第4話
―The Third Princess―
「何があった!」
アロエがミシェたちがいる扉を勢いよく開け放つ。
「あっ師匠っ! た~す~け~て~」
「ん……あぁ?」
アロエが現れた直後、サクニャが滝の様な涙を流しながらアロエの太腿にべったりとしがみつく。いきなりの事で何が起こっているのか分からないアロエはサクニャがどうなっているのかを確認すべく視線を下に落とすとさらに訳の分からない物が視界に飛び込んできた。
「なんかしょっ引かれるような事でもしでかしたのか、オマエは」
「――逮捕する人がここにいないのは先生もご存じでしょう? 今から詳しく説明しますからふざけたこと言っていないで大人しく聞いていてくださいまし」
ミシェはなぜサクニャがこんな状況になったのか、あの遺跡の中で起こった出来事を事細かく説明をする。
「はぁ~なるほどねぇ……こりゃ随分と面白――じゃなかった、厄介な事に巻き込まれたものね」
「今この人面白いって言いかけなかった⁉」
アロエの弟子に対する発言とは思えない部分に遊子羽が至極当然な反応をする。
「先生は割とこんな感じの人ですわ。それより先生の目から見てもサクニャのこれは厄介なんですのね」
アロエの少し人を食ったような言動は無視して本題を深く追求する。すると、アロエの表情は途端に真剣なものになり、サクニャの腕に付いている物について魔術師としての知見で語り始める。
「そうだな……この程度の腕輪が嵌っていようとも転移魔術を使えば外せるんだが、どうにもこの腕輪……外的要因で外せないようになんらかのプロテクトが掛かっているっぽいのよ」
「ふ~むぅ……確かによう分からん何かが腕輪をはずせん様にしておるのう」
ティセアもまた腕のサイズピッタリのに嵌った腕輪を擦りながらあーでもないこーでもないと唸り考えながら外そうとしているが、そもそも腕輪は互いの面にピタリとくっついており知恵の輪のように頭を捻ったからと言って外せる構造にもなっていないので、結局はサクニャを拘束し続ける要因を探さないといけないようであった。
「これって仮にだけど腕を切ったとしても腕輪って外せないものなんですかね?」
「無理じゃな。そもそも腕輪を外そうという行為に対しそれを阻止する力が働いているようじゃから、腕を切ろうとした時点で何をしてもその行為が打ち消されてしまうみたいじゃ」
「ウ、ウチそんなおっかない事される所だったの⁉」
遊子羽とティセアの猟奇的な会話にサクニャは顔を青くしながら後ずさる。
「やーねぇ、ただの手段の一つじゃない」
「いくら何でも物騒すぎますわ。それより遊子羽さん、貴女あの遺跡で鑑定がどうのと呟いていましたが、何かこの腕輪に付いて詳しい方がいるんですの?」
「えぇっと……詳しいとはちょっと違うんだけど私達トレジャーハンターがお宝を見つけた時、そのお宝がどういった性質を持っているのか調べてくれるのが鑑定よ」
「じゃあその人の所に行けばウチのコレも外せる手段が見つかるって事⁉」
「どーだろう……いくら鑑定士といえども解決策までは分からないと思うけど、どういうシロモノかくらいかなら分かるんじゃないかな」
「……でしたらすぐ行くべきですわね。遊子羽さん、その方の場所へと連れて行ってもよろしいかしら?」
「えぇ、いいわよ。じゃあすぐにヘリを出すからちょっと待ってて」
そう言って遊子羽は部屋の中にある内線電話に手をかけ、そこからどこかへと指示を飛ばす。
「なぁミシェ、オマエも一緒に行くつもりなのか?」
「えぇ。そのつもりでしたがなにかありまして?」
遊子羽が電話をしている後ろでアロエがミシェに話しかけたのだが、どうにもミシェに対する様子がおかしく見える。
「その怪我をした腕でか?」
ミシェがハッとした表情でアロエを見つめる。
「なにをそんなに驚いてるんだ。そんなの動きを見てれば分かるよ」
「――別に隠していた訳ではありませんのよ。ただ、痛みは最初こそ有りましたが出血はしなかったので放置していたんですの」
そう言ってミシェは穴の開いた右肩の布に手をかけて破り取る、するとそこにはアロエが言っていたように傷跡が残る腕が見えるのだが、その傷跡は奇妙にもぽっかりと穴が開いており、どう見ても傷跡は塞がった形跡が無いのにそこから血が流れ出る様子が見受けられないのがかなり不気味に映っている。
「ど、ど、ど、どうしたのミッこその腕⁉ い、医者! すぐに医者を呼ばないと!」
怪我をしている張本人より慌てふためき、医者を呼ぼうと部屋の中を駆け回る。
「えっミシェさんってそんな大怪我してたの⁉ 待ってて、今わたしとサクニャさんが医者を連れてくるから!」
サクニャの慌てっぷりが白黒へと伝播し、二人そろってどこにいるかも分からない医者の所へと行こうとする――
「ちょっと待て」
――が、暴走する二人をアロエは襟を引っ掴んで無理やり制止させると、当の二人は「「ぐぇっ」」と仲良くハモりながら首を押さえて地面へと突っ伏した。
「し、師匠……それはさすがに無いっしょ……」
「落ち着けオマエ等。医者の手でどうにかなるんだったらコイツなら先に簡単な手当くらいはしてるだろ、なぁ」
「まぁ、そうですわね。正直、血が出てないなら放っておいても構わないと思っていましたが……この状態はやはりよろしくないので?」
「そりゃあなぁ……別の世界で起こった異常を引き継いで来た訳だから体への影響は起こるし、そのままでいるとその傷口から厄介事が派生していかんとも限らない」
「ミッこ……ウチはいつまでも忘れないからね」
具体的になにが起こるのかアロエは言及しなかったが、彼女が厄介だと言うのならそれは揺るぎのない事実であるのは今までの経験上外れたことが無かったので、ミシェの傷口を見ながらサクニャは別れを想起させる言葉と共に拝んでいた。
「縁起でもない事言わないでっ! …………大丈夫ですのよね? 治るんですのよねこれ」
サクニャの事に怒った様子を見せるも出血のしない大怪我など初めてのミシェは、次第に不安になりアロエへと聞いた。
「ん~~~時間はかかるが何とかなるだろう。しばらくは安静にしたほうがいいけどな」
そう言ってアロエはミシェの肩から引き裂いた布を使って傷口を縛っていく。
「いや~良かったねミッこ!」
「つーん、ですわ」
ミシェの傷が治ると分かると途端に明るい笑顔を見せてくるが、サクニャの縁起でもない行為がミシェの機嫌を損ね、そっぽを向かれてしまっていた。
「うぇ~んみっこぉ~ごめんなさい~!」
「……反省していますの?」
「うん――」
「でしたらもういいですわ」
しょんぼりと項垂れるサクニャの様子に反省の色が見られたために、ミシェも機嫌を直した様だった。
「いつ見ても仲いいなーオマエ達は」
