第一章 葉守神社へ

第1話

「ジイちゃん、ちょっと頼みたいんだけどさ……」

 朝食後、朝陽が差し込むダイニングで一真は祖父に切り出した。

 テーブルの上には詩織が用意してくれた食後の緑茶が湯気を立てている。

「改まってどうしたんじゃ?」

 伸真は新聞から顔を上げ、緑茶を一口啜った。

 動きも口調も同じだが、一真の眼に映る祖父の姿は三日前とは全く違う。

(さすが元鎮守役。新聞読んでるだけなのにスゲエ霊気だぜ……)

 白い陽炎のような霊気が全身からユラユラと立ち昇っている。

 白は金属性の証。戦闘中でもないのに、これほどはっきりと視えるということは、それだけ強い金の霊気を宿しているということだ。

 伸真は六十歳を超えているが、今でも現役の鎮守役と互角に戦えるという。霊気だけでもかなりスゴイが、さらに愛用の着流しの胸元からはプロレスラー並の厚い胸板が覗く。

 孫としては、あのごつい筋骨隆々とした体躯が家系なのか、伸真個人のものなのかが気になるところだが、なんとなく聞きづらい。

 軽い疑問を横に置き、一真は一枚の書類をテーブルに置いた。

「こいつに名前書いてハンコ押してくれ!」

「ハンコ……? 入学書類は全て提出済みではなかったか……?」

 伸真は書類を手に取り、小さく感嘆を漏らした。

「ほう、鎮守役の推薦状ではないか。あの望君が推薦状を書くとはのう……。推薦を受けるということは、お前も随分と気が合ったんじゃな?」

「へへ、まあな。部活でも合わねェ先輩っているだろ? なんとなくだけど、城田先輩なら上手くやってけそうな気がするんだよな。だからさ、鎮守役やってもいいだろ?」

「ふむ……」

 伸真は難しい顔で黙り込み、推薦状を見つめた。

「何かおかしいとこあんの?」

「特にはないが……」

 二つ返事で許可してもらえると思っていた一真はまじまじと祖父を見た。

 鏡面との戦いから一夜明けた日の昼、伸真は出張先から松本医院に駆けつけてきた。鎮守隊から連絡が入ったらしく、既に詩織だけでなく一真の覚醒も把握していて、何も説明しなくても家系や家業のことを話してくれた。

「もう少し、考えてはどうじゃ?」

「へ? なんで??」

「……はやる気持ちはわからんでもないが、そう急がんでも良いじゃろう。覚醒してから、まだ三日じゃぞ?」

「オレは落ち着いてるって! あれから三日も経ったんだぜ!?」

「たったの三日じゃ」

「もう三日だってば」

 口を尖らせた。

「んだよ。ジイちゃんは反対なのかよ?」

 伸真は「そうとは言っとらん」と息を吐き、再び茶を啜った。

「鎮守隊は部活動や課外授業とは違う。隠人が担う公の職務の一つにして、最も危険で過酷な仕事じゃ。その鎮守隊においても、鎮守役は邪と対峙し、時には見ず知らずの他人の盾とならんといかん。修業の厳しさも補佐とは比べ物にならんし、修行中に諦める者も多い。入隊を決めるのは、修行を終えてからでよいじゃろう」

「何言ってんだよ! この町っていうか、西組だっけ? その鎮守役が一人しかいねェんだろ!? 人数増えんのはいいことじゃんか! 修業が厳しいってんなら望むとこだぜ!」

「良い機会じゃ。鎮守役について、少し話してやろうかの……」

 一真の署名と印を押された推薦状をテーブルに置き、伸真は深々と息を吐いた。




「あ~~!! クソ、むかつく……!! あんの筋肉ジジイ~~!!」

 並んで歩く光咲が「まあまあ」と宥めた。

 淡いピンクのカーディガンの肩でふわふわとツインテールが揺れる。

「しょうがないよ。おじいさんは経験者だもの。きっと、いろいろ考えちゃうんだよ」

「それはそーなんだけどさ……」

『よいか? 鎮守役は師弟関係を採用しておる。お前が入隊すれば、自動的に望君に弟子入りすることになるじゃろう。だが、望君は鎮守役の責務を一身に背負い、昼も夜もなく戦い続ける過酷極まりない状況じゃ。基礎も心得ておらんような初心者を弟子にする余裕が、今のあの子にあると思うか?』

 望側の事情を出されると、一真は引き下がるしかなかった。

 誰が見ても体力がレッドゾーンに達している望にさらに負担をかければ、確実に過労で倒れるだろう。

「ジイちゃんが言ってることもわかるんだけどさ……。基礎講習って、一ヶ月もかかるんだろ? それから鎮守役の修行して……、その間に先輩が倒れたらどーするんだって思うんだよな……。今でもかなりヤバい感じするのにさ。あの人、年中貧血っていうか肉体の限界超えてそうじゃね? ある日、急に卒倒して入院したりとかさ……」

