満月の夜の湖で。/桜庭ミオ への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルによる簡単な感想です。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。ただフィンディルの解釈する方角が正解というわけではありませんので、各々の解釈を大切にしてくださればと思います。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 ネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。





満月の夜の湖で。/桜庭ミオ

https://kakuyomu.jp/works/16818093074430780505


フィンディルの解釈では、本作の方角は北西です。


本作は情景描写のみで構成されている作品であると思います。ストーリー性をおよそ排し、情景描写のみで作品を立たせている。

相場として、こういう作品は概ね北西を示すものと思います。不条理ギャグしかり、解決のないホラーしかり、スペキュレイティブなSFしかり、マイナーメジャーなジャンルで相場北西のものってけっこう多い気がします。大衆的な真北から意識的に距離をしっかりとって確立してきたジャンルならではなのかもしれません。


フィンディルとしては風景写真や風景画と似たようなものと考えています。風景写真や風景画に方角をあてるならどこだろうかと考えてみてほしいなと思います。

非常に珍しい現象を捉えた風景写真や明らかに“映え”を意識した風景写真は(インパクト重視・感動を意識的に促進しているので)真北に寄るのですが、そうではなく素朴な風景写真・風景画に方角をあててみるならどちらか。

フィンディルは北西だと思うのです。派手さはないしわかりやすい面白みはないけれど、受け手の心のなかに確かにある感性を刺激する。それは百人に一人に通じる感覚的なものではなく、哀愁であったり郷愁であったり多くの人が取りだせる感傷ですね。そういうものをゆっくり浸すように呼び起こす良さが、風景写真や風景画にあると思います。

これは北西相当であるように思います。

少なくとも風景写真や風景画に実験的な要素はない。そして大衆的といえるほど大衆的でもないけれど昇華的といえるほど昇華的でもない。覚える感動は、その中間。

(とはいえ風景写真や風景画そのものはメジャージャンルですので、風景写真や風景画自体はもっと北に寄るかもしれませんけどね)


どうして南向きでないかというと、世界がちゃんとしているからですね。ちょっと難しい話をします。

南向きを指す「抽象」の解釈に悩まれる方も多いと思いますが、抽象画の抽象がおよそ似ているものと思います。

“客観的事実”は大量の“主観的事実”の擦りあわせに過ぎません。そう感じている人がめっちゃ多いからそれを事実にしているに過ぎない。我々が各自の感覚器官を通して世界を認識している以上、100%完璧に保証された事実なんていうものは存在しない。

そこにリンゴがあるのを10000人が視認してそこにリンゴがあることは誰一人として疑わない“客観的事実”であったとしても、それは「ここにリンゴがある」と10000人が主観的に認識しているに過ぎなくて、そこにリンゴがあることを100%完璧に保証する術などないのです。


たとえば先天赤緑色覚異常。赤や緑が正常に認識できないとされる先天性の異常ですね。ただどうしてこの人達が“異常”と呼ばれているかというと、少数派だからです。仮に(同じように見えていると擦りあわせられた)先天赤緑色覚異常の人を99人集めて、正常な人をそこに1人入れてみるとする。この場合、その場においてはもはや先天赤緑色覚異常の人が正常で、正常とされる人が先天赤緑色覚異常なのだろうと思います。そしてその場において、赤あるいは緑がそれまで有していたはずの“客観的事実”はあっけなく置き換わる。

私達が信じている“客観的事実”はただの多数決なんですよね。我々は対象そのものにより対象の事実を判定しているのではなく、自身(達)の感覚により対象の事実を判定しているのです。


人がたくさんいて擦りあわせが可能だと、その多数決により“客観的事実”を成立させることはできる。

ただその世界に人が一人しかいないと、一人だけの多数決で“客観的事実”を成立させざるをえません。ということはその一人の感覚器官を通して認識した世界が、(どんなに一般的な“客観的事実”からズレていたとしても)“客観的事実”なんですよね。その事実を100%完璧に保証することができないのと同じように、その事実を100%完璧に否定することは不可能である。


この、多数決を通さずにその一人が得た感覚を“客観的事実”にして世界を綴ろう、というのが南の価値観だろうと思います。もちろんこれが南の全てではありませんけどね。

我々が対象そのものではなく感覚により事実を判定しているのなら、その一人がどんなに少数派の“ズレた”感覚を事実として判定したって、それを誤りと否定することはできない。

