静花市コミュニティノート ぱれっと。/夜桜くらは への簡単な感想
応募作品について、主催者フィンディルによる簡単な感想です。
指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。ただフィンディルの解釈する方角が正解というわけではありませんので、各々の解釈を大切にしてくださればと思います。
そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。
ネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。
静花市コミュニティノート ぱれっと。/夜桜くらは
https://kakuyomu.jp/works/16818093074967088891
フィンディルの解釈では、本作の方角は東北東です。夜桜さんの宣言と同じですね。
コミュニティノートがよくよく再現されていると思います。面白い。
「コミュニティノートを小説で再現してみた」というタイプの東で、タイプだけで見ると北東が相場ではあるのですが、手書きの文章・ノートを(手書きでない)web小説で再現するにあたってはいくつかの障壁があり、本作にはそのための創作的工夫が見られますのでより東に寄るものと思います。
締めコメントも確かに着地感はあるのですがその締めコメントは本作全体で表現されていることであって、締めコメントで何らかの展開がもたらされているわけでもないので、これだけで北に寄るというのは考えにくいように思います。
夜桜さんは応援コメントへの返信にてシステムでフォントや文字色が変更できれば良かったのにと仰っていますが、フィンディルとしてはないほうが良いと思っています。変更できないシステムで本作を綴ることに意味があると考えています。
確かにフォントや文字色が変更できれば、コミュニティノートの再現度は確実に上昇するでしょう。よりコミュニティノートっぽい作品になったはずです。
しかしそれでは面白くないんですよね。再現度は上がるかもしれないが、東作品としての面白さは下がる。
仮にフォント変更ができれば、夜桜さんは「みんtょいろんtょこと書いζるねー」や「あ たらしいとも だちが できたよ。」などの工夫はしなかったはずです。文字を工夫したり半角スペースを入れたりして、書くのが苦手な人の字・子供の字を何とか表現しようとはしなかったはずです。ただ適切なフォントを都度選択して表現処理を終えたはずです。
「あ たらしいとも だちが できたよ。」など半角スペースを入れて子供の字を表現するのは、フィンディルは面白いと思いました。確かに子供の字っぽく見えてくる、面白い工夫だと。
ただ適切なフォントを選んで子供の字を表現したって、フィンディルは面白いとは全く思いません。夜桜さんは既製のフォントをただ選んだだけで、そこに夜桜さんの工夫は全く見えないから。
フォントや文字色変更ができてコミュニティノートの再現度がより高まったとして、フィンディルが褒めるのは夜桜さんではなくシステムです。「この投稿サイト気が利いてるね」と思うだけです。
本作で大事なのは「よりコミュニティノートの再現度を上げること」ではなく「よりコミュニティノートの再現度を上げるためにあれこれ凝らした工夫を楽しんでもらうこと」であるとフィンディルは思います。制限のなかの工夫を楽しむ。
もしカクヨムシステムに色々な機能があって夜桜さんが工夫する必要なくコミュニティノートが再現されていたら、本作の方角は東北東ではなく北北東程度になっていただろうと思います。それは東の面白さが強く表現されていないことを指します。
だからフィンディルは、結果的に夜桜さんの選択は正解だったと思っています。
まず細かいところで上手いと感じたところを二つ挙げます。
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誕生日おめでとう!
きょおわおたんし゛ょうひ゛o
おめて゛とうおうたってもらったo
は゜は゜といっは゜いあそんた゛o
おめでとう。良かったね。
ハッピーバースデー!
HAPPYBARTHDAY
―――――――――――――――――――
まずここ、上手いなと思います。
これはフィンディルの想像ですが、時系列で見た場合「誕生日おめでとう!」が一番最後なんじゃないかと思っています。
「きょおわおたんし゛ょうひ゛o」の子供の文が一番最初、次に「おめでとう。良かったね。」と反応があり「ハッピーバースデー!」「HAPPYBARTHDAY」と続く。
「誕生日おめでとう!」と書いた人もこの子をお祝いしたかったが、すでに「わかみごはんたべたい」と別のコメントが埋まっており、下にお祝いの言葉を書くことはできない。でもどうしてもお祝いコメントを入れたい。だから空いている上スペースに「誕生日おめでとう!」と入れた。
こういうストーリーが想像できるんですよね。最初のリアクションを「きょおわおたんし゛ょうひ゛o」の上に入れるのは想像しにくいですからね。遅れてお祝いしたかったがスペースがなかったから上に書いたと想像するのが自然です。
ここ、実に手書きノートっぽいですよね。上から読む我々読者は「誕生日おめでとう!」を最初に見ますが実はそれは時系列的には最後である、と東ならではの逆転現象も起きています。
面白い。
次は
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掃除が上手になりたいです‥‥部屋散らかり放題で人に見せられるような状態じゃない‥‥
―――――――――――――――――――
です。これもめっちゃ上手い。
本作は色々な人が書いていることを表すために表記揺れを非常に有効に使っています。句点とか漢字平仮名とか。三点リーダ・中黒もそのひとつです。ただこの文では二点リーダが二つ使われている。
小説を書くときには基本的には三点リーダ二つです。ただ三点リーダひとつ派や中黒派もいます。ですがいずれの場合でも、点の数は三の倍数なんですよね。「……」「…」「・・・・・・」「・・・」のいずれかはまま見られますが、小説を書く人のなかで「‥‥」はさすがに見ません。いたとしても稀のなかの稀です。
つまりこれは、小説を書かない人が書いた文章です、という効果的な表現になっているのですね。そしてコミュニティノートに書きこむ人のほとんどは小説を書いていないはずなので、コミュニティノートに合ったテクニックといえる。
こういうかゆいところに手が届く表現ができているのは素晴らしい。
では次に細かいところでより工夫できると感じたところも二つ挙げます。
ひとつめは行の処理です。
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猫派多くないですか!?ワンちゃんもかわいいですよ!!うちのベスはとってもお利口さんでかわいいんですよ!!
