彼女のいる図書館。/暗黒星雲 への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルによる簡単な感想です。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。ただフィンディルの解釈する方角が正解というわけではありませんので、各々の解釈を大切にしてくださればと思います。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 ネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。





彼女のいる図書館。/暗黒星雲

https://kakuyomu.jp/works/16818093074565699046


フィンディルの解釈では、本作の方角は真北です。暗黒星雲さんの宣言と同じですね。


本作では東を目指されて、仕上がった作品を見て真北と宣言されたようですね。このあたりの客観視、暗黒星雲さん上手いですよね。結果的にフィンディルの解釈と同じ方角宣言をいつもされている。


応援コメントを見るかぎり、ハードSFを押しだすことで東を向こうとされているみたいですね。

ハードSFとは、SFのなかでも科学を作品の根幹に置いているジャンルですね。執筆時点の科学技術で概ね合理性がある(破綻していない)と評価される科学が、作品の根幹に置されているSF。作者の自由な発想がライトに肯定される他SFとはその点で一線を画します。我々が一般にイメージする“本格的なSF”とされるであろうものが、ハードSFだろうと思います。

なお本作がハードSFに分類されるかの定義的問題はわかりませんしフィンディルは頓着しません。


仮に本作の科学要素が現状の数倍の濃度になったとして本作が東に傾きうるかというと、傾きうると思います。正確に言うと、西にも東にも傾きうる。

暗黒星雲さんはフィンディルよりもずっとSFに明るいものと認識していますが、合理的な科学に基づいて作品設定を突き詰めた作品って、もはや設定ではなくなってくるんですよね。設定という言葉が似合わなくなってくる。どこかの世界の創造であり、どこかの世界の説明であるように感じられてくる。設定でなく事実に感じられてくる。そしてそれだけで受け手を圧倒し、魅了する。

こういう域まで達した作品については、一般的なもてなしのエンタメとは一線を画すものであると思うので西なり東なりに傾くと思います。

何が西で何が東かについては作品次第ではあるのですが、その作中世界の中身が要なら西に傾きやすいし、その作中世界の伝え方が要なら東に傾きやすいものと想像します。実際に読んでみないとわからないですけどね。


というような域にまで達せばハードSFで東を目指すのは十分に可能だろうと思いますが、暗黒星雲さんもご自覚されているとおり、本作はそこまでは行っていない。

本作の設定は設定なんですよね。設定が設定以外に捉えられない以上、これだけをもって西なり東なりを指すのは難しいだろうと思います。

もちろん5000字以内で設定を超える設定を提示するのはとても難しいのですが、設定を超えられる設定を見せられる作家であっても5000字以内で設定を超えるのはさすがに不可能なのか、逆に多少のSF素養がある作家なら文字数さえ確保すれば設定を超えられる設定を見せることは可能なのか、と問うてみるとなかなか、言葉に詰まるものと思います。文字数は重要ではあるが、決定づけるものではない。


本作は方角でも品質でもなのですが、すごく中途半端な印象を抱きました。

エンタメよりも設定を突き詰めたい方針も、設定よりもエンタメとして楽しませたい方針も、いずれも確固としていない印象を受けます。


暗黒星雲さんは「設定より主人公の描写が多い」ことをもってエンタメが強くなったと認識されているようですが、フィンディルとしてはむしろ「設定の説明が終わったら、すぐにその設定を壊す」ことがすごくエンタメ的に感じました。

設定破壊に主人公描写が付属しているので関係ないわけではないのですが、そこよりも、提示した設定をすぐに破壊するところがより本質であるように感じます。


アキラが見ている仮初の世界設定について読者に提示できたなと思ったら、すぐさま真実を明かして仮初を破壊する。

真実の世界設定について読者に説明できたなと思ったら、すぐさま太陽を膨張させて地球を破壊する。

「作って破壊する」の生成と破壊に伴なうエネルギーでもって物語を動かしているんですよね。設定を見せているというより、設定生成破壊によって物語展開を見せている。

これってパニック映画やサバイバル映画の手法と似ているように感じます。巨大な施設なり先進的な技術なりの設定を用意するのですが、用意・説明が終わったらすぐにその施設や技術を破壊して、それによって展開を作る。破壊ありきの設定であり、破壊とセットで作られた設定。

そしてこのようなパニック映画やサバイバル映画は真北エンタメですので、それと似た香りを感じる本作にも同様のエンタメを覚えるものと思います。

作者は作り方と壊し方のどちらに注力しているのか、その作品の設定に対するアプローチが見える問いだと思います。


そしてエンタメとして楽しませたい方針についても、確固していない印象をフィンディルは抱きました。

本作は設定をひっくり返して展開を作っているわけですが、その設定のひっくり返しに意外性があまりない。

普通の学生と思っていたアキラは、実は仮初の世界で学生役を演じる機械でした。そうやって仮初の世界が地球で維持されていたのですが、太陽の膨張により地球は破壊されます。

この設定のひっくり返しに、フィンディルは意外性を覚えませんでした。予定調和の意外性といいますか。

設定をひっくり返すエンタメ作品として考えたときには、どういうひっくり返し方がエンタメとして映えるのかというのを考える余地があると思います。あるいは、ひっくり返してしっかり意外性を与えるにはどういう設定構築が考えられるか。

またひっくり返すにしても、その緻密さについても考える余地はあります。たとえばアキラはチヒロを人間と思っていたわけでこれがギミックを支えるトリックになっているわけですが、そのトリックは単純に「そうプログラムされていたから」でそこに作品的面白みはありません。SFは何でもありなのですがその何でもありに頼ってギミックを作ってしまうと、エンタメ作品としてはパワー不足になってしまいます。

というように、本作はエンタメとして見ても確固とできていないように思います。


アキラが地球に残った理由については面白かったですけどね。

「ああ、だからチヒロはアキラをわざわざ仮初から起こしたんだな」と納得感がありました。同時に“酔狂”も回収されていますし。

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