りがフラフラしていている。
気になり近づくと、その人物は南国からの美少女留学生、ロテ・エペリだった。
「あ、管理人さん」
エペリは立ち止まるが、まだ足元がおぼつかない。
「エペリ、大丈夫か?」
「今日牛野屋のバイトだったんですけど、同僚が風邪を引いて急遽ワンオペでした。忙しくて疲れてしまったようです……」
先日現れた、内調の篠本が言うには「エペリは南の国マグア連邦のお姫様」ということらしい。
そんな偉い身分の姫が牛野屋でワンオペ労働し、過労死寸前になっている……
納得できないおかしな話だ。
「そうか、遅くまで大変だっ——」
俺が労いの言葉を掛けようとした時、疲弊していた彼女はバランスを崩し前のめりになる。
「……わわっ」
「エペリ!」
俺は不意に胸で受け止め、抱きしめてしまう。
二人で抱き合うような体勢になる。
思ったより華奢な体だ。なんだか守ってやりたくなる。
「す、すみません!」
「いや、こっちこそ変なことになってすまん」
エペリは慌てて俺から離れた。恥ずかしそうに顔を赤らめている。
その時、ふと視線を感じた。アパートの前に覆面パトカーが止まっている。
よく見ると、車内の助手席から篠本が鬼の形相で睨みつけていた! 運転席には女刑事の赤島もいる。
(ええ……)
やはり監視しているんだ。しかし、さっきのはアクシデント。俺が受け止めてなかったら、エペリは地面に倒れてケガをしてたかもしれない。
感謝してほしいくらいだ。
「……え、えーと、それじゃあ私は失礼しますね。管理人さん、おやすみなさい!」
やべ、篠本に意識が行って無言になっていた。気まずく感じたのか、エペリが逃げるように去っていく。
そんな慌てなくてもいいのに……
エペリの後ろ姿を見ていると俺は我慢できずどうしても聞いてしまった。
「なあエペリ、お前ってお姫様なんかじゃないよな?」
「ひゃはんっ⁉」
心底驚いたのだろう、エペリは俺の問いかけに体が硬直し、足を地面にひっかけ……
今度こそ転んでしまった。
「おわっ! エペリ、大丈夫か⁉」
「ぁいったーー……」
こういう咄嗟の瞬間でも「アウチッ!」でなく日本語なのは、この国に相当馴染んでいるな。など関係ないことを考えながら、俺は駆け寄る。
エペリの膝は砂が付いていたが、幸い血が出たりはしていなかった。
「驚かせてすまん、つい気になってしまって……」
「その、え、なんで? なんで知っているんですか⁉」
いつものエペリには珍しく語気が強い。
やはりそうなのか……まぁこれで違いますとか言われたら、そこで睨んできている篠本は一体何なんだという話になる。
「聞いたんだ。とある人から」
「もしかして、私をつけてくる怪しいおじさんからですか?」
はやりバレていたか。流石に車で後をつけたりしたら気づくよな。
「あぁ、そうだ。俺も初めて聞いた時は信じられなかったんだが……」
俺が説明している間エペリは、
「頑張って隠していたのに」など色々思案しながら独り言を言っていた。
「……仕方ないです!」
エペリはなにかを決心して立ち上がり、俺の手を掴む。
「行きましょう」
「ど、どこに?」
「エペリの部屋です!」
そう言うや否や俺の返事を待たず手を強引に引っ張って、エペリの部屋に連れて行かれる。
その時ふと目に入った篠本の表情は鬼……でなくムンクの叫びそのものだった。
エペリの部屋に置かれている小さいローテーブルの近くに座る。
部屋はおしゃれな小さめの鉢に観葉植物が飾られており、金魚鉢に金魚が飼われていた。パメラ荘の住人では珍しくパイプのシングルベッドが置いてあるが、他は特に変わりはなく、お姫様要素はない。
「もうね、吹っ切れました! 知りません、王族の義務とか! 国のためだとか! 私はもうお姫様としてもこりごりだし、男の人ともデートしたいし、なんで留学先でジャパニーズ過労死しなきゃいけないんですか‼」
エペリはコートを脱ぎ、白いブラウス姿で怒っている。元々ブラウスのボタンは首元まで閉じていたが、オフモードのためか上のボタンを外しはじめた。
小麦肌の健康的な胸元が露わになりドキッとする。エペリはもう色々吹っ切れたらしい。
そのまま冷蔵庫に行き、桃味のチューハイ缶を飲み始める。
「エペリって酒飲んで大丈夫なのか?」
「えぇ、私は二〇歳になったので大丈夫です。一年目はバイトが忙しすぎて留年してしまったから、大学はまだ一年生ですケド……あ、管理人さんはノンアルにしておきますね」
年上だったのか。甘そうな桃のノンアルコールカクテル缶をもらってエペリはまた飲み始めた。
良い飲みっぷりだな。ユヅキと一緒に飲めばいいのに。
「エペリ、さっきも聞いたがエペリが南の国の姫って本当か? なんでお姫様がこんな安アパートに住んでて、バイト漬けの生活をしているのか。にわかには信じられないんだが」
「秘密にしていたんですが、ご存じのようなので管理人さんだけに教えます」
エペリは覚悟を決めたのか、チューハイ缶をちゃぶ台に置き話し始めた。