「えへへ~そうかにゃ~?」
「随分と楽しそうな事になってるわね」
通話を終えた遊子羽が見た光景とはサクニャがミシェに抱き着き、そしてその状態で頭を撫でられている最中の所であった。
「まぁ……たまにある事ですので。それにしても長電話の様子みたいでしたがなにか問題でもありましたの?」
「問題があったというよりは山積みになっていた問題をこれから片付ける指示をしていたのよ」
「問題……? そういやあたしは詳しい事情とか知らないんだけど、サクニャ以外にもまだ何かあるのか?」
遊子羽が言う問題がよく分かっていないアロエは頭の上に疑問符を浮かながら問題の当事者に聞いた。
「住人消失事件っていうのがここ最近頻発していて、その下手人が禍死魔という事までは分かってたんです」
「ほーんなるほどねぇ……それはまた残念だったな、誰かさんが死なせちまったからな」
「なんじゃ、それはわしの事を言っておるんかのう?」
嫌味を込めた言い方にティセアが少しムッとした顔で反応し、二人の間に険悪な空気が流れ始める。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! なんでいきなりバチバチになってるんですか⁉ あれはもう不可抗力だったんだから私は気にしていないですよ。それよりお話の続きですけど禍死魔が裏で手を引いていたせいで事件の現場の調査が中々進んでいなかったので、その調査の指示を出していたんですよ」
そして遊子羽はそんな二人の間に流れる空気を変えようとその間に割り込み、アロエに対して丁寧に説明をする。
「なーる程そういう事ねぇ。――まぁ、当人が気にしてないってんならあたしもそこまで言及とかはしないけどさ」
「良かったのう、遊子羽が寛大で」
「なーんでオマエが偉そうにするんだかな」
ティセアの言い方に少しカチンと来たのか、アロエはガンを飛ばすように眼と眼が触れ合いそうになる距離まで近づいた。
「なぜこの二人はこうも反りが合わないのですかね」
折角遊子羽が間に入って取りなしてくれたのに再び空気が悪くなる。だが、よく考えずとも一度は相対していたのならば互いの考えに違いは生じたりするのは無理はないと、同じく一度ならず二度までも相対した神前をふと見て、そんな考えをミシェは抱いた。
「ん? なによ、私の顔に何か付いてるの?」
「いえ、別にそういう訳ではありませんわ」
元々は敵対した者同士なのだから反りが合わない事は別に不思議ではない、ないのだがつい先ほどは協力していたし、これからも共通の敵を相手取る事になるのだからせめてそこの神前のように仏頂面でもいいから争わない姿勢ぐらいは取って欲しいと願うほかなかった。
「はーいはいそこまで! いい大人がいつまでも言い争わないで下さい」
あまりに大人げないティセアとアロエに遊子羽は力ずくで二人を引き離し、部屋で暴れる事の無いように部屋の外へと窓ガラスが割れる音と共に投げ込んだ。
「あだっ! おいおい、客人相手にちょいと手荒過ぎねぇか⁉」
「喧嘩するなら外でやって下さい!」
ゴミを片付け終わったかのように両手を叩くと、今度はサクニャの方へと向き直る。
「うるさくする人もいなくなった事だし。私達も支度したら行くよ」
「あ、うん……じゃあ行ってくるねミッこ」
サクニャの腕に嵌ったまま取ることの出来ない腕輪を外し方を求める為、一時の別れを親友へと告げ彼女は扉の向こうへと歩いて行った。
「おっと忘れてた。あなた達服がボロボロだから後で従者達が持ってくる服に着替えておきなさい」
伝え忘れていた事を言い終わると遊子羽はウィンクをしてミシェ達の前から優雅に去る。
「――この服、結構気に入っていたのだけど仕方ないですわねこの有り様では」
遊子羽に指摘されるまでもなく服の惨状は分かっていたが改めてみると自身が思っているよりも酷く、右肩の部分は刃物で切られた跡とそこから力尽くで破り取られた跡があり、それ以外にも泥や埃で薄汚れ服の替えが用意できなかったとはいえ人様の家に入る事など到底出来ない恰好をしていた。
「いやー良かったじゃんか。元々買うつもりだった物がタダでもらえるんだし、遠慮しないで貰っておけって」
窓の外からアロエが笑いながら話しかけてくる。どう見ても客としては厚かましく、色々と施して貰った身の上としてはあんまりな態度であった。
「少し失礼ではありません? わたくし達は怪我人の手当てだけでなくこの世界に居る間の衣食住まで貰ったのですのよ、それを貰いっぱなしだなんてわたくしのプライドが許しませんわ」
「貰いっぱなし? いやいや、オマエ達は命懸けであの嬢ちゃんの手伝いをして目的の達成まで果たせたんだからそれでイーブン、貸し借りは無しだろ」
「……サクニャの件があるからイーブンにはならないのでは?」
「ああもうさっきから細かい事をネチネチと……だったらあたしもあの嬢ちゃんと同行すりゃあオマエの心配事も無くなるだろ」
「そういう事を心配しているわけではありません。でもあの娘が暴走した時、遊子羽さんだけでツッコみきれるかどうかを考えると……」
「まーだうだうだ言ってる。あたしは行くからそんじゃな!」
「あっ――行ってしまいましたか」
ほんの少し世間に疎いサクニャを遊子羽だけに任せるのに不安を感じていたミシェはアロエが同行する事に安心感はあった。だが、それ以上に何をするのか分からないアロエの同行はミシェの不安を更に駆り立てていくのであった。
「嵐みたいな人だったわね、もう少しティセア様のようにお淑やかにいられられないのかしら」
アロエの奔放な行動に神前が呆れるが、それに慣れてしまったミシェは『またいつもの発作ですわね――』と諦めの表情で開け放たれたままの扉を見つめたまま呟いた。
「まぁそういうのが一人くらいおっても賑やかでえぇじゃろ。それよりもミシェよ、おぬしは寝とらんでもいいのか?」
ミシェが前の世界で負った異常な傷口を見ながら彼女の容態を聞く。
「先生は安静にしているだけで良いと言っていましたし、横になろうにも先程の騒ぎで目が冴えてしまったのでゆっくりとさせてもらいますわ」
――と両手を組みながら腕を上げてぐ~っと伸びをしながら答え、それと同時にミシェの顔が引きつり小声で痛みを堪えるような吐息が漏れた。
「言わんこっちゃない。とりあえずその服じゃ横になるには居心地が悪いじゃろう。――という事で服を剥がすからジッとしておれ」
ミシェの服はドレス状になっているが腹にあたる部分には刃物すら通さないコルセットが巻かれており、そのまま横になるには少々辛い恰好なためティセア彼女の服を脱がすと言うのだが、なぜだかその両手の指が怪しく蠢き出した。
