第21話【エピローグ】



 蓮の花に座るというのは、如何なものかと思う。蓮だって生きているし、別に座って欲しい為に花を咲かせる訳でもない。じゃあなんで蓮の花の上に座るのかというと、端的に「そこに座りやすい花があったから」だとしか思えない。

 そう思って、そう言った事がある。



 ――驚いた。そういう事を疑問に思えるのだな。



 エスタとは、その時はまだ名付けられていない。だが――あまり問題にもならない。その場に居るのは、小さな自分と、大きな存在。それだけだからだ。



 ――何故、疑問に思う。そこに在るという事は、その事に意味があるという事だ。



 だが、エスタの考え方は違う。



 「では、生まれた時から役目は決まっているのか?」



 すると、大きな存在はむう、と唸った。それは大きな存在としても――自分でも不思議だと思える行動だった。



 ――なるほど。私などは、在るものは『在るもの』として認識する。だが……どうやら君は、違うらしい。これは、僥倖という事か。



 大きな存在は、どこか嬉しそうだ。エスタは、疑問が止まらない。



 「何故?」



 エスタという存在は、不可思議かつ不合理かつ――存在に意味が無い。人が造りし義体アヴァターラに、神の魂が宿る。その様な事柄に意味があり得るのだろうか。だからこそ、疑問に思う。



 ――なるほど。だから……君は、私とは違う見方が出来る。太陽を見た時に、それを『太陽』とだけ見るのか、見方を変えて『朝日』、『日差し』、『日没』と見るのか。私には、それは出来ない。在るモノを、在るモノとしか認識できない故に、ね。



 大きな存在の言っている事は、判り辛い。そして今回はとびきりだと、エスタ。だが、大きな存在は、抑揚も無く語るのみだが。それでもその言葉には、熱が篭っている様に聞こえた。



――ならば、それが『意味』なのだろう。君という存在がこの世に在る、理由なのだろう。神とは、見方の違いだけだ。そこに在る事に意味があったとしても、その理由までは分からない。そもそも、そんなモノがあるのかも疑わしい。だからこそ、思考とは無為であり――無為である事を理解する為に行う作業でもある。



 エスタの顔は、何一つ変わらない。変わる必要を、感じていないからだ。



 「……わからない」



 ただ、ぽつりと呟く。しかし、大きな存在は得心がいった様だった。



 ――君が生まれたのは、或いは偶然だ。だが、偶然にも、その場に偶像があった。そして、今の問答……これは、偶然ではない。必然だろう。

 君を、私の『顕現者アヴァターラ』としよう。どうか、見て来て欲しい――世界を。そして、教えて欲しい。



 しばし、エスタは待った。それが命令であれば、何らの問題はない。エスタが待っていたのは――たった一つの事象。「何を?」という事柄だけだ。

 しかして、大きな存在はこう言うのみだった。



 ――それは、君が見定めてくれ。



 こうして、エスタは――不可思議な道程を経て、エドの元に来る事になるのである。





 暗闇の中――だと思う。

 どうやら死んだのか、と一瞬思い。身体の節々に痛みを感じて、死んだにしては優しくないな、と思い直し。瞼に力を入れ、強引に開く――すると、そこには星空が広がっていた。



 「おう、起きたか」



 少し離れた場所で、焚火。その灯りに照らされて、巨漢――トリガーだ。トリガーはどこから拾ってきたのか、枯れ枝を焚火に足していく。



 「義体とは大したものだ。上半身だけでも残れば、生存が可能だ。アライヴ、運が良かったな」



 見れば、自分の下半身は消し炭になっていた。その程度で済んだだけで、マシだという事か。いや――そんな訳があるか。あの攻撃が直撃して、全身消し炭になっていない事の方がおかしいのだ。

