第5話

―Side Sacnya & Yuzuha―


 白黒と鈩が別館へと案内されているのと同時刻、サクニャ達三人をを乗せた大型ヘリコプターは空をゆったりと飛行していた。

「なぁなぁなぁ、この船はいつ目的地に着くんだぁ~」

 ヘリコプターの中で暇を弄び、見るからに機嫌を悪くしているアロエが遊子羽へと問う。

「もうすぐ着くからジッとしていて」

「ちぇー分かったよ」

 ヘリコプターに乗り始めてからまだ十分程しか経っていないにもかかわらず、退屈の色が隠せていないアロエに遊子羽が強引に言葉で静めさせる。

「ウチは逆に動き回りたい……」

 アロエとは逆に重装備で動きづらいサクニャはヘリコプターに乗ってから地蔵の様に身動き一つ取らず、アロエと遊子羽の喧騒を少し羨ましそうに眺めていた。

「あなたまで馬鹿な事言わないで。ほら、あそこが目的地よ」

 アロエ一人でも相手をするのが大変なのに、騒がしくする要因が一人増えてしまうとそれだけで頭痛のタネとなるからサクニャが静かなだけでもありがたく思っていた。そして事態が騒がしくなるよりも先に目的地へと降り立ち、やっと遊子羽に心安らぐ時が来た。

「はぁ~あそこが例の鑑定士がいる所ね。こんな空気が薄い山の上で生活するなんて随分な変わり者じゃない」

「私としてはこの山の上でそんな薄着をして平気な方が変わっていると思うのだけど」

 サクニャは屋敷にて装備を整え、遊子羽は予めヘリコプターに積んでいた装備があったので着陸する前にそれに身を包んでいたが、アロエだけはペラッペラのTシャツにジーンズそれに底の薄い運動靴とどう見ても山には不向きと言わざるを得ない恰好であった。

「あたしはアンタ達とは鍛え方が違うのよ。ほら、それよりも早く案内してよ、サクニャが寒さやらなんやらで今にも落ちそうになってるから」

 アロエが後ろを指すとそこでは装備によって万全と思われていたが高地特有の寒さと空気の薄さでふらふらになっており、ともすれば一人だけ遭難してしまいそうになっている。

「ゆじゅさぁん~……待ってぇ~……」

「……彼女に渡した装備って素人でも高山に登りやすく出来ているはずなのにそれでもあそこまで動けていないって、高山との相性がよっぽど悪いのね」

 このままでは本当に遭難してしまう為、いそいでサクニャの元へと駆け寄りその身体を支える。

「ほら大丈夫? しっかり掴まって」

「ありがと~ゆじゅさん」

 遊子羽に支えられながら雪が降り積もる山を進んで行き、そう時間もかからずに目的地と思われる建物が目に入って来た。

「あそこがそうか?」

「えぇそうよ。さぁ急ぐわよ」

 場所からすると山小屋のようだが造りはかなりしっかりしており、過酷な環境下で暮らすための物なのだろう。そして、遊子羽はその建物の扉を開け放ちそこの主を呼ぶべく声を張り上げる。

耀ようめい! 仕事の時間よ!」

「ん~……なんダニ、そんな大声で呼ばなくても聞こえてるって」

 建物に入ってすぐ細長いカウンターが出迎え、遊子羽はそこにいなかった主の名を呼ぶとその奥の部屋から丸眼鏡をかけた痩身で青白い男がゆったりとした動作で現れた。

「そう、じゃあ早速だけどこの腕輪を見てもらうわ」

 肩に担がれたサクニャの腕をカウンターの上に乗せて鑑定作業を始めてもらった。

「これを見たらいいんダニ? ふーっむ…………ん? なんか見覚えがある様な……?」

 耀明が一度奥の部屋へと引っ込む。そしてその中から何かをひっくり返したかのような慌ただしい音が響き渡り、少しの時間が経過した。

「うにゃ~……いったいいつまでこのままななんだろう……」

 耀明が奥の部屋に入り心配になる音がしてから十数分ほどの時間が経ち、それから一向に反応がないまま待ちぼうけをくらい、サクニャがダレてしまった。

「耀明は結構記憶力がいいからね、だから何かしらの資料を探しているのよ。――ただ片付けとかが超苦手だからそれを探すのに手間取っているわね、この感じだと」

 遊子羽が心配する中、さらに大きな音がして不安を煽ってくるがそのすぐ後、埃まみれになった耀明が本を持って奥の部屋から出てきた。

「本一冊見つけるだけでだいぶ時間がかかったじゃない」

「ちょっと本が崩れてしまってね、そのせいでこれを見つけるのが遅れちゃったダニ。だけどなかな面白い物が見れると思うよ」

 耀明の手には一冊の古ぼけた本が握られており、そしてそれをカウンターの上に置くととあるページを開いて指し示した。

「あれ、これって……この腕輪とそっくり……」

 耀明が開いたページにはいまサクニャが着けているのと寸分たがわない絵がそこにはあった。

「ちょっと耀明、なんなのその本は。なんでお宝の事が描いてあるの!」

「ちょ、ちょっと落ち着くんダニ。これは過去に見つかったお宝を記したものだから――」

「私が言いたいのはなんでさっき見つけたばかりのお宝がそこに描いてあるのかを聞いてるの!」

「なんだ? その本に描いてあるかどうかがそんなに大事な事なのか?」

 この世界に来たばかりで細かい事情など知らないアロエ達には、この二人のする会話の中から何が重要なのかが掴みとれないでいた。

「お宝は遺跡が生みだし数々の困難を乗り越えた勝者への褒美――それ故に同じ物は存在しないはずなんだけど……どう見てもこの本にはコレと同じ物が描いてあるのがねぇ」

「なるほど、つまりこの腕輪は本来は誰か別の奴が既に取ったからその本に記されたって訳だけど、それなのにこの腕輪が遺跡にまた出てきたのは不可解――って事ね」

「そういう事よ。なんでそんな事になっているかは分からないけど今は逆にチャンスかも」

「オイラもそう思ったからこの本を持ってきたんダニ。それでちょっと見てほしいんだけどここにこの腕輪についてこんな事が書かれていたんダニ」

 耀明が指し示すその部分には腕輪の挿絵と共に以前の持ち主が残したと思われる記述があり、そこには腕輪につけられた名称とそれに備わった効果が記されている様だ。

「えっ⁉ じゃあこれを外せるってこと⁉」

 この本にはきっと腕輪から解放されるための事が書いてある――そう思ってサクニャはそのページを食い入るように見ていたが、すぐに顔を放して天を仰ぐ。

「どうだったサクニャ。なんか分かったか?」

 アロエが話しかけるもなぜかサクニャの顔は薄暗く、問いかけに対しても首を横に振るだけでどうにも様子がおかしい。

「し、師匠……これ、なんて書いてあるの?」

「……オマエ、文字読めなかったのか」

「だって……今まで全然見た事なかったんだもん」

「――仕方ないわね。私が代わり読んであげる」

 サクニャの発言にアロエの表情が凍り付く。だが、すぐに横から遊子羽が本に描かれている事を読み上げて説明を始めた。

「え~……っと腕輪の名前は審判の腕輪、効果は……なにこれ、罪人を然るべき時まで拘束する。そうではなかった場合は――ちょっと耀明、この先の文字が掠れて読めないんだけど!」

 物騒とも思える文字列が続き、その後には今の状況を打破しうるかもしれない事が書かれているかと思ったのだが、そこからは保存状態に難があったのかとても読める状態ではなかった。

「ぬぬぅ~ん? ここの環境は最高に保存に適しているからこうなるのはおかしいねぇ」

「確かに環境はいいかもしれないけど、保存の仕方が悪いからこうなったんでしょ。どうにかしてこの部分が分かる様にならないの」

「そう言われても困ったダニ。この本を読んだのも何年も前だから詳しく内容は覚えてないんだけど……あっ、そうだ! そう言えばこの腕輪の持ち主は空に眠る遺跡を探していたと本に書いてあったダニ!」