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お花見に行ってきました! 桜はとっても綺麗でしたが、人が多くて大変でした。皆さんも気をつけてくださいね。
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文字サイズ「中」の横組みとして見た場合。確かに小説として見ると、この行処理には何の違和感もないと思います。右端の行末までいけば、そのまま次の行頭に移動して続ける。
ただこれを手書きのノートと思って見てみると、こんな行処理はするでしょうか。しないと思います。
自身でノートに文章を手書きすることを想像してみてください。
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猫派多くないですか!?ワンちゃんもかわいいですよ!!
うちのベスはとってもお利口さんでかわいいんですよ!!
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お花見に行ってきました! 桜はとっても綺麗でしたが、人が多くて大変でした。
皆さんも気をつけてくださいね。
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こう書くはずです。次の文を同じ行で書き始めると中途半端なところで端まで行っちゃうな、じゃあ次の文は新たな行から書こう。こう思うはずです。
手書きノートでは、中途半端なところで行を移す人は少ない。最低でも文節などキリが良いところで行を移す。機械的に行を移すのは原稿やweb文章や出版物の特徴なんですよね。
またこれを応用すると
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息子共々お世話になってます。雨の日も遊びたいとごねるので…こちらのプレイルームにはとても助けられてます。
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を
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息子共々お世話になってます。雨の日も遊びたいとごねるので…こちらのプレイルーム
にはとても助けられてます。
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にして行に無理やり収めた表現。
あるいは、
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まりは おねえさん になります。ままが おべんとう をつくってくれました。はんばーぐと たまごやきと ういんなーです。おいしかったです。げんきいっぱいです。まり
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を
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まりは おねえさん になります。ままが おべんとう をつくってくれました。はんばー
と たまごやきと ういんなーです。おいしかったです。げんきいっぱいです。まり ぐ
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にして「ぐ」が入らなかったので次の行にはみださせている子供の文、みたいな表現もできます。
本作はレイアウトが崩れないよう指定をしているので、それを活かしてこういった行表現を行う余地があります。
もうひとつ。
本作を読んでいて気になったのですが、これは泡沫さんがまさに指摘してくださっているので割愛します。
本作は一枚の長い紙のようになっているので、泡沫さんが提案してくださったテクニックなどを使うと、よりノートらしく見えるだろうと思います。ただノート1ページの行数に忠実になりすぎるとノート上部表現の数が多くなりすぎるかもしれませんので、そこは一定の嘘を入れてバランスを調整してもいいかもしれません。
それはさておき泡沫さん、本作の面白みを汲んだ素晴らしい指摘です。良い指摘は、受けた作者がワクワクするんですよね。
という話をしてきましたが、フィンディルが本作でもっとも素晴らしいと感じているところのお話をします。
それが文字数です。本作は4000字たっぷり使ってコミュニティノートを表現しているのですが、これがとても素晴らしい。
本作を読むときに作品情報を確認したフィンディルは「4000字もあるのか、長いな」と思ったんです。冒頭で本作がコミュニティノートを表現していることはわかったので、エンタメ展開が来ないならば、同様のコメントが4000字も平坦にずっと続くことになります。東北東宣言ならエンタメ展開は来ないでしょう。長いな、と最初に思いました。
ただ他の読者の方も感じられたんじゃないかと思うのですが、最後までするっと読めちゃったんです。「あ、もう終わり?」という感覚すらフィンディルは覚えました。
そのような感覚を抱いた理由は、本作に飽きさせないようなエンタメ工夫が施されていたからではありません。そもそもコミュニティノートってそういうものだからです。