 その疑問に答える様に、トリガーは親指で指し示す。そこにはトリガーの造っていた避雷針があった。



 「あれを使って、エネルギーを地面の下に向かわせた。爆発をしたのは、お前達の足元の地面さ。それでも衝撃を抗し切る事は難しかったがな」



 終末の獣(ルドラ)が発射したエネルギーは、元は電気だ。それならば誘導体があれば、流れはそちらに向かうだろう。それでも、ギリギリの状況には違いなかったが。大きく息を吸い、吐いて――納得したアライヴは、もう一度大きく息を吐き、聞かなければならない事を聞いた。



 「……プリスは?」



 ぱちん、と枝が爆ぜる。トリガーは黙って枝を折り、火にくべて――口を開く。アライヴはその様子を見て、覚悟を決めたかの様に、口を結び。そして、トリガーが口を開く。



 「おい、プリス。お前の勝ちだ。アライヴは真っ先にお前の事を聞いてきたぞ」

 「ば、馬鹿! トリガー喋るな! ここで大将の弱点をだな⁉」

 「ちょっと、折角良い所だったのに! なんで喋るのよ――あ」



 どうやら、ここにはトリガーとアライヴ以外に、結構人が居るらしい。



 「おい……?」



 アライヴが、珍しい声音を出す。トリガーが何でもなさそうに、二人を引き出した。プリスは下半身が消失しており、チャックは左半身が消えてなくなっていたが。



 「だから、義体とは大したものだと言ったのだ。背中にあるアニマ=スフィアとの通信システムさえ壊れなければ、後は本人の持ちよう、という事さ。勿論処置をしなければ三日と持たないだろうがな」



 見れば、トリガーの腰に、二人の義体が括りつけられている。喋る鞄とは、これ如何に。見ようによっては凄惨な光景である。その様子をアライヴに見せながら、トリガーが続ける。



 「無論、本人の資質が有っての事だ。死を望むモノに、この結果は訪れん。死んで楽になるよりも、生きて地獄を見た方が良い――そういうモノだけが、こういう目に遭うのさ」

 「なんかさも悪い様に言ってねぇ? トリガーのとっつあん」

 「そりゃあね? 生きたいとは思ってますけどね? でもね――なんでトリガーの腰に括りつけられなきゃならない訳⁉ もう少し扱いをね⁉」



 一気に状況が騒がしくなる。アライヴは開いた口が塞がらない。だが、閉じようとしても、こらえきれない笑い声が出て来るばかりだ。

 ひとしきり大笑いして、夜空を見上げ――ふう、と溜息を付き。アライヴは、トリガーに頼む。



 「出来れば、当方は背負ってもらえないかな?」



 という訳で。トリガーが何処からか探してきた背負い籠に、三人は放り込まれ。しばらく経った後、ファスも同じ様に拾われ。人権がどうだ、とか。尊厳がこうだ、とか。ありとあらゆる罵詈雑言が生産される籠を、トリガーはうっそりと担ぎ続け。

 ――そして彼等は何とか、首都セントラルに帰還出来たのである。トラウマは残ったが。





 エスタが再び目覚めたのは、終末の獣を討伐してから――かなりの時を必要としていた。



 「ん……」



 瞳を開く力ですら、ままならない。薄目を開ければ、木で造られた天井。これは自分の、エドの家の天井だったか。いや、違う――ここはどこ。そう言おうとして。



 「おや、起きたか」



 男性っぽい声。それは別に驚かない。敵意も感じないし、そもそもこの状況では――自分を介抱してくれていたヒトなのだろうし。それは別にわかるし、驚かない。しかして、思い切り驚いたのは――自分を覗き込んできた存在が、骸骨だったからに他ならない。



 「――――!⁉」



 声にならない悲鳴というモノは、ある。それをエスタは実感していた。身体が動くかどうか、確認する余裕も無く、動く所を必死で動かして部屋の端まで動く。それはどう考えても不格好かつ、惨たらしい移動方法であった。



 「な……な……⁉」



 骸骨と、距離を取る。それはどう見ても骸骨で、骸骨としか言い様が無い。なんだか和服っぽい物を着ているが、紛れも無く骸骨である。エスタの拙い知識を持ってしても、それが動くというのはホラーもの以外ありえない。じゃあどうなんだとか、じゃあどうするとか、エスタの脳裏ではパニックが起こっているのだが。