「子供ではないので自分で脱げますわ。――いえ、そもそもそこは着替えという単語が適切なのでは? というよりこっちに来ないで下さいませんか⁉」
「細かいやっちゃのう。いいから怪我人はおとなしくしとれ」
いくら同姓とはいえひん剥かれる事にはさすがに抵抗の意思を見せるが、もともとがか弱いミシェには腕力でティセアに抗うことが出来ず、その窮屈な服とコルセットから解き放たれてしまった。
「きゃあっ!」
「うわぁ……なにこれデッかすぎでしょ……」
ティセアの手により曝け出された体は下着を残してその全てが肌色の輝きを放っており、その一部始終を見ていた白黒は己の胸もとと見比べた後、思わず本音が漏れ出てしまった。
「……ていっ!」
「ふぎゃっ⁉ な、なにをするんですのっ⁉」
目の前で露わにされた胸に対し、何を思ったのかティセアがそれを指で弾いた。
「ん? あぁすまんすまん、なぜか手が勝手に動いてしもうた」
「わたくしの胸に対してなにか恨みでもありましたの⁉」
「そういう訳じゃないんじゃが、うぅむ……」
――と本人も自身の奇行に首を傾げている事から見て、本当になぜそんな事を行ったのか分からないようだ。
「――まぁいいですわ。それよりも早く新しい服を用意してくれませんの? このままでは違う理由で横になる羽目になりそうなのですが」
室内は寒くもなく熱くもない適切な温度に調整されているとはいえ、裸の状態でずっといては風邪だってひきかねない。
「おっとそうじゃった。お~い服を持ってきてくれんか」
ティセアが扉を開けてすぐ近くにいた使用人へと声をかけるとすぐさまその使用人は隣の部屋へと駆け込み、そこから大量の服が掛かったハンガーラックをいくつも持ちだしてくれた。
「こちらをどうぞ。様々な種類の衣服を取り揃えておりますがサイズ等が合わないとかがありましたら何なりとお申し付けください、すぐに別のサイズでご用意致します」
そう言ってその使用人は部屋を退出し、あとには大量の服が残された。
「――想像していた以上に多いのう。さすがにこう種類があるとなにを選んだらよいか」
「動きやすいのなら別に今は適当でいいですわ。とりあえずそこのワンピースでも下さいな」
左腕で胸元を隠すようにしながらミシェは右手で目に付いた服を指して持ってきてもらう様に頼んだ。
「わんぴーす? どれじゃ……ん、これかの?」
ティセアが手に取ったのはミシェが指したワンピースではなく、その隣にあった全く違う服を持ってきた。
「それはワンピースではなくタキシードですわね。――もしかしなくてもオシャレとかそういうものには疎いのですか?」
「疎いというよりなんで服にそんな色々と名前なんてついているんじゃ? 服は服じゃろ」
「あ~それはもう単純に文化の違いですわ。まぁいいですわ、それでしたら自分で選びますので」
ソファーに座っていたミシェが一番近くにあった服を取ろうと立ち上がるが、溜まりに溜まった疲労が今になって脚にきたようで、よろめいてソファーへと寄りかかった。
「無理しすぎですよミシェさん。え~っとこれで良かったんでしたっけ?」
ソファーへと寄りかかるミシェへと白黒はワンピースを手に傍へ寄り添い、動けないミシェに代わってその服を着せてあげる。
「ありがとうございます白黒さん」
「むぅ……これではまるでわしが常識知らずみたいじゃのう」
「実際、その節はありますわね。でも貴女ってたしかわたくしと対して歳の差はありませんのよね? いったいどういう暮らしを今までしてきたんですの?」
白黒の手によりソファーへと横になった状態でミシェはふとティセアの過去を聞く。それに対し彼女の方は少し複雑な顔をしながら考えている素振りしたが、すぐに表情を改め先程までとは打って変わって真面目な顔になる。
「……ここにいる者達になら話してもええじゃろうか、のぅ――ティセア」
何かを決意した顔をするティセアは中空に魔術で窓を二つ造り、それぞれからサクニャ・遊子羽・アロエの3人と鈩の姿が見えていた。
「――その口ぶりだと貴女はティセアではないという様に聞こえますが?」
「この身体の事ならティセアではあるのぅ。今ぬし等と話しておるわし自身に関しては……なんじゃろうな自分でもその存在がよく分からん」
「それはいわゆる二重人格とかそういうのではないのですか? 以前わたくしが読んだマンガ……ではなく書物で同じような症例を見たのですが」
「多分それと似たようなもんじゃろうな。ただぬしが読んだものじゃと何らかの心的要因から己を護る為の事じゃろ? じゃがわしはかつてセムリにされた実験の課程で本来のティセアに埋め込まれた元が誰かも分からん人格という事じゃろうな、ぬしの言葉を借りるならば」
「――っ!」
その場にいた者に衝撃が走る、だがそれも無理はあるまい。なにせ今までティセアだと思って接していた存在はティセアと同質でありながらも無関係な存在であったからだ。
『ほー……そりゃまた災難だったな。んで、その何処の誰かも分からんオマエがティセアではないと言うんならなぜセムリと縁を切った? 実験がどうのこうのというのがあってオマエの存在が確立がされたんならセムリに反旗を翻した理由が分からん』
魔術で生み出された窓からアロエは非常に不可解だとでも言いたげな目でティセアを見つめる。
「あれは蠱毒戦争が終わろうかという時じゃったか、わしの中に突然知らない記憶が飛び込んできたんじゃ」
「それが本来のティセアさんの――」
「そうじゃな。あやつがわしに渡した記憶はその時ではただ一つ『兄に会いたい……』というものじゃった」
「――お兄さんがいらしたのですね。それでその人はどういった方なのでしょうか?」
「さて、な。わしの中にあるティセアの記憶は顔も名前も分からぬ兄の存在と、その兄と共に過ごしたと思われるほんの僅かな出来事ぐらいじゃからな」
ティセアの顔には過去を懐かしむような表情が見て取れるが、それは他人の記憶だと思っているからなのか同時に複雑な感情も見え隠れしていた。
『生きてるかどうかも分からん兄貴を探すために……ってか。にしても、よくもまぁ他人の記憶なのにそんな気が起きたもんだ』
「いきなり自分に知らん記憶が生えてきたら誰だって気になるじゃろ……」
至極当然な反応だろうという顔でアロエに苦言を呈し、そんな彼女に辟易していた。
「そして後は遊子羽達のお陰じゃな。あやつ等がわしの中にいたティセアの記憶をさらに呼び覚まして、それがセムリから離れる決定的な理由になったんじゃ」
『えぇっ⁉ わ、私もっ⁉』
『随分とドラマチックな展開になったな。まぁあたしはそんな話よりもセムリをぶっ潰す手掛かり的なもんが欲しかっ――うぉっ!』
そんな事を言いながらアロエは窓から勢いよく押し出され、その後には代わりにサクニャが立っていた。
