第20話【第十九章 改悛】



 ――静かだった。

 静寂とは、無音ではない。風の音、土の音、水の音が……小さい音のみが、流れる世界。小さく存在する水面は、波打つほどの風も無く。まるで鏡の様に、空を映す。空には大きな穴の様に、奇妙な程の真円で雲に穴が穿たれていた。

 エスタとアヤは、大地を歩く。足音ですら、響く程だ。



 「生存者は?」

 「確認はしていないけど……そもそも、活動をしているモノは、見渡す限り居ない。居たとしても、息を潜めて成り行きを見守っているだけでしょう」



 冷徹な、と言うか。事実を共に淡々と話す。それは、エスタとアヤの会話形式でもある。周囲を見渡し、アヤの言葉通りであると理解し。エスタは次の問いを紡ぐ。



 「終末の獣ルドラは?」

 「あそこ」



 これは、すぐに分かった。残骸が残らず吹き飛び、大地には水が張られている。それは水蒸気爆発の結果なのだろうが――その、中央部辺りに『目』があった。まだ飛んでいるところをみると、生きているのだろう。

 だが、周囲に黒雲も無く。もはや、『目』のみがあるだけだ。



 「勝敗は決した。後は、エスタ。貴方の仕事よ」

 「そう……だね」



 それは、何という状況だろうか。処刑場に引き出され、首を刈られるだけの罪人の姿だろうか。エスタの脳裏に、様々な光景が蘇っていく。本来不要な筈の、思惟の群れが。



 「…………」



 エスタは、水面に足を踏み入れる。細波が足から発生し、それが彩りを与える。空は嫌になる程蒼く、水面もまた。足は止まらず、『目』に向かい続ける。『目』は、ぴくりとも動かず、生きているのかどうかは、浮いている事でしか解りようもない。

 不意に、エスタは思う。『話しかけてみよう』――本来必要のない事柄を。

 そして、それを不要とは。今のエスタには思えなかった。



 「終末の獣……」



 言葉は、無い。終末の獣には発声器官など無いからだ。そもそも、意志が残っているのかすら。でも――だから。

 そんなエスタの逡巡を、しかして。理解するモノが居た。



 ――わかった。『目』を貸すよ。



 再びエスタの額が、開く。それは、神の末裔の証でもある。



 「……エスタ?」



 アヤの疑問は、もっともな事だ。そんな必要は、無いのだから。だが、エスタにはどうしても――譲れなかった。意味が無かったとしても。意味など、求めても居ないのだから。



 「終末の獣――いいえ、エスタ。答えて。アンタは……満足したの?」



 それは、今のエスタから、かつてのエスタへの。せめてもの、手向けの言葉だった。





 ……返事まで、かなりの時間を要した。



 (……そんな、訳ない。納得なんて、出来る訳ない。全部、全部……居なくなった。無くなった! だったら、何で、何で! 報いちゃ、いけないの! 報復は、そんなに悪い事なの⁉)



 ああ――やはり、か。そう、エスタは思う。だからこそ、終末の獣は今の今まで動いていたのだから。もう、分からない。理解出来なくなってしまっている事にすら、気が付けていないのだから。全ては、とうの昔に終わってしまっている事なのに。

 ならば、やるべきことは一つだ。エスタは、再び語りかける。



 「聞きなさい。全ては、オイラの仕込み。オイラが、元凶である――その様に理解しなさい」

 「エスタ?」

 「黙って」



 その言葉は、伝わった。そして、周囲の空気が変わっていく。それは、殺気と言うべきもので。

 水面が、波打ち始める――空気が、震え始める。



 (お前が……お前が? お前が――お前が! お前が、お前が、お前が、お前が、お前が! ならば、ナラバ! スベテ、全テ! 使ッテデモ……⁉)



 『目』が変質していく。黒い液体の様なモノが噴出し、それが腕の様になっていく。そして、頭の様にも。そして電気がまるで、槍の様に固まる。と、それを振り回せるようになった。

 エスタも呼応するかの様に、背中から炎の槍を取り出す。それは、人の戦いではない。



 「決着――付けなきゃ、納得出来ない。それは、オイラ自身が誰よりもわかってる」

 (……オマエヲ、倒ス!)



 ――正しく、神々の戦いである。





 炎の槍と、雷の槍。それは、互角の勝負でもある。



 「ヴァル……ガアア!」

 「…………!」



 口の様な器官が、頭部に出来たからか。終末の獣が、喋る様になった。胴体を構成するのはかつての『目』の部分であり、そこから頭部と手が生えている様な状況である。対してエスタは、片腕と片目を失っており、白兵戦ではエスタが不利となる。

 だが。



 「――大振り、過ぎ」

 「ヴァル……!」



 今のエスタにとって、終末の獣の攻撃は単調かつ大振り過ぎる。戦闘経験の差、だろう。いくらでもつけ入るスキはある――が。



 「それで、良いの?」

 「ヴァ……ヴァアア!」



 終末の獣が、必死で思考を巡らし始める。戦う為に、戦う為に――勝つ為に。今まで、そんな必要も無かったから。視界を広げ、相手を良く見て、そして――武器を、造って。



 「ヴァルアアア!」



 更に、腕が増える。阿修羅の様な姿に成りつつある。周囲の視界も確保した様で、空と水面を、終末の獣は認識しだした。そして――眼前に立つ、エスタの姿も。



 (……?)



 違和感が、掠める。だが、終末の獣は動きを止めない。複数生やした腕それぞれで斬りかかる――エスタは、上手く間隙を縫ってそれらを避けていく。



 「そう、それでいい。戦いとは――己が全力を出す事」



 終末の獣の攻撃は、猛攻と言って良い。それらを最小限の動きで避けているエスタを褒めるべきだろう。



 「エスタ……貴方、まさか⁉」

 「黙って。これは、彼女が己の運命を選ぶ為に、必要な事」



 そう。額の目が、教えてくれている。彼女は、罪を重ね過ぎた。本来あるべきものには、もう成れない。だが――だけど。



 「……次で、終わらせる。行くよ」

 「ヴァル……アアア!」



 エスタが炎の槍を構え、終末の獣(ルドラ)が雷の槍を構え――互いに突っ込んで行く。相手の急所、それを目掛けて。





 炎の槍が、『目』を貫く。それは、狙い違わず。

 ――そして、雷の槍は。エスタを貫くことなく、外れていた。いや、外したのか。

 それを見て。エスタは、語りかけていた。



 「貴女は、軍神には成れない――安心して、輪廻に進みなさい」



 もう、言葉は無かった。

 ただ――終末の獣の『目』であったモノが、砕けて落ち、そして消えていった。全てはそれだけであり、それだけの事だった。

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