蟲筆

 広い空間を挟むように両側に設置された障子。木の板で仕切られた半紙の一枚一枚には、びっしりと「般若心経」が写経されていました。


 こちらはつくだ 優河ゆうが氏が手掛けた、『蟲筆ちゅうひつ』という作品です。


 初めに見たとき、その文字の「いびつさ」に首を傾げたことを覚えています。


「なぜこんなに、まるで筆圧がない人が書いたようにかすれているんだろう。それに、人間が書いたにしては随分と一画一画が直線的だ」


 その理由は、会場の外に置かれていたタブレット端末を見て分かりました。なんとこの文字、ゴキブリを使って書かれていたんです。ゴキブリの体に電極を付け、電子制御によって動かし、一画一画を書かせて制作されたこの作品。


 「なんて途方もないんだ!」と驚いた記憶があります。正確な文字数を数えていないのですが(不覚!)、200文字近い写経を大きな文字で、人間ではなく間接的な操作によって虫を使って書くということが、どれほど気の遠くなる作業か。


 しかし、冷静に考えてみると、この『蟲筆』も人間、もとい生物が書いたものだと解釈できるのではないか、と考えました。


 通常、私たちは「人間が書いた」と考えると、生まれ持った手や足などを使って書いたものと考えます。しかし、『蟲筆』に使用されたゴキブリは間違いなく生物ですし、電子制御というのも、間違いなく人が作った技術に他ならないからです。


 人間が自分の手ではなく、さりとて完全に機械を使った操作でもなく、そこに虫というクッションをひとつ挟んで制作されたものも、明らかな「生き物の手による創作」と呼べると考えました。


 「現実アナログ電子デジタルの境界線はどこか」という問いを強く感じました。これは、近代に入って芸術分野以外でも広く議論されてきたことだと思います。


 私事で恐縮ですが、この問題は以前読んだフィリップ・K・ディックの名作SF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』にも通ずるものだと感じました。


 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、「人間とアンドロイドの違いは何か?」というのが、作品の根幹を成すテーマとして描かれています。


 私が『蟲筆』に感じたものも、「どこまでが人間の手によるものか」という、現代の創作やアートに通ずるものを感じました。


 Chat GPTをはじめとしたAIの技術が目覚ましい昨今だからこそ、そういった強いメッセージ性が『蟲筆』には込められていたように思います。

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