『師匠はちょっと冷たすぎだよ! それにしても家族を探すために行動するなんてウチ等とソックリだね』
「――じゃな。まぁそんなこんなでわしという存在は理解できたかのう?」
これにて終わりとティセアの姿をしたナニかはソファーの上で深く座り直し眼を瞑った。
「ええ、まぁ。世界はまだまだ不思議な事があるのだと思い知りましたわ」
『確かに不思議っちゃあ不思議ではあるな。だけどそんなのは些細な事、要はあたしと敵対するかどうかだからな』
「――ブレない方ですわね、あいかわらず」
いついかなる時でも己のスタンスを崩さないアロエにミシェは呆れながらも感心したような表情で小さく溜め息をつく。
『あっはっはっは! あたしはあたしだからな、ブレるわけないだろ。――っと、そろそろ用意も終わったようだし出発すっかな』
「そういえば、まだ屋敷内にいたんですのね。今まで何をなさっていたのかしら?」
『ちょいとサクニャの着替えをな。これから行く所ってのが人がまともに住める様な所じゃやないらしくてな。普通の格好じゃキツイってんでアイツに合わせて色々と調整してたんだよ』
くいっと顎で後ろを指しながら様子が窺えるような位置にアロエが移動するとそこにはまるで過酷な地帯にでも向かうかのような様々な対策が施された装備を着込んだサクニャが佇んでいた。
「その格好……山にアタックでも行くんですの?」
『そこまで過酷な事はしないわ。でもそうね……ヘリで行くとはいえ長時間そこに留まるのはなかなかにキツイ所ではあるわね』
「サクニャ……生きて帰って来るんですのよ」
『う、うん……多分大丈夫だとは思うけど……行ってくる』
ほんの少し震えが見える声色で返事をするが、チラリと後ろにいるアロエの能天気そうな顔と自身とは正反対の軽装を見て、いくら信頼のおける人がいようとも一抹の不安というのはあるようであった。
そうして、そんな不安が残ったままのサクニャを見送りつつティセアの魔術の窓が閉じられて、あとには鈩の姿が見える窓だけが残されていた。
「さて……鈩よ、今までの話は全部聞いておったな?」
ティセアがもう一つ開きっ放しにしていた窓の向こうへと話しかける。だが、その向こうからは何も音が発するようなこともなく静寂な時間だけがゆっくりと流れていく。
「…………あのティセアさん? なんか格好良い事言った! みたいな雰囲気を出していますけどなにも反応がありませんわよ」
「あれ、変じゃのう? 向こうから起きている気配がしておったんじゃが、勘違いだったかのう?」
ティセアが首を傾げて不思議な顔をしていると、不意に窓の向こうから軋んだような物音が聞こえてきた。
「ぁ、あの……聞こえて……ます」
「おっと、聞こえておったんならもうちぃと早めに答えてもええじゃないか?」
「え……っと、その……し、知らない人がいたので……つい……」
窓から見える範囲には鈩の姿は見えないが、控えめな大きさの声だけは話題から少し遅れて聞こえてきた。
「知らない人って……私も藍我もあなたも元は同じ組織にいたでしょ」
「組織って……なんなんですか。ゎたしの事、何か知っているんですか?」
「あの……ティセア様、確認なんですけど私の目の前にいるコレは本当に呉城なのでしょうか? わたしの知る呉城はもっと武士みたいな奴でしたが」
自分の知る鈩と余りにもかけ離れた様子に神前はティセアの耳元近くに行って小声で確認を取る。
「ぬしの知ってる鈩は鎧に宿っていた人格で、こやつとはまた違った存在でな。まぁ平たく言うとわしと似た感じの多重人格みたいなもんじゃろうか」
「あぁ、なるほど……」
先ほどのティセアがした己と同じ様なものだという説明があった事から、容易に目の前にいる鈩が自分の知る鈩との違いの理由が分かる。
「さて、話は戻るが鈩――ぬしにもわしの話を聞かせたのはぬしが今後どうしておきたいのか知っておきたくてのう」
「ゎたし……ですか?」
なぜ自分が話題にされているのか分からず鈩はこくんと首を横に傾げる。
「ぬしは白黒達と出会う以前の記憶が無く、自分が何者か知らんのじゃろう?」
「えっ……ど、どうしてそれを――」
「わしらの事が分からん時点でバレバレじゃったろうが」
「あぅ……」
「で、じゃ――ぬしに確認しておきたかったのは、今後もわし等と行動を共にするかどうかじゃ」
「…………」
「これから先、わし等の旅は過酷なものとなる事が予想される。じゃから今後自分の身を守る術の無いぬしを守る余裕はなくなっていくじゃろう。さぁ、ぬしはどうする?」
(どうするって……そんなの聞くまでもなくついて行く訳ないじゃない)
「行きます! ゎ、わたしは自分が何者なのか知りたいんです!」
(えっ⁉ 行くの⁉)
後ろで行く末を見守っていた神前が内心で驚くがそれもそのはず、ずっとオドオドとしていた鈩が今までで聞いたことのない大きさの声量を発し、さらにはあのような気の弱い少女が戦いの渦中に身を置くとは思ってもいなかったからだ。
「――いいんじゃな?」
「はい。わたしに出来る事は少ないかもしれないですけど、わたしは一体何者なのか知りたいんです!」
それは呉城鈩という名の少女の自己が確立するための力強い宣言だった。
「そうか。わしとしては戦いの事なぞ考える必要のないこの世界で静かに暮らす選択肢を与えたつもりじゃったが、必要なかったみたいじゃな」
鈩の覚悟を聞いたところで満足したのか、ティセアはソファーに腰かけた状態からゴロンとだらけきって全身をそのソファーに横たえた。
「よくもまぁ人様の家でそこまでだらけられるものですわね」
「ふふん――羨ましいんかのう?」
「いえ、別に。ただ単にだらしがないと言っているだけですわ」
「なんじゃなんじゃ。遊子羽がこの程度の事で何か言う訳なかろう」
「だからそういう事を言っているんじゃ……いえ、もういいですわ」
自由過ぎるティセアの行動に反論する気力の無くなったミシェがパタリと横に倒れ伏し、奇しくも両者ともに似た様な体勢になってしまっていた。
ガチャッ――
「あれっ――誰だろ?」
ノックもなくいきなり扉が開く音がした。そしてその音に反応した白黒が応対しようと動いた瞬間、それよりもさらに早く動く影が扉に迫る。
「――誰だ」
「えっ……うわぁっ⁉」
白黒の目の前には藍我が直刀を片手に扉を開けて今まさに入ろうとした人物の首筋へとその得物を突き付けていた。
「ん~? なんかあったんかのう?」
これから惰眠でも貪ろうとしていたのかティセアが眼を擦りながらいざこざの出所へと目を向ける。
「随分な挨拶だな。この屋敷ではそうやって客人を出迎えるのか?」
藍我に刀を突きつけられてもなおその人物は平静を崩さず、しかもその刀を片手で握り込んで藍我の動きを縫い止めるかのようにその場に留めた。