「あぁ……あれを探して……ってそれいつの話よ。空に遺跡があるのが分かったのなんて五十年も昔じゃない」

「そうなのか? いや~ここにいると世間に置いていかれてツラいね」

「――そんな所にまで遺跡ってのはあるのか」

「いろんな所に隠れているわ。それで耀明、その腕輪の持ち主だった人は具体的にどこを探していたのよ」

 今後に関わる情報なだけに遊子羽の声は荒く強くなり、ついにはカウンターを勢いよく叩いて聞き出そうとする。

「確か……空に浮かんだ城……だったはずダニ」

「そう、それだけで十分よ。ありがとう、じゃあこれは今回の鑑定料ね」

 必要な情報を聞き終えると遊子羽は懐から小切手を取り出し、そこに金額を書いて手渡した。

「毎度どうもダニ」

「これで用事は全部済んだか?」

「えぇ、しっかりと。それじゃあヘリに戻りましょうか」

 遊子羽達は耀明の所から出ると外で待たせておいたヘリコプターに再び乗り込み、次なる目的地――空に浮かんだ城なる所へと向かった。




「先に言っておくけど今向かっている城はそこまで時間が掛からないからいつ着くとか聞かないでよ」

 ヘリコプターに乗り込むなり開口一番にアロエに向かって強い意志で宣言する。

「おいおい、それじゃああたしがまるで聞きわけない子供みたいに聞こえるじゃないか」

 遊子羽の意志の籠った宣言をアロエは笑いながらさらりと流す。

「はぁ……ミシェがあなたに苦労する場面がなんとなく浮かんで来たわ」

「はっはっはっ! そりゃどうも。それで、今から行く城ってのはどんなところなんだい?」

「あのお城は数年前に七宝家が見つけたのだけど、広い上にその時は住人の消失事件が起こり始めた時だったから調査とかは手付かずだったの」

「なーるほど。それなら神秘の一つくらい眠ってそうね」

 殆ど人跡未踏の地に腕輪の前の持ち主が探し求めた地、それが合わさることでサクニャから腕輪を外す手掛かりへの希望が現実味を帯びてくる。

「そうなのよ! これはもうトレジャーハンターとしてもわっくわくな事なんだから!」

「――ウチも結構楽しみになって来た」

 もうそろそろ目的地に着くかという所でトレジャーハンターに染まりつつあるサクニャであった。




「当主代行、陸地が見えてきました」

「分かったわ。サクニャ、準備はいい?」

「大丈夫、バッチリだよ!」

 胸の前で両腕を曲げて己のヤル気の高さを見せつける。そしてそのヤル気を見届けると遊子羽はパイロットに手近な所へと着陸させるように命令させ、そのまま城の郊外と思われる島へと着陸した。

「お~……ここが空に浮かぶ城か~。結構いい眺めじゃないの」

「ここ、さっきの山よりさらに標高が高いのに平然と外に出ていくって……」

「でも意外と暖かいし空気も薄い感じはしないわよ、ほらっ!」

 いつものようにアロエが勝手に先行するが、どうやら城の周辺は地上と似た様な気候になっているらしく、それを分からせるべく遊子羽の手を取って外へと引っ張り出す。

「えっ⁉ まさかそんな訳……嘘……なんで……?」

 アロエに無理やり外に連れ出されたが、出てみたところ遥か上空とは思えない程温暖でありしかも空気が薄いという事もない、まるで空を旅する者の為に用意されたオアシスのようであった。

「そんな細かい事いいじゃない。サクニャもこっち来なさいよ~」

「は~い」

 サクニャも外に出た所でアロエがなぜかヘリコプターのパイロットの方へと向かう。

「なぁアンタ、この船はしばらくここに留まるのか?」

「これは船ではないのですが、そうですね。当主代行達を最後までお送りしないといけませんので」

「そうか。仕事熱心なところ悪いがアンタは地上に戻っておいた方が良い。どうにも嫌な胸騒ぎがしてならない」

 サクニャと遊子羽が未知の地に興奮し辺りを散策している様子を遠目に見ながらそのような事を忠告する。

「で、ですがそれでは皆様方が地上へと帰る手段が無くなるのではないですか」

「そこら辺は心配する必要はないさ。遊子羽はしっかり地上へと送り届けるからね」

 二人はじっと見つめ合う。パイロットも自分の職務を全うすべきだと考えていたのだが、アロエの真剣な眼差しに彼女の本気を見てこれは敵わないと身を引いた。

「――分かりました。当主代行の事はあなた方にお任せします。私は地上に待機していますので万が一の事があればこちらを使ってお呼びください」

 アロエに携帯電話を渡すとパイロットはヘリコプターに乗り込みそのまま地上へと帰っていった。

「あ、あれれ……? ウチ等が乗って来たあれは?」

「あぁ、あれなら帰したよ。ここに留まって死なれたりでもしたらたまったもんじゃないからね」

「――誰か、先客でも居るとでも言うの?」

「さぁ、それは分からないわ。ただこの場所は人が殆ど来た事が無いのにも関わらず居心地が良すぎてね、どうしてもあたしにはここが不自然に感じるのよ」

 アロエの主張に遊子羽はフムと頷く。彼女もトレジャーハンターとして色々な修羅場を潜り抜けてきた経験上、確かにお宝を探してきた時にここまで危機感というものを感じない場所には一度たりとも出くわさなかった。そして平和過ぎる地への不信感が急速に遊子羽の中で高まっていく。

「確かにそうね、居心地が良すぎて警戒が薄れちゃったみたい。改めて気を引き締めないと」

 天空の楽園とでもいえるこの場所は、かつて一人のトレジャーハンターが目指していた地なのだ。そんな場所だと忘れさせる陽気さと神秘さにもう一度気を取られることが無いように両の手で自分の頬を叩いてトレジャーハンターとしての眼差しに戻した。

「それで? 差し当たってはどこから見ていく?」

「まずはあの城からよねやっぱり。取り敢えず私はサクニャと一緒に何か文献とかが無いか探しているからあなたは――」

「適当に歩き回ってなんか良さげな物が見つかったら呼ぶよ」

 そう言ってアロエは城の扉を蹴破ると、一人でその中へと歩いて行った。

「いくら何でも乱暴すぎよ……この先に貴重な物とかがあったらどうするのよ」

「師匠の事だからそこら辺は考えてると思うよ――たぶん」

「し、心配過ぎる……」

 これから城を探索していく中で被害に遭う物が他に無い事を切に願う遊子羽であった。




「さて、あの人が通った道は……分かりやすいぐらいにあっちの方向ね」

 城に入って早々分かれ道が複数あったが、一つ道を見て見ると乱暴に開けられた扉がこれでもかと目に飛び込んで、アロエがそこを進んで行った事をありありと見せつけられる。

「もう慣れたちゃったんだ」

 アロエの奇行にはすっかり慣れたのか、開け放たれた扉の群れに興味を示す事無くそちらとは逆の方へと歩みを進めた。

「それにしてもここまで部屋がいっぱいあるとどこから探したらいいか分からないにゃ~」

「別にこれらを一つ一つ丁寧に調べていく必要はないわ。まずは大きかったり豪華な扉を探すの、経験上だけど重要な情報とかは大抵はそういう所にあるから」

 そう言いながらまずは手近な所にあった装飾が豪華な扉に手を掛けノブを回す。するとその扉の装飾に負けず劣らず豪華な調度品で彩られた部屋に出迎えられる。

「うわぁ~すっごい部屋……でもここから何を探したらいいのかにゃ~?」

「取り敢えず……サクニャは背表紙が豪華そうだったり古そうな本を探しておいて。後は私が中身を確かめるから」

「は~い!」

 そうしてサクニャにやって貰いたい事を告げると遊子羽はその部屋から離れようとする。

「あれ? ゆじゅさんはここにいないの?」

「必要な物がここにあるか分からないのに二人一緒にいる必要はないでしょ? 私は蔵書室が無いか探して来るわ」

「いってらっしゃーい!」

 元気な声で遊子羽を見送るとサクニャは壁際に並べられた本棚から言われた通りの本がないかを探し始める。

「……とは言われたけど、どれがどれだかサッパリだにゃ~」

 目の前には本が綺麗に並べられているが、遊子羽の言う本というのが普段から本に関わらないサクニャにとっては判別がつかず、周りと比べて相対的に豪華そう・古そうかでしか手に取れないでいる。

「うぅ……読めない文字がウチを襲うよぉ……」

 さらには文字が読めないサクニャには理解の出来ない情報の波により眩暈のような症状すら与えてき出した。

 そんな中でもサクニャは何冊かの本を取り出す事は出来たが、大量の情報には抗えず現在は部屋の中にあったこれまた豪華な天蓋付きなふかふかのベッドの上で全身を預けている。

「つ、疲れた……ちょっとだけ……休ま、せて……」

 完全に脳がショートしたようでサクニャはそのまま久しぶりのベッドにして初めての感触の寝床に瞬く間に睡魔へと落ちて行った。

 そしてサクニャが眠ってから三十分後――開きっ放しだった扉から遊子羽が勢いよく入ってきた。

「うわぁっ⁉ び、ビックリした……」

「大変よサクニャ! ……って、寝てたの?」

 高級な布団と枕に埋めていたサクニャが飛び起き、口元から涎が一筋垂れる。

「ごめんなさい……」

「別に謝らなくていいわよ、私も後になってから文字を読めない人にさせる仕事じゃないと思ったから。――と、それよりもちょっとついて来て!」

 慌てて部屋に突撃した遊子羽は、まだ寝起きで頭が上手く働いていない状態でどこかへと連れていかれる。

「ふぇっ⁉ なにがあったの⁉」

「すぐに着くから聞きたい事はそこでお願いするわ」

「あ、うん……」

 サクニャの疑問は燻り続けたまま二人は階段を降りて行き、その先にあった金属製の扉の前で止まる。

「なんか……さっきゆじゅさんが言ってたのとは違う感じの場所だよね?」

「明らかにここだけ周りと浮いていたからね、これは逆に気にもなるでしょ」

 地下にあるこの部屋の扉の横にはサクニャにはおおよそ理解の及ばない物の数々が取り付けられているが、そのいくつかからは煙が立ち上っており多少だが焦げ付いたにおいをばら撒いている。

