えみりさん


佐久間さんが働いている保育園には、かつてボランティアという名目で訪れていた「えみりさん」(※仮名)という女性がいた。


えみりさんは面倒見がよく、明るい性格をしていて、誰からも好かれていた。


彼女が帰る頃になると、子供たちは束の間の別れを惜しんで足元にまとわりついた。


もっと遊んでほしいとせがむ子供たちと、困ったような笑顔で「また今度ね」と頭を撫でるえみりさん。

そのやりとりを見て、佐久間さんをはじめ園の職員は皆微笑ましい気持ちになっていたという。


しかし、えみりさんは一人の園児からは何故かひどく嫌われていた。

えみりさんが近づくだけで、その子は火がついたように泣き叫ぶ。

「大人でも苦手な人っていますから。仕方ないですよ」とえみりさんはやはり困ったような笑顔で広く受け止め、そっと距離をとっていた。


その園児は元々一人で絵を描くのが好きで、やや大人びた性格をしていた。

それ故に人付き合いにおいてハッキリとした好き嫌いを示すことは今までほとんどなかった。


佐久間さんはあまりの拒みようを不思議に思い、その子に「どうしてえみりさんが苦手なの?」と尋ねたことがある。


「こわいから」


とその子は言った。


「先生も、こわいものには近づかないでしょ」


クレヨンで画用紙に絵を描きながら、淡々と呟く姿に、佐久間さんは言いようのない不可解な気持ちに駆られたという。


さて、そんなやり取りがあって、ほどなくしてだろうか。


佐久間さんに異変が訪れた。

えみりさんの顔が、徐々に霞んで見えるようになったのだ。


最初は目の病気を疑ったが、不思議なことに周りの景色や物、人々は普段と変わりなく見ることが出来た。


しかし、えみりさんに視線を向けると、異変が起こる。

彼女の鼻のあたりを中心として、ぼかしフィルターをかけているように顔全体が曇って見えてしまうのだ。


日を追う事に佐久間さんの目の症状は酷くなっていった。えみりさんのボランティアの期間が終了し、お別れ会が開かれることが決まった時には、もう彼女の顔のパーツを判別できないほどだったという。


お別れ会の当日、園児たちからのプレゼントと職員からの花束を腕いっぱいに抱えて、えみりさんは「ありがとうございました」と頭を下げた。


「みなさんと仲良く、楽しく過ごせて幸せでした。私からのお礼の気持ちとして、プレゼントにクッキーを作ってきました。よければ後でみなさんで食べてください」


子供たちや職員の一人一人と目を合わせるような動作から、顔がぼやけていてもいつもの彼女の優しさがうかがえ、佐久間さんはえみりさんの顔が見えないことを残念に感じた。


えみりさんが惜しまれながらもお別れ会場をあとにすると、沈んでしまった園児たちを慰めるために、早速彼女からのプレゼントの開封が行われた。


クッキーは簡素な市販の赤いタッパーは数個に分けられており、開封は佐久間さんが行うことになった。

目の件は誰にも言っていなかったが、やはりえみりさんの表情を見てお別れが出来なかったという事実が少し後ろめたく、役を買って出たのだという。


タッパーを机の上に置くと、佐久間さんの近くに子供たちが駆け寄ってきた。

皆、興味津々という目で佐久間さんの手元をじっと見ている。


「それじゃみなさん、さん、に、いちで開けますよ。いいですか?」

「はーい!」

「では、…………さん、に、いち!」


掛け声とともに、タッパーが開く。


その瞬間――

子供たちから悲鳴が上がり、佐久間さんは蓋を掴んだまま固まった。


タッパーの中には、白く小さい物体がびっしりと敷き詰められていた。


陶器のような質感。ちいさく描かれた目鼻。

間違いなくそれは大量の雛人形の首だった。


髪をむしられ、胴体を外されているため、どれがどの人形か分からない。乱暴に扱われたのか顔の一部が破損しているものもある。


そんな雛人形の首が、タッパーの四角く区切られた空間に二段に積まれ、全ての顔が上を向くように並べられている。


異様な光景に、その場にいる職員は言葉を失った。静かな空間で、驚いた子供たちのすすり泣く声だけが響いている。


と、急に1人の園児が叫び声をあげた。


「先生!だれか見てる!!」


佐久間さんは、園児の指差す方向に目を向けた。


そこには、何かがいた。

会場の扉に接する壁――そこからまるで生えているように、横倒しになった首から上だけが、こちらを覗いている。


その首の顔に、佐久間さんは見覚えがあった。

あれは、先程別れたえみりさんだ。


何故だかはっきりと顔が見えた。

久々に認知した彼女の顔は、見たこともないほど邪悪に歪んでいた。

目を真ん丸に見開き、異様に大きい黒目がこちらを注視している。閉じたままの唇を無理やり笑みの形に引きつらせている。


息もろくに出来ないまま、じっと見ていると、佐久間さんはその首が揺れていることに気づいた。

音も声も発さずに小刻みに震えている様子は、否が応でも「笑っている」ことを想起させた。


そう、あれは園児や職員から生じた動揺や悲鳴を、陰から見て笑っているのだ。


首は、何も出来ないままの佐久間さん達をひとしきり笑うと、ゆっくりと壁の向こう側へと消えていった。


その場にいる全員が悪い夢を見ているような顔をしていた。


その中で、例の園児だけはどこか安堵したような表情で「やっとみんなも見えたんだ」とぽつりと呟いたという。


「あれは一体何だったのか、今も分からないんです」


佐久間さんは陰鬱な顔でそう言い、「でも」と付け足した。


「ほんとうにあの首がえみりさんだったのかは、何となく分かるんです。あれは、彼女で間違いない。これは私だけでなく、その場にいた人達全員が不思議なことに……あれは、紛れもなくえみりさん本人だった、そう答えました」


えみりさんはあの日を境に二度と園には訪れず、園で彼女の話を口に出すことははばかられ、なかったことにされたのだという。

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