「ただの人間がそのような殺気を放つわけが無かろう」
「ふぁ~あ……何を言うとるんじゃ藍我。そんなもん発しておったらわしが気付かぬわけがなかろうて。気を張りすぎじゃ」
ティセアとて他人の気配に鈍感ではなく、ましてや一度はその場で眠ろうとする程には周囲が安全だという事は示している。
「そこの小娘の言う通りだ。俺は至って普通に入って来ただけ、おおかた死の匂いに惹かれたんだろうさ」
「藍我も警戒はほどほどにして刀は下ろしちゃれ」
「――ティセア殿がそう言うのならば」
言われて藍我は手を引き、扉の向こうにいた人物はようやく部屋の中へと入った。そして部屋に入るや否や辺りを見回して怪訝な顔をした。
「――おい、アロエの奴はどこに行った」
「やっぱりあやつが呼んだ客じゃったか。アロエならここにはおらん、少し前に出かけよった」
「人を呼びつけておいてこれか。昔から勝手な奴だがいつ戻ってくるんだ」
見るからにイラついた様子で誰も座っていないソファーにどっかりと座り込む。
「残念ながら先ほど出て行ったばかりなので暫くは戻ってきませんわ」
「そうか、だがまぁいい。あの女が居なくとも俺は仕事をするだけだからな」
「そういえばどのような用件で貴方はこちらにいらしたんですの?」
上から下までかっちりとしたスーツを身に纏った青年は、見た目からは何をしに来たのか特定が出来なかった。
「ここには武器を作りに来た」
「武器……? もしかしておぬし
突然の来訪者に興味があったのかティセアは横になっていた身体を起こし、その男の方を見た。
「あぁそうだ。俺は炎王
「あの人の交友関係は訳が分かりませんわね」
今までミシェ達が出会った人物は何かとアロエと接点のあり、そのどれもが普通に生活していては出会わないようなクセのあるような者ばかりで、武器職人などその最たるものであろう。
「ふむ……して、誰の武器を作るかは聞いておらんのじゃな」
「聞いていないな」
「まぁこの時に来たのじゃったら間違いなく白黒の為じゃな」
「わ、わたしですか⁉」
「今の時点で武器を持っとらんのはぬしと鈩だけじゃからな」
「そういえばこっちの世界に来る途中であの模造剣を落っことしちゃったんだっけ」
白黒が自分の掌をギュッと握ってあの時持っていた剣の感覚を思い出す。だが、実物は次元の狭間でのいざこざによってもうその手には無かった。
「注文はそこの娘一人分でいいのか」
「――もう一人分頼んでもいいんかのう?」
「金さえ貰えば構わん。材料は潤沢に持ってきている」
「そうなんか。じゃあこやつの分も頼もうかの」
そう言ってティセアは鈩の方を一瞥してから指を一振りする。
「え――ふぇっ⁉」
そうするとまだ開きっ放しになっていた窓の向こうにいる鈩の身体が浮き上がり、そのまま窓を通ってなぜかミシェの身体に覆い被さる様に飛んできた。
「むぎゅっ⁉」
「な・ぜ・いつもいつもわたくしが下敷きにさせられているんですの――」
「いや、もう椅子の空きが無いから適当に目に付いた柔らかい物を使ったまでじゃ」
「だからと言って人の身体をクッションにする必要性はないのでは⁉」
当たり前の事を言って反論するもティセアはそれを聞き流すかのように慎二と交渉を始めだした。
「ほんじゃま、ここで時間を潰させるわけにもいかんから早速作業をして――」
「待て、見たところ金はここには無いようだが支払いはどうするつもりだ」
「ん? 武器が出来上がってから払うんじゃないんか?」
「前金だ。それが無ければ仕事はせん」
「……参ったのう、わしは金なぞ持っておらんぞ。遊子羽に頼んで金を借りるか……?」
「貴女はどこまで遊子羽さんに頼る気なんですの。流石にそれはラインを越えていますわ!」
確かに七宝家の屋敷の規模からしてかなりの額のお金はあると思われるが、ただでさえ部屋の一室を借り、それ以外の事でも世話になっているのに、更にはお金まで借りるというのは信頼があったとしてもやるべきではないと全力で止める。
「いや、でものう。金の事はアロエが戻って来た時に払わせればいいと思っとったんで」
「――なんだ? 払う金が無いというのなら俺は帰るぞ」
このままでは報酬が貰えないと判断したのか、慎二は踵を返し屋敷を後にしようとする。
「お待ちになって! 支払いというのは現金限定なんですの?」
慎二を引き留めようとミシェが無理やりティセアから交渉の場を奪い取る。
「――いや。後払いは受け付けていないがクレジットカードとかは受け付けている」
「でしたらっ! これでどうでしょうか」
未だにミシェの上にいる鈩を押しのけないように自分の服をまさぐる。そしてそのすぐ後に彼女の手には黒光りする一枚のカードが握られていた。
「それは?」
「葉神アロエのクレジットカードですわ」
「ほう――どうやら金の支払いは問題ないようだな」
ミシェがクレジットカードを出した途端、慎二はその足を止めミシェの方へと向き直る。
「正直、他人の懐事情は存じていないので支払いきれるかは分かりませんわ」
「それならば心配いらん。あの女がどれだけ貯め込んでいるのかは把握している」
「は……えっ? ちょっと⁉」
他人の残高を把握している時点で驚きだが、それ以上に驚いたのはミシェの手にあったカードを抜き取り、そのままカードリーダーを取り出すと慣れた手つきでカードを読み込ませて更には暗証番号まで打ち込み始めた。
「…………これで契約は成立だ。では、早速仕事にとりかかるが、鍛冶場はどこだ?」
「――多分この屋敷にその様な施設は無いと思いますわ。空き部屋とかであれば使用人の方に聞けばわかると思いますが」
「そうか、ならその辺の奴を捉まえて聞くとしよう。さて、行くぞ」
「んうぇっ?」
「ぁ……」
入金を確認し作業を始めようと部屋を後にする慎二だが、なぜかその両手には鈩と白黒の手が握られており、困惑する二人を尻目に何の説明もなく連れて行こうとする。
「ちょちょちょっと⁉ なんで⁉」
「ぁぅ……ぁぅ……」
「俺がオーダーメイドで作る武器にはその持ち主となる人物の協力が不可欠だからだ」
「え……なんでわたし達が必要なの?」
「来たら分かる」
反論は完全に封殺され、有無を言わさず手を引いていかれて三人は扉の向こうへと消えていった。
「これでひとまずアロエの残していった面倒事は終わったかのう」
「まぁ……そうですわね。面倒事だったかどうかはともかく」
「金の問題なぞ面倒なだけじゃ。人間関係が拗れる」
「お金だけで何とかなる方が遥かに楽ですわ」
「――金持ちと貧乏人の縮図みたいになっているわね」
金銭に対する感覚が違いすぎて半ば観客と化している神前が、どちらの側にも属さない一般人かのようにボソッとコメントしていた。