「ねぇゆじゅさん、なんか煙とか出てるけどいいのこれ?」

「あぁこれ、そこのドアを開けた時に煙が出たわね」

「へ~……変わった扉だにゃ~」

 話しぶりを聞くに多分だがロックされていた扉を無理矢理開けたから壊れて煙が出たのだろうが、こじ開けた本人は気にしたそぶりを見せずサクニャも煙が出た原因までは分からなかったようだ。

「まぁ変わっているわね。それで見てほしいのはこの先なんだけど――」

 遊子羽は金属製の扉を横に引いて開けると、そこはガラス製の円筒が並んだ部屋が現れ明らかに上にあった部屋とは雰囲気が異なっていた。

「なに、ここ……」

「さぁ? 私もこういうのは見た事がないから何なのか分からないわ。それよりこっちを見て」

 目の前にある物体達も謎であるが、用途が分からない物に触る必要性は無いという事で軽く触れた後は本命と思われる一枚のパピルス紙をサクニャに見せた。

「う~ん? これ見て何が……あっ!」

 そのパピルス紙には文字がびっしりと書き込まれており、サクニャにはその内容が全く理解できなかったがただ一つ文字以外の部分があり、そこにはサクニャでも分かるとある絵図が描かれていた。

「気付いたわね。そうよ、ここに書かれているのはサクニャの腕輪と同じ物でここには作成者とか使用目的が書かれているわ」

 サクニャにも分かるようにパピルス紙に書かれている内容を簡潔に説明すると、この腕輪を付けられた人間はまずは腕の動きを拘束された後、その腕輪に選定されるというのだ。そして選定というのにも種類があり、主に上に立つような人物であると腕輪に判断された場合は自然と外れ、そうではない場合は死ぬまで両腕が拘束された虜囚の扱いとなるようだ。

 そんな説明を聞き終えサクニャは己の境遇を想い返しながら一言叫ぶ。

「ふ、ふ、ふざけるにゃ~!」

 部屋の中に己をの命を振り絞ったかのようなサクニャの大声が反響する。

「――まぁそういう反応を普通はするよね」

「なんなのこれ⁉ これがお宝って? いい加減にしぃにゃ!」

「あ、あれ……?」

 サクニャの怒りが遊子羽が思った以上に高まっており、ついには聞いた事が無い語尾の様なものが混じって来た。

「お、落ち着こうサクニャ……ねっ?」

 今までの人生の中で一度も見たことのない他人の反応を前に何とかなだめようとオロオロしながらも窘めようと頑張る遊子羽、そんな彼女にまさに天からの助けとも言うべき出来事が舞い降りる。

 ――ぬるんっ

「……ん?」

 不意に遊子羽の顔に影が射す。違和感を感じた方向へと顔を向けるとそこには――

「どうした? 何かあった?」

 アロエの顔が天井から音もなく現れ、心配そうな顔で遊子羽とサクニャの顔を見つめていた。

「あ、あああ……」

 急に天井から顔だけを現したアロエに対し驚く遊子羽と、アロエが来た事により少し落ち着きを取り戻すサクニャという両極端な反応を見送りつつアロエが天井をすり抜けて降りてきた。

「よっと……! 何があったんだサクニャ? 外にもオマエの声が響いてたぞ」

「し、師匠~!」

「あ、えっと……これを見てちょうだい」

 アロエの登場の仕方には驚いたものの、すぐにこの地下で見つけた物の共有を行うべく彼女へとパピルス紙を手渡した。

「ん~……なるほどね~……これはこれは…………」

 パピルス紙を上からすらすらと眼を動かすだけで読み進めていると、ある一点の所でほんのわずかに表情が変わり一瞬だけだが目の動きも止まった。だが、そんな素振りもすぐに無くなり読み終えたパピルス紙を畳んで自分のポケットに突っ込んだ。

「もういいの?」

「ばっちりよ。だけど思った以上に面倒なシロモノね、これを外す条件が人の上に立つに足る器の持ち主ってのがなぁ……」

 ちらりとサクニャの方へと視線を向ける。そこには先程よりは落ち着きを取り戻したサクニャがいたが、いくら何でも彼女にそこまでの器は持ち合わせてはいないだろうと遊子羽と顔を見合わせてそして目を落とす。

「……? どうしたの二人とも」

「いや、なんでもない。取り敢えず一旦外に行くわよ」

「えっ、もう外に出ちゃうの?」

「欲しい情報はあらかた手に入ったけど問題も増えたからね、ちょっとそれを調べに行くんだと思うわ」

 サクニャの疑問に遊子羽が代わりに答える。というのもアロエは外に出てやはりというか真っ先に一人で突っ走って行ってしまい、その様子を見て苦笑気味に遊子羽とゆっくりと歩き出しそれに釣られるようにサクニャもまたどこかへといったアロエをゆっくりと追いかける。

 そうしてサクニャと遊子羽はアロエを追って行ったのだが、すぐに立ち止まったアロエと再会することが出来た。

「どうしたのよ、こんな所で立ち止まっちゃって。何かあったの?」

「そうだな……何かじゃ到底すまされない事が今あたしの目の前に広がっているな」

「なによ、勿体ぶった言い方して。いいから見せなさい――よっ!」

「あっ! ちょっと待て!」

 外に通じる扉の前でその先へ行かせまいとしているかのようなアロエを押しのけて肩口からその先を覗いた。だが、それは好奇心から覗くには遊子羽にとってはあまりにも重い光景だった。

「な、なんなのよこれ……」

「んにゅ……ウチにも見せて見せて!」

 目の前の光景に遊子羽が尻餅をつく。そんな慌てぶりの彼女の様子を見てサクニャもまた興味が湧いて扉の先を覗いてみた。

「これって人形……かな? みんな本物みたいですんごいにゃ~」

「――いや、ここにいるのは全員人間よ。それも、私があなた達に協力を頼んだ事件の――ね」

 三人の視線の先にあった――いや、いたのは城の中庭を埋めつくす人の群れであったが、そのいずれもが動いておらず、生命の鼓動を感じさせないでいた。

「コイツは中々な面倒な状態ね。見たところ生きているとは思うんだけど……魔術が絡まいモノだとなんとも言えないわね」

 超常的な事象には慣れていそうなアロエでも生きているのでなかろうかと言うだけに留まり、首を傾げながらも遊子羽の為に調べている。

「それは後で調査したら良いだけの事。とにかく地上へ連絡しないといけないわね」

 なぜ事件の行方不明者がここに居るのか理由は分からないが、ここで見つけた以上は連れ帰ってあげなくてはスマートフォンを取り出し、アロエが一度返したパイロットへもっと大きい輸送機で迎えに来るようにと連絡を取ろうとする。

「おっとと……それはちょ~っとやめてもらおうかな?」

「――えっ⁉ 熱っ!」

 遊子羽の右手に液体がかけられた。そしてその液体は瞬時にその手を蝕んでいき火傷に似た症状を引き起こしていた。

「大丈夫、ゆじゅさん!」

「大丈夫……とは言い難いかも」

 遊子羽の右手はどんどんと焼け爛れた状態になり手に持っていたスマートフォンも取り落としてしまうまでに至った。

「――そこかっ!」

 アロエはすぐさま声のした方向へと目を向ける。城の尖塔の上――そこには黄色いフレームの眼鏡をした神父服の様な様相をした謎の人物がおり、アロエは視線を向けながら敵意を露わにし、いつでも動ける体勢を取る。

「ん……? そこにいるのは葉神アロエかい? 中々の大物だがこのタイミングでかぁ。ぼかぁ日頃の行いは良い方なんだがなぁ」

「あたしの事をご存じとは光栄な事ね。――で、アンタはドコのどいつさ」

 飄々とした態度の男に対して所属と名前を聞く。だがその問いが聞こえているのかどうか――彼は自分の世界に入り浸るだけで反応が窺いしれないでいる。

「あぁっ! セムリ様、ぼかぁ罪深き男だ。かのような試練をお与えになるとは」

「あぁっ⁉ オマエ、セムリの関係者かよ。まさか一日に二度も出くわすなんてな」

 アロエの手からパキパキと音が鳴る。それは如何にも臨戦態勢といった雰囲気を醸し出していた。

「まずは自己紹介代わりの一発をあげようか」

 男は城の尖塔の上から飛びあがり、そのまま踏みつけるように急降下して来た。

「なんだよこれは……まさかこんな実力であたしとやり合うつもりだったのか? こんなんじゃあ遊びにもなりゃしないよ!」

 アロエは上空から降って来た男の脚を左手で軽々と掴むと、上空からの勢いをいったん消してから城の壁へと投げつけた。

「あいたた……いやぁ噂に違わぬ強さをお持ちだ。こちらも少し気を引き締めないとねぇ」

 アロエに投げつけられてもピンピンとしているその男は、アロエの一撃に感嘆しつつもまだまだ全力は出してはいないようでその実力を発揮させるために男は自身のズボンへと手を掛ける。

「あぁっ! 罪深きこの身体から穢れを祓い給え」

 何やら自分に酔っている様にしか見えないがその行為はヒートアップしていき、突如としてズボンを脱いでそれをアロエに投げつけながらその影に隠れるようにしてラリアットをした。

(――なんだ? さっきよりも威力が上がってる? だがこの程度なら)

「……おいサクニャ、それに遊子羽。この変態の相手はオマエ達がやれ」

「え……っと……これで?」

「なんで私が。あなたが相手をしてたらいいじゃないの」

 アロエの発言にサクニャは未だに両腕が拘束されている状態なのを見せつけ、遊子羽にいたっては先程までやる気だったのいきなりこちらに戦闘を丸投げされたことに怒りをぶつけている。

「あたしは雑魚とは相手をしない主義でね。二人なら絶対にやれるから!」

 適切な理由になっているか怪しい弁明をしてアロエは少し下がった立ち位置に引っ込み、代わりにサクニャと遊子羽が矢面に立たされる。

「どれだけ身勝手なのよこの人は――仕方ない、相手をしてあげるわ。こんな所にいるなら消失事件にも関わっているかもだし」

(フンスッ!)

