第16話【第十五章 意地】




 ――思ったのは、何だっただろう。

 熱い。痛い。意識が……保てない。そんな事だったろうか。己の身体が、己の身体では無くなる感触とは、こういうものなのかと。

 指先に、力が入らない――入らない、というか抜け落ちるというか。身体が、支えを失っていく。支えとは、骨と筋肉――そして、何か。それが、抜け落ちていく。



 (……そうか、これが……『死』か……)



 最後の瞬間、チャックは何を見たのか。敵である終末の獣ルドラでも、味方である戦艦キュイラスでもなく。ただ、青い空を見ていた。

 戦闘など、戦争なぞ。全く関係ないとばかりに透き通るような、蒼穹の空を。





 黒雲が、広がり続ける。

 雷鳴が、押し寄せてくる。それは、終末の獣の侵攻だった。



 「被害報告――艦首、生き残りは居ないの⁉」



 プリスの悲鳴としか思えない言葉が、艦内に伝わる。あちこちで消火に追われている者、身体が炎に包まれて悶え苦しむ者、その横で必死に壁に何かを投げている者も居る。消火材か補修材か、そんな所だろうか。



 「前部甲板、損害……全損! 砲台も復旧見通し立たず。砲撃はもう、出来ません!」



 ウェルビーが目視で確認する。もはや前部甲板付近に生き残りは居ないと、判断したのだ。だが、確認しても、確認しても。伝わってくるのは、絶望的な報告ばかりだ。



 〈火薬庫、大破! 弾薬は何とかパージ……うわっ!〉

 〈火薬庫、火災発生! ブロックごと放棄します!〉

 〈た、助けて、助けて……きゃああ!〉

 〈駄目だ、見捨てろ! 閉め……うわあああ⁉〉



 阿鼻叫喚とはこの事か。プリスも他のオペレーター達も、状況の把握と復旧にてんてこ舞いだ。止む無く、プリスが「アライヴ、このままじゃ――総員退艦を!」と具申する。だが、プリスは一瞬目を疑った。この状況でアライヴが――嗤っていたのだ。



 「アライヴ……?」



 まさか、壊れてしまったのか。己を支えると言ってくれた人が――そうしたら、自分はどうなってしまうのか。耐えきれる自信がない。



 (アライヴ……)



 瞳に、涙が溢れる。助けてよ、助けてよ、助けてよ――それだけが過ぎり。しかして、アライヴは決然と立ち上がった。瞳には確信を持って。そして、堂々とした仕草で電話を取り、全艦に放送をする。



 「皆――よく頑張ってくれた。お陰で勝機が見えたぞ。あの強大な終末の獣に、立ち向かう隙が、な!」



 決然とした、堂々とした声。それは、全員に勇気と――困惑を与えていた。





 一方、北部前線基地――



 「温度、規定まで上がっていないぞ。どういう事か⁉」



 ファスの怒声が、響く。作戦開始から今に至るまで、思う様に温度が上がっていないのだ。



 〈は、はっ! それが思ったよりも補修箇所が多く! 隙間から熱が逃げています! 補修部隊が作業を開始していますが……!〉



 誰もが、汗を掻いている。既に外気温は七十度近い。圧力を加える為には、密閉構造を維持するしかない以上、穴があれば塞いでいかなければならない。だが、それは殆どの場合、目視で行わなければならないものだった。

 ファスは北部前線基地各部に設置されている温度計を見ながら、要員をその都度変更している。それでも、こうも苦戦するというのは。経年劣化を甘く見過ぎたか、とはファスの言。



 「とにかく、手を動かせ! 補修箇所はこちらでもチェック、共有する! 我々の仕事が、今作戦の要である事を忘れるな!」



 ファスは、汗だくだった。一人だけ防護服を着ていない、という事もあるが。それ以上に――己の計算が狂っていっている事への、疲弊があった。



 「現場での不手際など、考慮に入れたなど――どの口でほざいたか。某も未だ、未熟という事か……!」



 ファスはしかし、激を飛ばし続ける。もはや後には引けぬのだ。この上は、やり遂げるしかないのだと、己に言い聞かせながら。





 「……正気?」



 静かに、プリス。余りの内容に――脳が、身体が冷えたのだ。



 「至って正気だ。これより当方は出撃、終末の獣へのダイレクトアタックを敢行する。作戦は、こうだ……。


1、 機関長からの報告によると、戦艦キュイラスのエンジンはまだ生きている。故に、キュイラスはこのまま後退を続けてもらう。艦に残る者は消化と修理、即応部隊への補給を怠らない様に。

2、 当方とプリスは、終末の獣への直接攻撃を担当する。攻撃が当方、プリスが防御だ。


 作戦は以上だ。何か質問は?」



 堂々としたアライヴ。しかして、プリスは確認せねば気が済まない。



 「大ありよ! この絶望的な戦力差を、どうやって補うのよ⁉」



 本来、副官たるものは、上司の命には絶対である。もしくは、上司の命令を咀嚼し、広く部下に広める作業が主な仕事だ。だがこの状況では、説明を聞かなければ納得も出来ない。それは、プリスだけの話ではない。ふむ、と周囲の顔を見て――その必要性に、アライヴも気が付く。



