プラネタリウム

 夜道、しばらく車を走らせていると。

 道路脇から人工物の影がなくなり、閑散としていった。


 目的地までもうすぐ。


 今日こそ見に行くんだ。

 あのとき君と見るはずだった、満天の星空を。






「はー、今日に限ってかあ」


「ここ最近、晴れてたからイケると思ったんだけどなあ」


 僕の家の玄関先。

 君と二人、そろってため息をつく。


『晴れていたら、星を見に行こう』


 あの日、そんな僕の提案から始まった天体観測の計画は。

 予報ハズレの厚い雲にはばまれてしまった。


「とりあえず、晩酌でもしよう」


「そだね」


 僕らは仕方なく、お家デートに予定を切り替えた。

 せめてもの慰めに、と、コンビニで色々と買い込んで。


「まあ、言うてほろよいですけれど」


「いつも通りだよね」


 そう言ってふふっ、と笑いあう。


「あ、そうだ」


 僕はやるべきことを思い出し、「お風呂、先にどうぞ」と君にうながした。


「いいの? 長くなるよ」


「いいの、いいの。むしろゆっくりしてくれた方がいい」


「? 分かった。じゃ、お言葉に甘えて」


 少し不思議がる君を見送って。

 僕はおしいれに隠していたそいつを取り出し、準備を始めた。




「わあ……」


 住みなれた部屋に広がった星空。

 それを見た君の反応に、思わず僕は得意げになる。


「けっこう良いでしょ、ピンホール式だけどさ」


「なにかあるかと思ったけど、まさか、こんな気の利いたことをするとはね……」


「プランBってやつだよ」


 僕が言うプランBとは、すなわち。

 手作りのプラネタリウムのことである。


 悪天候に備えて、事前に用意していたのだ。

 

「準備してくれて、ありがとう。すっごく、すてきだね」


 君はほろよいをちびりと飲みながら、人工の星を見上げていた。


「喜んでくれてうれしいよ」


 僕もほろよいのプルタブを手前に引くと、ぷしゅり、とせまい星空に音がひびいた。


「なんか、うけるね」


「だね」


 ほろよい気分で見上げる夜空。

 めったなことでは味わえない贅沢だろう。


「……そういえば、星の光ってのはさ、」


「うん」


「地球に届いているのは、ずっと昔の光なんだ」


 僕は天井にうかぶ、人工の星のひとつを指さして言った。


「だから、あそこに光って見える星も、今はもう無いかもしれない。……だから何? って話なんだけどね」


「……」


 僕が雑学を披露すると、君は、僕の手をぎゅっと握ってきた。


「どしたの?」


「なんか、切ないなって」


 そう言って君は、ぐすん、と涙ぐんだ。


 君は普段から泣き虫で。

 さらには泣き上戸で、お酒を飲むと本当にすぐ泣いていた。


 そんなふうに、すぐに泣いちゃう君が。

 僕は、たまらなく愛おしかった。


「言われてみれば、そうだね……」


 そして僕も、君に引っ張られるように感傷的になった。


「今は当たり前のようにある星が、明日には消えてなくなってしまっていたら」


 そう考えると、今君と手をつなぐこの瞬間が、奇跡のように思えて。

 たまらなくなって、胸がぎゅっとしめつけられた。


「……いつか、見えなくなった星は、誰からも忘れ去られてしまうのだろうか」


 ひとりごとのようにぽつりと漏れた僕の言葉を、君は大事にすくい取った。


「私は、忘れないよ? あなたのこと」


 君は星空に響き渡る声で、言った。

 

「離れ離れになって、見えなくなったって、覚えてるんだから」


「あはは……じゃあ、僕も覚えとく」


「じゃあ、ってなによー」


 そう言って君は、僕の手を離すと、ぽかぽかと僕の肩をたたいた。

 涙ぐんだ表情から、じょうだんめかしたふくれっ面にはやがわりして。


 だから僕は、もっと君のいろんな顔が見たくなって、うそぶいた。


「あ、あそこ! 流れ星!!」


 天井の適当な場所を指さして、叫ぶ。


「えっ!?」


 君はあわてて星空を見つめる。すると、


「あ、ホントだ。流星群じゃん!!」


 などと言い出して、瞳をきらきらとさせた。


 もちろん、流れ星も流星群もない。

 そんな天体現象まで、安物のプラネタリウムでは再現できないから。


 でも、本当に流れていたらいいな、と思ったから。

 僕がはじめた茶番に、最後まで付き合わせることにした。


「……何してるの?」


「願い事だよ」


 僕は目を閉じ、両手を組んで願う。


「何を願うの?」


「さあね」


 その後、「教えろー」と言って君はしつこかった。

 けれど、君はお酒に弱いから、気付いたときにはすっかり眠ってしまっていたね。


「……おやすみ」


 僕は君を起こさないようにゆっくり布団をかけた。

 それから人工の夜空を見上げ、願った。


 こんな幸せが、ずっと続きますように。






 けれど、願いは叶わなかった。


 今は一人、君と来るはずだった目的地へとたどり着くと。


 そこで出迎えてくれたのは、満天の星空。


 これが本物か、と、心の中だけでつぶやく。

 口に出して感動を共有してくれる人は、もう、となりにいないから。


「……」


 広大な夜空のカーテン一面に散りばめられた星々は、まちがいなく美しい。

 けれど、あの日、僕らをつつみこむようにして広がった星空とは、どこか違う。


 無尽蔵にひろがる宇宙空間に、ほっぽりだされてしまったような。

 そんな寂しさすら感じさせられてしまう――


 冷たい、虚無だ。


「!」


 ふと、視界の端を流星がよぎった。


「っ、また」


 今度はたしかに、僕の目に映っていて。

 僕は無性にあの日の君の言葉を思い出していた。


『私は、忘れないよ』


「僕も、覚えてる……」


 僕は両手を組み、夜空に祈る。


 すぐに涙ぐんでしまう君が、優しい君が。


 今もどこかで幸せでありますように、と。

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