 ほぼ無理矢理ではあったが二人は戦闘態勢を取る。

「なんだい? ぼかぁ葉神アロエにだけ用事があるんだ。邪魔ぁ――しないで貰えるかい?」

 アロエの思い付きに二人が巻き込まれている間にも男はまたもや服を脱いでおり、いざ戦うといった時には既にほぼ全裸の状態となっていた。

「な、なに……この威圧感……ただの変態じゃあない?」

 隠す所がほぼ無くなった男は相手がアロエから変わるや否や見た目以外の変態性はすべて鳴りを潜め、危険な匂い振りまいている。それに気圧されまいと意識を強く保つ遊子羽だが相手の見た目が気になり、戦闘意識の方が削がれていく。

「ふふっ……君達にはこの肉体美を目にするのは早かったかな? さぁおいで、このえいじょあんの肉体を心行くまで堪能させてあげる」

 如闇と名乗った男はどこからか試験管を取り出すとその中に入っていた液体をグイッと一息に飲み込みその細く締まった肉体を女性陣に見せつける。そしてその身体で猛然と遊子羽へとラリアットをする。

「は、速――」

 しなやかな動きで筋肉を最大限に駆動させ右腕を振り抜く。そのあまりの速さに遊子羽は無事な左腕で顔を覆う様に護るのだが、そのあまりの力と速さに耐え切れずその身体は遥か後方の壁へと叩きつけられた。

「ふぅ~! 今日も筋肉キレッキレだねぇ~。どうだい葉神アロエ、これでもこの肉体美を雑魚だと言えるかい?」

「あたしと遊びたいならもう少し鍛えなきゃね。それに、アンタの相手はもうあたしじゃないだろ?」

「うりゃあっ~!」

「おっ?」

 如闇の攻撃の隙をついてサクニャが素早く迫り、油断しているその頭へとハイキックを入れる。

「なんだいこの筋肉の入っていない蹴りは。蹴りというのはこういう事を言うのさ!」

 頭を蹴られていてもダメージが入った様子が無く、逆に片足が上がり隙を晒しているサクニャの腹へと押し出すような蹴りをお見舞いした。

「んん~気持ちいいねこの骨が軋む音。筋肉も喜びを上げているのが手に取るように分かるよ」

 サクニャもまた壁にめり込むぐらいの威力で蹴られ、己の肉体をまるでお立ち台の上から周りに見せるがごとくその場でゆっくりと一回転する。

「趣味の悪い奴ね。それにその貧相な身体を誰に見せるっていうのよ」

「そうひがまないでおくれよ。ぼかぁこの肉体を誰かに見せつけていかないと生きていけない性質でね、でもこれはwin-winお互いにこの肉体を堪能出来て喜ばしいじゃないか」

「――これは相当ね。まぁ世界は広大だからそんなのもいるだろうけど、でもその身体にしか目がいかないのは考えものね」

「なんだって?」

 アロエの言葉に如闇は目を見開く。先ほどは戦闘中で周りに目が行ってなかったのか今になってこの場で起こった変化に気が付く。

「――⁉ い、いない! 禍死魔と集めたあの実験体達はどこへ行った!」

 いつの間にか大量にいた人の群れは半分ほどがその場から消えており、如闇の注意が戦闘で逸れている間にアロエがこの場から転移の魔術によって避難させていたという事だ。

「それが住人消失事件の真相って訳かい。だそうよ遊子羽」

「まさかこんな所でも事件の情報を得るなんて、偶然って時には恐ろしく感じるものね」

 如闇に飛ばされた遊子羽が首を鳴らしながらアロエの所へと近づき、そして如闇の顔だけを見て一言――言葉を投げかける。

「そういう訳だから拘束させてもらうわよ。抵抗は……聞く必要も無いわね」

「これは参ったなぁ、葉神アロエの相手でいっぱいいっぱいになるのに君にはまだ寝ててもらわないと困るんだよねぇ!」

 遊子羽がまだ自分に歯向かって来たのが癪に障ったのか語気がどんどんと荒くなっていき、何を思ったのか試験管をどこからか取り出しそれを自分と遊子羽たちの間へと投げ込んだ。するとそこから赤い煙が現れ、一時的に視界を封じる。

「けほっけほっ! ちょっとなんなのよこの煙は――」

「ちょっとどいてて。こんなものは……こう!」

 突如現れた目隠し用だと思われる煙幕に驚きつつも何が起こるか分からない煙を吸わないようにしていると、何かが起こる前にとアロエが前に躍り出てその煙を払うべく右手を大きく振るった。

 パシンッ!

 アロエの手が何か柔らかいものに触れる。距離的に如闇の可能性はまずないので突如現れた存在に危機感を覚え瞬時に飛び退いた。

「――今の手応え、人肌の感じがしたな」

 肌が触れ合った瞬間にアロエの感覚が研ぎ澄まされる――この者は目の前のへんたいと違っておちょくれる様な相手ではないと。

「ふぅ……まさか彼女に手伝ってもらわなきゃならない程の状況になるとは。今日のぼかぁってばとことんついてないね」

 煙の中には紺色のブレザー型の制服の上から擦り切れた外套を羽織った緑色の髪のショートヘアーをした小柄の少女が立っていた。

「子供……かしら? でも助っ人として呼んだのなら相当の手練れよね」

「…………サクニャ、起きれるか?」

「し、師匠……? 大丈夫だけど、なんで――」

 如闇の蹴りがまともに当たり蹲っていたサクニャだが、アロエの呼びかけに覚醒しそして若干視界の薄れる眼で声のする方へと向く。

「いいからアッチを見ろ。あそこにいるヤツ……あたしには見覚えが無いけどどこかであった様な既視感がしてね」

 言われてサクニャはアロエが指す方へと目を向ける。ぼんやりとしてはっきりとは見えないがそこにはかつて出逢った事のある人物の匂いに仕草――それらの記憶が急速にサクニャの身体に活を入れた。

「も、もしかしてリリっち……? リリっちなの⁉」

 サクニャが叫ぶその先には、かつて自分達の下から何も言わずにいなくなりそして今の旅を始めるきっかけとなった一人の少女――鳴風なりかぜりんが敵として立ちはだかっていた。

「――邪魔者は全て消す」

「えっ⁉ ちょっと待ってほらウチだよサクニャ――ううん、サーたんだよ!」

 ようやく出会えた親友だがその様子はどこかおかしく、サクニャの呼びかけに対しても一向に返事をしないどころか敵意さえ向けている。

「――邪魔者は全て消す」

 そしてかつての親友は自らの両腕に緑の炎を纏い、サクニャへと存分にその力を揮い始めた。

「ちょっ、やめてリリっち! どうしたのさ一体!」

 叫ぶサクニャへとその拳は無慈悲に打ち込まれる。何故、どうしてこんな事になっているのか分からないが梨鈴の拳を受け止めながら再度声をかけ続ける。

「――如闇のめいは絶対。邪魔者は消す」

「おいおい……あの嬢ちゃんは友達だったんだよな。なんか襲われるような事でもしでかしたのか?」

「そんな訳……ないって!」

 なぜ自分が攻撃されているのかも分からないのに、そこからさらに梨鈴の拳を逸らさなくてはいけないという状況にサクニャは声を荒らげながらも反論する。

「だよな……それじゃあアイツにおかしくされていると考えるしかないな」

「――そこまで分かっているあなたに聞くけど策とかはあるの?」

「アイツはさっき薬品を使っていたからなぁ……そこらへんの知識はあたしには全くない。だけどサクニャ――アンタならあの嬢ちゃん助けられる、そんな気がするのよ」

「そんな根性論……呆れた、理屈も何も無いじゃない」

 あまりに考えのない回答に遊子羽の頭が痛みだす。だが、そんなアロエの言葉にサクニャは両腕を胸の前で立てるファイティングポーズをとって、従順にアロエの言葉を信じて両腕が満足に使えないながらも梨鈴へと立ち向かっていく。

「行くよリリっち! ウチがそいつの手から取り戻してあげるから!」

 サクニャは不自由な両腕を梨鈴の頭から被せる様に振り下ろし、自らの身体を使って梨鈴の両腕と移動を封じる。

「くっ――放せ!」

 梨鈴が拘束を解こうと必死にもがく。サクニャもそうはさせまいともがく梨鈴をしっかりと抱き止める。

「その調子よサクニャ。あなたがそっちに集中できるように変態はこっちで受け持つから」

 遊子羽が如闇へんたいへと手招きする。だが、彼はあくまで相手をアロエに見据えているためその挑発に乗ろうとせずそのまま彼女へと攻撃しようとするが、それを遊子羽が如闇の側頭部を蹴る事でそれを阻む。