 そんなエスタに追い打ちをかける様に、エスタが何とか確保した部屋の端、そこのふすまが開き。

不思議そうな顔をしたアヤが入ってくる。そして、見るなり。



 「……何しているの。エスタ、父さん」



 そう冷静な顔でいうモノだから。エスタは完全に硬直した。





 「……つまり?」



 エスタは、生まれてから今に至るまでの知識を総動員する。どう考えても初めての事例なのだが、さりとてそういう思考実験はやっておいた方が良いとか何とか。まず理解したのは、ここは首都セントラルにある、アヤの家。しかし――目の前の骸骨は何なんだ。とりあえず襲って来るような相手ではない。が、しかして――理解出来るかというと、どう考えてもそうではない。しかし諦めて溜息を付くと、アヤに向き直る。



 「……お父さん⁉」

 「そう、よく似てるでしょ」



 真顔。真顔である。エスタの表情は、何とも言えない代物になりつつあるが。



 「ほら、目の色とか」

 「確かに両方とも青い目はしているけどね⁉」



 骸骨の奥には、青い光がある。不気味な事この上ないが。それを青い目……いや、どうなんだ。



 「うむ、アヤを幼い頃から育てたのはこの私である」

 「はい、お世話になりました」



 朗々と、骸骨とアヤ。対する(?)エスタは。



「…………そうなんですか」



 と、いうのがやっとである。しかして、エスタもようやくその事実に辿り着く。学校に通っていた時、アヤという生徒を一度も見かけたことが無かったのだ。ほぼ同世代なのに。



 「ああ、それ? 父さんが学校の手続きをしに行ったら、何か襲われたんだって。『こんな物騒な所に大事な娘をやれるか!』って訳で、私は父さんに色々教わったのよ」

 「へー……そ、そう……ぶっそうだったんだね……」



 もはや棒読みである。この場合どちらが恐怖を感じたのか、論拠の必要も無いだろう。じゃあなんで自警団ヴィジランテをやっていたんだ、と聞くと。



 「ほら、父さんと家の外で武道の修練をやっていたのよ。そうしたら何故か自警団に誘われちゃってね。父さんからも『実戦経験は武道家の基本』って言われたから……」

 「……納得できるのが、何なんだか……」



 で、エスタは深呼吸をして――己の義体が直されている事を改めて認識する。



 「エドだっけ? 貴方のお父さんが、直しに来てくれているのよ」

 「うむ。エドとは古い付き合い故にな」

 「そうなんだ……知らなかったよ……」



 まさか自分の家、すぐ近くに。こんな異空間の様な場所が有るとは。「義体なのだから、別に人相風体に拘る必要もあるまい」と言われれば、納得も出来る――いや、どうなんだという一筋の苦悩はあるのだが。

 とはいえ。エドと知り合いという事は。そうなると、エスタは確認しなけらばならない。



 「そうすると……エドは何時頃来るの?」

 「ん? 何時もだとそろそろだが」

 「あ、もうそんな時間?」



 その言葉が、引き金になった訳では無いだろうが。きんこーんと古臭いインターホンの音が響き、がらりと扉が開く音がして。



 「おい、入るぞ」



 エドの声がして。エスタは我知らず身構えていた。どうしても、伝えなければならない事があるからだ。





 「どうした、エスタ」



 二人だけで話がしたい――そう、エスタが伝えると。部屋にはエスタとエドの二人だけになっていた。エドはどっかと、畳に座り。エスタは所在無げに座るのみだ。



 「あのさ……」

 「なんだ」



 言わなければ、ならない――エスタはそう考えている。本当の意味でのエドの娘は、エスタが殺したのだと。それは、信義の問題だろうから。だが、中々切り出せない。



 「…………」



 エスタが黙りこくってしまうのを、エドはそうは見た事はない。ならばこれは、エスタにとって言い辛い話題なのだろうと、エドも察する。そうなれば、それは――エドにも予想が付く。



