未成年者誘拐被疑事件に係る捜査経緯について。/薮坂 への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルによる簡単な感想です。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。ただフィンディルの解釈する方角が正解というわけではありませんので、各々の解釈を大切にしてくださればと思います。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 ネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。





未成年者誘拐被疑事件に係る捜査経緯について。/薮坂

https://kakuyomu.jp/works/16818093074827068303


フィンディルの解釈では、本作の方角は北東です。


本作は小説×捜査報告書という作品ですね。捜査報告書で小説を書いてみた、とも言い換えられます。

こういう“〇〇×〇〇”“〇〇で〇〇を作ってみた”みたいにわかりやすく並べられるタイプは、東は東なんですけど、かなり面白さがわかりやすいタイプの東だろうと思います。

「絵×落ち葉(落ち葉だけで絵を描いてみた)」「水の音×流行歌(水に物を落とす音だけであの流行歌を演奏してみた)」みたいに、既存と既存を組みあわせるアプローチはその面白さが人口に膾炙しやすく、大衆的な実験といえるだろうと思います。

どういう作品なのかがすぐに明瞭に伝わる実験。本作なら捜査報告書を再現した小説なんだな、と作品の基本概要はすぐに明瞭に伝わります。

このタイプであっても「メロディを文章にしてみた」というように、作品に落としこむうえで明らかな障壁がある場合には巨大な創作的変換が伴ないますので真東辺りになりやすいのですが、本作は小説も捜査報告書も文字により構成されますのでこれといった創作的変換を迫られずに純粋に再現性とバランスに注力すればよいのでそこまで東に傾くことはないだろうと考えます。

なので方角としては北北東か北東が相場だろうと思います。


そのうえでフィンディルは本作を北東と判断しているのですが、それは本作に東としての面白みを感じたからです。二つ紹介します。めっちゃ上手いです。


ひとつめはストーリー自体のエンタメの塩梅です。

応援コメントへの返信を見るかぎり「エンタメストーリーを捜査報告書っぽく調整加工した」という手順を踏まれているとのことですが、フィンディルが読んだ印象ではそういう感じには受けませんでした。

フィンディルは「実際にあった(ありそう)捜査報告書のなかから、エンタメとして映えそうなものをチョイスした」という印象を受けました。それは真実が明らかになるタイミングや物語の入り組み具合などで判断したのですが。

もちろんこれは実際の制作手順を問うものではなく、作品表現としてどう感じられるかというものです。なので薮坂さんが「エンタメストーリーを捜査報告書っぽく調整加工した」という手順を踏まれたことは何ら齟齬をきたすものではなく、作品表現として「実際にあった(ありそう)捜査報告書のなかから、エンタメとして映えそうなものをチョイスした」という印象を与えられていて上手いねで片づけていいものと思います。作者(薮坂さん)がやったのは捜査報告書のなからピックアップしてきただけですよ、というような真に迫るようなものがある。もちろん専門家が見れば別でしょうが、本作はそこまでを求めるものではないと思います。

これがまず上手いなと思います。捜査報告書をただのフレーバーにしてエンタメストーリーを際立たせているのではなく、エンタメストーリーをフレーバーにして捜査報告書を際立たせている。捜査報告書が主でエンタメストーリーを従にする、がしっかり守られているのは東向きを目指すうえではとても大事なことと思います。そういう意味では最後の「8 参考事項」もとても好印象です。

本作で描かれている事件ってエンタメ映えはするんですけど、刑事ドラマのストーリーとは全然違うと思うんですよね。刑事ドラマにはなりそうにない。刑事ドラマで描かれるならもっと驚きの事実を重ねてエンタメに仕立てるんですよ。本作で描かれている事件って、むしろヤフーニュースに小さく載ってヤフコメが紛糾していそうな感じにフィンディルは受けとりました。そういう調整加工ができているのは見事と思います。作者が題材に対して真摯。


二つめ。二つめはさらに上手いと思います。

本作冒頭にある「3 被疑事実の要旨」です。これは本当見事な仕事ですね、ファインプレーです。

本作は冒頭に「3 被疑事実の要旨」を入れて、これがどういう事件なのかをちょっとストーリーを先取りするかたちで提示しています。この事件が行方不明でなく未成年誘拐相当であることを、被疑者が被害者をどのように誘拐したかを、この段階で示している。タイトルや「1 被疑者」についてもおよそ同様ではありますけどね。

そしてエンタメ小説でよく用いられる手法で、物語の印象的・衝撃的な場面を冒頭に切り貼りしてインパクトを与えるというものがあります。調べたらシナリオ用語で「張り手型」というみたいですね。この手法を用いているエンタメ小説はすごく多いのですが、本作の「3 被疑事実の要旨」はそのまんま張り手型なんですよね。

