第2話 迎えた転換期


 涼八がいない時、私は編み物をする。何かに集中していないと、自分の記憶が無いことへの恐怖に耐えられないからだ。

 記憶を失った理由は、医務室のレイン先生の能力を使っても分からなかった。原因不明のため、無理に記憶を回復させずに、自然と思い出せるまでゆっくり過ごすという先生の診断結果に従って、私は天国と地獄の間にある子の休憩室で過ごしている。


 今編んでいるのは、涼八に贈るセーターだった。この前贈った、異なる二種類の緑のチャック柄のマフラーは気に入ってもらえたので、今度はもっと大きいものに挑戦していた。編み棒を動かしながら、涼八の喜んだ顔を想像し、私も微笑んでしまう。

 でも、こうやって無心になろうとしても、霧のように不安が立ち込めてくる。編み物は、記憶を失った後に覚えたのではなく、元々体が記憶していた。過去の私は、編み物が趣味、あるいは仕事だったのだろうか――。


 一度手を止めて、ふうと息をついた。余計なことは考えない、考えないと、矛盾していることを自分に言い聞かせる。

 ただ、今日の私を苦しめるのは、自分の記憶に関することだけではなかった。空いたままになっている、テーブルの隣の席を見る。この三日間、涼八と会っていない。


 涼八の仕事は、罪を償い終わった死者を地獄から天国に運ぶこと。彼らを何かしらの乗り物に載せているので、その乗務員のような役目だった。だから、交代の間の時間しか、ここにいないので、私たちが直接会える時間は短い。

 四日前に会った時、彼は明日は休暇を取っていて、地上に旅行へ行くと言っていた。具体的な場所や日程とかは話してくれなかったけれど、お土産を楽しみにしていてねと、子供みたいな無邪気な顔で言ってくれた。


 まだきっと、旅行中なんだろうなーと考えていると、ふと、休憩室の出入り口に、見知った顔が現れた。きょろきょろと誰かを探している様子の長身のその中年男性は、涼八と先輩である、ブラッドベリさんだった。

 涼八とは別のタイプの整った顔の赤い瞳が、私を見つけると、真っ直ぐにこちらへ向かってきた。なんだかいつもと雰囲気が違うと思っていたら、今日のブラッドベリさんは何も食べていないことに気が付いた。


「クリムト、ここにいたか」

「ええ。いつもここにいますよ」


 歩み寄ってきたブラッドベリさんを和ませようと、苦笑交じりで言ってみたが、彼は険しい表情を変えない。

 場違いなことをしていると自覚した私は、慌てて「どうしましたか?」と尋ねた。


「この三日間、谷崎から何か連絡はないか?」

「いえ……ありません」


 さっきまで考えていた涼八の名前を出されて、目が泳ぐ。嫌な予感が当たってしまった。


「涼八に、何かあったのですか?」

「正直、こちらもほぼ把握していない。三日前、一日休みを取って地上へ出たのは分かっているが、そこから行方知れずだ」

「そうですか……」

「なあ、本当に何も知らないのか? 出発前に何か言っていなかったか?」


 両手をテーブルにつき、こちらへ前のめりになりながら取り乱した様子のブラッドベリさんに、「すみません」と謝る。私も協力したいけれど、ヒントとなる情報は何も持っていなかった。

 思い返せば、涼八といつも話しているけれど、彼が私と「歪なソウルメイト」だということを教えてからは、その話題は二度と出なかった。けれど、涼八はずっと気にしていて、私とは深い仲にならないようにしていたのだろう。


「あの、涼八はどこへ行ったのですか?」

「そこは、地獄の門の通過記録に残っているから分かる。現在、捜索部が探し回っているところだ」


 そう言って、ブラッドベリさんは長い数字とハイフンの羅列を言った。私は、あの世の基準でどこの次元なのかを示しているそれを、一生懸命記憶する。

 もしも何か進展があったら、私にも知らせると約束して、ブラッドベリさんは立ち去った。仕事の合間に来てくれたのかもしれない。


 私はすぐに、涼八が向かったという次元のことを端末で調べてみた。この端末はあの世仕様になっているので、知りたい次元については、こうやってすぐに知ることが出来る。

 その次元についてのざっくりとした情報が出てきたが、その中の一枚の画像に目が釘付けになった。とても小さいものだったけれど、今は、そこしか見えていない。


 画像の中に立つのは、巨大な木だった。一つの山くらいの大きさで、透明な葉を天に向かって広げ、その一番端から、長い気根が地面に落ちている。その周辺は、真っ白な雪原だった。