 「終末の獣は、俺の本当の娘だった……そんな所か」



 ぴくりと、エスタ。エドは核心を付いていた。そして、その結果も。エスタはおそるおそる、エドの顔を見る。エドの顔は普段と同じ、仏頂面だ。



 「別に、知らなかった訳じゃない」



 淡々と、エド。それは、エスタの事を想っての事か、それとも。



 「……オイラは、エドの仇じゃないの?」



 確認は、しなければ。それは、エスタにとっても勇気のいる事である。しばし、沈黙があり――しかして、エドが口を開く。



 「仇だとか、敵だとか――そんな考え方は、遥か昔に捨て去ったよ。今の俺は、抜け殻のようなものさ」



 ちらりと、上目遣いにエスタ。エドの顔には、怒りも悲しみも無かった。ただ、寂寥感があるだけだ。



「己に何かが出来るはずだ……そんな救いに縋りついた結果が、今の状態なのならば。悔やむのも、裁かれるのも――終末の獣(ルドラ)や、ましてやエスタ。お前達じゃない筈だ」



 人が、人を。

 救うと。

 救おうと。

 或いは、助けようと――でも、それは。



 「勝手な事さ。勝手な思い込みさ。そいつが本当に助けて欲しいのか、だなんて。理解してやるっていうのは、上からの思い込みって事もある。本当の意味で、人は人を理解できない。相手がどう思っているかなんて、って言うのは……おこがましい話なんだよ」



 娘を、助けたいと思っても。

 出来ない事を、やろうとしても。

 どうやっても出来ないと理解してしまった時は、どうすれば良い?

 挫折という行為は、或いは救いだ。出来ないという事を理解するというのは、福音でもある。

 そして――成り代わり、出来るモノが現れたとしたら。それに縋るのは、傲慢ではないのか――そうも思うのだ。良く言っても、良いとこ取りというだけの話だ。

 エスタには、そうした機微まではわからない。それは、エドも理解している。そして、分かってもらおうとも思わない。だから、こう言うしかないのだ。



 「お前は――ここで、歩みを止めるんじゃない。お前は『見て来てくれ』って言われてるんじゃないのか」



 エスタの顔が、真っすぐにエドに向けられる。エドは続ける。



 「お前に渡した風の靴は、特別製でな。どこまでだって飛んでいける様に作ってある。だから、見て来いよ。広い世界を――この世の果てを」

 「…………」



 エスタの顔には、困惑がある。頷いて良いのかどうか、ではない。本当にそんな事をしても良いのか、でもない。ただ――憧れ。それがあった。



「そして……いつか教えてくれ。そこで見た、お前が伝えておきたいものを。お前がこの世に在る理由は、お前だけのモノの筈だろう」



 そして、エドは黙った。言うべき事は言ったと判断したのだ。

 エスタはしばらく黙りこくり。

 言葉が沈み込むまで。エスタの身体に染み込むまで、時間が掛かった。

 しばしの後――エスタは、こう言った。



 「……わかった。行くよ、オイラ」



 静かに、決然と。人生の目的を、見出した者として。





 それは、日常の端に在る光景で。



 「――行ってきます」



 暗い声でも、明るい声でもなく。ベッドを綺麗に整頓し、ぬいぐるみ達を定位置において。それから、語られる挨拶。

 エドは既に仕事に出たのか、エスタは鍵を掛けて、自宅を出る。

 首都セントラルは地下の街だから、時間の経過は空に設置された照明で調整される。今は朝の時間帯だから、ほどほどの明るさだ。夜は灯りを付けていないから空気が肌寒く冷えており、朝靄が出る様な独特の空気が表現されている。



 「寒……」



 外は――首都セントラル、ダウンタウンの『日常』は何も変わらず。学校に行く者、仕事に行く者、そして――自分。足を踏み出し、歩む。

 隣の家にある植え込みも、近くにあるコンビニエンスストアも。或いは、誰も住まなくなった廃屋も。何もかも、変わらない。いや――わずかずつ、変わっているのだ。いつか終わるけど、緩やかに流れる『日常』の中で。



