プロローグ2 異変

 浴場。時折ときおり姉ちゃんの大きな胸が当たるたび、恥ずかしくなる。


「体、大きくなったんじゃない?」


 俺の背中を洗いながらシアン姉ちゃんが問いかける。


「さあ?」


 自分では分からない。出来るだけ早く大きくなって、強くなって、姉ちゃんを守れる男になりたい。


「ゆっくり、大きくなってね」


「え?」


 返答はなかった。姉ちゃんに守られてばかりの人生なんていやだ。魔族まぞく人族ひとぞくでは、そもそも寿命じゅみょうが違う。人族の方が圧倒的に短い。だからこそ、すぐにでも大きくなって、強くなる必要がある。でも、シアン姉ちゃんはそれが嫌なんだろうか?

 今は頭をくしゃくしゃと洗われてるため、シアン姉ちゃんの表情は見えない。

 なぜか涙があふれそうになる。せめて俺にも出来る仕事があれば、姉ちゃんは俺を…。


「アベルの髪、綺麗な黒ね。つやつやでやわらかくて」


 姉ちゃんの方が綺麗だ。髪だけじゃない、目の色もだ。あざやか赤色は誰よりも強くて、優しくあたたかいシアン姉ちゃんにこそ相応ふさわしい。

 俺は思い切って体をひねり、


「俺、働くよ。だから――」


 だが俺の決意をはぐらかし


「あらあら、こっちはまだまだお子さまみたいね♡」


 シアン姉ちゃんの視線が下に行き、ニヤニヤしている。


「っっっ☆□△○!?!?」


 もういい、知ったことか。さっさと風呂から出て、寝てしまおう。


「あっ、あっ、アベルくーん、ごめんてばー、まだ前洗ってないよー。謝るからさ、戻っておいでー、ねぇってばー」


 遠くで聞こえる姉の声を無視してさっさと自室に戻る。何か大事な事があった気もするが、まあいい。全部明日考えよう。


 □


 翌日、朝早くからアベルはこそこそと村近くの森に出ていった。森と言っても斜面しゃめん沿って光は入るし、村の自警団じけいだんもよく出入りしていて、危険はない。前はアベルとふたりで剣の修行をした場所であり、アベルにとっても慣れた場所である。ただ日課にっか剣術稽古けんじゅつけいこをサボってまで行くなんて珍しいが。なに、お腹を空かせればすぐ帰ってくるだろう。せっかくだし、今日は大掃除でもと思っていたら、


「よお、シアン。野菜と調味料のおすそ分け、持ってきたよ」


「わあ、ダイツ。いつもありがとね。それにしてもすごい量ね」


 農作業着のうさぎょうぎに麦わら帽子をかぶったトカゲ男、ダイツはにっかと笑い、


「明日はシアンの誕生日だからな。どうせ、アベルのために大量にごちそうを作ると思ってな。そういやアベルと、いつもアベルと一緒にいるへカテも見かけないな」


「アベルなら朝早くから私に見つからないように森に出かけたわよ。へカテは見てないけど、昨日ネックレスがどうとか言ってたから多分一緒ね」


「ふーん? まあ、なんだ、アベルも順調に成長している様だな」


 ん? アベルの成長は嬉しいけど、急にどうしたんだろう?

 よほど不思議そうな顔をしていたのか、ダイツはあきれた声で、


「分かりそうなものだが、気付いてないのか? やれやれ、お前も親としてはまだまだ、だな」


 どういうこと?


「かぁー、アベルも大変だな。アベルはな、大人の階段を登ろうとしているって事だ」


「まさか、アベルとへカテがこっそり付き合ってるてこと!? あの子まだ九歳よ?」


「違う、違う。 アベルはな、みとめられたいんだよ。 シアン、お前にな。まさかと思うが、アベルをまだ子供あつかいしてるんじゃないだろうな?」


 うっ、まさに昨日アベルを怒らせたばかりだ。だって恥ずかしがってる顔も、怒ってる顔も、可愛かわいいんだもん。


「…よくまともに育ったな、アベル。いや、姉離れ出来て無いところを見るとまだまだか」


「そう簡単に離しません! それにしても、あの一瞬の会話でよくそこまで分かったわね。ダイツ、子供はおろか奥さんだっていないのに。やっぱり元魔族軍 参謀さんぼうだから?」


