第13話 白昼夢

夢を見た。


暗雲に立ち込める空から大粒の雨が降り、遠くで稲妻が光る。

Sと私は学校に向かって通学路を走っている。

雨水を吸って体にまとわりつく水色のブラウスから肌の色が透ける。

髪をまとめ直す時に晒される白いうなじ。

どきまぎして目を逸らす。


万華鏡のように場面が切り変わる。


私とS以外には誰もいない高ⅠAの教室。

激しい雨が窓を打ち付けている。

Sのまっすぐな目に射すくめられ、私は身じろぎもできない。


Sが私の内腿に唇を落とす。

それだけの刺激で、身体がのけ反ってしまう。

彼女が触れた所から熱を帯びていく。

芯まで冷え切っているのに、のぼせたみたいに思考が鈍る。


困惑と歓喜とが入り混じりながらも、僅かに残った理性で彼女から逃れようと身をよじる。

拒まなければ。警鐘が鳴り響く。

頭ではわかっているのに、金縛りにあったみたいに体が硬直して動かない。


私の心を見透かすようなSの黒い瞳が迫ってくる。

彼女が目を閉じ、かがみ込む。

一瞬の出来事だった。

刹那、舞い落ちる花びらがそっと唇に触れた。


近くで稲妻が落ちる。

地を揺るがし轟く雷鳴、

照らし出される端正な横顔。

やはり彼女は美しい、どんな時も。


Sに頬を触れられて、自分が泣いていることに気がついた。

なぜだろう、とめどなく涙が零れてしまう。

これは喜び?それとも、悲しみだろうか。

わからない。制御できない。

静かに、はらはらと涙を流す私に動じることなくSはそのまま首筋へそっと唇を落とす。


彼女と肌を重ね、その体温や鼓動を感じながら

私は言い知れぬ喪失感に苛まれた。

彼女と口づけを交わせば思いが通い合い、漠然とした不安から解き放たれると信じていた。

だがそれは違った。


しっかり抱きとめていなければ、

腕の中をすり抜け泡沫となって消えてしまいそうなほどにSの存在を儚く感じた。

こんなことは初めてで、私は子供みたいに泣きじゃくりながら確かめるように彼女の名を呼んだ。


すると急に、高いところから落下するような感覚に陥った。

地面が割れ突然目の前に現れた、まるで湿原にぽっかりと口を開ける底なし沼のような闇に吸い込まれる。

ぐんぐんスピードを上げて、私はどこまでも暗い穴の中を落ちていく____。


そういえば昔こんな童話を読んだことがあったっけ。あれは『不思議の国のアリス』の冒頭だ。

白うさぎを追いかけてアリスは穴に落ちてしまう_____結局はアリスが寝ている間に見ていた夢だったけれど。


机の上で私は目覚めた。

頬には涙が伝っていた。起きがけ特有の浮遊感と足のしびれが残っている。

時計を見ると土曜日の15時過ぎだった。

今日は午前の授業の後、塾にも寄らず家に帰ったのだった。

両親は買い物で外出しており、家には誰もいない。

体を起こし、リビングへ向かう。コップを出して水道水を飲みながら私は今しがた見た夢のことを考えていた。


Sに出会ってから私の生活は一気に彩りに満ちたものに変わり始めた。

関わってこなかった同級生の新しい一面を知れたし、自分も心を開いて知ってもらいたいと思えた。

なんでもない日が特別で、輝きに満ちていることを知った。無為に過ごしてきたことが悔やまれるほどに。


Sは私の白うさぎだった。白うさぎは不思議の国の住人だが、アリスは元いた世界に帰らなくてはならない。

アリスのように、私も帰れるだろうか。

指先で唇に触れると、まだ夢の中の感触が残っていた。

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