「だーれが貧乏人じゃ。聞こえておったぞ」
「あ、あの私は別にそんな意図は無くてですね――」
「責めとりゃせんよ。ただ教団にいた時は金についてねちっこく言う奴がおったからのう」
「――上にいる人間は色々と大変なんですね」
「組織なんてもんはどこも似たようなもんじゃろ。それより、わしはもう疲れたんで寝るからよっぽどのことが無い限り起こすでないぞ」
「あっ……分かりました」
言うが早いかティセアはすぐにソファーで横になりその直後に小さな寝息が聞こえだした。
「随分と寝付きがよいですわね。魔術師というのは魔術を使うとああも疲れてしまうものなのでしょうか」
「ここに来るまでに大規模な魔術を使いすぎたのよ。普通の魔術師ならさっきの世界で昏倒する程のね」
「だいぶ無理をさせていたんですのね。でも、それならそうと言ってくれれば多少の狼藉には目を瞑りましたのに」
「ティセア様は意地っ張りな上に子供っぽい所があるからね、だから自分を強く見せるために他人に心配かけるような事はしないのよ」
「そうでしたの。でも、あの人の過去を考えたらそれも納得ですわね」
年齢こそ十九歳とは言っていたが、九歳頃に行方不明になったと以前アロエから聞いていた。その事を踏まえると元の人格も、埋め込まれたという人格の人生経験が真っ新な状態でそこからさらに十年程度であれば、神前の子供っぽいという言も自然と頷けるというものだ。
「さっきのティセア様の告白には私も驚きはしたけどね。だから、いい? これからはあまりティセア様に負担をかけるような事はしないでよね」
「――流石にそれは心得ておりますわ。相手が常人で……ふぁ……あればですけど」
ミシェが途中であくびを挟む。だが、普段であれば彼女の性格上取り繕いそうなものだが、今回は特に気にせずにそのまま話を進めていた。
「あんた……まだ疲れが抜けきっていないんじゃないの?」
「そう――でしょうか? 先ほど仮眠をとったので疲れは無いように思いますが」
「いーやっ! まだ休息が足りないわね。いいからあんたはまだ寝てなさい、しばらくは私と藍我が見張っておくから」
「え、えぇ――でも貴女、よくもまぁ敵であったわたくしにその様に接する事が出来ますのね」
「私達の上とあんた達の上が手を組んだからね、だから私等はもう戦う必要も無いって訳」
「――わたくしはそんな簡単には割り切れませんわね」
何度か敵対した相手と共にすることは、状況が状況だけにこの際しょうがないと感じていたが、それでもミシェの感情としては敵だった者と共にいる事の拒否感の方が大きかった。
「なら早く割り切る事ね、死んだ奴は後悔する事も出来ないから」
「善処しますわ」
それから二人の間に会話が交わされることは無く、その静寂な空間の中で次第にミシェに眠気が迫り、やがては眠りへと落ちて行った。
ミシェが眠りについたのと同時刻、炎王慎二に連れられた白黒と鈩は七宝家の敷地内にある別館へと足を踏み入れていた。
「あなたのご希望に添える場所を探したところ、今は使われていない部屋がございましたのでそこへ案内いたします」
使用人の後を追い案内されたのは、大きい暖炉がポツンと置かれた他には家具一つない殺風景な部屋で、その内装を慎二は隅々まで見回し部屋の具合を確かめる。
「……どうでしょうか?」
「悪くない。ありがたく使わせてもらう」
「そうですか。ではごゆっくりどうぞ」
これから自分が行う事に都合がいい部屋を用意され、さっそく仕事の準備とりかかる。
「あ、あの~わたし達って結局何をしたらいいんでしょうか?」
慎二によって連れて来られたのにも関わらず、この部屋に来るまで一切の説明がなされないので、今も何が起こるのか分からずおっかなびっくりで聞く。
「まぁ待て。説明は俺の用意が終わってからだ」
そう言って慎二はしゃがみこんで床に手を着くとそこから魔法陣の様なものが現れ、そこから大きな布の包みがせり上がって来た。
「何これ……いったい何が入ってるの?」
「仕事道具と材料だ。さて――」
慎二はその布の包みを解くとその中から木炭と薪を取り出し、暖炉の中に放り投げた。
「あ、あの火を点ける物が無いですよ?」
「いらん。普通の火では俺の武器は作れん」
白黒の心配をよそに慎二は右手の人差し指を立てる。するとその指先に小さく真っ赤な火の玉が現れ、それを暖炉の中へとそっと入れる。
「うわっ⁉ 熱ちちっ!」
暖炉にくべられた火が勢いよく燃え上がり、火柱となって暖炉の中で吹き荒れた。
「これから少し熱くなるから窓でも開けておくんだな」
「それは早く言えっ!」
慎二が忠告をするよりも先に実行したために今までは敬語でいた白黒が年上だとかそんなのは関係ないとばかり怒鳴り込む。
そして、くべられた火が熱を発し始めると途端に部屋の温度が上昇し、到底暖炉で存在するとは思えない程の温度が部屋を埋め尽くさんとする。
「あ、あれ⁉ ちょっと、これのどこが少し熱いなのよ! 鈩さんっ! 蒸し焼きになる前に部屋の窓もそこのドアも開けるから手伝って!」
「は……はい。分かりました……」
二人は急いで部屋を走って窓に扉にと大急ぎで開けて回り、ようやく全てを開けて汗だくになった頃には慎二は何事もなかったかのように準備を終えて鍛治に取り掛かろうとしていた。
「人が死ぬ気で走り回ったのにあなたはよくもまぁ涼しげでいられるわね」
「それは俺の仕事ではないからな。さて、ではまずお前の武器作りから始めようか」
二人が部屋中を駆け回っていた間に慎二は、作業台とその上に乗せられた鈍く光る白い金属そして少し柄の長い金槌を手にして白黒を待ち構えていた。
「やっとですか。それで、わたしは何をしたらいいんですか?」
「これを持て」
「……えっ? あの、わたしがこれを使ってどうするんですか?」
白黒の武器作りをすると言っていたのにも関わらず、なぜか白黒本人が鍛治道具を手にするという展開に意図が理解できず、頭の中が疑問符で溢れかえる。
「手順は随時説明するから疑問は口に出すな」
「は、はぁ……」
訳も分からず金槌を持たされたところで、慎二が金属を暖炉の中の炎で熱し始める。
「さて、要望通り武器をこれから作る所だが……オーダーメイドの場合、俺がするのは武器を形にする所のみだ。どんな特性の武器にするかは自分自身で決めろ」
そして慎二は金槌を白黒に手渡し、熱していた金属を金床に置いて作業を促す。
「決めろって言われても……ただ単にこれを叩けばいいんですか?」
「そうだな。だが叩く時は無心ではなく、コレがどういう武器になって欲しいのか願いながら叩くんだ」
「決めろってそういう事……。分かりました、でも素人だからどうなっても知りませんからね」
