さよならを覆す最高の方法
夢月七海
第1話 私たちの日常
縁というのは、なんと不思議なものだろう。私は、ホットコーヒーを飲みながら、目の前に座る彼をしげしげと眺めて不意に思う。
彼の名前は、谷崎涼八。女性である私よりも背が低くて、幼くて可愛らしい顔立ちをしている。殆どが真っ白だけどつむじの周りだけが黒い髪に、真っ赤な瞳が印象的な容姿をしている。
彼の先輩が差し入れてくれた高級チョコレートを頬張って、「おいしいねぇ」と無邪気に笑っているけれど、その正体は悪魔――こんな風に向かい合っていても、時々忘れてしまう。
そんな涼八と仲良くティータイムを過ごしている私は、天使なんだけど。生前と死後の記憶がないので、その自覚は全くない。きっと、生きている人間が見たら、ひっくり返る光景だと思う。
実のところ、天使と悪魔が敵対していたのは一万年近く昔のことで、現在は天国と地獄の管理をそれぞれ担当している。悪魔は天国に、天使は地獄に行ってはならないというルールはあるけれど、それも許可を得れば入れたり、そもそも結婚しても良かったりと、結構緩やかだ。
ただ、表面上はそうであっても、敵対していた過去、全く別の存在である天使と悪魔が、こうやって仲良くしているのは、とても珍しい事らしい。ここは天国と地獄の間の場所であるのに、通り過ぎていくひとたちがみんなこちらへ奇異の目を向けてくるので、それがよく分かる。
それをまったく気にしていないような顔で……無理に作っているのはバレバレだけど、涼八は四角いチョコを摘まんで齧る。
「ブラッドベリ先輩はグルメなだけあって、お土産にハズレがないね」
「本当に。でも、いつも貰ってばかりだから、今度何かお返ししない?」
「そうだね。ただ、先輩を満足させるものってなったら、結構ハードルが高いなぁ」
「そういえば、ずっと気になっていたけれど、ブラッドベリさんって、いつも何か食べているよね。どうして?」
「先輩の能力が、結構魔力使うものだからね。ガス欠しないように、いつもカロリーを摂っているんだって」
涼八が、残ったチョコも口に入れて、もごもご噛みながら言う。能力かーと、私は思いながら、新しいチョコを手に取る。
天使と悪魔には、それぞれ一人に一つずつ、特別な能力を持っている。涼八とは、知り合って一年近くなるけれど、彼の能力は知らなかった。
「ねえ、涼八の能力って何?」
「僕の能力は……」
おもむろに、自分のコーヒーが入ったマグカップを手に取った涼八は、私が覗き込んでいるそれに向かって、ふうっと息を吹きかけた。すると、コーヒーの表面が、パキパキと音を立てて、凍り付いていった。
「わっ、すごい」
「そうでしょ。僕には、『息を吹きかけたものを凍らせる能力』があるんだ」
私が手を叩くと、照れながら、でもそれ以上に自慢気に笑う涼八。彼の手から、マグカップを借りて見る。左右に動かしても、全く揺れないほど、コーヒーの表面はぴったり凍っていた。
「あんな一瞬で、カチンコチンになっちゃったね」
「頑張れば、もっと一気に広範囲を凍らせることできるよ」
私に褒められて、ますます調子に乗っている涼八だが、マグカップを受け取ると、ふと思い出したように言った。
「スターチスの能力も聞いたこと無かったね。どんなの?」
「私の能力はね……」
口で説明しても良かったのだけど、先程の彼のように、私も実践して見せた。
誰も触っていなかったチョコを持って、両手で包み込む。数秒してから、涼八に渡してみた。
「これ、一口齧ってみて」
「うん」
何も疑わずに言われた通りにした涼八は、チョコを噛んだ直後、うへっと、顔を大きく顰めた。
「何か、とてつもなく苦くなっているよ」
「そう、これが私の能力。『両手で包んだ物のポテンシャルを底上げする能力』」
「ああ、だからカカオの苦みがパワーアップしたんだ」
「その通り。でも、最初から持っていないものは上げられないの。例えば、そのチョコを辛くするとか」
「なるほどねー」
そう頷きながら、律義にチョコを齧る涼八。「苦い!」と叫んでいるので、私が食べるよと言いかけたが、これって間接キスじゃあ……というのが気になって、言えなくなった。