 魂の奥底で、回路が繋がり、一瞬だけど強力な電流が流れたような衝撃を受けた。思わず椅子から立ち上がり、倒れた椅子の音が反響しているけれど、そのまま動けない。


 見たことがある。いや、これは、風景だ。


「あの、大丈夫ですか?」


 おずおずと声を掛けられて、はっと我に返った。別のテーブルにいた天使の男性が、私のことを心配そうに覗き込んでいる。


「あ、だ、大丈夫です」


 上擦った声は、おおよそ大丈夫なものではないけれど、彼に細かい事情を説明している暇はない。頭の中に流れ込んでくる情報が、私にとんでもない事実を教えてくれているからだ。

 倒れていた椅子を直して、テーブルの上に広げていた自分の荷物を何とか集めて、私は彼に「失礼します」と頭を下げる。そして、彼以外の視線を一身に受けながらも、何かに追い立てられるように、走り出した。






   ▱






「レイン先生!」


 医務室のドアを勢いよく開けると、大きく音を立てて、天井近くまで合った巨大な何かが崩れ落ちる音がした。驚いてよく見ると、地面にジェンガのパーツが転がっている……そして、梯子の上に座って、ジェンガのパーツを握っていたレイン先生が、青い瞳で訝し気にこちらを見ていた。


「どうしたのよ。せっかく過去最大のサイズまで積み上げられたのに」

「すみません……」


 天使と悪魔には自己再生能力があるので、怪我や病気で医務室を使うことはない。だから、暇を持て余した先生は、今日のようにジェンガやトランプタワーを作って遊んでいた。

 一瞬、彼女に凄まれて謝ってしまったけれど、緊急事態だから私はそれほど悪くないんじゃないかと気付く。白衣をはためかしながら、梯子を下り切った先生に、「大切な話があるんです」と言いながら近付いた。


「もしかして、記憶が戻った?」

「ええと、戻ったと言いますか、正確には、スターチス・クリムトとしての記憶ではなく、ツゥリッパとしての記憶や使命を思い出したと言いますか……」


 私が上手く説明できずに言い淀むと、レイン先生は眉を顰めた。そして、黙ったまま、首から紐で下げていた縁の無い眼鏡をかけた。

 レイン先生の能力は、『レンズ越しに見た人体の不調の中で、何が起きているのかを見透かす』というもの。そうやって、私の頭の中を覗き込んだ。


「……確かに、あなたの記憶は、自分自身よりも先に、最初の魂のものが蘇っているわ。こんなこと、ありえないけれど」

「理由は、なんとなく察しています。あの、私と涼八の関係について、訊いていますよね?」


 念を押してみると、彼女は頷いてくれた。私と涼八の歪なソウルメイト関係について知っていることを前提に、自分が知ったことを話し出した。


「今、私は、かつて分霊だった時と同じように、聖地の神木と繋がっています。と言っても、刺繍用の糸のような、とても細い繋がりですが。その神木は、私に知らせてくれました。三日前に行方知れずになった涼八は、聖地に囚われていると」

「ええ? 本当に?」


 眼鏡を下にずらして、信じられないといった表情で私を眺める先生。改めて、眼鏡で私の頭を見透かした先生は、驚きながらも「その通りね……」と瞬きをした。


「でも、谷崎くんは、わざわざその聖地に行ったの? 魔のものにとって、聖地は足を踏み入れるだけでも危ないのに」

「おそらく、神木に私とのソウルメイト関係を解消してほしいと、直談判しに行ったのだと思います」


 もうこれ以上、望まぬ別れをして、私に悲しい思いをさせたくない。涼八だったら、そう考えるのが手に取るように分かる。でも、本人は現状によって、私をこの上なく悲しませていることに、気が付いていない。


「涼八は、ただ捕まっているだけではありません。聖なる力を持った槍に貫かれたままで、魔力を削られています。早く助けに行かないと、彼が消滅してしまいます」

「もしかして、そのために、私に天国の門をくぐる許可を出してほしい、って言いたの?」


 私は大きく頷く。涼八が受けている苦しみを考えると、涙が出てしまいそうだ。

 記憶を失っている状態で、私はここ天国と地獄の間から出ることを許されていない。地上へ向かうなんてもっての他だ。許可書を出してくれるのは、私を診療してくれている先生しかいないのだが、彼女は厳しい顔で、長い髪を掻き回した。


「本当言うとね、医者としては、そんな危険なこと、許可出来ないわよ。あなたは、まだ『スターチス・クリムト』個人としての記憶を取り戻していないからね。でも、一人の命が掛かっているのなら、あれこれ言っている場合じゃないよね」