「構わん。その為に俺がいる」
(わたしが必要とする武器……か。前に使っていたのはとにかく重くて大きい剣だったから――)
白黒はここに来る前の世界でやった体感ゲームの時に使った大剣の事を想い出しながら
金台の上に据えられた素材を叩く。すると、金属同士がぶつかる音がしたものの音に反して以外にもそこまで硬い手応えが無く、何度か叩いていく内に金属がまるで粘土の様に柔らかくなっていく。
「な、何これ……気持ち悪いぐらいに柔らかくなってる……」
「それがその金属の特性だ。打ち手の意思を汲み取り吸収していくごとに柔らかくなり、その武器の方向性が定まると途端に硬くなる」
「随分と変わった性質の金属ですね。世界が違うとこんな物も取れるんですね」
想いを込めながら金属を叩くのに慣れて余裕が出てきたのか自分が今叩いている物についての雑談をし始めた。
「いや、こんな奇妙な物は世界のどこを探しても類似する物はない。これは俺の作ったオリジナルの金属だ」
「武器職人って、そんな物も作れるんですね~」
雑談をしつつも金槌を通して込める思いに雑念は無く、金属から視線を外さずになおも雑談は続く。
「製鉄までならそこいらの職人でもすることは珍しくは無いが、オーダーに合わせて素材を作ったり調達したりするやつはあまりいないな。あくまで武器職人は武器を作ることに重きを置いているからな」
「へぇ~……そうなんですか。じゃあ天然で珍しい素材とかってどんなのがあるんですか?」
「――見たいのか?」
「わたし、他の世界の事どころか家の外の事かも知らない事ばっかりだったから……」
「そうか、なら俺の仕事が完全に終わった時にまたここに来い。三時間もあれば一つくらいは出来るから全部終わるころだと……明日の朝ごろになれば次の仕事が出来るだろうな」
「えっ、早っ⁉ ――あっ!」
いくら知らない物事が多い白黒でも一つの物を――ましてやオーダーメイドの武器といういかにも手間がかりそうな物がそんな短時間で出来るわけがない事は理解しており、そんな異次元の出来の早さに驚愕している時、不意に手応えが大きく変わった音がする。
「どうやら方向性が定まったようだな。だが、こいつはなんとも……」
横から硬質化した金属を手に取る。鈍く輝いていたそれは今は白と黒の斑模様に変質しており、それを見て不穏な事を呟く。
「何かマズい事でもあったんですか?」
「いや。だいぶ重量が増していたからな、これを素地にして武器を作るとしてお前が持てるのかどうか分からなかったからな」
言って、慎二はその金属を白黒の両手に乗せると途端に重力に引かれて取り落としそうになった。
「お、重っ! 何これ、見た目と重さが合ってないんだけど⁉」
「お前が望んだんだろう。だが、素地の段階でこの有り様だと分割して作るしかないか……?」
「やっぱりゲームの時みたいにするのは無理があったのかなぁ?」
あまりにも重い金属を慎二に返し、自分の武器選択は間違っていたのかと思ったその時、慎二の目つきが急激に変わっていく。
「ゲーム……だと?」
「ひぅっ! あ、あのごめんなさい!」
あまりの視線の鋭さに後ずさりをしながら思わず謝る。だが、当の慎二は白黒の言った事の意味が分かっていないのか困惑の表情で白黒の事を見返す。
「訳もなく謝られても困る。そんな事よりお前、まさか入色の人間か?」
「いや、最初に名乗って…………なかったね。えっ、じゃあなんで分かったの⁉」
「俺は職業柄色々な武器作りを頼まれるが、中には特定の一族にしか扱えない物も依頼されるからな。だから、いつ変わり種の依頼が飛び込んできてもいいように特殊な一族の情報を集めている」
自分の一族は他所の世界では特殊な一族とされている。それを聞いて白黒は一つ思いついた事を口にする。
「あの……わたしの一族ってそんなに有名なんですか?」
「いや、俺が個人的に興味があって調べただけだ。入色の人間に会って知ったという事では無いがな」
話の流れで行方の分からない父親の事を聞こうとしたが、先手を打つかのように希望は打ち砕かれる。
「そう、ですか……でも、入色家の何が特殊なんですか?」
父親の事も名前以外の事は碌に知らないが、今まで生活してきた中で自分の一族が特殊だという事は誰からも聞かされていなかった。だからこの男の言う特殊という言葉にひどく興味をそそられていた。
「あくまで伝聞でしか無いから正確さは分からんが、『電脳世界の特異性』とやらに関係するらしい」
「う~ん? わたしのいた世界って周りが言うには変わってるっていうのは聞いてはいたんですけど比較なんて出来そうにないし……ホント何なんでしょうか?」
「さぁな。そもそもその情報も酔いどれの情報屋が酒代の代わりに俺に寄こしたものだからどこまで本当かは分からん」
「うーん……それじゃあサッパリですね」
父親にも繋がる情報かと思ったのだが、納得のいく情報はなく逆に謎が増えるだけの結果となった。
「分からんものを考えても仕方があるまい。それよりとっとともう一つも作るから、悩むなら先に向こうの女を連れて来てからにしろ」
金台の前で唸る白黒をそこから除ける為に鈩を連れてくるように言い放つ。そして自分が作業の邪魔になっていた事を悟るとすぐさま鈩の下に行って、手を引いて連れて来た。
「じゃあ次は鈩さんの番だね。やり方は……見てたなら分かると思うけど」
扉のすぐ近くで二人のやり取りを見ていた鈩は、流れるように白黒から金槌を受け取り金台の前に座った所でちょうど目の前にいた慎二と眼があった。
「~~~っ!」
これから作業を始めようとしていた手が止まって怯えた顔になり、そのまま身体が震えて顔を隠すようにその場で蹲る。
「……一体何なんだ?」
「あ~……鈩さんって他人と顔を合わせるのが苦手みたいなんです」
「そうか、なら仕方ないな」
鈩の事情を配慮して彼女の後ろへと回り込む。それからは白黒がやったのと同じ作業をさせた所、小さく頷きながら控えめな動きで金槌を振り下ろし始めた。
「さて、では早速コイツを仕上げんとな」
鈩の作業の邪魔にならないように新たに金台を用意し、白黒の想いが籠もった金属を武器にするべく鍛冶をするためなのか上着を脱ぎ去った。
――ゴクリッ
上半身裸になった慎二の身体は至る所に火傷と切り傷が刻まれており。傍で見ている白黒も慎二の放つ雰囲気に思わず息を呑んだ。
「――少し離れていろ」
「はい」
いくつかの金属を火にくべ熱し始める、そして十分に熱が入ったところで一つ取り出すと慎二もまた金槌を振り下ろした。
「使う金属って一つじゃないんですね」
「元々一つだけでやるつもりはなかったが、お前の場合は武器を一つにするよりいくつかに分けた方が良いと判断したからな」
