第2話
「さっそく始めようか」
広い和室に落ち着いた声が広がった。
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた門をくぐり、すぐ手前にあった平屋建ての大きな建物が講習会場だった。三十人くらいは軽く収容できそうな和室には横長の机と人数分の座布団が並べられていて、上座に置かれた大きなホワイトボードが存在感を放っている。
「この初級講座の内容は大きく分けて二つ。霊体の安定方法と簡単な護身術だ。期間は約一ヶ月になっているけれど、隠人の力にはかなりの個人差があるから、自分のペースで身に着けてくれるといいよ。希望を言えば、学校が始まるまでに霊体を安定させられているのが望ましいけれど、無理しなくていいから」
一真達と向かい合って座っている少年は
同じ学年でも望が中学生くらいに見えるのと対照的に、こちらは落ち着き払った雰囲気で、別の意味で高校生らしくない。知的で端正な顔立ちに落ち着いた服装、フレーム無しの眼鏡をかけていて、モデルだと紹介されても違和感はないだろう。
(いかにも優等生って感じだな……)
一真にとって「苦手」に分類されるタイプだ。たぶん、向こうもそうなのだろうけれど。
「ここまでで質問は?」
「じゃあ、イッコいいスか?」
光咲と詩織の表情から察し、一真は手を上げた。
受講生は他にいない。基礎講習は週ごとに申し込みが締め切られていて、先週申し込んだのは三人だけらしい。
「霊体の安定はわかるけど、護身術って何やるんスか? この講習って、鎮守隊は関係ねェって聞いてたんスけど」
「護身術って言っても、格闘術じゃないよ。隠人なら最低限身につけておかないと困る程度の霊気の扱い方って言えばわかりやすいかな? 初級講座ではその基礎の基礎を習得して、中級、上級では応用を習得してもらうことになるんだ」
「基礎講習って、他にもあるんスか?」
「初級、中級、上級の三段階の講座をまとめて基礎講習って呼んでいるんだ。初級講座が終わる頃に説明があるよ。隠人は邪からすれば格好の獲物だから、霊気を操る技術は生死を分けかねない。しっかりと身に着けてもらわなくちゃいけないからね」
「あ、あの……、私達って、そんなに狙われてるんですか?」
ノートを広げながら、光咲は恐々と質問した。
「そうだね、まずは邪について簡単に説明しておこうか」
優音は眼鏡を軽く抑えた。
その隙に詩織もノートと社務所でもらったテキストを広げる。
「邪というのは、精霊や人から離れた思念が力を持ったモノ、あるいは人や物が何らかの原因で
「それじゃあ、邪が全部襲ってくるんじゃないんですか?」
「大半の邪念は積極的に人を襲ったりはしないよ。邪念というのはくっつきあって大きくなっていくんだけれど、そのたびに念が濃くなって、いずれは霊体ほどの存在感を持つようになる。それを邪霊っていって、君達が考える『邪』は、この段階だよ。精霊が穢れたものも邪霊って呼ぶけど、こっちは普通に暮らしていたら、そんなに遭わないかな。どちらにしても、邪霊は襲ってくるって考えておいてくれたらいいよ」
詩織がノートを取りながら不安そうな顔をした。隣では光咲も考え込んでいる。
「質問いいスか、壬生先輩」
「なんだい?」
「邪霊って、そこらへんの浮遊霊とかに交ってるんスか?」
「どこにでもいるけれど空気が澱んでいる場所は多いかな。あと、時間は夜が圧倒的に増えるね。君達も『鎮守様の七不思議』は聞いたことがあるだろう? あれにあるように、夜九時くらいから急に数が増える。初級講座を終えて終了試験をパスするまでは、九時前に家に帰るように心がけてくれるかい?」
真剣な顔で詩織はノートを取っている。「夜九時」と書いて赤線を引っ張っているのを見る限り、大丈夫そうだ。
「そーいえば、邪霊って、なんで霊気持ってるヤツを襲うんスか? そこらへんにいる浮遊霊とかは襲ってこねェのに……」
「自力で霊気を生み出せないからだよ。霊体が穢れて邪気を帯びると、うまく霊気を生み出せなくなって、他から奪うしかないんだ。邪念から邪霊になったタイプは元から生み出せないから、より純度の高い邪念と霊気を喰って成長するため、かな。どのタイプでも、邪が狙うのは、他の動物よりも大きな霊気を宿し強い邪念を生み出せる無防備な存在――、人間であり、隠人なんだ」
「……邪念が襲ってくる理由はわかるんスけど……。霊気生み出せなくなるって、そんな大ごとなんスか……?」
「大ごとだよ。霊気は霊体を流れる血みたいなものなんだから。人間が霊気を生み出せなくなったら無気力状態に陥って、意志そのものが薄れていく。下手をすれば魂が死滅し、肉体も死に至る」
「霊気がなくなったら、し、死んじゃうんですか!?」
さすがに怖くなったのか、光咲が悲鳴に近い声を出した。
「人間はまだ肉体があるだけマシだよ。最悪の事態に至る前に手を打てる。逆に、霊体だけで存在してる霊にとっては霊気の
「あ、あの……、霊気を奪うって……、どんな風に……?」
「そうだなあ。直接食いついてきたり、蚊や
「食いついたり……、吸ったりですか……?」
光咲がゾッとした顔をする横で詩織が気持ち悪そうに顔をしかめた。
なんとなく詩織のほうが落ち着いているような気がする。
「襲ってくるような邪霊は濁った気を放出しているから、覚醒した隠人が見ると不気味に感じたり寒気がするんだ。そういうのを見かけたら、とりあえず離れて、鎮守隊に連絡してくれるかい? 専用の回線は後で教えるから」
「は、はい……!」
声をハモらせる二人に優音は満足げに頷いた。
「鎮守隊が町内を巡察しているといっても、昼も夜も町の隅々まで目を光らせるのは無理だからね。隠人本人にも邪と出遭った時の対応は身に着けてもらわなくちゃいけない。覚醒した隠人に基礎講習の受講を義務付けているのは、そういうことなんだ。だからって、そんなに難しいことをやるわけじゃない。真面目に講習を受ければ、邪に襲われても逃げられる程度の力と知識は身に着けられるから、安心して」
光咲と詩織は真剣そのものの表情で頷いた。
優音はチラリと壁の時計を見た。
「退屈な講義はこのくらいにしよう。今日の課題は霊気に慣れてもらうこと。土、水、火、金、木……、
「え? 先輩が先生じゃないんですか?」
「僕は代理なんだ。本当の担当の先生は急用があってね。二十分ほどで戻れるって言っていたから、そろそろ交代時間だ」
にこやかに話していた優音の眼が一瞬、鋭くなった。だが、すぐに元の涼しい顔つきに戻った。
「斎木君は僕と一緒に来てくれるかい?」
「オレ?」
「君は霊格がかなり高いからね。君が傍にいると、木の霊気が強すぎて、他の霊気が感じ取りづらくなるんだ。別の部屋でやってもらうよ」
「え? で、でも……」
「一緒に講習受けたいよね、お兄ちゃん……」
「しょーがねーよ。ちょっと行ってくる。二人とも頑張れよ」
戸惑った顔の光咲と詩織に手を振り、一真は優音に続いて部屋を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます