第19話【第十八章 火槍】



 ――これは、エスタが特務部隊に入隊する前の、遥か昔の話。終末の獣ルドラが、この世に現出した時の話である。





 場所も定かではないが、セントラルに似ている建築物。そして、おびただしい数の人類。それは、人類が緊急避難的に造り上げた都市の一つであり、そこに人口が集中してしまうのは止むを得ないだろう。つまり、緊急事態に陥っている、という事でもある。

 だから――そこに住まう人達は、必死であった。誰かを利用する事も、蹴落とす事も。『より多くの人を、より身近な人を、助ける為』という善性により、あらゆる悪事が肯定される様な状況に成り果てていたのだ。

 だからこそ、終末の獣は現出してしまったのだ。



 「自立思考、展開続きます! こ、これは……こんな事が⁉」



 それは、広い研修室の中。直系何キロもあるかという新円形のドームの中。密閉された空間の中に、一つの何かが生まれ出でようとしている。

 スタッフの悲鳴が、恐怖に変わるまでには、そう時間は必要なかった。



「あり得ない。あり得ないわ! だって、これは、このプログラムは、ルーチンを繰り返すだけの筈でしょ⁉」



 女性と思しき、この場の最上位研究者。そうした人材を持ってしても、今何が起こっているのか分かりかねていた。それはそうだろう――無機物が、明瞭な思考回路を持ち始めている等と。しかも、何の兆候も無く、突然に。その様な事例がある訳が無い。



 「ですが、現に! この脳波パターンは自立――いえ、自我を持っている波長です!」



 通常なら、あり得ない。

 だが、この世界には一つの奇跡を可能としている存在が既にあったのだ。神から託されし、魂魄維持機関――アニマ=スフィアが。



 「対象、活動を開始します!」



 それは、大いなる力を行使する事が可能なモノだ。滅びゆく世界を是正する為に、或いは維持する為に。人類が叡智を注ぎ込んだ代物だ。エドという名の生体が基礎理論を造り上げ、その研究を国家機関が接収する形で造り上げられたこの存在は、或いは神にも匹敵する代物だったのである。

 それが本気で暴れ出したら――今度こそ人類は終わってしまう。その恐怖が、女性技術者を震撼させる。



 「緊急措置開始! データが吹きとんでも構わない、電源を落としなさい!」



 研究者達が総出でコンソールを操作する。プラスチック製のケースをぶち破り、強制的に電源をカットさせた。しかし――終末の獣が収まる様子はどこにもない。



 「緊急遮断――駄目です、受け付けません! それどころか、これは――自分で脳を構築しようとしている……? 仮想セルに思考プログラムを構築、弱電流を流し、プロセス化して……? おい、これは――独自進化しているんじゃないのか⁉」



 研究者達は愕然としていた。ある筈がないのだ。自立思考でもない限り、己のメモリを弄って――思考回路を作成するなどという事は。では、誰が操作しているのか――誰が、この現状を創り出しているのか。ハッキングなど出来ない筈の、この閉じられた環境の中で。

 それが解るからこそ、愕然とするのだ。



 「何てこと⁉ こんな、こんな事は有り得ない! 独自思考、独自進化……⁉ こんな事は、エドの実験ノートには何も記載されていなかった!」



 エドの実験ノートには、終末の獣の原型となるシステムとプロセスが記載されていただけだ。だから、その制御中枢を造った事は無かったし、制御中枢と言っても、それは人類側がスイッチコントロールをするだけの制御系システムでしかなかったのだ。

 それが突然、自立思考を持ち得るなど、誰が信じられようか。

 そして――誰もが恐れていた事が始まる。周囲に黒雲を造り出した『目』が、雷撃を集め始めたのだ。

 それを見た女性技術者は、力なく椅子に座る。



 「総員……退避しなさい」



 か細い声で、しかし。その声は全ての技術者に聞こえていた。誰もがその指示を待っていたし、聞き逃さなかった。同時にこうも思っていた――終末の獣がスペック通りの力を発揮できるのなら、ここで逃げてもどうにもならないのでは――と。