「う……、凄くありそう……」

「だろ? そーなったら手遅れじゃん。代わりの奴いねェのに、どーすんのかなって思うんだよな……」

 望の圧倒的な強さは認めるが、一緒に戦った今でもスタミナ面は全然信用していない。あれだけの怪我でも平然と刀を振り回していたのだから、補佐よりは遙かに頑丈なのだろうけれど。

「そりゃ、先輩みてーに鎮めんのは無理かもしれねェけどさ、今でも邪の足止めくらいできると思うんだよな……。先輩が忙しくて無理だってんなら、ジイちゃんが基礎とか教えてくれりゃいいのにさ……」

「それもそうだよね。おじいさんは、何て言ってるの?」

「注文が溜まってるから無理だってさ……」

 庭の作業場の机に束になっていた注文書を思い出し、げんなりとした。

 冶黒が言っていた通り、斎木家は霊刀鍛冶師の名門だった。

 斎木家の刀匠は代々「誠の匠」と呼ばれ、当代の伸真が打つ霊刀は全国の鎮守役や霊山の天狗に愛用者がいて、各地から注文が入るらしい。その価格も一振り何百万円、高価なものだと数千万円という一真が見たこともないような金額で取引されているという。

 注文者が実際に刀を振るって戦う以上、修復依頼や霊力の調整も後を絶たず、そちらだけでもかなりの収入があるらしい。

 つまり、金物屋は霊刀鍛冶師という特殊な職業を世間から隠すためのカモフラージュ。店に客が全く来なくても何の問題もなく、霊刀の受付窓口としての役割さえ果たせれば良いのだ。逆に、留守中でも窓口を維持する必要があるから、あの破格なバイト条件が出てきたのだろう。

 家業の疑問が解けたのはいいが、今度はあの大量の注文をどうやってこなすつもりなのだろうという別の疑問が生まれた気がする。

「お兄ちゃん、この間みたいなお化けと戦うの?」

 黙って聞いていた詩織が不安そうな顔をした。

 幸運なことに、詩織にはあの夜の記憶はほとんど残っていない。

 鏡面が部屋に侵入してきた時のことはぼんやりと覚えているようだが、その後のことはわからないらしく、目を覚まして自分が病室にいることに随分と驚いていた。

 「詩織は侵入してきた化け物に驚いて気絶して病院に運ばれた」伸真と主治医の副院長が相談し、一真達家族や松本医院のスタッフだけでなく、光咲もそう口裏を合わせることになった。

「あのお化け、すごく気持ち悪かったよ? あんなのと戦って大丈夫……?」

 詩織もまた覚醒を迎え、腕の霊紋は白い光を放っている。それが家系で遺伝するもので、祖父も一真も紋があるのだと聞いてからはすっかり安心したらしく、それまでと比べ物にならないくらい明るくなった。

「おう。あーいう輩が二度とお前にちょっかいかけねェようにぶっ飛ばしてやるからな!」

「で、でも、とり憑かれちゃったら……!」

「んなもん気合で追い出してやるって。オレのことは心配しなくていいから、今日からの講習、頑張れよ?」

「うん……」

「他の隠人の連中とか鎮守隊の連中が何か言ってきたらオレに言えよ? 話つけてやるからな?」

 一真流の「話をつける」の意味を熟知している光咲が慌てた。

「いきなり喧嘩売っちゃダメだよ? お母さんが言ってたけど、西組は補佐も少ないから怪我人が出たら大変だって……」

「売らねェって。ちょっと人が来ねーとこに呼び出して話し合うだけだって。でも、番長とは一回、勝負してみたいんだよな~~。隠人の能力使うのはヤバいだろーから、人としてだけどさ」

 番長こと関戸剛士は自他ともに認めるヤンキーだった。ただし、曲がったことを嫌う筋の通ったヤツで、喧嘩の強さと相まって下級生からの人気は高かった。

「だ、ダメだよ! 関戸さんは今、夜担当の補佐の人達をまとめてるんだから……! 怪我しちゃったら、城田先輩にトドメ刺しちゃうよ!?」

「……う……、それはマズいな……」

 過労のあまり路地裏で倒れている姿があまりにもリアルに浮かんだ。

 同じことを想像したのか、光咲がハッと口を押えた。

「って、ホントに倒れてたらどうしよう……! 先輩、凄い怪我してたのに普通に帰っちゃってたし! そこの看板の裏でうずくまってたりとか……!」

「怖すぎだろ、それ……。いくらなんでも、んなことねーって……たぶん……」

 否定しながらも無意識に看板の裏の霊気を確認し、安堵の息を吐いた。

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