 「今日は、あっちを通ってみよう」



 エスタは、思いつくままに道筋を変える。そっちのルートは小さな川があり、小さな橋があり。特に変哲もない、住宅街の道筋だけど。だけど、ほんの少し気分が変わる。小川に水が流れ、そこに日差しが差し込み――波打つような光沢が、そこにはあった。それを何となく眺め、エスタはしかし、歩みを止めず。



 「……丁度、学校の始まる時間か……」



 ふと、遠くを見れば。学校の校門に走り込んでいる生徒達の姿。彼等は彼女達は、何歳なのだろう。果たしていつまで、ああして学徒なのだろう。他人事の様に、或いは遠い国の様に、エスタはただ、その光景を眺める。



 「少し、のんびりしすぎたかな」



 時計を確認して、少しだけ歩みを速める。待ち合わせをしているのだ、遅れては申し訳ない。スーパーの前を通り、路上駐車している車の脇を通り過ぎ。商店街を抜けていくと、そこに駅がある。地上――港湾施設に繋がっている電車だ。そこに、待ち合わせの人物が居た。



 「エスタ」



 片手を上げて、アヤ。エスタも手を上げて、挨拶をする。



 「アヤ。遅くなってごめん」

 「謝る程遅れてもいないよ」



 それは、『日常』の光景。誰もが変わらぬ、通り過ぎる光景。

 ――だが。そこに、どれだけの奇跡があったのだろうか。



 「…………」



 エスタは、何となく歩んできた道を、見直す。

 足元を支えるアスファルトは、何度も何度も造り直され、水捌けの良い素材になり。また、水が抜けていくように改良に改良を重ねられ。

壁となるブロック塀は、紙一枚入る隙間も無い程、綺麗に敷き詰められ。

小川には藻が大量発生しないように、水の流れが寄り過ぎないように均一に整備され。

 どれもこれも、一日二日で辿り着いたものでは無い。先人が、何度も何度も試行錯誤して、ようやく辿り着いた『正解に程近い場所』ではないのか。

 それら、小さな奇跡に彩られた生活を――進歩、或いは進化というのではないのだろうか。

 エスタは、しかし前に向き直り。アヤと共に電車に乗り込む。

 地上――港湾施設に向かう為に。





 〈――それではここで、終末の獣を倒した立役者、アライヴさんに登壇していただきましょう〉



 電車に乗り込むと、社内のモニタに、アライヴが映っていた。どうやら終末の獣を倒した立役者は、アライヴという事になったらしい。苦虫を嚙み潰した様なアライヴを見て、エスタとアヤは顔を見合わせ、くすくすと笑う。「アレ絶対嫌だと思ってるよ」「そうだろうね」と言いながら。



 〈アライヴです。この度は、過分なご紹介をいただき、申し訳ありません。というのも――当方としては、終末の獣を倒したのは、当方の手柄に帰結する、とはどうしても思えないからです〉

 〈と、申しますと?〉

 〈終末の獣と戦ったのは、前線の兵士達だけではありません。この映像を見ている皆様、首都セントラルにて生活をしつつ、前線への支持、補給をして下さった皆様――皆の力で、終末の獣は撃退出来たのです。それを当方の手柄などと――ひけらかす事は、出来ません〉



 それは、打ち合わせなど無かったのだろう。映像の向こうは、明らかに動揺している様子だった。

 アライヴは続ける。



 〈失われた同僚、仲間達――皆が皆、死力を尽くしたのです。当方はたまたま生き残っただけの事。褒められる謂れはありません〉

 〈……そうですね。沢山の犠牲がありました。北部前線基地は壊滅的な打撃を受け、駐留していた兵員、装備も大半が損壊。生き残った兵士達も、今も治療を続けなければならない状態です。ですが……だからこそ。我々は勝利を喜ぶべきだと、思うのです〉



 アライヴの向かいに座る、記者も揺るがない。アライヴの前に出るだけの胆力は備えていると言うべきか。アライヴは反論されるとは思っていなかったらしく、怯んだ様子だったが。深呼吸をして、向き直る。