「一言余計なんだよ。まあ流石さすがの俺でも、九年前に蒼血そうけつのシアン』が人族ひとぞくの赤ん坊を育てるなんて言うとは予想出来なかったがな」


『蒼血』か。なつかしい呼び名だけど、あの頃に戻りたいとは少しも思わない。忘れてはいけない『過去』だけど、振り返る事は許されない。それに、今はアベルの母であり、シアンお姉ちゃん。その肩書き以外何も必要ない。


「まあ、明日あしたを楽しみにしておく事だ。そうしたら俺の言っていることも少しは分かるだろうよ」


 ダイツは背を向けながら手を振り去っていく。明日、明日か。明日は私の誕生日。アベルと村のみんなとごちそうを食べお祝いをする。その後はまた変わらない日々が続いていく。そのはずだ。なのに何故かずっと胸騒むなさわぎがする。村の周辺は何度も調べたし、昨日アベルの身体中も見たけど異変は無かった。考え過ぎなのか?

 …あーあ、アベル、早く帰って来ないかなぁ。


 □


 ――夕方。村はずれの森。

 思ったより時間はかかったが、何とかネックレス完成まで後少しだ。今はへカテが持って来たビスケットを食べながら、少し休憩中きゅうけいちゅうだ。


「私が付いてこなかったらどうするつもりだったの?」


 一本の木にもたれながら俺の横に座っているへカテが聞いてきた。


「キノコかトグロベリーでも取ろうかと思ってたけど、さらに時間かかってただろうし、正直助かったよ」


 へカテは少し照れた様子で、


「それもだけど、ネックレスよ。アベル一人でどうやって作るつもりだったの?」


 う、うーん。実際ネックレス作成はかなり苦戦した。早朝、村の入口で待ち構えていたへカテと一緒に森に入り、素材を集め、へカテにネックレス作成の指導を受け、今に至る。なんなら、作るのも手伝ってくれたらもっと早く完成したのに、と言うと


「それじゃ意味無いじゃない」


 だそうだ。このままい詰められては分が悪い。話題を変えないと。


「へカテ、よく俺が森に行くこと分かったよな」


 へカテは人差し指を立て、くるくる回しながら察しの悪い生徒をさとすように


「いい?簡単な推理よ。アベルは明日までにプレゼントを用意したい。でもお金は無い。なら自分で作るしかない。シアン先生にバレずに用意しようと思ったら、村の外に出るしかない」


 なるほど。さすがは優等生。ヘカテも得意げな顔をしている。


「それにしてもネックレスね。うん、アベルらしいくて、いいんじゃない?」


 そりゃどうも。何がどう『らしい』のか分からないので適当に相づちを打つ事にした。

 その肝心のネックレスはいびつな形をしていて、お世辞にもいい出来とは言えないが、これはこれで味があるってものだ。問題はシアンお姉ちゃんの反応だが、喜んでくれるだろうか。


「大丈夫よ。むしろ驚き過ぎて倒れちゃうかも」


 いたずらっ子がとびきりのいたずらを思いついたかのように、へカテは笑う。

 倒れられても困るのだがな。さて、流石さすがに暗くなる前に帰らないと姉ちゃんが心配するからな。そろそろ作業に戻るか。あともう少しでネックレスも完成、、、


「ねえ、アベル、あれ何かしら?」


 木の実に最後のヒモを結ぼうとしたら、へカテが俺の体を揺らしてきた。


「おい、揺らすなよ。壊れたらまた最初からやり直しに…って、あれは!」


 村のちょうど上空に巨大な雲の様な鳥が。――いや、あれは船だ。数隻すうせきの船が村をおおい隠すように空に浮かんでいる。


「船?船は海に浮かぶものよ」


 そんな事は俺でも知っている。だが、あれはどう見ても、空に浮かぶ船だ。


 ――――ドォォォーン


 次の瞬間、鳴り響く重低音と共に村は炎と煙に包まれた。


「ああ!」


 へカテがあまりの出来事に手で口を押さえ立ち尽くしている。俺だってそうだ。何が起きているのか理解できない。

 だが、理解できなくても、やる事は変わらない。走るだけだ。


「姉ちゃん!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る