金属を叩きながら成形をし、かと思えば並行して作業していたのか限界まで熱して液状になった斑模様の金属を三等分に分けだした。
「わたしそんなに扱える自信がないんですけど」
「心配いらん、お前の武器はどんな素人だって扱える様に考えてある。ひとまずは大剣を一振り作るが追って別の武器も作ってやる」
白黒と話しながらも一定のリズムを崩す事無く金槌を振り下ろし、異常なペースで剣の形が作られていく。
「慎二さんって武器を作るペースが物凄く早いんですね」
「普段はこんなに早くは作らん」
「えっ――?」
武器の制作風景はおろか、金属が加工できる原理すら知らない白黒にはなにが正しい知識なのか分からず、目をぱちくりとさせて唖然とした表情しか出来ないでいた。
「金属の加工やら成形やらは本来ならもっと時間が掛かる」
「へ~……慎二さんってすごいんですね。でも、なんで?」
非情に真っ直ぐな目で慎二を見つめると、それが恥ずかしかったのか目を逸らし、だがそれでも白黒の疑問に答えるべくその顔を見ないようにして口を開く。
「炎王家というのは死にかけの竜族と出会ったのが始まりだ」
それから慎二は自身の家系について話していき、それらを纏めると後に炎王家の初代党首となる人物が一体の老竜と出会い、その最後を看取った時に不思議な炎の力を受け継いだのだという。そして、その炎の力を使って鍛冶職人としての一族が誕生したようだ。
「じゃあその人の鍛冶技術があったから他の人よりも早く作業ができる訳なんですね」
「確かにそうだがこのやり方は好かん。本来はもっと時間をかけて真摯に向き合ってこそいい武器を作れるというのにあの女と来たら……」
「一体アロエさんに何言われたんですか」
「すぐに必要になるだろうからなる早で――と頼まれてな。大金も積まれた上に頼んできた時の様子が珍しく真剣で断る訳にもいかなかった」
「――あれだけ強い人がそんな事言うと途端にこの先が不安になるんですけど」
戦闘能力などまだまだ未熟な白黒にはそんな話があっただけでも恐ろしく、武器が早々に必要になる時など来ないで欲しいと思っていた。
「そこまで悲観する事ないだろう。だらしがないとはいえアロエもいるしティセアもいるから世界が滅ぶような事態が起こらない限りまず安全だろう」
「あのっ! さらに怖い事言うの止めてもらえますかねっ⁉」
安全性の担保はされている様だが、あの二人がいてなお危険に陥る事態があるのかと知り、知りたくもなかった知識が蓄積されてしまった。
「多分大丈夫だろう。俺も色々な世界を渡り歩いたが、世界を滅ぼすような奴には片手で数えられるぐらいにしか会っていないからな」
「あ、安心できない……」
余計な不安を抱きかかえたまま慎二の鍛冶作業を見学し、二人がそんな会話をしている間に鈩は自身の作業を終え、人知れず金属と共に手紙を置いて気が付いた時にはティセアのいる部屋へと帰った事を報告していた。
「――ふぅ」
鍛冶を始めてから数時間、慎二は持っていた道具を置き今まで自分が打っていた武器を手に取り出来を確かめた。
「終わったんですか?」
「あぁ。待ってろ今持ち手を付ける」
最後の作業として柄をしっかりと取り付けた所で抜身の大剣を白黒へと手渡す。
「どうだ?」
「お、重いですけど振るくらいなら出来そうです」
白黒の両手には自身の背丈より少しだけ短い大剣が握られており、本人が言うには振ることが出来ると言うが傍から見ると剣の重さに若干負けていて振り回されている様にしか見えなかった。
「軽くしておいて正解だったな。だが、そんなのでも真上から重量で叩くくらいは出来るな」
「こ、これを振り回し続けるのは流石にしんどいですって」
ずっと剣を保持し続ける事が出来なくなったのかそれを床に置いて白黒もその場にへたり込んだ。
「よくそのザマでこんな重い剣を持とうなどと考えたな。……仕方ない、手を出せ」
「えっ? はい――でもどうするんですか?」
どういう意図があるのか慎二は白黒の手を要求し、彼女も不思議がりながらもそれに素直に従って左手を差し出した。
「流石に武器を作った相手がその武器をまともに使えんでは俺の沽券に係わるんでな。――これでいいだろう」
差し出された白黒の手を取ると慎二は己の人指し指に火を灯し、それを彼女の掌を撫でるように文字に似た記号を刻み付けた。
「なんですかこれっ⁉」
まったく熱を感じない火が火傷の様に刻まれたかと思えば非難した次の瞬間にはその痕は最初から無かったかのようにきれいさっぱり消え去っていた。
「……本当に何なのこれ」
「魔術のお裾分けと言ったところか。取り敢えず左手で剣を握りながら物をしまうイメージをしてみろ」
訳が分からない事ばかりだが、言われたに通り白黒は床に置いてある剣を握り頭の中でしまうイメージをした。すると――
「あっ! 消えちゃった……」
剣がまるで白黒の掌の中に入ったかの様に消え去り、手の中にあった重量も感じられなくなる。
「最低限の魔術の才能があってよかったな。それはともかく今度は逆に剣を取り出すイメージをしてみろ」
「えーっと……あっ出た……」
今度は先程とは逆のイメージをした所、手の中にはもはや馴れしたんだと言ってもいいぐらいの重量が収まっていた。
「ひとまず武器の出し入れが出来れば何とかなるだろう。後は慣れだ」
「が、頑張ります……」
本格的に使いこなせるかは分からないが最低限武器として扱う手段を得たため、少なくとも自衛は出来るようになったわけだ。
「そういえば慎二さんはここでまだ作業をしていくんですか?」
「いや、依頼はひと段落したがあの女が戻ってくるまでここに居るつもりだ」
「え~っと頑張ってください……? それじゃあわたしはこれで~」
アロエに対する怒りの様な感情が見え隠れしており、彼女に対して相当な鬱憤が堪っているように見えた。
「待て」
そして静かに怒りを蓄えている慎二に配慮して部屋を出ようとしたところで呼び止められた。
「あの、まだ何か……?」
「お前の残りの武器についてだが、出来次第運び屋を使って送る。それを言い忘れていた」
「そ、そうですか……」
一瞬、白黒に対し鬱憤を晴らされるのかと身構えたがそういう訳ではなく、それはそれとして、慎二の仕事はこれからも継続してくれるようで安心した。
そしてその会話を最後に白黒は部屋を後にする。
「入色家か……初めて会ったがどう武器を使いこなすか楽しみが増えたな」
依頼が一旦終了し部屋に自分以外誰もいなくなったところで暖炉の炎で手持ちの煙草に火を点けながら自分の武器の行く末を夢想していた。
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