第二幕 春暁の前に

 薄暗い闇に赤光が走った。

 跳ね回っていた黒い影が十体、声もなく霧散していく。

 表情を動かすこともなく、望は赤く光る刀を大きく振るった。

 刀身から放たれた澄んだ火の気が澱んだ空気を祓い清めていく。

「これでよし、と」

 刀を収めて戦闘態勢を解き、ようやく少し笑みを浮かべた。薄紫に染まっていたパーカーが空色を取り戻す。

「終了しました。入ってください」

 外で待機している補佐に連絡を入れると数秒と待たずに結界が消え、補佐達が姿を現した。この包囲網に入る前よりも人数が少ないのは、邪の追跡中の補佐がいるということだ。

「お疲れ様です、組長」

 他の隊員を従えるようにして傍に来た青年が労った。補佐達をまとめる補佐頭ほさがしらの一人、関戸剛士せきど つよしだ。

「もう一件の包囲網はどうですか?」

「それが……、」

 歯切れの悪い返事と硬い表情に事情を察する。

「見失ったんですね?」

「申し訳ねぇ。沖野と千田が捜索しているが、難航しているようで……」

「桜並木のあたりでしたね。あの辺りは隠れる場所がいっぱいありますから、皆で探しましょうか」

「……まさかとは思うが、捜索するつもりか?」

「ええ。ちょうど手が空きましたし」

 さっそく邪気を探ろうとして、剛士を始め補佐達の霊気がやけに重いことに気づく。

「どうかしましたか?」

「組長は神社に戻って休憩を。捜索は俺達に任せてくれ」

「大丈夫ですよ。一緒に行ったほうが、すぐに鎮められて早く済みますし……」

「組長!」

 押さえているが怒気をはらんだ声が夜のアスファルトに響いた。

「え……と……、僕、何かしましたか?」

 記憶を辿ってみるが、この数日は特に思い当たることはない。

 勢い余って包囲網を破壊したこともなければ、屋根の上を走っているところを一般人に目撃されたこともないし、食事を忘れて貧血で座り込んでいるところを一般人に救助された記憶もない。

「アンタが積極的に何かやらかしたわけじゃねえから、考えてもわからんだろうぜ……」

 指示に忠実な補佐頭から厳しい「目付役」の顔になり、剛士は深々と溜息をついた。

「さっきので今夜は十八件目。昼間を合わせれば三十件目だ。俺達は夜と昼で交代するし、非番だってあるが、アンタは昼も夜も邪が出れば出動で、まともな非番の日なんざない……」

「それはしかたありませんよ。鎮守役、僕一人なんですから」

「開き直らんでくれ。だいたい、あの鏡面と戦って重傷負ってから、まだ三日だぞ? こういう時くらい休まねえと、いくらアンタでももたねえよ」

「でも、あの時の怪我はもう治ってますし……」

 剛士が言う通り、鏡面との戦いで負った傷はかなりの深手だった。だが、あの夜を境に落ち込んでいた霊気は急激に回復し、治癒力も復活している。病室で一真と話した時には、傷はほぼ完治していた。

 だが、剛士は怖い顔を更に怖くした。

「……伝令役がえらく心配されている。鏡面のせいで南組からの応援の話がなくなっちまったってのに鎮守役アンタが倒れたら、西組は壊滅だってわかってるか?」

「大げさだなあ。ねえ、みん……な?」

 しかし、補佐達から立ち上る霊気は望ではなく剛士に味方している。

「あ、あれ? 皆も関戸さんに賛成してたりする……?」

「……アンタなぁ。そんな青い顔して目の下にクマ作ってフラついてる奴が何言ったとこで説得力なんざあるわけねえだろが……。とにかく、今すぐ神社に戻って飯食って寝てろ……。包囲網ができたら言伝を飛ばす」

 凄んだ顔は、かつて「番長」と呼ばれていた頃の迫力そのままだ。

「えっと……、僕、そんなに顔色悪い?」

 助けを求めて補佐に声をかけると、全員が無言で頷いた。さすがに逆らえない空気だ。 

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えようかな……。休憩所にいますから包囲したら教えてください」

「ああ、そうしてくれ。行くぞ、皆」

 駆け出す隊員達を寂しい気分で見送り、葉守神社へと歩き始める。

(……そういえば、最後にちゃんとご飯食べたの……、いつだっけ……?)

 今日は時間がなかったから、口にしたのは飴だけだ。昨日も朝から他の町へ出動していて飴と水だけだった。一昨日も。

(あれ……? その前って、鏡面と戦った次の日だ……)

 鏡面との戦いで前日の包囲網が全部残っていたから、あの日は一日中走り回っていて、やはり食事を忘れた。

「あ……、そうだ、あれが最後だ……」

 一真の病室を出た後、松本医院の副院長から一真と詩織の退院の時期を相談された。あの時、勧められて食べた朝食のサンドイッチが最後にまともに食べた食事だった。

 

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