「両手はもう満足に使えない筈なんだけどまだむかってくるとはぁね、面白いなぁ……うんいいだろうぼかぁ君の事が気に入った、特別に葉神アロエより先に相手をしてあげるよ」

 遊子羽の右腕は真っ赤に爛れ、左腕は如闇の攻撃によって使用不可になっており、そんな状態になってまでもなお立ち向かおうとする遊子羽に興味が湧いたのか己の肉体と戦闘の意欲をを彼女へと向ける。

「うっ――変なのに気に入られちゃった……」

 己の肉体をくねくねと遊子羽だけに堪能させるように近づいていき、やがて身体と身体が触れ合うような距離にまでに近づいた時、そこで如闇は攻撃を仕掛ける訳でもなく口を開いた。

「我が名は如闇・ヒンメル・イリューズ。これより貴殿へと正式な決闘を申し込む!」

 今までの間延びした様な雰囲気から一変、さっきとは違う名を名乗り、さらには騎士を思わせる口上を発した。

「えっ……? いきなりなんなのこの人。頭を強く蹴りすぎちゃったかな?」

「ぼかぁこれでも騎士だからね、決闘の相手には騎士としての名を名乗るのさ」

「…………そういうセリフはもう少しそれらしい恰好をしてから言ってもらいたいものね」

「恰好? 騎士というのは恰好ではなくその信条や在り様が大事じゃあないかとぼかぁ思うんだがねぇ」

 ほぼ全裸の男がおおよそ真っ当な事を言っている――そんな発言に遊子羽は間違っているのは目の前の変態ではなく自分なのでは思い始める。

「あっはっはっ! あぁ、それはそのとおりね! この城にはピッタリじゃない」

 後ろの方で被害者の転移作業をしていたアロエが、何が可笑しかったのか笑いながら如闇の言う事を肯定してくる。

「なーにを笑っている暇があるのよ! そっちの進捗はどうなっているの!」

 目の前にいる敵よりも先に味方への叱責の方が飛び出すあたり、いなくなってしまっていた住人達がいかに大切な事なのかはありありと伝わってくる。

「いやぁやっぱり面白いなぁ君たちは。これだけ面白いと実験体としての価値がますます高まるよ」

「実験体……? そういえばさっきもそんな事を言っていたわね」

「そう、ここで集めていたのも君も実験体さ。ぼかぁこれでも科学に聡くてね、君に使った薬を作るのにも効能を調べる為に色々と人に試さないといけなかったんだが……丁度いい所にもっと優秀な実験体が来てくれて震えたよ。ぼかぁ運が良いとね」

 ブワッ!

 如闇を取り巻く雰囲気がまた変わる。騎士の様だった態度から一変、今度はサイコな科学者の面を覗かせる。

「――気を付けろ遊子羽。あの眼……アイツ何かやらかす気配がする」

 さっきまで取るに足らない存在だと思っていた如闇が発する雰囲気にアロエが警戒しだす。そしてその直後――如闇の身体から黒い煙が噴き出した。

「はははっ! どうだいこの薬の効能は! 誰かに使うのは初めてだけどどんな結果を出すのか見ものだよ」

 如闇の身体から溢れた煙は急速に遊子羽の脚に纏わり付き、完全に煙に包まれてしまう。

「――っ! おいおい、こっちの実験体とやらはもう興味が無いのかい」

 そう、その煙は遊子羽だけではなくまだ救出途中の人達にまで及び、誰かれ構わず煙は触れたものを包み込んで行く。

「ふんっ! ここいらのはもう実験道具にすら値しない玩具さ。ぼかぁ凡百の玩具より至高の個を使う方が性に合っていてね、そいつらはもういらないから欲しければくれてあげるよ」

 アロエの救出作業が八割に差し掛かったところで如闇が実験体としていた住人が実質的に解放される。

「そういう割にはコイツ等も実験に使っているように見えるが?」

 黒い煙に触れそれに包まれた住人達は全身が黒く染まると、突然ぶるりと震えると今まで動かなかったのが嘘かの様に動き始め、それぞれが手近にいる生物を襲い始めた。

「へぇ……そうかこれはそういう風になるのかぁ。そして闘争心が高いと薬の効力は表われない――と」

 そしてその襲う対象は如闇に対しても例外ではなく、自らが作り上げた薬の効果をメモしている最中にも煙に包み込まれた人々は如闇に纏わり付き、だがそんな事など意にも介さずに寄ってくる人波を足一本ででいなしていく。

「ちょ、ちょっと私よ皆っ! 何をしているの。――っていうか騎士としての決闘はどうしたのよ! 騎士なら騎士らしく正々堂々と戦いなさいよ!」

「君は騎士というものを少し勘違いをしているねぇ。ぼかぁセムリ様の為に戦いこの命を捧げる。つまりぼくにとっての騎士とはあの方の意に背こうとする者を排除するということなのさぁ!」

「なっ……そんなの……間違ってる!」

 遊子羽は遊子羽で迫り来る無数の腕を振り払いながら如闇の下まで行こう藻掻き――

「あぁくそっ! こっちはオマエ達の救助をしてるんだぞ! それなのに絡んで来るのかよ!」

 ――反対に救出担当のアロエにまで襲い掛かるのだが、彼女は腕を掴まれようと攻撃されようとも振り払うなどの行動は起こさずにただされるがままに全てを受け入れている。

「ウチの方にまで! さすがに普通の人とはやり合えないって!」

 サクニャの方も絡まれてはいたが彼女の目的は梨鈴を取り戻す事なので、その梨鈴を拘束したまま城の壁を登って迫り来る人波を避けていく。

「あっちは面倒事を避けたかぁ、あんまり面白くないなぁ。そうだ……新入り、もっと面白くなるようにそこの玩具の中に飛び込んで戦ってみてよ」

「了解した」

 如闇の命令に梨鈴が応える。その直後、梨鈴はするりと拘束されている腕の中ら抜けてサクニャを無理矢理引っ張り込む様に地面へと叩きつけた。

「あいたたた……リリっちの戦い方がさっきよりも激しくなってる」

「標的を再補足――排除する」

 梨鈴の両の手から緑色の炎が溢れ、それが両腕に纏わり付くとそれが瞬時に冷えて硬質化しブレードのついた手甲の形となる。

「それにあの炎も……前はあんなにしっかりとした形なんて作れなかったのに」

 一年前のサクニャの記憶では梨鈴の炎は自然に任せるのみで精細な形など作れなかったのだが、ブレードは見た感じだと十分に機能しそうに見えた。

「何をブツブツ言っている!」

 梨鈴がブレードを突き出す。それを危なげなくサクニャは避けるが、代わりに戦闘能力のない一般人に向けられる。

「――っ⁉ 危ない!」

 咄嗟に避けた攻撃だが、サクニャは無理やり身体を捻って自ら当たりに行った。

「なに?」

 サクニャは自身が拘束されている腕輪を使ってその攻撃を受け止めた。

「駄目だよリリっち。この人達はなんの関係もないんだから巻き込まないで」

「関係ない? それこそそんなのリリには関係ない。戦う力の無い方が悪い」

 梨鈴が目の前のサクニャを相手にこそするのだが、攻撃の対象が梨鈴だけではなく周りの関係の無い人達へも広がっていく。

「ちょっ……ふっ、くっ!」

 無差別に向けられる攻撃を一身に受け持つが、どうしても捌ききれない攻撃がサクニャの周りの人へと流れてしまう。

「そっちは駄目っ!」

 そしてサクニャ以外へ向かう攻撃は無茶な体勢をしてでも、まさしく身をもって庇うため時間の経過とともに傷が増えていく。

「――すまんサクニャ。もう少しだ、もう少しでコイツ等を全員退避させられるから何とか耐えてくれ」

 アロエの方も転移魔術による救助作業がほとんど終了するとこまで進んでいるが、それでも自身が直接サクニャの助けに入れない状況に歯噛みをしながら救助を急ぐ。

「くっ! そこの変態、さっさとどきなさいよ!」

「まぁ待ちたまえ。今が一番面白い時なんだから静かに成り行きを見守って行こうじゃないか」

 アロエの救助のおかげで拘束を解かれた遊子羽は真っ先にサクニャのカバーに向かうも、すぐに如闇に妨害されてしまう。

「そんな暇が有る訳ないでしょ!」

 遊子羽の前に立ちはだかる如闇を無理矢理にでも抜けていこうと残された脚技にて対応するのだが――

「待ちたまえと言っているじゃあないか」

 如闇は一切遊子羽の方を見ることなくその脚を自身の脚で搦めとってから体勢を崩し、そのまま遊子羽を地面に寝そべらす様に押さえつける。

「がっ……あぁっ!」

 遊子羽の身体からミシミシと異音が鳴る。彼女の身体は石畳を砕きながら地面にめり込んでいく。

「あぁ~いい声で鳴くねぇ。まぁ大人しくしていたまえ、なんでもあの二人は親友だと聞いた。そんな二人の潰し合いを特等席で見守っていこうじゃないか」

 遊子羽の身体は度重なるダメージで碌に動けず、この状態では何も出来ないのでただ二人の行く末を見守る。

「消えろ……消えろ……リリの前から消えろ!」

「消えないよ。ウチはリリっちの側にいる、この手だってもう離さないよ!」

 サクニャの両手が梨鈴のブレードを力強く掴む。当然その掌からは血が流れだすのだが、そんな事など気にしないとでも言うかのようにその手から握る力が衰えることは無かった。

