ジョブ・デビュー 2(完)

【4】


 席に戻るとすでにカレーが3人分用意されていて、スタチャーがよい表情でかきこんでいた。


「兄貴、このカレー超美味いよ!」

「そうか。せっかくだから味わって食べろよ」


 1口食べると、まず野菜の複雑な甘みを感じ続いてトマトの酸味がアタックしてきた。肉は牛筋らしいが、口の中で溶けるほど軟らかくなるまで煮こまれていた。どんどん食べ進めていくと、突如凶悪な辛みが牙をむいてきた。途端に汗が吹き出してくる。備え付けの福神漬けも歯ごたえがよく程よい酸味がアクセントになる。


「たしかに美味いな」


 フィリも小さくうなずいた。

 これだけ美味いのに客の入りが悪いのは立地の問題か。

 ヘルバイスではなく俺たちの住んでいる街であれば繁盛するだろうにと惜しく思う。


 俺たちはゆっくりと十分な時間をかけてカレーを平らげた。

 先にカレー食べ終えていたスタチャーは恐ろしい勢いでキングサイズのパフェを格闘している。


 最後の懸念材料である店長の姿が見たかったのだが、残念ながらキッチンから出てこなかった。

 ウェイトレスはカウンターの向こうの椅子に座りのんびりと雑誌を読んでいる。

 

 サラリーマンは食事を終えると急いだ様子で出ていった。

 女はパフェよりも骨董品扱いのガラパゴスケータイ電話を眺めるほうに意識が向いているようだった。

 

 パフェから漂う甘ったるい匂いを感じると無性にタバコが吸いたくなった。

 だが店内禁煙だったので、喉が痛くなるような濃いブラックコーヒーで耐えることにした。


「こんな甘くでかくてうまいの初めて食べたよ」

 パフェをスタチャーが言った。

「それはよかったな」


 スタチャーの笑顔を見ていると、これからは好きなだけ好きなものを食べられるぐらい稼げるようにさせたいと心の底から思う。

 大成するのは難しいことだが、俺のように枯れた人間にはなってほしくないものだ。


【5】


 スタチャーがパフェを食べ終え、ようやく始める時がおとずれた。店内の状況はまったく変わっていない。

 俺の合図で全員が一斉に覆面を被り、各々の獲物を手に立ち上がった。


 レジにはフィル、全体の監視に俺、客の見張りにスタチャーが前もって決めてあった役割だった。


 まずフィルを先行させ、俺は通路の中央でフィルに近い位置で立ち止まった。

 ウェイトレスが雑誌から顔を上げて不審そうにこちらを見ている。


「あのー、お客さ──」

「おっと、動かないでもらおうか」


 俺は拳銃が見やすいよう軽く持ち上げ、落ち着いてはいるが威圧的な声を作った。

 狙い通りウェイトレスと客の女の視線が俺と拳銃に止まった。


「……もしかして、強盗です?」


 ウェイトレスが言った。

 アナログレコード(頭)の回転が徐々に速くなり、連動して店内で流れていた曲のピッチが上がっていく。

 女性の力強い歌声が甲高い電子ボイスに変わった。


「その通りだよ。なあに、時間は取らせないし危害も加えない。ただレジに入っているお金をいただきたいだけだ。円滑に進めるために君にも手伝ってほしいのだけれど、いいかな?」

「わ、分かりました。だから撃つのだけは……」


 ウェイトレスが立ち上がりぎこちない動作でレジへ向かう。

 フィリはすでにレジの前で待機しており、カウンターに置いたダッフルバッグに金を入れるよう身振りで指示している。


 スタチャーは若干緊張した面持ちで客の女とこちらの様子を交互に見ている。もう少し落ち着いてほしいが初動としては悪くはない。

  客の女と目が合った。

 女はビビるでもなく逃げ出すでもなく動画を撮影するでもなく、手を持って顎を支えてこちらの様子を眺めていた。

 この状況を楽しんでいるかのようにニヤついた笑みを作っている。


 奇妙な女のことはいったん置いておくことにして、カウンター向こうの部屋から武器を持った何者かが出てきてもすぐ対処できるように拳銃を構えた。


 ウェイトレスはレジを開け、おとなしくダッフルバックに金を入れている。フィリはその様子を黙って監視している。

 

 よし、何事もなく進みそうだ。

 

 そう思った時、突然客の女が口を開いた。

 友達に声をかけるような気の抜けた口調だった。


「ねぇ、あんたさぁ……あー、さっきパフェ食ってた方」

「な、なんだよ」とスタチャーが答えた。

「いや、ちょっと気になっただけなんだけどさ。手、めちゃくちゃ震えてるじゃん。もしかしなくても童貞?」

「どっ!? ば、馬鹿にすんなよチビ!」

「お嬢さん、少し黙っていただけないだろうか」


 奇妙な会話に割り込んでそういうと、

「おー、怖」

 女はおどけたしぐさで両手を上げて、パフェをつつく作業に戻った。

 手首の銀のブレスレットが鈍く光った気がした。


「入れ終わりました……」

 ウェイトレスがダッフルバッグをカウンターの上に置いた。


「これだけか?」

 フィリがバッグの中を確認してからドスの利いた地声でそう言うと、ウェイトレスが飛び上がり今にも泣きそうにアトモスフィアを醸し出した。

 その様子を見て少し不憫に思った。


 「ほ、本当にこれだけなんです。この店いつもお客さん少ないし、だからバイト代も少なくて、でもだから仕事は楽ではあるんですけど、マスターはカレーとデザートを作ることしか興味がないし、身体もカレー臭くなっちゃうし……」