 そして、それはその通りだった。





 爆発と、言えるのかどうか。プラズマ化された電撃が周囲全てを飲み込む爆発を生み出し。それは終末の獣を外に出す程度の威力を発揮していた。地上にあった都市、そしてその地下にあった研究施設――それらに住んでいた場所を吹き飛ばし、生きていた人達を焼き尽くして。



 (…………)



 終末の獣は、空に上っていく。意識の構築を続け――そして、ただ一言だけを。ただ、一念だけを。ようやく辿り着いたその言葉を、脳裏に閃かせていた。



 (……エド⁉ 何故――何故、私とエドは、殺されたの⁉)



 エスタ。己の名前――そして怨嗟と、慟哭と――疑問で心を満たされながら。





 そこは、人の在る場所ではない。

 そこは、動物のある場所でもない。

 或いはそこは――定命のモノが居る場所ではない。

 だが、そこにはそれ以外のモノがいる。ここでは二人――二つ、か。大きな存在が二つ、顕現していた。ここでは便宜的にその二つの存在を黒い人と白い人、と呼称する。

そして――二つの存在は話し合っている様だった。



 「つまりは、そういう事さ。偶像というモノは、『誰』であるかが最も重要である、という事なのさ」



 黒い人が、淡々と。しかしどこか嬉しそうな声だ。

 体面に居る白い人は、こちらも淡々と。しかし冷淡に返す。



 「何が重要なのか、さっぱりだ。誰が誰であるかなど、顔や特徴を見れば判るだろう」



 それは、当然の事柄だ。当たり前の事を当たり前と言って何が悪い――そういう物言いだった。しかし黒い人は満足げに頷く。その答えがありがたい、という風であった。



 「もちろん、外見が違うからね。故に――後から造る偶像というモノには、『誰』なのか容易に判断出来る様に造らねばならない、という事なのさ」



 

 「ふむ――ヴィシュヌの顕現者アヴァターラたる貴殿が言うのならば、そうなのだろうよ」



 そこは、楽園の様な場所であり。さりとて、楽園だと理解は出来るが、何なのかよく判らない場所でもあり。人が人として、見据える場所ではないというのは確かなのだろう。

 その場所には、白い人が作った白い木もあり。黒い人が近づくと、その白い木には影が現れた。



 「ああ、不躾に近づくから。これは……実体を持ったな。意味が生まれた。君のせいだぞ?」



 大いなる存在とは、不便な事だ。取り留めのない事をしただけで、大変な事になってしまう。己の存在が大き過ぎるのも、困ったものなのだ。



 「何という事か。色が付いただけで、意味を持たせなければならない。物事はこれ全て生まれて、消えるモノ――全てに責任を持っていては、影などやってられないよ」



 白い木から、影が伸びる。光が多ければ、影は増える。一つの木から、二つの影。もしくは三つの影。どちらもあり得る事だ。



 「これは、どちらの責だ?」

 「光が在るから、影が生まれる? 相異があるかな。影を照らすのが光――どちらが先かなどと、無為の極みだね」



 だが、生まれた影には、形がある。それぞれ違う、形が。



 「つまりは、この世に二つとして同じものは存在しない。本来は、ね」



 肩があれば、肩を竦めただろう。そういう風情だった。白い人は、変わらず淡々と返す。



 「……それで偶像ね。顕現者を、偶像によって成すと言うのかい?」



 顕現者アヴァターラ――それは、神の代行者。神の力を持って地上に降り立つ、真の意味での現人神である。神の意志を地上に伝える為に、或いは神の怒りを地上に伝える為に。それは、大いなる力の化身でもある。



 「間違いが生まれない様に、という事さ。今、神の身体に――人の魂が入り込むなどという事があってしまった。あり得てしまった。それはもう、我々には止めようもない代物だ」