私は記憶を失っているけれど、自分の名前などのプロフィールと共に、この能力のことは、医務室の先生に教えて貰っていた。うっかり能力を発動させないように、気を付けてもらう為らしい。
「あ、あと、聞いた話だけどね」
「うん? 何かな?」
「悪魔には、人間の姿とは別に、他の姿があるんだって。涼八はどんなの?」
「ああー、それかぁー」
涼八は、苦くなったチョコの最後の一口を噛みながら、また顔を顰めている。多分、チョコが苦いから、という理由だけじゃないと思う。
現在の地獄あたる場所で、悪魔は誕生から進化まで、独自のルートを歩んだという。彼らの先祖は人間以外の生き物の姿をしていて、その名残で今の悪魔たちも二つの姿を持っていると。それが、天使と悪魔の間にある溝の要因でもあるらしい。
「どんな姿でも、私は気にしないよ」
「そうだよね、でも、ちょっとね」
「あ、言いにくかったら、教えなくても良いから」
「いや、ちゃんと教えるよ。僕のもう一つの姿は、オコジョなんだ」
「オコジョ?」
聞いたことのない生物の名前だったので、端末をポケットから取り出して、調べてみた。いつも何でも話してくれる涼八が言い淀むなんて、どんな恐ろしい生き物なんだろうと緊張しながら、画像で見てみると……白くて尻尾の先だけが黒い、つぶらな瞳のイタチのような生き物が出てきた。
「え、可愛い」
「あー、そうだよねえ」
私の呟きを聞いて、涼八は急激に顔を赤くする。どうやら、彼が気にしていたのは、自分のもう一つの姿がとても愛くるしいということだった。
「い、一応だけど、このオコジョ、見た目に反して凶暴だからね」
「ふーん。でも、やっぱり可愛いね」
なんだか子供みたいな言い訳をして来る涼八に、からかうようにいってみると、彼は「うう……」とますます顔を赤くして、俯いてしまった。こうすることで、今も可愛くなっていることには、気付いていない様子だ。
でも、もしも彼のもう一つの姿が、ライオンとか虎とか、ホッキョクグマとか、もっと恐ろしい生き物だったとしても、私は殆ど気にしていないと思う。彼が私の恩人であるという事実は、決して揺らがないのだから。
天国と地獄の間であるこの場所で、約一年前、唐突に記憶を失って倒れているのを見つけてくれたのが、涼八だった。彼がブラッドベリさんと協力して、医務室のベッドに私を運んでくれた後でも、私が目を覚ますまで、私の手を握って見守ってくれていた。
そんな風に、ずっと私のことを心配してくれて、仕事を休んで記憶を取り戻せるまで休養中の私のことも、よく見に来てくれる彼のことを、だんだんと好きになっていくのは、当然のことだった。でも、私たちの縁は、これが始まりではないらしい。
涼八が調べてみた結果、私たちは歪なソウルメイトということが分かった。「歪な」というのは、私たちは必ず出会って親密になるのだけど、望まぬ別れをするというのが、運命づけられているからだ。
そもそものきっかけは、とある神木の分霊に、一人の少女が恋してしまったことらしい。分霊に少女がやってはいけないことをしてしまい、神様の怒りを買った罰が、この関係なのだと……。その分霊が私の前世で、その少女が涼八の前世だと聞かされた。
「あ、そうだよ、話がズレていたけれど、ブラッドベリ先輩へのお礼を何にしようか、って話、どうしようか?」
「そうだったね。ブラッドベリさん、何が好きなの?」
「先輩、手で持って食べられるものだったら、何でも好きだからなー。むしろ難しいね」
「でも、さっきの話だと、量がいっぱいあった方がいい気がするね。例えば……」
気恥ずかしさから気を取り直した涼八が、話をブラッドベリさんのものに戻したので、虚しくなる回想から私も現実に戻ってくる。自分の端末で通販のページを開いて、何にしようか二人で覗き合った。
涼八の顔が近くにあると、ものすごくドキドキしてしまう。霊体だから、心臓はないのだけど。
私たちの将来に、望まぬ別れが待っているとしても、今は、この幸福を味わっていたかった。
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