「すみません。ありがとうございます」

「いいわ。何かあったら、全責任は、私が取るから」

「そんな、大丈夫です」


 覚悟を決めた先生は、診察台に一枚の紙を取り出して、すらすらと何か書き始める。私は、先生の優しさに深く感謝して、涼八と共に二人で帰ってくることを心に誓った。


「ほら、これ。じゃあ、行ってらっしゃい」

「はい。気をつけます」

「二人で戻ってきたら、顔を見せてね。あなたたちの関係が変わっているかもしれないから」

「……はい」


 緊張の面持ちに私に、先生は悪戯っぽくウインクする。私は顔を赤くなるのを感じながら、頷くのが精一杯だった。

 そして、医務室を出ると、今度は天国の門へと向かって、私は走り出した。






   ▱






「では、お気をつけて」


 ゲートの受付係が、そう声をかけたのに合わせて、頂点が見えないほど巨大な門が轟音を立てて開き始めた。門は分厚い石で出来ているシンプルなものだけど、表面には様々な動植物の彫り物が施されている。

 羽を出したままの私は、一歩、門の外へ足を踏み出す。そこは、空の中になっていて、バランスを失った体は、真っ逆さまに落ちていく。


 私は羽を一切動かさず、冷たく激しい風が耳元を通り過ぎていくのに身を任せながら、つい今さっき、取り戻した記憶を辿る。

 それは、私が現状唯一、「スターチス・クリムト」として思い出した出来事だった。


 —―私は、辞令を受けて、天国と地獄の間に移動してきたばかりだった。新しい職場へ向かうため、真っ白な壁と天井に挟まれた長い廊下を歩いている。

 この時の私は不安だった。新しい仕事を上手くこなせるだろうか、というものあったが、それ以外にも、生前からずっと私に付き纏う不安があった。


 それは、自分の中に、何かが足りないということ。ジグソーパズルの一ピースだけが欠けているという心情のまま、一生を終えて、死後の世界も過ごしている。

 足りないものを追い求めて、天使になったのかもしれない。そして、この新しい場所で、私はずっと足りなかった何かと、再び出会えるのかもしれない。不安をそんな根拠のない期待に変化させて、廊下を曲がった私は、


 私の足を止めたのは、眩しい光の塊だった。大きさは、成人くらいで、丸い形をしている。中心が最も眩しく光っていて、そこから遠ざかると、光はぼんやりとするが、輝く粒子がその周りのも飛び回っていた。

 天使になって、生前では信じられないものを色々見たが、こんな光の塊は、初めて遭遇した。神様だって、人の姿をしていたのに。ただ、それ以上戸惑ったのは、私はこれに対して、懐かしいという感情を抱いたことだった。


  —―これより、あなたたち二人に、最後の試練を与える


 光の塊が、そう言った。声というよりも、言葉よりも曖昧な、思念のようなものだったが、はっきりと言っていることは伝わった。

 「あなたたち」の意味が気になったが、私は逆らえない気持ちがして、神妙に頷く。そして、光からまた思念が届いた。


  ——必ず、必ず私の元に帰っておいで――


 最初の一言よりも、意味が分からなかったが、疑問を口にするよりも早く、光がさらに強くなった。あまりの眩しさに目を瞑り、その場で私は気を失った。

 この瞬間、私は記憶を奪われた。レイン先生でも、記憶喪失の原因が分からなかったのは、彼女よりも力が強いものが原因だったからだ。


 気を失った私は、暗闇の中をさまよう夢を見ていた。何もかもを失って、この上なく心細く、声が掠れるほどに叫んでいる。

 しかし、不意に右手が温かくなった。人肌の温かさ。誰かが手を握ってくれている。そして、これが、私がずっと追い求めていた、足りない一ピースだと思った。


 目を開けると、心配そうに私を覗き込む涼八の顔があった。現世では、初めて見る顔だけど、その魂は知っているからか、私は彼に向かって微笑んだ。彼も、同じように笑いかけてくれた。

 手を握ってくれているのは、彼だった。記憶は失ったままだ。でも、もう大丈夫……。そんな風に安心しながら、私はまた目を閉じた――


 無意識下で、私は全部知っていたのだ。自分と涼八の運命を。これが最後にして最大の試練だということを。そして、涼八を助けることが、その試練を乗り越えることだということを。

 涼八、待っていてね、もうすぐだから……。羽をはばたかせて私は、聖地へと、この魂の故郷へ、真っ直ぐに飛んでいった。




















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