 どうやら何か裏があるわけではなく本当にしょぼい店であるようだ。

 店内をひっくり返したとしてもレジの中身以上に価値のあるものもないだろう。


 潮時だ。

 フィリはダッフルバックの中を今一度丁寧に確認し口を閉めた。

 スタチャーに声をかけようとしたその時、


「いつ来ても空いてるしそれが良いところなんだけどねー」

 女が再び口を開いた。


【5】


「兄貴が黙ってろって言っただろ!」

 スタチャーが過剰ともいえる反応を返した。先ほどコケにされたことが響いているのだろう。よくない兆候だ。


「ただ教えてあげただけじゃんね」と女。

「それはどうも。おい、ずらかるぞ」


 スタチャーは返事をしなかった。

 頭に血がのぼり俺の声が聞こえていない。

 女は拳銃を向けられているにもかかわらず、笑みを大きくした。


「ふーん、そんな細い腕で撃てるの? 安全装置は外した? そんな怖い顔してないで、帰ってママのおっぱいでも吸ってた方がいいんじゃないのー?」

「この野郎!」


 なんだこの女は。状況が分かっていないのか、それともデスプレジャー(被死快楽者)なのか?


 今にでも爆発しそうな弟分を無理やりにでもなだめようと一歩踏み出したとき、スタチャーの肩越しに女と目が合った。

 瞬間、警戒度が跳ね上がり、脳裏に警報が鳴り響いた。

 違う、こいつは──


「やめろ!」

 無意識に口をついて出たその言葉は誰に向けたものだったか。


「俺をなめんじゃ──」


 スタチャーの言葉は甲高い射撃音にかき消された。

 彼の頭の一部が吹き飛び、衝撃で割れた頭蓋骨が顔を出した。

 

 俺は歯を食いしばり、反射的に拳銃を女に向けようとするのを押さえた。

 俺の口から音にならないうめき声が漏れる。


 女の手には黒い大型拳銃が握られていた。

 いつどこから取り出したのかわからなかった。それほどの早業だった。

 ウェイトレスの頭から流れる曲はいまや甲高いサイレンのようになっている。

 

「ほら、だから言ったじゃんね。人の話はちゃんと聞かないと。ねぇ?」


  つまらなそうに死体を見ていた女の目が俺に向いた。

 俺が次にどの選択肢を選ぶのかを観察しているようだった。


「撤収!」


 俺はそれだけ言って、わき目も振らずスタチャーの死体を肩に担いだ。

 フィリは即座に扉を乱暴に蹴破り、ダッフルバッグに目もくれず逃げ出した。


 俺もフィリの後に続いてよろめきながらも店外へ脱出。

 撃たれることを覚悟していたが、幸運なことに銃弾は飛んでこなかった。


 周囲の人々の驚きと好奇の視線を浴びながらも全力で車へ向かった。

 すでにフィリが運転席でエンジンを回して待機していた。

 俺が後部座席に飛び込むと、間髪入れず急発進した。

 俺は今にも爆発しそう心臓を手で押さえた。


 【6】


 郊外は打って変わってのどかで、カーラジオから流れる落ち着いたジャズが眠気を誘う。


 スタチャーはしばらくすると目を覚ました。

 被害が頭の一部だけだったので生き返るまでは早かったが、目を覚ますのが遅かったのは精神的ショックが大きかったのだろう。

 最初何が起きたのか理解できていないようだったが、俺たちの様子を見て悟ったようで、うなだれて涙をこらえている様子だった。

 初めての死(ワンナウト)だったろう。それに初めての仕事でドジったのだ。ショックは大きいはずだ。


「まあ、これも仕事だ。いい経験ができたと考えるんだな」

 俺はスタチャーの肩を軽くたたいて言った。

「単にツキがなかっただけ……いや、運がよかったんだ。あんなヤバい奴がいたのに誰もスリーアウトしなかった。俺たちの世界ではそれは大失敗ではない」

「だけどよぅ……」


 スタチャーは、腕に刻まれた3つの髑髏タトゥーの内一つに付けられた赤いバツ印を指でなぞっている。俺はスタチャーの肩を軽くたたいた。


「お前はまだ若く、人生は長い。ゆっくりといろんな経験の積んで慣れていけばいい。俺もフィリもまだ学んでる最中だ」

「兄貴たちも?」

「そらそうだ。なぁ?」

 運転席でフィルが同意するようにうなずいた。

「だからそう落ち込むな。ゆっくりやってけばいい。ま、次の仕事はもう少し大きくなってからだな」

「……わかった。俺、もっと強くなるよ。それで兄貴たちの足手まといにならなくなったら、また一緒に仕事してくれるかい?」

「もちろん」

「よかった。見捨てられるかと思った」


 夕日が水平線に半分沈み、代わりに赤い月が顔を出し始めた。

 道路の脇をヘル牛の集団が列をなして歩いている。

 ラジオから流れるジャズの旋律にスタチャーの寝息が混ざりあった。


 ジョブ・デビュー 完

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