 〈ならば、感謝を申し上げたい〉

 〈……感謝、ですか〉

 〈はい。この戦いは、皆の力で勝ち取ったものであります。前線で戦った兵士達。そして、支えて下さった首都セントラル以下、全ての皆様方。そして――今も還らぬ、勇者達。それらの方々に、ただ、感謝を述べさせていただきたい。それを持って当方は、回答に代えさせていただきます〉



 映像の中のアライヴは、揺るぎも無く。

 エスタとアヤは、顔を見合わせ。



 「今も還らぬ勇者達って……」

 「オイラ達の事じゃ……無いよね?」



 ――電車はそのまま、進んでいき。

 地上は港湾施設駅に、到着していた。





 空は――どこまでも蒼く。

 風は――真っすぐに、或いは波打つ様に吹き抜けていく。

 それらを一身に浴び、エスタとアヤはようやく晴れやかに笑う。



 「良い風……!」

 「ほんと、これならしっかり飛べるね!」



 エスタとアヤは――二人で決めた事だが――今日、首都セントラルを旅立つ。向かう先は、きちんと決めてはいなかったが。



 「とりあえず世界の果てって見たくない?」

 「んじゃ、行ってみる?」



 ……やたらと軽いノリである。だが、それで良いのだろうとエスタは思う。



 「だって、世界は奇跡で満ちている。誰もが、それを奇跡だと知っていても。その場に在る事を、疑いもしない。これこそが本当にすごい事なんだと、思うんだよね」

 「そうなのかしら、ね。ボケてるだけっていう気もするけど」

 「さあ、ね」



 旅の装備は、バックパックに沢山放り込んで来た。勿論、これで首都セントラルにはもう帰らないという事でもなく。



 「とりあえず行くだけ行って、見て帰ってこようよ」

 「物見遊山だよね、コレ。まあ、いっか。私も見てみたいし、ね」



 風の靴に、意識を向ける。それは、エスタとアヤを空に導くエネルギー。



 「さあ、行こうよ――アヤ!」

 「うん!」



 二人の姿は、まるで鳥の様に。

 誰も見送りも無く。二人は、旅立っていく。いや、見送りは二人ほど居たけれど。彼らは娘達の決めた事を、何一つ否定せず。



 「目指すは――世界の端!」



 エスタとアヤが、蒼穹の空をまで上がっていく――白い雲が、手の届く距離まで。





 「……ん?」



 アライヴは、プリスの手を取って歩いていた。隣にいるプリスは必死の形相――つまり、歩行訓練である。片手を手摺りに、もう片手をアライヴに掴んで貰って。プリスは懸命に体を動かそうとしていた。



 「ちょ……ちょっと、アライヴ、こっちに集中してよ⁉ 足を動かすのが痛くって……!」

 「ああ、申し訳ない」



 義体を換装する時は、神経系に痛みを伴う。痛みとは、そもそも体の不調や好調を知らせる信号器官だ。で、まあ義体を換装すれば、次はそうした信号を上手く受け止めなければならない訳で。



 「アライヴはこういう訓練してなかったよね⁉」

 「ん? いや、今も痛いぞ」

 「どういう事⁉」



 下半身全体をアライヴとプリスは換装しているので、痛みは同じ様なモノの筈なのだが。片方は特に表情にも出さずテレビ出演してインタビューまで受けて。もう片方は「歩かないと寝たきりになりますよ」と脅されてリハビリ中。この差はどうなのよ、とはプリス談。言いたい事は色々あるが、しかし。プリスはやはり、アライヴの事が気になるのである。



 「何かあった?」

 「ん?」

 「さっき余所見、したでしょ」



 目ざといな、とアライヴ。プリスはくす、と笑って見せる。溜息を付いて、観念した様子で、アライヴ。



 「いや。知っている音……というか。空を飛んでいったな――そう思ったんだよ」

 「…………?」



 懐かしそうに、アライヴ。プリスは窓から外を覗いてみるが、そこには何も――飛行機雲が二筋、あるだけだった。





 アライヴ一行が収容された病院施設は、港湾施設に存在する。病院施設は大きく二か所存在しており、首都セントラル中央に存在する大病院と、港湾施設に存在する救急病院だ。で、設備やシステム、規模は明らかに中央にある大病院の方に軍配が上がる。