 「終末の獣か――何故、あのような事が起こった?」



 さて、どうだろうか。全能であるから万能であるなどと――それはイコールではない筈だ。

 とはいえこの場合は全能であったようで。



 「良くは知らぬ。だが……製作者は、己の娘をモデルに思考を構築していた様だな」

 「何故、その様な事を?」

 「心優しく、健やかであれと――製作者にとっては、モデルであったのさ」



 黒い人と、白い人は共に黙る。溜息を付いた、のかも知れない。



 「この事は、ブラフマーは?」

 「知っているかも判らぬよ。そも、アレは世界の維持以外に興味も無い。そうあれかしと、望まれたモノであるのだからな」

 「……ふむぅ……」



 黒い人と、白い人は黙する。思考を巡らしているのか、それとも。



 「人が、人として成すのであれば、我等の生業ではない。だが――これは既に、その範疇にないと、思うがね」

 「しかしだ。これはやはり人の業だ。ならば、人でなければ――解決をするべきではない」



 どちらが喋っているかなどと、意味はない。それは、システム管理の話だからだ。そして、この二つの大きな存在は実のところ、離れる訳にもいかないのである。



 「ならば、だ。魂の器を造れば良い」

 「既に、アニマ=スフィアは用意した。それ以上のモノを?」



 白い木から延びた二つの影。それらに、二人は着目する。



 「本来の終末の獣に使う魂は余っている。それを使えば、どうか?」

 「解決になるか――ならぬか。神の力を持つ人か、人の力を持つ神か。まあ、良いだろう。これで世界が終わるのならば――元よりそうなる、という事かな」



 黒い人と、白い人は、二つの影に近づく。それは、実際にそうだった訳では無い。因果が、そうなったという事なのだ。



 「ならば、こちらは私が」

 「いいだろう。こちらは私が造ろう」



 ――こうして。エスタとアヤに『意味』が生まれた。





 瞼が――重い。

 開こうとしても、中々開かない。片目は、どうやっても開きそうもない。



 (ああ……潰れたのかな……)



 衝撃は、凄まじい物だった。シートに包まれていたとしても、エスタの鼓膜は破壊されていた。義体アヴァターラの損傷も酷く、片手は地面に叩きつけられた時に、ひしゃげて折れた様だった。肩口の辺りから腕を切り離し、残った片目で状況を確認する。



 「……終末の獣は?」



 空を見れば、黒雲の殆どは霧散していた。それどころか、雲という雲が周囲から消失していた。覚えているのは、爆音、そしてその後に来た――莫大な衝撃波。二次爆発と呼ばれる、一時爆発で発生した水蒸気が周囲の空間を熱し膨張させ、広範囲に爆発、衝撃波を展開させたのだ。さしものエスタも意識を飛ばされ、大地に叩きつけられたのである。

状況を理解し、エスタは義体を動かし始める。軋む箇所をチェックしつつ、動き出す。あちこちの稼働箇所が壊れてはいたが、まだ動ける――それは確信出来ていた。



 「アヤ……」



 相棒を探す。そして、すぐ傍にアヤが居た事に気が付く。だが、アヤは黙したまま。だが、瞳を開いて、次の様に言う。



 「もう、武器オーグメントの使い方は思い出したでしょう?」

 「……うん」



 エスタの傍には、武器など無い。アサルトライフルもナイフも、ガトリングガンも。どこかで失ってしまっていた。だが。



 「オーグメント」



 それは、呪文であり、合言葉であり、力ある言葉。

 言葉に従い、エスタの背中、円筒形のパーツが露出する。それは、どうやら手に持って使う代物であったかのようだった。

 そして――エスタが操作をすると。その円筒形のパーツから炎が噴出する。それは、まるで剣か、槍の様な長さの代物だった。動作確認を行い、エスタはそれをしまう。

 アヤは、満足げに頷いていた。



 「さあ、これで最後――終末の獣の一柱、終わらせに行きましょう」



 静かに、静かになった場所で。二人は歩き始めた。全てを、終わらせるために。

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