フレンチトースト

 夜明け前に、ぱちりとまぶたが開いた。

 せっかくの休日だというのに、布団をかぶり直しても、いやに寝付けない。


 そのうち二度寝入りへの挑戦も諦めて。

 身体は何かを求めるかのようにして、その上体を起こす。


 早く起きても、楽しみなんてないはずなのに。


 ――きっと、君のせいだ


 もうここにいない君を脳裏に描きながら、枕元のスマホを起動する。

 カメラロールをスワイプし、恋しくなった。


 君が作ってくれたフレンチトーストの写真を見つけてしまったから。







 あれは、初めて君とお泊りした日のこと。


「すごい料理だ」


「えっへん」


 君は料理の腕を自慢したいと、僕の家で豪勢なディナーを作ってくれた。


「うん、美味しい……!」


 さっそくいただくと、予想を超える美味しさに思わずうならされた。


「そ、そう。どれくらい?」


「三ツ星レストランも顔負け」


 とぼしい語彙力をフル稼働してひねり出した誉め言葉。

 対して君は「行ったことないくせに~」と、僕の背中を叩いた。


 君が照れているときの、お決まりの反応だった。


「ところで……デザートも、あったりする?」


 僕は高鳴る胸を抑えつつ、たずねた。

 君は僕の視線から何かを悟ったのか、赤らめた顔で聞き返す。


「……食べたい?」


「食べたい」


 僕の食い気味な反応に、君は目を伏せ、口をつぐんだ。

 引かれてしまっただろうかと、僕がうつむいていると。


「……じゃあ、準備するね」


 そう言って君は照れくさそうに微笑んだ。




 食後。入浴を終えた僕たちは、寝床に着く。

 仕掛けてきたのは、君からだった。


「緊張してる?」


 常夜灯が照らすうす暗闇の中、敏感になった僕の耳元で、君がささやいた。


「……うん、してる」


「ふふ。かわいい」


 君はそう言って、僕の身体をやわらかな感触でつつみこんだ。


「……いい?」遠慮がちに僕は問う。

 君は声もなく、こくりとうなずく。

 それから幾度かくちびるを重ね、君が言う。


「たーんと召し上がれ」


 布団の中で互いの鼓動がひとつになり、混ざり合うようなひと時だった。




 それから数時間後。

 まどろむ意識の中、君がなにか物音を立てていたことだけを、うっすらと覚えている。




「……ん」


 あいまいな意識が、夢の中まで漂ってきた美味しそうな香りで覚醒する。

 起き上がりキッチンに行くと、エプロン姿の君が目にとまった。


「あ、おはよう。起こしちゃった?」


 君は昨晩のことがウソみたいに、はつらつとした表情で挨拶してきた。


「お、おはよう。すごくいい匂いがしたから……」


 僕はどこか照れくさくなって、頭をかきながら挨拶を返した。


「ふふふ。デザートが食べたいって言ってたでしょ?」


「うん? デ、デザートは、もう食べたような……」


「夢でも見てたんじゃないの~? はい、どうぞ」


 もじもじしながら小首をかしげる僕をよそに、君はテーブルの上にそれを置いた。


「私特製、フレンチトーストでーす」


「うおお……!」


 黄金色のパン生地に、白くまばゆいホイップクリーム。

 ふんわりと漂うこうばしい匂いが、食欲を駆り立てる。


「やばい、めっちゃうまそう!」


 僕はごくりと喉を鳴らし、食いついた。


「おいひ~」


 あまりのおいしさに、体中の細胞が歓喜の声をあげているようだった。

 この時のために生きてきたのかもしれない、とすら思った。


「ふふ、ずいぶんとがっつくのね」


 僕の様子に君が微笑を浮かべる。


「……夜もそのくらい遠慮なく来てくれていいのに」


「ごふっ」


 君の言葉で昨夜のひと時を思い出し、羞恥に顔を染める僕だった。


 それからというもの、君は週末の度に腕を振るってくれた。

 休日の楽しみを思えば、平日も頑張れる。そんなハリのある毎日を君がくれた。

 日曜日の夕方に死にたくなっても、月曜日には生きる意味を取り戻して。


 僕はいつまでもそんな日々が続けばいいなと思っていた。







 けれど、どんなスイーツタイムにも終わりはつきものらしい。

 僕は今、夢から覚めて、君のいない現実を突きつけられている。

 甘いものを食べ終わった後に、ブラックコーヒーを飲んでいるみたいに。


 それでもあの頃を再現してみたくなって、見よう見まねでフレンチトーストを作ってみたんだ。


 けれどやっぱり、君の作ったものには遠く及ばない。

 僕はその理由を、レシピを調べた時に知ることになった。


 フレンチトーストは前日の夜から仕込みをすることで、よりおいしく、やわらかくなる。

 君は前日の夜から仕込みをしていて、よりおいしくなるように工夫をしていたのだ。


 ――あの時の物音は、君の愛情の表れだったのだろうか


 今はもう確かめようがない妄想を、コーヒーで喉の奥に流し込んだ。

 

 苦味で上書きできなかったフレンチトーストの甘さが、今もまだ、口の中に残っている。



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