「なぜ……? なぜこうも傷ついてまだリリに向かってくるの?」

 サクニャからは一度も手を出さず、さらには自ら傷付くことを厭わずに梨鈴へと懸命に手を伸ばしてくるサクニャにほんの僅かな興味とそれを覆い尽くすような恐怖感を覚え始める。

「そんなの決まっているよ。リリっちを救いたい――リリっちにはもう辛い思いをさせたくないからだよ!」

「えっ……?」

 サクニャの手に更に力が籠められる。すると梨鈴のブレードと手甲にヒビがはいり、すぐ後にそれが完全に砕けて梨鈴の細かい傷がいくつか入った手と触れ合った。

「やっと……やっと掴んだよ――この手を!」

 サクニャの手と梨鈴の手がおよそ一年振りに一つの所へと重なる。そしてその直後――サクニャの方にも変化が起こる。

 ――カッ!

 サクニャの腕輪から眩い光が放たれる。それは辺りを光で覆い尽くし、気付くとその光の中でサクニャ一人が佇んでいた。




「あ、あれ……ここどこ?」

 サクニャは辺りを見回すがそこは白一色の何もない空間であり、なにがどうなってこのような状況になったのか――頭の整理が出来ないでいた。

「――来たか、サクニャ=キッツェルよ」

「え……? 誰?」

 自分以外には色のないこの空間に突如として新しい色が現れた。

「久しぶりに見込みのある者が現れたと思ったらまさかこんな娘とは」

 サクニャの目の前に現れたのは白にほんの薄っすらと黒色が混じった靄のような僅かな輪郭のみが見える存在であった。

「いや、何言ってるのか分からないし。それにここがどこかも分からないんだけど」

「なんと⁉ 自分の身に何が起きているのか分からないと?」

「……分かる方がおかしいんじゃないかな、これってさ」

 正確に言えば突然として理解しがたい事態が頻発しているので、頭の方が回っていないのだが目の前の存在にはそんな事はお構いなしのようで、サクニャの疑問をよそにどんどんと話を進めていく。

「我は古来より審判の腕輪と呼ばれしもの――不本意ではあるが今はそなたの両腕に嵌っておる」

「えっ……これ? それじゃあこの腕輪を何とかしてくれないかにゃあ!」

 サクニャが怒りながらその靄に詰め寄って腕を突き出す。

「一体何の話だ? そなたの腕ならなんともなっていないではないか」

「そんな適当な事言っても――って、あれ⁉ 動く! ウチの腕が自由に動く!」

 サクニャは己の両腕をブンブンと振り回しながらはしゃぎ回る。そしてなんだか久しぶりに動かせた気のする両腕の具合を確かめると、再び靄へと詰めかかる。

「さて、はしゃいでいるところ悪いがそなたにはまだ伝えるべきことがある」

「――まだ何かあるの? ウチは早くリリっちの所に行かなきゃいけないのに!」

「まぁ落ち着きたまえ。ここでは時間の事など考えるのは無意味だ、これから共に行動をする事になるのだから最後まで聞いておくのだ」

「う、う~ん? よく分かんないけど」

 敢えて理解が追い付かないような言い回しでもしているのか、サクニャが少し悩んでいるとすぐさま新たな話題を出してくる。

「我はより上に立つ人間を選定するために作られた。そしてこの場にそなたがいるのは王となる素質を見出してしまったからだ」

「なんでさっきから所々で嫌そうなの?」

 この靄に表情があるのかどうかは分からないが、確実にサクニャの事は嫌な眼で見ているというのは理解していた。

「以前の我の持ち主はそなたの様に最低限の位にも辿り着けなくてな。そして悟ったのだ、我はとことんツイていなかったとな」

「とーまわしに嫌味を言われてるにゃ~……」

「そういう訳で、そなたは我にとって初めての利用者だからな。もう少し我について知ってもらうぞ」

「しかも上から目線の圧が強いし……」

 本当に自分の事を知ってもらおうとしているモノの態度かと疑うが、考えてみればこのような手合いは初めてでは無いのだからと普段から接して来た人物と似たような対応を取る。

「さて、どこまで説明したか……」

「どこまでも何も愚痴と嫌味しか言われてないよ」

「む、そうか……であれば手短にしよう。我が宿るその腕輪はこの世界に来て性質が少し変わったようでな、選定をする以外にも出来る事があるようだ」

「へぇ~…………あれ?」

 サクニャのストレートな一言が堪えたのか急に説明が始まりそして、なんかフワッとした感じで終わっていった。

「どうした?」

「どうしたって……それで終わりなの?」

「終わりだ。我に分かるのはこの世界に来る前までの腕輪の事だけで、それ以外の事は誰も発現した事がないから何も分からぬのだ」

 結局の所はこの靄の語らいに付き合っただけとなり、腕輪の性質というのは終ぞ語られることは無かった。

「――それじゃあ今もモヤモヤが腕輪の中? にいる意味って無いよね?」

「……我も薄々そうではないかと思っておった。だがまぁ安心するといい、我がこの空間にそなたを連れて来れるのももって数回、それもよほど重要な時でないと会う事は無いであろう」

 この邂逅を最後にもう会う事は無いかの様な言い方をする。

「そうなんだ。でもウチもういっこだけモヤモヤから聞かなきゃいけない事があったんだった」

「む……? もう我が語れる様なことは無かったと思うが」

 靄の頭と思われる部分が横に倒れる。もう本人としては己の知っている事を全て吐き出したので、サクニャの聞きたいという事に本気でピンと来ていないようだ。

「ウチってさ、ここにいきなり連れて来られた訳だけど……いつリリっちの所に戻してくれるの?」

「リリっち……? あぁ、そなたの友の事か。それならば問題ない、ここは時間の経過は気にすることは無いといったがそもそもここはそなたの精神世界とでもいうべき所。故に時間に縛られることもなく元の場所へもすぐに戻れる。さぁ、戻って友を取り戻すのだ」

「ウチは最初からそのつもりだったんだけどぉ~⁉」

 意味も分からず勝手に変な所に連れて来られ、よく分からない自分語りをされ、最終的にはサクニャの意思は粗方無視された状態で真っ白な空間から追い出されてしまった。




「あれ……ここって戻ってこれた?」

 サクニャの視界には梨鈴と重なり合った自分の手があり、そしてアレだけの時間がサクニャの中で流れたのにもかかわらず状況は一秒たりとも進んでいない所を見るに、あの靄の言った事は一定の信頼があった事が見受けられた。

「サクニャぁあっ! 後ろだ!」

「えっ?」

 アロエの叫ぶ声が響く。その声に従い後ろを振り向くと試験管が自身目掛けて飛んできており、咄嗟に梨鈴を突き飛ばして謎の試験管の中身を梨鈴を突き飛ばした右手に受ける。

「なに……これ?」

「面白くないなぁ……つまらないなぁ……上質な実験体だと思って好きにさせてみたけどもういい――原形も留めないくらいぐちゃぐちゃにしてあげるよ」

 先程から自分の思い通りにならない展開があって如闇のイラつきが増してか、試験管を取り出しその中身をグイッと飲み干す。

「――あいつ、また何かを飲んだ」

 如闇が何らかの薬品を飲み干した途端、その身体に変化が起こる。

「あああぁっ! これだよこれ! この一杯が筋肉を美しくするんだよ」

 如闇の筋肉は急速に膨れ上がり、元の二倍ぐらいまでにその体積が増していた。

「薬でドーピングとはねぇ……要は偽物の筋肉って事かい」

「ふんっ! なんとでも言うがいいさぁ、最終的にはこの筋肉にひれ伏す事になるんだからさぁっ!」

 如闇は目を血走らせてサクニャの方へと突撃する。自慢の筋肉が唸り右の拳がサクニャの顔面を捉え炸裂する――硬質な物体同士がかち合う音と共に。

「んん~……なんだいこれは。水晶か? だけどこの筋肉でも砕けないなんて生意気なんじゃあないかなぁ――鳴風梨鈴!」

 突如としてサクニャと如闇、その両者の間に暗い緑色の水晶質の物体が出現する。そしてこの場においてそんなことが出来るただ一人の名を叫びそちらに目を向ける。

「――生意気? そもそもリリはお前達の仲間じゃないと言ったはずだ」

 鳴風梨鈴が如闇の事を睨みつける。彼女のその眼光は鋭く、先程までサクニャに攻撃を加えていた時とはまるっきり別人の目をしていた。

「そんな事百も承知さ。だからぼかぁ君が他人に素直になれる様にと色々な薬を投薬してあげていたというのに逃げ出して……挙句に友達に薬を肩代わりしてもらうなんて」

 サクニャの決死の行動が鳴風梨鈴本来の姿を取り戻し、そして今度は自分を信じて護ってくれた友の為、如闇へと立ちはだかる。

「――リリにそんなのは必要ない。それにサーたんにだって」

「おっと……君に拒否権は無いんだなぁ。取り敢えず大人しくしててもらおうねっ!」

「――イヤ」

 如闇の大木の様に肥大化した両腕が梨鈴を捉えようとするがそれを風の様にするりと躱し、空ぶったその梨鈴の両手が両腕に触れ、その次の瞬間如闇の両腕は緑色の炎に包まれていった。