 その上で――何故にアライヴ達の様な重症患者たちが軒並みこちらの救急病院に収容されたのかというと。



 「もしも中央で何かしでかしたら、今度こそあーし達の首が危ういわ」



 という、余りにも真っ当な意見があったからである。そしてそのプリスの言は、特務大隊のみならず、軍司令部及び中枢にも共有されていた。悪名とは千里を走るモノである。

 そして、それは懸念でも何でもなく。経験則に基づく事実であった。



 「ほい、俺の勝ちだ」



 カードゲームにおいて、動体視力が何の役に立つんだという意見があったとして。勿論、カードの動きを見据える事は重要だが、実際に見なければならないのは相手のペースであり、仕草などだ。そうしたモノを見据えるのも動体視力なのである。剣豪とは、相手のほんの少しの動きから全体を把握するモノなのだ。

 そうかと言っても、七割は運とハッタリ。そしてそれは、チャックの十八番でもある。



 「くそっ⁉ また総取りだと⁉」

 「悪いな、病み上がりだから稼がなきゃなぁ!」



 場末のバー、奥の奥。申し訳程度のテーブルが置かれ、その上で行うギャンブル。当然許可なども無く、双方合意の上での事だ。だから――実際は何でも有り、になる。三凶の中でもかなりマシな部類のチャックではあるが、そこはそれ。この程度はやはり、普通にやってしまう。



 「やってられっか! このいかさま野郎! 俺は降りるぞ!」



 そう言って、自分のチップを仕舞おうとするチャックの相手。しかし、チャックとてそれを許す訳も無い。



 「おいおい、負け越したのはアンタの実力だぜ? 勝ち負けは時の運、払うもんは払って行けよ?」



 顔を真っ赤にした男に、チャック。完全に煽る口調だ。当然、次の行動は――これはチャックも予想していなかったが、チップを投げ付け、一気に殴りに来る。思い切りいいな、とはチャック。

 だが。



 「良い動きだ、けどなぁ⁉」



 座った体勢で足を動かし、相手のくるぶしを蹴る。これで相手は転倒する。そして――で、その先。チャックはまだリハビリ中だという事を忘れていた。身体を捻って、躱す――その動作が出来なかった。その結果。



 「……って、おい⁉」



 チャックの顔面に、男の拳が叩き込まれる。というより、チャックが自ずからそうしてしまったというか。期せずして大勝利してしまった男は、そのまま即座に逃げ出す。騒ぎを起こしたからには、早急に退場する必要がある。ここまで生き残って来ている人材は、そういう事に長けている。



 「おい、てめぇ……待ちやがれ⁉」

 「そう言われて待つ馬鹿が居るかよ!」



 ごもっとも。

 チャックは情けなくも鼻血を抑えつつ、天井を見やる。やはり義体は本調子ではなく、横になると楽になる。これじゃあ仕方ねぇ、とも思う。

 だが――チャックの目が、捉えていた。たまたま見上げた天窓――空に、飛行機雲が作られていく時を。それを見据え、もう一度見直し。チャックは破願していた。



 「……行ってこいよ、ガキ共。そして教えてくれよ……綺麗なもんって、奴をよ」



 自分はごみ溜めで一生を終えるだろう。それは、それで良いと思った事だ。だが、他の者は、これから生まれてくる者達は。そうではないと、知りたいだろうから。



 「可能性ってな……良くも悪くも、ある筈だろう。頼んだぜ……」



 チャックは、残ったチップを拾いに、立ち上がる。収支は悪かったが、気分は良かった。あの飛行機雲を見る為に転倒したと思えば、腹も立たなかった。





 そこは、どうみても病室の筈だ。そして、そこに居るのは病人の筈だ。だが、日を追うごとに、時が経過するごとに。何をどうしたのか、何がどうしたのか。そこは怪しい煙が渦巻く実験棟――ラボへと変貌を遂げていた。