捜査報告書ということで最初に事件概要・容疑概要をまとめるという書類の書式が、そのままエンタメとしてのテクニックになっている。書式によりエンタメを再現している。これがまず上手い。


そしてもっと上手いなと思うのが、捜査報告書を題材に選ぶことにより張り手型特有の「核心ではあるが真実ではない」までをも再現しているところです。

「物語の大事なところを最初に持ってくるエンタメ構成を、書式により再現する」だけなら、けっこうどんな書類でもいけちゃいます。「最初に結論を述べる」「最初に概要を述べる」という論文・書類あるあるに過ぎませんから、捜査報告書である必要はない。「硬い文章で小説を書いてみた」という東的旨味に乏しいアプローチでもできる。

しかし本作が再現しているのはそれだけではないのです。

張り手型の必須要素は二つあって「物語の核心となるところを描く」と「物語の真実は描ききらない」の両方が大事です。物語の核心を描いてインパクトを与えるが、真実まで全部書いちゃうとネタバレ相当になってしまう。「核心ではあるが真実ではない」が張り手型の基本と考えます。

この「核心ではあるが真実ではない」を書式で再現できるのって、捜査報告書くらいしかないんじゃないかなとフィンディルは思います。他の書類や論文だと(結論・概要で)最後まで記すのが普通だと思います。むしろ「核心ではあるが真実ではない」的に勿体つけていたら「小説書いてんのか?」と思われてしまう。

ただ捜査報告書なら「核心ではあるが真実ではない」ができる。被疑者にかけられた容疑は核心なんですけど真実とは限らないんですよね。真実は今後裁判などで詳らかにされていくものなので、捜査報告書段階では全てが明らかにならない(=真実が隠されている)ことも往々にしてある。本作中でも被疑事実を被疑者が一部否認するくだりが記されており、これはまさに「3 被疑事実の要旨」が「核心ではあるが真実ではない」ことを示すものと思います。

これはおよそ捜査報告書でないとできない表現だと思います。書式により張り手型を再現する東的表現を、このレベルでできるのは捜査報告書しかないだろうと。捜査報告書という題材だからできる表現が、すごく詰まっていると思います。めちゃくちゃ上手い! 惚れ惚れします。


そしてこの表現は、フィンディルとしては東に傾くものであると考えています。これがまた面白いところです。

真北的な張り手型が解像度高く表現されているのですが、再現されればされるほど本作は(北ではなく)東に傾く。面白いですね。北に近い読み味になればなるほど、本作は東に傾く。

それは飽くまで捜査報告書の忠実な再現に徹しているからです。「読者にインパクトを与えようとか楽しませようという意図ではなく、捜査報告書を再現したら結果的に張り手型っぽい読み味になったんです」というはったりが強固に維持できているからです。これをしっかり感じられる仕上がりになっているので、北的読み味を呈していたとしても得られる面白みは東的である。カニカマがカニの味に近づけば近づくほど、我々は「カニうめぇ!」ではなく「技術すげー!」と思うのです。

ですので薮坂さんが「エンタメっぽくなりすぎたかな?」と思われたとしても、それが「実際の事件っぽさに注力している」「捜査報告書っぽさに注力している」から発進されている以上は、安易に北に近づくものではないとフィンディルは考えます。


「3 被疑事実の要旨」にて伏線・ミスリードの役割を担うDM内容のチョイスと「誤信」「甘言」の語彙チョイスについて、作中から捜査報告書由来の必然性が供給されておらず、(本職ではなく)薮坂さんのエンタメ意図がそのまま出ているのではないかと疑う余地がある、という気になるところもあるにはあります。

なので完成度をより上げる余地は残されていると思うのですが、総じてめっちゃくちゃ上手いです。めっちゃくちゃ面白い。


ひとつだけ、手短に指摘をします。

本作は捜査報告書由来の読みにくさを持ち味にしているのですが、伏せ字による読みにくさは捜査報告書由来ではなく本作由来の読みにくさなんですよね。しかも細かく見ると(複数語彙にまたがる)記号の兼用があり、なおのこと読みにくい。

捜査報告書由来の読みにくさのなかに、伏せ字由来の読みにくさが混ざってこれはノイズだなあと感じます。伏せ字にせずに架空の地名人名を丁寧に用意する、伏せ字にしている必然性を用意する、いずれかを施して純粋に「捜査報告書って読みにくいね」という楽しさを表現することをオススメします。

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