喪字

@himagari

第1話

 

 揺れる電車。


「……」


 走れば走るほどに遠ざかる距離と時間。

 失われた何かを思い浮かべても、流れる景色に消えていく。


 あれほど書いていたはずの文字が、今や言葉の一つも出てこない。

 君は一体どこに行ってしまったんだ。

 

「……」


 いつだった。

 いったい僕はいつからこんなにも君を想っていたんだ。


 君の言葉はいくらでも思い出せるのに。

 今だって、僕の手には君が連ねた文字列の世界が握られているというのに。

 君の世界を、いったいどれだけ楽しみにしていたというのだろう。


「……」


 思い出せない。

 あれほどに想っていた君を思い出せない。

 君の顔も、声も、仕草のひとつも思い出せない。

 

「……」


 だというのに。

 そうだというのに、いったいどうして文字だけは。

 文字だけが。

 

「……」


 君の綴った文字だけが僕の中を渦巻いて。

 僕の想いは、言葉は、身体は、君の文字でできている。

 そう思ってしまえるほどに、君の文字だけが僕の中に残っていた。


「……」


 いつの間にか上達した絵を描く力。

 君の言葉に塗り潰された言葉の代わりに、僕を表現したくて身につけた。

 けれど結局描くのは、君の描いた物語ばかり。


「……」


 だというのに、君は消えてしまった。

 いなくなってしまった。

 事故なんかで、あっさりと君は居なくなった。

 もう二度と、君が文字を紡ぐ事も、紡ぐ文字が世界を創る事もない。 


「……」


 僕は喪字だ。

 もう使われる事の無い、君の言の葉。

 けれど僕は自分が失われる事は怖くない。

 自分は既に消えてしまっていたから。

 怖かったのは、君の言葉が消えてしまうことだった。


「……」


 君がいなくなったなら、僕の終わりもここでいい。

 だから、最後に僕は描くことにした。

 君が残した喪字そのものが。

 君の言葉が消えないように。

 君が喪字にはならないように。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

喪字 @himagari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る