施設や店でコミュニティノートを見つけて何の気なしに開いてみたらついつい夢中になって最後まで読み切っちゃった経験、ありませんでしょうか。特別なことが書かれているわけでも面白いことが書かれているわけでもないのに、何か読み耽っちゃった。最後まで読めちゃった、もうこんな時間だ。
本作はこれが表現されているのです。
本作は「コミュニティノート」を表現した作品なのですが、それだけでなく「コミュニティノートをついつい最後まで読み切っちゃった経験」も表現されているのです。我々が本作を楽しく読めたなら、それはあの楽しい経験が再現されていることを意味します。そして読み切って「この街はいい街だな」「この店はいい店だな」と思う経験まで。
正直、2000字もあれば「コミュニティノート」は十分に表現できる。しかし「コミュニティノートをついつい最後まで読み切っちゃった経験」は2000字では表現できない、読み耽るという状態まで移行しきらないから。最低でも3000字は欲しい、そして本作は4000字が使われている。
これがもう最高に面白いですね。本作で再現されているのはノートそしてノートを読む体験なのです。
そしてこれ、実は難しいのです。本作の文字数を4000字にするのは難しい。
本作のくだりをざっと数えてみると約70個ありました。約70くだりで本作は構成されている。
・色々な人が書いていると伝わるようなバリエーション溢れる内容、表記
・コミュニティノートっぽさを維持できるような、バラエティに溢れすぎない内容
この二点を必ずクリアして適宜面白みのあるテクニックも入れたコメントを、70個用意してください。
という発注が作品からかけられているのです。これは創作的に相当タフです。10個くらいなら誰でも出せます、しかし後半になるとバテてくる。70個も出せない。
コミュニティノートの着想を出すのは難しくない、手書きノートの再現をするのは難しく楽しい、ただ量を用意するのは本当に大変です。東向き創作を発想だけの創作と思っている人は、20個出したくらいでバテて頓挫するでしょう。特に本作のような東向き作品は、とにかく創作体力が必要です。
これをたっぷり約70個出して4000字で仕上げた夜桜さんは、かなりタフだと思います。これを仕上げたこと、素晴らしい。
そしてその結果本作は「コミュニティノートをついつい最後まで読み切っちゃった経験」の表現に見事成功している。素晴らしい。
それではここまででも長くなってしまっていますが、最後、本作がより面白くなりそうな指摘をして終わりたいと思います。
施設や店でコミュニティノートを見つけて何の気なしに開いてみたらついつい夢中になって最後まで読み切っちゃった。その後、皆さんはどうするでしょうか。
「読み切っちゃった」と思ってノートを閉じて終わる人もいるでしょう。しかし少なくない人が「自分も何か書いてみよっかな」と思うのではないでしょうか。
本作は「コミュニティノート」を表現し「コミュニティノートをついつい最後まで読み切っちゃった経験」も表現していますが、さらに「自分も何か書いてみよっかな、と思った経験」まで表現できるともっと楽しくなると思います。
コミュニティノートって、読み物であり書き物でもあるんですよね。読者と筆者の垣根が低い文化である。
もちろんネット掲示板なども読み物と書き物の両面性を有しているのですが、「ついつい最後まで読み切って、自分も書こうかなと思いたくなる」性質はコミュニティノートが抜けていると思います。
そして、本作中でコメントを残している静花市の人達もきっとそうなんですよ。彼らは最初からこのノートに何かを書こうと思ったわけではない。ついつい最後まで読み切って「自分も何か書いてみよっかな」と思ってコメントを残している人達なのです。
となると「自分も何か書いてみよっかな、と思った経験」を本作で表現できるようになると、我々読者と本作中でコメントを残している静花市の人達の差がなくなってくる。
現状の本作では、我々読者は「静花市のコミュニティノートを何らかの方法で読んでいるだけの人」です。しかし「自分も何か書いてみよっかな、と思った経験」まで表現できるようになると、我々読者は「静花市に行って実際にコミュニティノートを見つけて広げている人」になる。書きこもうと思う経験まで再現されれば、もはや我々読者は静花市に足を踏み入れているようなものなのです。
これも小説として表現できれば、本作はもっと楽しくなるとワクワクしませんでしょうか。この一線を画す没入感は、東ならではの面白みです。
どうすればこれが表現できるか。
策は色々あるでしょうが、無難なのは本作の最後を白紙ノートにすることが挙げられます。
泡沫さんが提案されたノート上部および空行(あるいは罫線)をノート十行分くらい表現したものを、本作の締めにする。我々読者が書きこめてしまえるようなスペースを置いて本作を終える。そのために最新のコメント(本作最後のコメント)を質問・相談形式のものにしていいかもしれませんね。
こういう表現が質高くできると、本作を最後まで読んだ読者のなかには「あ、何か書こ、いやちゃうちゃう本当じゃないからこれ、おもしろ」と思ってくれる人がいるかもしれません。
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