短い旅を終える。/lager への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルによる簡単な感想です。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。ただフィンディルの解釈する方角が正解というわけではありませんので、各々の解釈を大切にしてくださればと思います。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 ネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。





短い旅を終える。/lager

https://kakuyomu.jp/works/16818093074856372904


フィンディルの解釈では、本作の方角は北北東です。


本作は、本作単体として見るか、「長い旅を往く。」の姉妹作品として見るかによって方角が変わるものと思います。


まずは本作単体として見た場合。これは真北と解釈します。

子供時代から老年時代まで綴られていて、「一人の人生を描く」と物語の最初と最後の地点がわかりやすく設定されています。確かに緩急自体は弱いのですが、読者としてはどう咀嚼していけばいい作品なのか読み方がわかりやすく提示されているので、緩急の弱さだけで西に傾くことは考えにくいように思います。

さらに本作にはテーマがわかりやすく提示されている。

―――――――――――――――――――

 小さな顔に、くりくりとした大きな目が瞬いている。

 この孫はきっと、息子に麻雀を教わるだろう。

 釣りを教わるだろう。

 好きな力士はいるかと問われるのだろう。


 俺がそうされたように、俺がそうしたように。

 音を立てずに牌を置く打ち方を教わるのだろう。


 電球の紐に括り付けられた紙風船を潰さないように、優しく、静かな手で。

―――――――――――――――――――

がつまり本作のテーマそのままだろうとフィンディルは解釈しています。親父から俺、俺から息子、息子から孫に受け継がれていくものがある。そうして人はひとつの人生を全うして、人の生は続いていく。

「長い旅を往く。」が視点ギミックや生まれ変わりなどで「一族の一個生命化」というやや突飛なテーマを置かれているのなら、こちらは「世代を越えて受け継がれる魂」という普遍的なテーマを置かれているものとフィンディルは解釈します。そのテーマの差がタイトルにも表れていますね。

これは普遍的というフィンディル評が指しているとおり、誰であっても伝わるようなすごくわかりやすいテーマなんですよね。かつ「世代を越えて受け継がれる魂」とワンフレーズでの言語化も容易。

他でもない「俺」が抱いた素数的なテーマではなく“普通の幸せな人生を歩んだ人”が抱く最大公約数的なテーマという点で、真北と判断するのが無難だろうと考えます。「俺」でなくても本物語を綴るのは問題なく可能です。


本作を「長い旅を往く。」の姉妹作品として見た場合。これは北北東相当です。

「長い旅を往く。」へフィンディルが執筆した感想を見てもわかると思いますが、「長い旅を往く。」の姉妹作品として見た場合の本作のあり方は“解答編”です。

キャッチコピーや前書き、各種作中ワードなどを見るかぎり「長い旅を往く。」と「短い旅を終える。」は同じ物語である。「長い旅を往く。」の視点把握は難しいが「短い旅を終える。」の視点把握は容易だ。

となると多くの読者が「短い旅を終える。」を読んで「長い旅を往く。」の構造の把握をはかるものと思います。フィンディルはしました。もちろん別作品である以上は物語上でも何らかの相違はあって本作をギミックの答えあわせに位置づけるのは不適当なのかもしれませんが、“解答編”として消化する読者は決して少なくないものと思います。

そして本作をそのような立ち位置に置いた場合は本作は「長い旅を往く。」を主とした従の作品になりますので、方角についても「長い旅を往く。」に従うものになると考えます。


本作単体で見れば真北、「長い旅を往く。」の姉妹作品として見れば北北東。

そのうえでフィンディルは本作を北北東として判断しています。

そうしている理由は、本作は本作単体としての自立性が弱めであるように感じられるからです。

―――――――――――――――――――

 ああ。

 空気が悪いな。

 息が苦しくなってきた。

―――――――――――――――――――

の意味を本作だけで理解するのは不可能に近い。

弟の葬式でアスパラの天ぷらに難癖をつけて空気を悪くして息が苦しくなってきた、しか本作には情報がありません。これだけで「息が苦しくなってきた。」を脳卒中≒死であると理解するのはおよそ不可能だろうと思います。どういう意味なのかがよくわからない。しかしこれは本作の締めの一文なのですから、重要性は相応に高いだろうと判断はできる。そして「長い旅を往く。」を読めばその意味を理解できる。明らかに「長い旅を往く。」を前提にした叙述であると思います。

また本作では天ぷらについての解説が厚く設けられていますが、本作単体で見ると天ぷらは甥一家に難癖をつける理由に使われているだけなので用途に比して使用文字数が多すぎるのが気になります。相撲・釣りについては本作中でリンクが見受けられますが、天ぷらについてはリンクが見受けられませんからね。アスパラの天ぷらも「長い旅を往く。」を前提とした要素であると考えます。


これだけなら「短い旅を終える。」と「長い旅を往く。」は共依存なだけに感じられますが、印象としては『「短い旅を終える。」が「長い旅を往く。」に依存している』という見え方がより強いようにフィンディルは感じます。

「長い旅を往く。」は作品単体では意味がわからない箇所があっても意味のわからなさをある程度面白みに含んだ作品であることは伝わるので、あまり気になりません。ただ本作「短い旅を終える。」は意味のわからなさを面白みに含んだ作品には感じられませんので、作品単体では意味がわからない箇所があると気になってしまいます。

なので両作品とも自立性が低い(ニコイチである)と考えたとしても、「短い旅を終える。」の自立性の低さが悪目立ちするんですよね。

なので方角を考えるときには「短い旅を終える。」が「長い旅を往く。」に引っ張られやすいように考えます。なので北北東。


本作を「長い旅を往く。」とは違う方角に向かせたいのであれば、本作の自立性を高めるであったり、本作の自立性の低さに(「長い旅を往く。」とは別方向の)面白みを持たせるであったり、何らかの策が必要なのだろうと思います。

現状では本作は「長い旅を往く。」に引っ張られすぎている、あるいは引っ張られていることを活かせていないように感じられます。

物語としてわかりやすいのは間違いなくこちらですけどね。

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