 原因は何か。地位を乱用して物資を持ってこさせたモノが悪いのか。この相手には少々物足りない、心優しき看護師か。はたまた、状況が悪化するだけ悪化するまで我関せずを決め込んでいてた医者達なのか。

 ともあれ――事態は最悪の状況に突入しつつあった。



 「状況は⁉」



 プリスが車椅子を必死で動かす。まだ足が動き辛いから、そうもなる。状況を伝えに来た戦艦キュイラスのオペレーター、ウェルビーもまた、松葉杖を突いていたが。しかし、こちらも必死の形相だ。



 「物資が運び込まれたのは、三日前。その後、そこで作業が始まりましたので……出来ちゃってる……かなぁ……⁉」

 「どこの誰が『原子炉に転用できそうなパーツ』をファスに渡したのよ⁉ あの馬鹿、『普段から爆発はロマンだ』って言いだす狂人なのよ⁉」



 病院とはいえ、広い。そして――悪い事にプリスとファスの病棟はかなり離れていた。プリスがファスの動向を監視していれば、起こりうる惨事では無かっただろう。



 「プリスさん、隣の棟です!」

 「急ぐわよ! 被害を出しては……!」



 そんな二人の必死の形相に、仰天する周囲。そして、医者達は悟っていた。特務大隊の三凶――ここにあり、と。

 プリスが窓の外、隣の棟を見据えた瞬間。そこから怪しい煙が放出され始め。もう駄目かも、と思った瞬間――駄目だった。幸いだったのは、ファスの病室が最上階、橋の一人部屋だったという事だろうか。

 綺麗にその部屋の辺りが吹っ飛び。そこに、一人の女性が立っていた。その女性はプリス達に気が付いたのか、にこりと笑って――口だけ、動かしていた。



 「うむ、失敗だ」



 もはや、何度聞いたかわからないその台詞は聞かないでも判る。プリスはこの惨状と、この後のフォローについて、真剣に悩まなければならなかった。



 「と……とりあえず副長。不幸中の幸いです。ヤバいモノは散布されませんでした……」

 「そっかあ……良かった良かった――訳ないでしょー⁉」



 病院を放り出されるだけで済むかなぁ、とはプリス。

 そして――その様子をも、二筋の飛行機雲は見据えていた。とはいえフォローも出来そうも無いので、放っておいたのだが。





 空は、何時でも空なのだろう。

 空気が薄く、風が強く、日差しは青空を映し出し、白い雲の上では影が出来る。それらは、全てそうなる様に構成されていて、不思議に思うような事ではない。

 だが――それを、不思議と捉えないというのも、勿体ない話ではある。



 「…………」



 エスタには、見るモノ全てが新鮮に映る。それは本当に幸せな事なのだ、と思う。

 ただ在るモノが、ただ在るモノとして。それは、でも。本当はそこに在るだけでも奇跡なのだから。誰もが意味を求めるけれど。誰もが理由を求めるけれど。

 ただ在る――それこそが、本当の奇跡だと思えるから。



 「よし……!」



 両の掌に、風を思い切り受けて。身体を逸らし、大きく羽ばたく様に、方向を変える。アヤもまたそれに倣い、同じ様に飛んでいく。

 どこまでも空は続いていく。そこを自由に、舞う様に。

 それが出来る様になった時から――いや、その前から。ヒトは、或いはヒトではなくなったのかも知れない。文明というモノを持ち、生活圏を増やす。それは、言い方を変えれば『進化』なのだろう。

 でも。生きるという事は何も変わりが無い。出来る事を、するだけなのだから





今の場所から、飛び立って。

遥か向こうに、夢と希望がある――とは思えないけれど。

それでも人は、憧れを捨てられない。

それは――見果てぬ夢へ、見果てぬ地平へ。少しでも近づく為の行動だから。



エスタとアヤが、この先の地平で何を見出すのか。

それは、この場で語る事ではないだろう。



  〈了〉

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