「おっと……? なんだ、口ではあんなことを言っていたのになんだかんだこの炎を調べさせてくれるなんてツンデレという奴かな」

 如闇の両腕に纏わり付いた炎は瞬時に燃え上がるがそれも束の間、緑色の火柱は急速にその温度を失いそしてその形を保ったまま硬化していく。

「あの緑色の炎……さっきの手甲や水晶みたいなのもあれから出来てるの?」

「そうだな、あれは色によって様々な効力があるんだがあの炎は最初は普通の炎と同じ性能をしているんだけど、すぐに冷えてああなるのよ」

「いぃ硬さだ……だが! この筋肉の前においてはこの程度……菓子と何ら変わりない」

 如闇の筋肉がまた膨れ上がる、すると両腕を拘束していた水晶に亀裂が入りいとも簡単に崩れ去った。

「――相変わらずの筋肉バカ。でもっ」

 梨鈴が如闇の両腕よりもさらに内側へと迫り、瞬時に自身の右手にブレード付きの手甲を纏わせると、掬い上げる様に如闇の厚い胸板を斬りつけた。

「おやぁ~?」

「ウチだっているよ!」

「ん~……? そうか、彼女に薬が効かなかったのは突き飛ばされた時に炎を薄く纏わせていたのか。なかなかいい防御力を持っているみたいだねぇ」

 サクニャに薬が効かなかった理由が分かると戦闘中にもかかわらずメモを取り始める。そしてそんな隙だらけの如闇を見逃すわけがなく、梨鈴が前面を斬りつけている間にサクニャが背後から短剣を突き立てる――が

「んんん~? まさかこれが攻撃のつもりかなぁ?」

「――くっ!」

「うっそぉ……これが刺さらないってなにぃ……?」

 二人の攻撃は如闇の分厚い筋肉の前に効果が薄かったようで、梨鈴の一撃は薄皮が剥けた程度にとどまり、サクニャの方に至っては両手に持った短剣が筋肉に阻まれて二本とも根元から折れ曲がってしまっていた。

「貧弱だねぇ……そんな矮小なモノになんか頼っているからこうなるんだ」

 まずは目の前でウロチョロと動く裏切り者を始末するべく真上から叩き潰そうとする。

「――そう簡単にやらせない」

 上から来る平手に梨鈴はブレードを上に向けて迎撃を図る。だが、両者にある体格の差と分厚い筋肉からか刃の切っ先が触れても刺さりはせず、逆に梨鈴の腕を持っていこうとばかりに無理やり叩きつけを通さんとしてくる。

「――厄介過ぎる。でも、遅い!」

 自分の攻撃がまるっきり通らないと見るや手甲を解き放ち瞬時に後ろへと飛び退く。

「ふぅむ……やはりこの身体になると動きが鈍くなっていけない。だがまぁいいさ、見たところ君達にはこの筋肉に掠り傷を付けるのがやっと、葉神アロエもこちらやり合う気が無いようだしゆっくりと楽しもうよ」

 自分に対する脅威は無いと悟ったからなのか、この場にいる全員に己の筋肉を見せつけながらストレッチを始めた。

「むっ……いくら何でもウチ等の事を舐めすぎているんじゃないのかにゃ!」

「舐めてる? いや妥当な評価じゃあないかなぁ? 葉神アロエはともかく君たちはこの身体に傷を付けられない。そして――」

「――かはっ⁉」

「こんな感じでこちらはあっさりと終わらせることだってできる」

 如闇の姿が掻き消える。そしてその事を認識した次の瞬間にはサクニャの身体は壁へと投げつけられていた。

「な、なに今の動き……さっきまでの鈍重さはどこに行ったのよ」

「鈍重だって? ノンノン、遅いのは君達の方さ。まぁでもこの筋肉に見とれて動きが鈍ったのなら仕方のない事だけどねぇ」

 サクニャを投げ飛ばした後の如闇は飽きもせずまたもや筋肉を見せつける。

「――大丈夫? サーたん」

「へ、へーきへーき。でもどうしよう……ウチ等の攻撃が全く通じなくなっちゃたよ」

 サクニャの元へ梨鈴が駆け寄る。当のサクニャは自分で平気だと言う様に自力で起き上がる。

「ねぇサクニャ、あなた短刀捌きに自信がある?」

「え、え~っと……た、多少かな?」

「そう、だったら私の腰に差してある短刀を使って。これなら梨鈴が付けた傷に当たりさえすれば大丈夫だから」

 両腕が満足に使えない遊子羽が眼で自分の腰を指す。それに従いサクニャはその短刀を抜きそして気付く――これは遺跡の中で硬い守護者の脚を切り裂いていたのと同じ物だと。

「分かったよ。やってみる!」

 抜いた短刀を軽く振って具合を確かめる。二度三度と振るった時の感触は先程まで自分が持っていた短剣二振りよりも軽く、また刃渡りもわずかに短いためにもっと素早い踏み込みが必要だと感じた。

「作戦タイムはお終いかい? いいよ、どこからでもこの筋肉に飛び込んでくるがいいさ」

 サクニャの戦意が未だ失われていない事に感嘆していた如闇が両腕を広げ、向かってくる者をいつでも自慢の筋肉で包み込める様な体勢を取ってサクニャの出方を待つ。

「――たぁっ!」

 サクニャが駆ける。動く気のない標的の傷目掛けて短刀を振り抜くが狙いは僅かに逸れ、如闇の筋肉を優しく撫でた。

「んんん~? なんだいそれは? くすぐったいじゃあないか、もっと真面目にやりたまえよ。ほらもう一度チャンスをあげるよ」

 完全に舐めた態度を取られた。そう感じた瞬間にサクニャは短刀を闇雲に振り回していた。

「……マズいわね。あの短刀、刃が無いから最初からついている傷の上をなぞらないと傷を付けられないのよ」

「なんだよその扱いに困る武器はっ⁉」

「そのかわり薄皮一枚剥けただけの傷でもあればそこからどんどん深い傷に出来るんだけど……あぁも焦っちゃうとね」

 本来の持ち手である遊子羽がサクニャの戦いぶりを見守っているが状況は芳しくないようで、振るわれ続けた短刀は一発も有効打が出ずにいた。

「……なにを起こしてくるのかと楽しみにしていたんだけどもう飽きちゃったなぁ」

 なにも変化が無いままなおも短刀を振り回すサクニャを鬱陶しく感じて如闇は彼女の頭を鷲掴みにして持ち上げる。

「あ……ぐぅ……」

「君との遊びはとてもつまらなかったよ。でも安心するといい、次に目覚めた時は楽しい実験室だから」

 如闇の手に力が籠められる。それに伴いサクニャの頭からミシミシと嫌な音が鳴り、短刀と共に意識もまた手放しそうになる。

(ま、まだ……まだウチはやれる!)

 薄れゆく意識の中で短刀を力強く握り直し霞み始めた眼で梨鈴が付けた傷目掛けて短刀と突き立てた。

「ほう……そんな状態でもまだ抵抗してくるのかぁ。でも無駄な足掻きさ、この筋肉の前には何者も――うっ!」

 突如、如闇が呻き声をあげてサクニャを取り落とす。

「ゲホッゲホッ! あ、あれ……いったい何が」

 いったいどうしたのかと如闇の方を見ると胸の真ん中から血が流れており、それも彼の反応を見るにかなりの深手を負っていると窺えた。

「な、何だ……一体何をしたぁっ!」

 今までまともな傷すら与えられなかったのに急に有効打が、しかもその一撃が互いに予想外の成果を出したとあってはどちらも狼狽えもするだろう。

「こっからじゃよく見えなかったけど、もしかして押し込んだんじゃないか?」

「あの傷の深さから見ても多分そんな感じね。私はそんな使い方したことなかったけど。それよりあの刺さりかただと致命傷じゃないかしら」

 ゆっくりと力なく押し込まれた短刀は根元まで刺さっており、刃渡りが15センチ程あるこの短刀がそれだけ体の中に刺されば、この短刀の特性が無くとも人体の構造をしている生き物であればまず長くは生きていられないだろう。――それが普通の生き物であれば。

「ゆ、許さん許さん許さ~ん! もういい、実験体の確保とかどうでもいい。ここでお前達を叩き潰す!」

 如闇の怒りが頂点に達する。そしてそれに伴いまた試験管を取り出すとそれを傷口にかけ、まだ中身の残る試験管はもろとも口の中へと放り込んだ。

「傷が……塞がった⁉ それにまた大きくなってない?」

「ふしゅぅ~……潰す……潰す……」

 何度目になるか分からない謎の薬品を摂取した如闇はその薬品によって超回復したものの、短時間に大量に薬品を摂取した弊害なのか筋肉が際限なく肥大化とその急激な変化によるダメージと回復を繰り返していき、見上げる程の大きな異形へとなり果ててしまっていた。