 「なるほど。では、終末の獣の限界について伝えよう」

 「終末の獣の限界……?」



 プリスが、聞き返す。それは完全に想定外の言葉だったからだ。あんな化物に、限界などあるのか、それは衆目の一致でもある。



 「先程の攻撃が、全力であったとは言い難い。だが、通常の攻撃であったとしても、だ。攻撃力の最大値が見えた、という事さ」



 言われて、プリスもようやく気が付く。戦艦キュイラスは、前方から攻撃を受けて、前部甲板他を破壊された。そう、つまり――戦艦後部までは攻撃が届かなかったのだ。



 「熱線には、射程……もしくは、貫通限界があると言いたいの?」

 「御明察」



 一同は、戦艦キュイラスの被害箇所をもう一度確認する。確かに、戦艦後方までは、熱線は抜けていないのだ。



 「プリスの防御壁を上手く重ねれば、防ぐ事は可能だ――当方はその様に結論付ける」

 「た……確かに……。で、でも。どうやって射撃軸線を指定するの⁉ あーしの防御壁を重ねて防御するなら、人の一人か二人しか守り切れ――あ、そういう事⁉」



 アライヴが、背中に背負った八十八ミリ砲を叩く。それで、プリスは全て理解した。



 「当方とプリス――二人で、終末の獣に吠え面を搔かせてやろう。付いてくるかい?」



 それは、勝ちを確信した顔ではない。だが、己の意見に自信を持ち、試してやろうというモノの顔だ。それは、プリスが最も好きな顔でもある。



 「当然。最後まで付き合うよ――ありがとう、アライヴ。あーしを選んでくれて」



 そして、二人が出ていく。その様を見据えながら、残ったオペレータ―達は、己の仕事に戻る。まだ諦めなくていい――その事実が、総員に勇気を与えていたのだ。





 戦艦キュイラス、上空――



 「このおっ!」



 ガトリングガンを振り回しながら、エスタ。両手に装備しているが、片方は弾切れで打撃武器と化している。それも限界が来たので、最後の一振りでそのまま投げ捨てる。装備が大分軽くなってきたので、エスタは上空で戦っていた。



 「エスタ!」

 「アヤ、大丈夫?」



 エスタの傍に、アヤが飛んでくる。アヤは飛び道具を撃ち尽くし、いつものスパークブレードで応戦していた。



 「大丈夫。大分数が減って来たけど……どうする?」

 「キュイラスからの砲撃、止まっちゃったね……」



 当初の作戦では、戦艦キュイラスの砲撃だけが終末の獣への攻撃手段だった。そして、エスタもアヤも判っている。黒雲が少しでも少ない時が、攻撃チャンスなのだと。



 「攻め込む?」

 「……どうしよう?」



 そして、護衛となっているガープマンタも、大分少なくなっている。エスタとアヤにとっては攻め込み時、ではある。だが、エスタも良く理解していた。勝てる算段も無く、突撃しても。それでいつもいい結果が出る訳では無いのだと。



 「せめて『目』が見えればなー……」

 「うん……」



 見えていれば、エスタとアヤの速度にモノを言わせた攻撃で、何とかできるかもしれない。だが、これだけの攻撃にも関わらず、未だに『目』は黒雲の中だ。即ち、アライヴの策は効果的だという証左でもある。



 「どうしよう?」

 「うーん……」



 そうやって悩んでいる間に。下の方ではアライヴとプリスの準備が完了しつつあった。





 「機動防壁、展開完了! アライヴ、いつでも!」



 空間に、プリスの機動防壁が。一列に置かれていく。その軌道はアライヴと終末の獣の目、その一直線上であった。



 「よし、始めよう……頼むぞ、相棒!」

 「うん!」



 さて、アライヴがプリスの事を言ったのか、八十八ミリ砲の事を言ったのか。それはともかくとして、八十八ミリ砲が展開される。そして、遠距離精密狙撃用のゴーグルを装備したアライヴが、入念に狙いを付け――砲撃を始める!

 それは、元からして戦車の砲にも使われた威力を誇り。戦艦の砲と比べても、遜色はない。つまり――黒雲を切り裂く兵器でもあり、終末の獣が無視できない存在にもなる。



 「さあ、終末の獣……我々からの挑戦状だ、受け取れよ!」



 黒雲を切り裂き、そして――それに終末の獣が気付く!





 ――小虫とは、集るものか。

 終末の獣の感想はそれであり、それ以上ではない。だが、気にする――気になるというのは、ここ数百年有った事だろうか。不可思議なものだ、と思いながらも。



 (……ムウ……)



 先程の笹船よりも小粒な、虫とも言えぬ哀れな存在。それがどういう訳か、己に挑もうとしている。



 (取ルニ足ラヌ……ガ……)



 雷撃が、再び集まりだす。『目』に集約され――そして。



 (……食ラエ……)



 先程、キュイラスを襲った雷撃熱線――それが、アライヴに向かって発射される!





 「プリス!」



 アライヴが叫ぶ。プリスは両の手を祈るかの様に。



 (……あーしの好きな人を……守らせてよ!)



 プリスの意に答え、機動防壁が一列に――展開され、最後の一枚は、地面にめり込むかの様に。最後に残った電気を、地面に流す為だ。

 そして、雷撃で構成された熱線――それが、一枚、また一枚と機動防壁を貫通していき。



 「……そう、そしてだ。お前は攻撃の時はこちらを見ているよな。ならば、その時に攻撃を食らったら――どうなる? どうする? お前は、聞こえてはいまい。良く見えても居まい。だがな……忘れるな、当方の名はアライヴ。お前に――終末の獣に――挑むモノだ!」



 熱線の傍を、掠める様に。八十八ミリ砲が火を噴き――それは、遂に。





 (……何……?)



 小さなものが、飛んでくる。

 それは、小さくて、矮小で――それでも、明確な意志を持って。

 そう。その時だけは、黒雲が晴れているのだ。熱線で、焼き切れているから。

 発射された鉄球が、『目』に向かっていき。



 (……何⁉)



 初めて――終末の獣は、驚愕させられていた。

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