「私は南太平洋のマグア連邦の王族として生まれました。ただ王位継承の争いがあり、他の王族で私をよく思わない人々もいます。政敵の策略により、王である父は操られ、私を遠ざけるために日本へ留学することになりました。悔しかったですが、私は日本への留学は前向きに捉えようと努力しました。故郷の国では自由のない生活に飽き飽きしていて、デートをすることもできません。王位に興味がない私は、日本へ来たらもっと自由になれると信じてました——だけど来日直前に、学費以外まったく支援がないことがわかって……今のようにバイト漬けの日々を送ることになりました……私にスキャンダルがないよう、日本の機関が見張っているのも知っています。他の誰かに助けを求めることもできません」
やはり本当だったのか。かわいそうな話だ。敵対する王族からの妨害で、わざわざ日本でバイト漬けの日々を送る姫がいるなんて……
「そうか、そんなつらい状況だったなんて。知らなくてごめんな。辛いことが合ったらなんでも相談してくれ。俺はエペリの味方だ。見張っている奴らなんて関係ない。困ったことがあったら力になりたい。俺も金はないがな、ははっ……」
「管理人さん……」
エペリは目に涙を浮かべた。
「ありがとうございます。一緒に日本に来ていた従者の爺やがいたのです。爺やも同じように日本でバイト生活の日々を送っていました。しかし一年ほど経って、生活が辛いからと言い残し帰ってしまい……誰にも……相談できる人がいなくて……」
「従者の爺さんもバイトしてたのか⁉ 確かにエペリ自身もしているし……それはつらかったな……」
マグア連邦の政敵はエペリに容赦のない怖ろしい人々のようだ。
「でも安心してください。牛野屋のバイトも結構好きになってきました。お客さんにありがとうって言われるとなんだか暖かい気持ちになれます」
弱みを見せたが、エペリは再び健気に振る舞い微笑んでくれる。
ふと目をやると部屋の中には、恋愛漫画や若い女性向けの雑誌が置いてある。
俺が本を見つけたのをエペリも気づいたようで、頬を赤らめる。
「恥ずかしいです。でも私だってそういうのに憧れるんです。普通の女の子ですから」
「いや、勝手に見てすまなかった……」
エペリの背景には深い事情がある。が、見た目は抜群の美少女だ。街中を歩いていたらつい見惚れてしまうだろう。姫として恋愛の制約がなければ、かっこいいボーイフレンドを連れていてもおかしくない。やはり見れば見るほど美人だ。顔や胸のサイズはロリだが、細いウェストに長い手足。少女性と大人の美しさを兼ね備えている。簡単に言うとエッロい……邪な考えをしながらエペリの体をじっと見てしまう。
「カオルさん、そのあんまり見られると恥ずかしいです……」
「す、すまん! つい……。そうだ、牛丼屋とかでバイトもいいが、他にモデルでもやってみたらどうだ? エペリなら活躍できると思うし、一緒にオーディションとか探さないか?」
「優しいですね。カオルさん……私嬉しいです……」
エペリはチューハイ缶を飲み干して俺に近づき、上目遣いでのぞき込んでくる。胸元のブラウスが緩み、胸が見えそうで見えない。
「決めました……! カオルさん私を抱いてください!」
「えっ⁉」
ダイテクダサイ?……
んん⁉ それはいきなり過ぎないか? エペリを見ると酔いが回っているのか、トロンとした目で見つめてくる。
「いや、その、それはちょっと……」
「知ってます。カオルさんはアヤメちゃんが好きなんですよね? なんだか無性に奪いたくなってきます……」
「⁉」
こんなの知らないんだけど! エペリってこんな人だっけ?
魔性の女だ。篠本が言っていた「エペリに近づくな」ってそういうことだったのか⁉
「カオルさんのこと、私気になっていたんです。カオルさんって良い人なフリして、ちゃんと中身ゲスな変態さんですよね。知ってるんですよ! いつも私に優しくしてくれる一方で、バレないように胸をチラチラ見てくるの」
バレてた! 確かにその通りだ。エペリは笑顔で近づいてくるが、無防備に胸元が開いていて、ついチラ見してしまう。現に今も俺は空いた胸元から覗く小さな谷間をチラ見している! 気づかれてないと思ったがバレバレだった。
「でも、そういうところ好きです。私のことを女の子として見てくれているんだぁって。いつもどういう想像しているんですか? クズカオルさん?」
やばい、いつの間にか俺はエペリに押し倒されているような体勢になっていた。
微笑みながら俺に迫ってくる。これはもう襲われたら受け入れるしかない?
……いやダメだ。これ以上住人達にエッチなことをしてはまずい。
唯一何もなかったエペリにまで手を出したら、住人全員セクハラコンプリート。本当に変態管理人だ。
「すまん、いつもエロい目で見ているのは事実だ……だけど抱くとなると、まだ俺の気持ちが……」
嫌な顔をされると思ったが、エペリは優しい眼差しのままだ。
「ふふっ、わかりました。私にも考えがあります……私を監視している人ずっと近くにいますよね?」
「内調の篠本とかいうおっさんのことか?」
「あの人、苦手です! 今日もワンオペで忙しかったのに、チーズ牛丼チーズ二倍キムチ青ネギ追加で! とか複雑な注文してきたし。監視の仕事中じゃないんですかって聞いたら、休憩取得は法に定められたものだから大丈夫とか言い訳して」
休憩は別にいいんだろうが、監視対象者に接客させるなよ……
「だから……言ってきてやります!」
「言ってくるって篠本にか?」
エペリは俺の頬を優しく撫で……
「はい、私を見ててください」
そして、エペリ自身に指を指した。
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