「――あれだけの傷でもまだやる気なんていい度胸。返り討ちにする」

「どう見ても理性を失っているでしょ⁉ なんであなたはそんなにやる気なのよ」

 もはや如闇は人としての形を失い、様々な遺跡を巡って来た遊子羽ですら分からない生き物の意匠があちこちにその身体に刻み付けられていた。

「――血が出れば殺せる相手に躊躇う必要は無い」

 相手がどのように変貌しようとそれが倒すべき相手ならば梨鈴は構わず立ち向かい、そして一切攻撃が通じなかった如闇へと己の炎で手甲を作り出して殴りかかった。

「――たぁっ!」

 梨鈴の拳が如闇へと放たれる。今度は筋肉の壁に阻まれる事なく深々と突き刺さった。

「――? さっきより柔らかい?」

「超回復と回復のしすぎで身体がついて行ってないのよ」

「――でも、時々硬い所もある?」

 如闇の身体は薬品の影響で脆くなっていたが、それでもまだ完全には薬品の影響が及んでいない部分があるようで梨鈴の拳は所々で筋肉の壁に阻まれる。

「へぇ……? それならちょうどいいかも。アンタ達ちょ~っと下がってて、今なら死なない程度に黙らせられそうだから」

 最初に一度だけ如闇の攻撃を受けた時は自分が出張るとどれだけ手加減しても如闇が死ぬ未来しか見えなかったが、今なら異常な回復力に強靭な筋肉を併せ持つ如闇に対し無力化できる条件が意図せず揃ったため、サクニャと梨鈴を下がらせる。

「分かったよ、師匠!」

「――リリ達だけでもやれたのに」

 アロエが直接出るという事でサクニャは素直に従い、梨鈴はまだやれるからと戦意を剥き出しにしていたが、サクニャがあっさりと引き下がったのでやむなく自分も引き下がった。

「随分とキモイ姿になって。だけどあたしがいる前でタフになり過ぎたのは失敗だったわね」

「グァガァ~」

 理性の失った如闇がその丸太の様な太い腕と大きな掌でアロエを叩き潰そうとするが――

「こんなもんであたしを殺ろうってか……? 調子に乗るのも大概にしなよクソガキ」

 真上から来る掌をアロエは全く動かず、掌底を一発如闇の腹部――それも梨鈴が言っていた硬い皮膚と筋肉の部分にピンポイントで浴びせるとその衝撃で全身の皮膚が裂け、さらには如闇の指を掴んで軽く自分の方に引き寄せると最小限の力で地面に伏せさせた。

「たった一発で黙らせた……⁉」

 アロエの一撃は相当な威力のようで、如闇は全身から血を吹き出しているが驚異的な回復力と頑丈さから致命傷には程遠く、伏せたままの状態でもなお叩き潰さんと手を彷徨わせている。

「いい感じにタフね。だったらコレにも耐えれるわね」

 アロエの手が如闇の手首へと触れる。すると黒い手錠の様な輪が現れそれが手首に取り付き、さらにその輪は分裂してもう片方の手首・両足首・そして首へと取り付くとそれらは地面と融合して決して逃れられない拘束具となった。

「何なのこの黒いのは」

「これ? サクニャのその腕輪を参考にした拘束用の重力魔術よ。このままだと話なんて聞けそうにないから血ごと薬を抜いて放っておくの」

 如闇の身体からは夥しい程の血液が流れ出ていたがそれももう塞がり、後は薬が抜けて理性を取り戻した如闇からセムリについて聞き出すだけなのだが、それもいつになるか分からないのでひとまずここに縫い留めて改めて戻って来る算段のようだ。

「……これを見る限りだとその方が良いかもしれないわね」

 遊子羽の視線の先には起き上がろうとするも地面に縫い留められて藻掻く如闇の姿が映っていた。

「さ~てここでの用事はひとまず全部済んだことだし、そろそろ地上したに下りましょうかね」

「降りるのはいいけどあなたがヘリを帰したから下りれないんだけど? 私の両腕はこんなだから下と連絡も取れないし」

「――? 別にそんなの要らないじゃない」

「何? 実は後でこっちに来るように頼んでいたとかなの?」

「あー……取り敢えず外に出るか。そこでどうするか話すから」

 アロエにはなにか地上に帰れる手段か何かがあるようで、一行を引き連れ城の外へと出た。




「外に出たはいいけどやっぱりヘリはいないわね」

 城の外に出るとそこにはアロエが転移の魔術で救出した人達で溢れかえっているが、やはりというか一度帰したヘリコプターの姿は無かった。

「――リリ達も下りれないけどこっちの人達もどうするの?」

「そっちは……今はそのままにしておくしか無いわね。本当ならあたしの魔術で地上したに送ってあげる事も出来なくはないんだけど、こんな事になるなんて予想してなかったから遠距離転移用の目印を用意してないのよ」

「じゃああなたはどうやって下りる気でいたのよ」

 至ってまともな疑問をぶつける遊子羽だが、そんな疑問など予測済みだとでも言うようにアロエは指を振る。

「別に難しく考える事なんて無いでしょ、跳べば済むんだから」

「はいっ?」

 遊子羽の頭の上にハテナマークが浮かぶ。そしてアロエの言葉を理解したその時には己の身体は空中に投げ出されていた。

「はぁぁぁぁあっ⁉」

「おっと、そういえばマーキングもしておかないと」

 遊子羽を突き飛ばした事は分かっているのだろうが、そちらを何とかするよりも先に自らの髪の毛を一本抜いてそれを石畳に突き刺してから島の端に立って下を覗き見る。

「そんじゃまあたしも後を追わないと。サクニャも遅れるなよ」

 そう言ってアロエは勢いよく飛び降りて遊子羽の後を追う。

「それじゃあウチ等も行こっか!」

「――えっ?」

 サクニャが梨鈴の手を掴む。久方ぶりに力強く握られたその手に一瞬ドキッとする梨鈴ではあったがそれが原因でサクニャが言った重大な事を聞き逃してしまう。

「いやっほぉう~!」

「――~~~っ⁉」

 そして二人も空へと飛び出し重力に引かれて手を繋いだまま落ちてゆく。

「――サ、サーたん⁉ この後いったいどうやって着地するの⁉」

 戦闘時には取り乱す仕草の無かった梨鈴だが、空から落下するという今までの人生で経験のない事態には流石に大きな声を出して友へと助けを求めていた。

「え~っ? それは師匠が何とかしてくれるから分かんない~!」

「――えっ、え~……」

 最早この二人では今の事態には対処できず、肝心のアロエは割と先の方まで落ちておりかなりの速度を出して落下しないと追いつけそうにないほどまでにその距離は離れていた。

「まぁまぁ何とかなるって。……それよりもねぇリリっち、なんか少し寒くないかな」

 サクニャが身体をぶるりと震わせる。あの島の周りは温暖な気候で固定されていたが今はその範囲から外れていたために高々度の気温の低さが二人を襲い始めていた。

「――リリは何ともないよ。でも、サーたんが寒いって言うなら」

 ――ギュッ!

「――リリが温めてあげる」

「ふぇえっ! ビ、ビックリした~」

 サクニャから積極的なスキンシップを取る事はあるが、される事は経験が無かったようで、しかもその相手が普段からそのようなスキンシップを取る事のなかった梨鈴ともなればサクニャが慌てふためくのも無理ないだろう。

「でも……こうやってるとリリっちが戻って来たって実感が湧いて来るなぁ」

 梨鈴に抱きつかれていたサクニャはお返しとばかりに抱き返し、さらには首筋当たりで鼻を鳴らす。

「――えっ、やっ、サーたんそこは……ダメェエッ!」

「オマエ達、そこで何やってんだ……?」

「ひぁっ⁉ し、師匠⁉ いつからそこに……?」

「オマエ等がくっつき始めた時からだよ。まったく、嬢ちゃんを捕まえたからこっちまで戻って来たら……あたし等はお邪魔虫だったとはねぇ」

「私を捕まえる意思があったのにそれで突き落とした意味はさっぱり分からないんだけど」

「そう愚痴るなって。どうせ説明したって頷きはしな……」

「な、何よいきなり黙って」

「強い魔力を感じる。なんだ……ティセアがそこまで本気になる相手は……」

 アロエの顔が途端に険しくなる。下で何が起こっているかは分からないがティセアの放つ魔力の感じからただ事ではない相手がいる事は予想できる。それからのアロエの対応は早かった。

「今度は自分だけの世界に入って……ねぇ一体どうしたのよ!」

「急いでティセアのもとに向かう。説明は……している暇が無いから現地で確かめてくれ」

 アロエの手がサクニャと梨鈴に伸びる。三人にとっては下で大変な事が起きているとしか分からないが、それでもアロエの反応から何も言わずに従った。

(ティセア……間に合ってくれよ)

 アロエは急速な気圧の変化に耐えられるように三人を魔術で保護すると、空を蹴って急激な加速を付けながらティセアの下へと向かって行くのであった。

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