こういう価値観を、フィンディルは優しいなと思います。


そういう意味で言うと本作は、そういう領域を描いた作品ではない。

水面から魚が跳ねるのも、妖精達が来て踊るのも、風が吹いて水面が揺れるのも、蛇や蝶が現れるのも、我々が認識している“世界の理”から逸脱していないのです。

それは、妖精は実在しているのかとかそういうファンタジー云々ということではなく、多くの人と共有できている(つもりの)具体的な感覚であるか否かなのです。

たとえば本作で綴られている事象が、全て同じ場で同時に起こったと考えてみるとどうでしょう。

夜空に満月が浮かぶのも、水面から魚が跳ねるのも、妖精達が来て踊るのも、風が吹いて妖精達が帰るのも、蛇が現れ湖に入るのも、蝶が森から現れるのも、全て同時に起こった。夜空に満月が浮かんでいたわけではなく同時に浮かんだ、妖精達が来てすぐに帰ったのではなく来ると帰るが同時に起こった、蛇と蝶は一緒に現れていないのに「蛇が現れる」「蝶が現れる」という事象が同時に発生した。

そしてその感覚を文章で表現してみる。(弱めではありますが)“世界の理”から逸脱する必要が少なからずあると思うので、一般的な“客観的事実”からズレた情景になるだろうと思います。しかしこれだって一人の人が感覚を得た、完璧には否定しきれない事実なのです。


これを「変なこと起こってるでしょ?」「シュールでしょ?」みたいな色気を出さずに綴るのが、(あまり西に寄らない)南の基本的な筆致なのかなと思います。

「変なこと起こってるでしょ?」「シュールでしょ?」という色気が出ると、ただの奇抜な表現にしかなりません。一般的な“客観的事実”でないとわかっている非常識の感覚を綴るのではなく、一般的な“客観的事実”でないとわかっていない常識の感覚を綴る、という作品表現が基本だろうと思います。



というちょっと難しい話をしてきましたが、正直本作にとってはどうでもいい話と思います。

今までの話は飽くまで方角の話であって、どうしてフィンディルは南向きと解釈しなかったのかの話に過ぎません。

本作を指してそういうふうな南向きっぽい表現をしたほうがいいとは、フィンディルは一切思いません。

というのも、本作には本作の良さがきっちりと出ているからです。方角は北西という解釈ですが、その良さがしっかり出ているので桜庭さんはそれを大事にするのがいいと思います。南を向いていなくたって、そんなの関係なく本作は十分に魅力的です。

ここからは方角抜きの話です。


本作は、情景描写のみで構成された作品でありながら生命力が溢れているんですよ。これがすごいなと思います。

どうして生命力が溢れているかというと生物がたくさん出ているからなんですけど、本作はたくさんの生物を出しながらもそれらを景物として扱いきっている。

情景描写のみで構成された作品を書くときって、生物を出すのは難易度が高いんですよ。やってみたらわかると思うんですけど、生物を出すのは難易度が高い。何故かというと、生物についついストーリー性を持たせてついつい登場人物化させてしまいがちだから。生物は意思を持って動くので、登場人物性・ストーリー性との相性が良すぎるんですよね。生物と登場人物性の相性が良いなんて当たり前も当たり前の理屈ですが、だからこそその相性を断ち切るのは難しい。

たとえば本作なら「妖精がやってきて踊っています。しかし風が吹いてきて妖精達が帰ってしまいました。残念ですね」だけでストーリー性が乗っちゃって、妖精が本作の登場人物になってしまうんですよ。もしかしたら「風が止んで妖精達が戻ってきてくれました。良かったですね」を追加したくなった人もいるかもしれません。

しかしそれでは情景描写のみで構成された作品にすることはできない。

なので情景描写のみで構成された作品は生物を出さないのが書きやすい、とフィンディルは考えます。

ただ本作にはたくさんの生物が出てきている。むしろ生物が出てこない文のほうが少ないくらい。そんなに生物が出てきているのに、本作は生物にストーリー性をほとんど乗せていない。まるで自然の摂理であるかのように「妖精がやってきて踊ってそして帰りました」という描き方をしている。

本作に出てくる妖精やその他生物が、登場人物に見えている人はおよそいないと思います。月や湖と同じように景物に見えている人がほとんどだろうと思います。

そして生物ではあるので、情景描写のみで構成された本作は情景描写のみで構成された作品にしてはすごく生命力が溢れている。

本作について「ただ情景描写オンリーで詩っぽいものを書いているだけじゃん」と思われている方がいるかもしれませんが、この作品表現は誰でもできるかといわれるとそんなことはないと思います。やってみるとけっこう難しいですよ。

桜庭さんの魅力がよく出た作品だと思います。

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