2019.6.15

これは、洋子さんがまだ小学生だった頃の話だ。


洋子さんの両親が共働きを始めたのは、洋子さんが小学校に通うようになってからだった。二人とも仕事を終えて帰って来るのは夕方近くで、家族の中で一番早く帰ってくる洋子さんは、いつも一時間ほど、ひとりで留守番をしていたそうだ。


そんな洋子さん宛にある日を境に、ほぼ毎日、不可解な電話が掛かってくるようになった。


当時は携帯電話が普及し始めたばかりで、電話といえばもっぱら各家庭にある固定電話のことだ。

かかってくるのは大抵知り合いからの連絡や重要な連絡ばかりで、家族間の決め事で誰か家にいる時は必ず電話に出なければならなかった。

だから、洋子さんは律儀にも毎度その電話に出ていたという。


「不可解な電話」は受話器を取ると、楽しそうに笑う声が聞こえてくることから始まる。

当時の洋子さんよりも小さな女の子の声だったそうだ。


「洋子ちゃん、あのねえ」


少女がいつも何かを言いかけたところで、声がブツンと途切れ、通話が終わる。


洋子さんは、この電話にいつも嫌な思いをしていた。自分の名前が呼ばれる以上単なる悪戯だと無下に出来ず、放っておくには不気味すぎる。だが、両親に話そうにも、内容がとりとめもなさすぎて信じてもらえそうにない。


悩んだ彼女はある日、家に帰るといつも解除していた留守電をそのままにしておいた。


洋子さんの家で使っていた固定電話の性能上、留守電の状態であれば受話器を取らなくても、相手側の音声がスピーカーで流れるようになっていた。

うまくいけば留守電の録音が不審電話の動かぬ証拠になるし、件の電話でなくとも、応対が必要なら受話器をすぐ取れば電話に出ることもできる。

洋子さんは電話の前に陣取って、不審電話が掛かってくるのをじっと待っていたそうだ。


やがて案の定、電話はかかってきた。

長いコール音の後、留守電の自動音声に切り替わり、相手側の音声がスピーカーから流れ始める。


しかし、その日は何か様子が違った。

いつもなら一切入らないはずの、背景の人のざわめきが聞こえる。その中で、いつもの少女が笑いながら喋りかけてくる。


「洋子ちゃん、あのねえ、横津のおじちゃんがね」


幼い声がそう言いかけた瞬間。


電話の向こうで、ギャギャギャギャ!と凄まじい金属音が響き渡った。


あっと洋子さんは思わず声を上げて、覗き込むように様子を伺っていた固定電話の傍から離れた。そのはずみでコードを服に引っ掛けてしまい、受話器が外れる。


留守電のボタンが点滅して、部屋はしんと静かになった。


洋子さんは恐る恐る外れた受話器を拾いあげ、耳を当てると微かな何かが聞こえた。


最初は何が聞こえているのか分からず、じっくりと耳をすませ、――それが何なのかを理解した洋子さんはすぐさま電話を切った。


電話口では、男性がぼそぼそと喋っていた。


「ご愁傷様です。あーあ。ご愁傷様です。あーあ。ご愁傷様です。あーあ。ひなちゃんが。ご愁傷様です。あーあ」


声は陰鬱な調子でそう繰り返し、時折抑えきれないように笑っていたそうだ。



洋子さんはそこまで話したあと「でも」と首を傾げた。


「不思議なのはね、聞き覚えがないの。その声が出した名前、全部。横津のおじちゃんも、ひなちゃんも、私の周りにそんな人一人もいなくって。だから、あれ、間違い電話だと思うのよね。誰が何のために掛けてるのかは分からないけど」


洋子さんはそう話を畳んだ。

不審電話は、それ以降、掛かってこなくなったという。

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