機関銃の弾がプロペラを撃ち抜かない理由はこんな感じなのです。/暗黒星雲 への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルによる簡単な感想です。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。ただフィンディルの解釈する方角が正解というわけではありませんので、各々の解釈を大切にしてくださればと思います。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 ネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。





機関銃の弾がプロペラを撃ち抜かない理由はこんな感じなのです。/暗黒星雲

https://kakuyomu.jp/works/16818093075249226387


フィンディルの解釈では、本作の方角は北北東です。


小説あるいは会話劇という形式によって特定分野の専門知識について語られている作品です。

本作は戦闘機について語られており、戦闘機好きにとっては楽しめる内容だろうと思います。

作品的に見ると「専門知識を語る」という括りでさえあればいいので、そのジャンルが戦闘機である必要はありません。もちろん戦闘機であってもいい。

「専門知識を語る」というコンセプトが成立できるだけの専門知識を有していれば、書くのはそんなに難しくないと思います。専門知識があれば、ですが。


方角の話をします。

本作は「専門知識を語る」というコンセプトですが、そのなかでもキャラの配置や基本構成について「知識が豊富なキャラが、知識を持っていないキャラに教える」というフォーマットをとっています。

黒田星子は戦闘機の知識が豊富で、有原波里はそうではない。なので戦闘機の話になれば、星子が一方的に話して波里は聞き役に徹します。そして星子が戦闘機の話を始めたきっかけは、波里の素朴な疑問がキッカケだった。

このフォーマットって、よく子供向けの科学本などでとられているものです。教育番組でもありますね。

専門知識を有していないキャラが抱いた素朴な疑問を、専門知識を豊富に有するキャラが答えてあげる。それに際する解説によって、その分野の知識を深める。

その分野の知識をあまり有していない受け手向けのフォーマットです。専門知識を有していないキャラは、適宜初心者目線の質問や相槌を打って(専門知識をあまり有していない)受け手を置いてけぼりにしない役割を担う。また素朴な疑問から始めることにより、受け手の興味を惹く。

「専門知識を語る」としてはかなりエンタメ技術を取りいれているフォーマットだと思います。


本作は一見するとこのフォーマットを真正面から取りいれているように見えます。

波里の立ち位置と波里の質問「機首の機関銃が火を吹いてるのにプロペラは平気なのか」はまさにそれです。戦闘機の知識がない読者を置いてけぼりにしない、戦闘機の知識がない読者の興味を惹く。

ただフィンディルが本作を読み進めていて感じたこととして、このフォーマットが形骸化しているように感じました。


波里は専門知識を有していないキャラとして、適宜初心者目線の質問や相槌を打って読者を置いてけぼりにしない役割を持っているはずです。

しかし事実上、波里はその役割を果たしていない。

星子が専門用語をバンバン使って解説しているのに対して、波里は「うん。そうだね」「なるほど」みたいに簡単に嚥下しちゃうのですね。

フィンディルは戦闘機の知識はありませんので突然出される専門用語にわかったようなわからないような心地になったのですが、波里は何事もなかったかのように嚥下していきます。戦闘機の知識がないキャラと戦闘機の知識がない読者とのあいだに、大きな知識量の差がある。波里の台詞によって解説がより平易になったというような役割感はほとんど得られませんでした。


そして「機首の機関銃が火を吹いてるのにプロペラは平気なのか」という質問についてですが、この質問は割と早く解決してしまう。

エンタメ的な見方をするならば、本作の目的は「機首の機関銃が火を吹いてるのにプロペラは平気なのか」が回答されることです。波里が素朴な疑問を抱き、それが星子の解説により解決する。これが本作のエンタメ的な目的です。なのでエンタメとして考えるなら、本作全体を通して「機首の機関銃が火を吹いてるのにプロペラは平気なのか」が解決されるのが通常です。あるいは本作全体の解説を通して解決されるような質問を設定するのが通常です。

しかし本作の「機首の機関銃が火を吹いてるのにプロペラは平気なのか」という質問は、割と早い段階で解決されます。同調装置を使っているから。これで大半の読者の疑問は解決されます。そして以後は付属する歴史解説や作品解説となり、ストーリーのウイニングランとしてはかなりの文字数が割かれています。

そして早い段階で疑問が解決されたはずの波里も、以後も話を続ける星子に何事もなかったようについていく。


ということで本作における「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」というフォーマットは形骸化しているものと思います。

本作は、知識を持たない人でも読みやすくするためのフォーマットを採用していながら知識を持たない人でも読みやすくするつもりがない、ということだろうと思います。

本作に「戦闘機に興味がない人に触れてもらう機会としたい」と「自分(暗黒星雲さん)の好きな戦闘機について自由に語りたい」の二種の意図が奇妙に同居しているように感じるのは、上記が原因だろうと思われます。

採用フォーマットと作品方針が噛みあっていない。


品質については置いておいて、あえて方角で考えるとあんまり北っぽくないと思います。

繰りかえしますが、「専門知識を語る」のなかでは「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」フォーマットはかなりエンタメ的です。読者を置いてけぼりにしないキャラクター役割と素朴な疑問を解決する目的、というエンタメ要素を重視しているフォーマットなので。

が本作ではこのフォーマットを形骸化させているように感じられますので、その点で真北を指すのは難しいだろうと思います。

そもそも「専門知識を語る」がやや東っぽいですしね。



そのうえで「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」フォーマットの形骸化が、意図的なのかそうでないのか。

意図的でないのなら、「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」フォーマットについて振り返ってみられることをオススメします。「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」フォーマットの良さがあまり出ていないので。

意図的である場合、つまり「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」フォーマットを採用しつつあえて形骸化させているのであれば、もう少しだけ方角判断が発生します。


フォーマットや構成や手法を採用しつつそれらの良さをあえて無視するというのは、東的な手法としてありえると思います。起承転結を採用しながら起承転結の良さをとことん無視する、など。既存システムを真っ当にアレンジするのが北的面白みなら、既存システムを恣意的に破壊するのが東的面白みでしょうか。

本作がこれに挑戦されたと解釈するのもまあ不可能ではないだろうと思います。が方角判断としてはこれによって東に傾かせることをフィンディルはしませんでした。

既存システムを恣意的に破壊する思想がきちんと東的な面白さを有するには、採用しつつ意義を無視することによって何かしらの東的面白さが見出される必要があるものと思います。本当にただ何の面白みも見込まずに破壊したって面白くないですからね。

しかしフィンディル個人としては、本作からそういった面白さは特に得られませんでした。


「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」を形骸化させるとどうなるかというと、普通に「専門知識を語る」というコンセプトになります。

「専門知識を語る」というコンセプトのうえに「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」というフォーマットをあてがっているので、「知識が豊富な者が、知識を持っていない者に教える」を形骸化させると「専門知識を語る」というコンセプトが外連味なく示されるだけなんですよね。

なのでフィンディルとしては、普通に戦闘機の専門知識を語っているだけのように見えて、そこから東的な面白みがどう出ているかというのはよく見えませんでした。

「良さを無視する」と「良さを出さない」には東的なニュアンスとして違いがあるように思います。

ということで北北東かなと思います。

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