第1話 片翼の姫の輿入れ

「俺は天使の姫なんぞ絶対に娶らんと言っているだろう」


魔王城の広間、磨きあげられた玉座に乱暴に腰掛けた若き魔王シリウスは、鬱陶しそうにそう告げた。何度目の拒絶かは解らないが、側近はもう決まったことです、と繰り返す。


「この俺の言うことが聞けんのか」

「戦争を終結させる和議の際に、シリウス様も同意なされたこと。今更ひっくり返せますまい」

「あの和議での俺はどうかしていた。条約さえ結べば、結婚などする必要はないではないか」


すぐ傍に設えてあったチェス盤の駒を指先で弾き飛ばし、シリウスは嘆息をつく。


闇から誂えたような黒髪。よく磨かれた宝石の如く紅い瞳。全身は隙のない黒の装いで、全く着飾りもしない。


そんな男の前に……そう、これから夫とする男の前に礼節正しく跪いている白い豪奢なドレスの少女がいた。


金色の糸を紡いだような長い髪。海を模したかのような青い瞳。肌は緊張のためか蒼白で、小さく震えているのがシリウスにも感じられた。


「おい、女」

「り、リリアナと申します。どうぞリリーとお呼びください……陛下」

「名乗るだけの度胸はあるか。聞こえていただろうが、俺はこの婚姻に反対する」

「な、なぜでございましょう」

「何故なら」


座る時と同じくらい無造作に立ち上がり、コツコツと大理石の床を鳴らし、黒の装いの魔王は白のドレスの姫に近づく。

そのおとがいを指にかけ、顔をあげさせた。


「前代未聞というやつが俺は大嫌いだからだ」


リリーの視界いっぱいに、恐ろしいほど美しい相貌が広がり、彼女はとりつかれたように凍り付いた。魅入ってしまったのだ、玲瓏たる紅い月の魔王と称される男に。


思わず言葉がこぼれ落ちる。


「お美しいかた、ですね……陛下は。まるで宝石のような瞳をしていらっしゃいます。羨ましい、です……」

「シリウスだ。世辞はいらん」

「わ、わたしは、嘘はつきません……!」

「ほう?そうか、リリー。お前も見目は麗しいぞ。その胸中にどんな思惑を抱いて入城したかは知らんが、な」


するりと頬を撫でられると、背筋がぞくぞくと疼いた。はじめての感覚にリリーは戸惑い、そして無意識に畳んでいた片翼を広げていた。


純白の穢れなき片翼を。リリーの、たったひとつの翼を。


「……もう片方の翼はどうした」

「えっ?あっ、その、お見苦しいものを、ごめんなさ……」

「もう片翼を見せろ」

「……ございません」

「なんだと?」


訝しがるシリウスに、リリーは睫毛を伏せる。いずれわかることではあったが、輿入れ初日に告白することになるとは。


「生まれつき……です。わたしには、天使の証としての翼が、片方しか無いのです」


それはリリーが6人の姉たちや父に疎んじられてきた理由のひとつだった。片翼の天使など飛ぶこともできず、天使とすら名乗れないではないかと嘲られてきた。


未熟者、半端者、異端者。


致し方のないことだと、項垂れてそれらの言葉を受け入れて生きてきたのだ。


しかし。


シリウスは口許に薄らと笑みを浮かべていた。けれどそれは嘲笑ではなく、楽しげにさえ捉えられる表情で。


「ならば大御神がお前を俺の元へ寄越した理由がよくわかったよ」

「?それは、一体……」

「見せてやろう」


シリウスは漆黒のマントを床に落とすと、翼を広げた。闇夜より切り取られたような、“片翼”を。


「俺は片翼の魔王、シリウス・ジェットだ。……お前のように生まれつきではないが、“似合いの二人”ということだろう。暫く城に置いてやる。面白いものを披露してくれた礼にな」


驚きのあまり固まるリリーに、シリウスは冷笑してみせた。


「前代未聞というやつに興がひかれた。俺の傍に置いてやる……ほんの暫くの間は」


酷薄さの滲む声に、リリーは小刻みに震えずにはいられなかった。


自分は魔王への贄にされたようなものなのだ、とようやく知って。

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不肖の天使は玲瓏たる魔王の妃となる~戸惑う姫は彼に溺愛される~ 帆立ししゃも @hotate102

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